第16話 エルフの大酋長
翠は、食卓に一人座っていた。
壁の時計は、すでに夜八時を回っている。
「……遅い!!」
頬杖をつき、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
「何があってるの? 連絡もなしで……」
視線は、無意識のうちにガスコンロの上の鍋へと向かう。
コトコトと静かに火を保たれたカレー。
スパイスと玉ねぎの甘い香りが、部屋いっぱいに広がっている。
「……絶対、帰っては来てるのよ」
スマホを取り上げ、画面を睨む。
「でも……どこ?」
GPSは反応なし。
既読もつかない。
「ありえない……」
エプロンを乱暴に外し、ソファに腰を下ろす。
脚を組み、テレビをつけるが、内容はまるで頭に入ってこない。
「今日は……」
ぽつりと独り言が漏れる。
「お義父さん、出張でいない日なのに……」
部屋に、沈黙が落ちる。
(くっ……)
翠は、ぎり、と親指を噛んだ。
(このまま……勝負下着が無駄になるとか……そんなの、許されないでしょ!!)
焦燥と苛立ちが、胸の奥で絡み合う。
――そのとき。
ピンポーン
乾いた音が、部屋に響いた。
「……?」
翠は一瞬だけ警戒し、それから表情を整える。
「はーい」
玄関を開けた、その瞬間――
翠は、無意識に息を呑んだ。
そこに立っていたのは、三人の少女。
全員が端正な顔立ちで、整いすぎるほど整っている。
そして揃いも揃って、竜王学園のブレザー姿。
――だが。
翠を見る視線は、氷のように冷たかった。
先頭に立つ、青髪のボブカットの少女が一歩前に出る。
「……話があるんだけど」
感情の読めない声。
「きっと……ここにいると思って」
翠は、深く息を吐いた。
「はぁ……」
そして、肩をすくめる。
「ここで立ち話もなんだし……上がりなよ」
リビング。
三人はソファに並んで腰掛け、翠は向かい側に座る。
「紅茶でいい?」
そう問いかけると――
金髪ロングの少女が、即座に答えた。
「結構です」
ぴしゃり、と冷たい声。
「あまり長居するつもりもありませんので」
「……そ」
翠は、視線を横に移す。
「じゃあ、ニーヴ。キーラ。あんたたちは?」
名前を呼ばれた、
落ち着いた雰囲気の青髪の少女――ニーヴと、
鋭い目つきの赤茶髪の少女――キーラが、ほぼ同時に首を振る。
「私も、結構です」
「同じく」
「はいはい」
翠はキッチンに立ち、結局――自分の分だけ緑茶を用意した。
湯気の立つ湯呑みを手に戻り、ゆっくりと一口啜る。
沈黙。
空気が、ひりつく。
「……で?」
翠は、湯呑みをテーブルに置いた。
その瞬間、口調が変わる。
「なんの用かの?」
柔らかさは消え、
高校生としてでも、恋人としてでもない――本来の翠の声。
空気が張り詰めたまま、沈黙が続いた、そのときだった。
ガタンと音を立て、青髪のボブカットの少女――ニーヴが立ち上がる。
「……もういい加減にしてください」
低い声。
だが、その一言に魔力が乗った。
「帰ってください。オーラ」
室内の空気が、ぎゅっと圧縮されたように重くなる。
しかし――
「……」
翠は、ゆっくりと目を閉じた。
そして、大きく息を吐く。
「その名前は、もう捨てたんじゃがのう」
目を開き、静かに告げる。
「もう翠じゃ」
「捨てたって!!」
即座に噛みついたのは、赤髪の少女――キーラだった。
「そんなの無責任すぎるでしょ!!
名前も、立場も、責任も、全部!!」
翠は、肩をすくめる。
「もういいじゃろ」
淡々と。
「隠居じゃよ」
その言葉に、三人の顔が一斉に歪む。
「殺った、殺られた……そういうのは、もうこりごりじゃ」
翠の声は冷たい。
「寿命も、あと百年くらいしかないしの」
「……しか、って」
キーラが呆然と呟く。
「女の幸せを求めて、何が悪い?」
その一言に、金髪の少女――エリンが鼻で笑った。
「はっ。女の幸せ?」
一歩前に出て、鋭く言い放つ。
「今さら何を言ってるのよ。
エルフの大酋長だったあんたが、真っ当な死に方できるわけないでしょ」
「……」
翠は、じっとエリンを見た。
「もう、その座はお前に譲ったはずじゃろ。エリン」
「はぁ!?」
エリンの声が跳ね上がる。
「あんだけ戦線を拡大しておいて、あとは丸投げ!?
ふざけないでくれる!!」
「うーん……」
翠は、少し考える仕草をしてから言った。
「でも、あらかた終わったじゃろ?」
「勝ちはしましたけどね!!」
今度はキーラが食い気味に叫ぶ。
「戦後処理が地獄なんですよ!!
ヴァンパイア諸国連合との講和、どうするんですか!!」
「若いもんに任せる」
即答。
そして――
「わし、もう少ししたら結婚するし」
そう言って、翠は両手で頬を包んだ。
――ほんのり赤く染まる顔。
三人が、固まる。
「……は?」
「……え?」
「……今、なんて?」
「まだ子供も産めるしの」
さらっと爆弾発言。
「まだまだ若いんじゃ。
むしろ――」
翠は、目を輝かせる。
「わしの青春は、これからじゃし」
完全に乙女の顔だった。
「……」
沈黙を破ったのは、エリンだった。
「……あー、はいはい」
額を押さえ、呆れ切った声。
「どうせ、あいつでしょ。相手」
翠が微笑む。
「うむ」
「17歳とか、アウトだからね?」
指を突きつける。
「犯罪だよ犯罪。
あんたBBAだよ?齢800超えのエルフだよ?
ショタとかそういう次元じゃないから!!」
キーラとニーヴが、無言で頷く。
だが――
「いや」
翠は、にっこり笑って言った。
「求婚してきたのは、勇人からじゃし」
完全に惚気モード。
「……」
……三人の沈黙が、すべてを物語っていた。
「……じゃあさ」
沈黙を切り裂くように、エリンが口角を上げた。
「精霊王のオーブ、返しなさいよ」
「――――ぶっ!!」
翠は、啜りかけていた茶を盛大に吹き出した。
「げほっ、げほっ……!!」
リビングに飛び散る緑茶。
同時に、額から冷や汗が滝のように流れ出す。
「う、うーん……おーぶ?し、知らんのう……」
視線が明らかに泳ぐ。
「ほれ、年を取ると……物忘れが激しくなってのう……
書斎にでも、なかったかのう……?」
「は?」
キーラの目が、細くなる。
「さっきまで
『青春はこれから』とか
『まだ子供も産める』とか
めちゃくちゃ元気に言ってませんでした?」
「うーん……」
翠は、ぷいっと横を向いた。
「言ったかの〜……どうかの〜……」
脂汗が止まらない。
「……」
エリンが、ゆっくり立ち上がる。
その一歩ごとに、床がきしむ。
「あれ、返しなさいよ」
低い声。
「ここ10年くらい、誰も見てないのよ」
さらに一歩。
「持ってるんでしょ?」
翠は、背もたれに深く沈み込みながら、強がった。
「し、しかしじゃな……」
指を立てる。
「そもそもあれは、わしが精霊王様から直々に賜った私物じゃぞ?」
「……は?」
エリンのこめかみが、ぴくりと動く。
「何言ってんの」
冷ややかに言い放つ。
「もうあれは種族の宝よ。個人所有とか、通用しないから」
さらに詰め寄る。
「返しなさい。今すぐ」
「……」
翠は、唇を引き結び――
「……うーん……」
観念したように、視線を落とした。
「……いや……」
三人が、息を呑む。
「あるには……あるんじゃが……」
「――あるんじゃん!!」
キーラが叫ぶ。
「最初からそう言いなさいよ!!」
「いや……その……」
翠は、指先をもじもじさせる。
「……ちと……その……」
「……?」
エリンとニーヴが、同時に眉をひそめる。
「いや……実は……」
翠は、申し訳なさそうに笑った。
「……もう使ってしまってのう」
「………………」
一拍。
「「「えーーーーーーーーーーーーーー!!」」」
三人の絶叫が、家中に響き渡った。
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