第17話 恐怖の鬼ごっこ
「じゃあ――」
すっと、白い指が持ち上がる。
三本。
「3分待つよ」
その声は、あまりにも優しい。
恋人が門限を告げるような、柔らかさ。
「スタート」
その瞬間だった。
「――っ!!」
勇人の背筋を、氷水が流れ落ちたような悪寒が走る。
理性より先に、身体が動いた。
椅子を蹴り飛ばし、教室のドアを開け放つ。
――逃げろ。
頭の中で、それだけが反響する。
廊下を全力で駆ける。
足音がやけに大きく、やけに響く。
目指すは昇降口。
「はっ……はっ……はっ……!」
肺が悲鳴を上げる。
だが、止まれない。
階段を転がるように駆け下り、
一分も経たないうちに、一階・昇降口へ辿り着いた。
「よし……!」
震える手で、内鍵に指をかける。
ガチャッ。
――回る。
ロックは、確かに外れている。
「開け……!」
ドアノブを引く。
――しかし。
「……っ!?」
びくともしない。
「な、なんで……!?」
もう一度、力を込める。
体重を預ける。
それでも、ドアは無言のまま閉ざされていた。
「ロックは……かかってないはずだろ……!」
声が、裏返る。
視界に入ったのは、近くに置かれていたパイプ椅子。
「くそっ……!」
勇人はそれを掴み、渾身の力でガラスへ投げつけた。
――ガンッ!!
鈍い音。
だが、割れるはずのガラスの手前で、
椅子は見えない何かに弾かれ、床に転がった。
「……は?」
次の瞬間、空気が揺らぐ。
ガラスの前に、クモの巣のような淡い光の膜が浮かび上がっていた。
「……嘘だろ」
喉が、ひくりと鳴る。
「この……校舎から……出られない……?」
震える手で、もう一度。
――ガンッ、ガンッ!
何度投げつけても、
結界は、嘲笑うようにすべてを跳ね返す。
希望が、音を立てて砕けていく。
「くそっ……!」
勇人は歯を食いしばり、
別の出口を求めて走り出した。
――その頃。
四年一組。
法子は、教卓の前で静かに立っていた。
「ふふふふ……」
包丁の刃先を、舌でなぞる。
「この校舎から、出られないのよね」
声は、甘く。
表情は、無邪気で。
「……ふふっ」
スマホを取り出し、画面を見る。
残り時間――00:00。
「さて……」
ゆっくりと、顔を上げる。
「お仕置きタイムだわ」
その瞳は、もう“人”のものではなかった。
獲物の逃げ道をすべて塞ぎ、
追い込みを確信した――肉食獣の目。
コツ……
コツ……
包丁を手に、
法子はゆっくりと教室を出る。
その足取りは、焦りなど微塵もない。
――逃げる時間は、もう終わった。
校舎のどこかで、
勇人の荒い息遣いが、虚しく反響していた。
勇人は、ほとんど転げるようにして――
一階・一年生の教室へと飛び込んだ。
「はっ……はっ……!」
教室は、妙に広く、妙に静かだ。
小さな机と椅子が整然と並び、無邪気だったはずの空間が、今は逃げ場のない箱にしか見えない。
窓に駆け寄り、両手で勢いよく押し開ける。
「……っ!」
動かない。
「くっ……ここも、開かない……!」
焦燥が、喉を締め付ける。
近くの椅子を掴み、窓へ投げつける。
――ガンッ!
だが、割れるはずのガラスの手前で、
見えない力に弾かれ、椅子は空しく床に落ちた。
「……また、結界……!」
校舎全体が、巨大な檻だと悟る。
「くそっ……仕方ない……!」
勇人は踵を返し、体育館を目指して走り出した。
渡り廊下へ続くドアに飛びつき、必死に押す。
――だが。
「……開かない……」
そこも、完全に封じられていた。
絶望が、背中を這い上がる。
――その時。
コツ……コツ……
遠くから、ゆっくりとした足音。
そして。
「み~つけた」
楽しげな声が、廊下に反響する。
同時に、
ジジジジ……
蛍光灯が点いては消え、消えては点く。
白い光と闇が、交互に世界を切り取る。
(まずい……まずい……まずい……!)
光の合間に、
刃物が、きらりと光った。
「……っ!!」
勇人は反射的に、階段を駆け上がる。
(朝まで……逃げ切れるのか……!?)
心臓が、壊れそうなほど鳴る。
――二階。
「音楽室……!」
そこなら、隠れられるかもしれない。
幸い、法子は――
ゆっくり来ている。
勇人は音楽室のドアを開け、滑り込むように中へ入った。
すぐに灯りを消し、
息を殺す。
遮光カーテン。
段差のある床。
机と椅子。
木琴。
そして――グランドピアノ。
勇人は、迷わずその中へ潜り込んだ。
暗闇。
狭い空間。
(朝までじゃなくていい……
少し……少しでいい……)
――その時。
足音。
確実に、近づいてくる。
ドアが、きぃ……と開く音。
法子が、音楽室に入ってきた。
ゆっくりと、見回す気配。
「おーい……ここにいるんでしょ」
甘く、楽しそうな声。
「ふふ……」
カーテンが、しゃっとめくられる。
(……違う……)
(多分……この階にいる……)
(階段、上がる音……しなかった……)
沈黙。
やがて、足音が遠ざかる。
――ドアが、閉まる音。
「…………」
どれほどの時間が経ったのか、分からない。
数分か。
数時間か。
恐怖が、時間感覚を溶かしていた。
その時――
カタン。
グランドピアノの、
鍵盤の蓋が、ゆっくりと開いた。
(……っ!?)
勇人は、息を止める。
外を、慎重に確認する。
――誰も、いない。
そっと、這い出す。
次の瞬間。
「みーつけた」
――背後。
「――っ!!」
振り返る暇もなく、勇人は全力で駆け出した。
音楽室を飛び出し、
廊下を走る。
背後から――
ものすごい勢いの足音。
距離が、急速に詰まる。
「……っ、はっ……!」
どこに向かっているのか、もう分からない。
ただ、上へ。
階段を駆け上がる。
――屋上。
通常なら、施錠されているはずの扉。
だが。
「……開いてる……?」
扉は、抵抗なく開いた。
勇人は屋上へ飛び出す。
冷たい夜風。
月明かり。
しかし――
背後から、足音。
法子も、ゆっくりと屋上へ現れた。
逃げ場は、フェンスの端しかない。
追い詰められる勇人。
「ふふ……」
法子が、微笑む。
「ここはね……わざと開けておいたんだ」
月光を受けて、刃物が光る。
片目が、異様な輝きを放っていた。
勇人は首を横に振る。
だが、現実は変わらない。
フェンスを乗り越え、下を見る。
――三階分の高さ。
(ここから……生け垣の上に……)
だが、足がすくむ。
動かない。
――法子が、さらに距離を詰める。
「……」
「くそっ……」
歯を食いしばる。
「どのみち……怪我するなら……!」
勇気を振り絞り――
飛び降りた。
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