第12話 恐怖の部屋(2)
――意識が、ゆっくりと浮上する。
最初に気づいたのは、闇だった。
目を開けているはずなのに、何も見えない。
次に――動けないことに気づく。
手足が、重い。
いや、違う。
縛られている。
冷たい金属が皮膚に食い込み、わずかに動こうとするたび、鎖が擦れる嫌な音がする。
反射的に声を上げようとするが――
「……っ!」
口が、塞がれていた。
猿轡のようなものが、顎と口を固定し、言葉を完全に奪っている。
「う……うー……」
喉から漏れたのは、意味を持たない音だけだった。
――そのとき。
耳元。
息が、かかるほど近い距離で、囁く声。
「……起きた?」
優しい。
けれど、温度のない声。
――あの魔女だ。
勇人の背中を、冷や汗が一気に流れ落ちる。
心臓が、壊れたみたいに暴れ出す。
ゆっくりと、頭を動かす。
視界はまだ闇のまま。
それでも必死に、頷いた。
「そう……。じゃあ、今から目隠し取るけど……いい?」
答えられない。
だから、もう一度、小さく頷く。
「……ふふ。いい子」
その一言で、胸の奥がぞわりと震えた。
――助けて。
――誰か、助けて。
願いとは裏腹に、指先が、布に触れる感覚。
す、と目隠しが外された。
瞬間、光が流れ込む。
「……っ」
――そこは、勇人の部屋だった。
机。
ベッド。
本棚。
カーテン。
すべて、いつもと同じ位置。
同じ形。
同じ色。
――ただし、壁だけが違った。
写真。
写真。
写真。
壁一面を埋め尽くすほどの、無数の写真。
小学生の頃の勇人。
中学生の勇人。
入学式の写真。
運動会。
遠足。
プールでの水着姿――。
知らない。
覚えがない。
それなのに、すべてが本物だった。
さらに視線を動かすと――
捨てたはずの制服。
処分したはずの水着。
大切にしていたユニフォーム。
まるで、展示品のように、丁寧に飾られている。
「ふふ……いいでしょ、この部屋」
いつの間にか、視界に入ってくる魔女の姿。
満足そうに、微笑んでいる。
「この写真ね……特にこれ。とっておきなんだ」
一番大きく引き伸ばされた一枚を指差す。
そこに写っているのは、無防備に笑う勇人だった。
――知らない。
――いつ撮られたのか、まったくわからない。
「この部屋にいる君がね……」
魔女は、勇人の膝の上に腰を下ろし、抱きつく。
重み。
体温。
目は――光を失っている。
「私の最後のコレクション。いちばん大事な……ね」
胸元に顔を埋め、恍惚とした吐息を漏らす。
「ああ……ずっと、こうしたかった。ほんと、夢みたい……」
彼女の心臓の音が、直接伝わってくる。
速く、歪んだ鼓動。
勇人は、ただ震えることしかできない。
「このまま……二人で、ここで暮らそうかな」
独り言のように呟き、名残惜しそうに身体を離す。
そして、立ち上がり、こちらを見下ろして言った。
「ねえ。今から猿轡、取るけど……」
にっこりと、優しく。
「私が“いい”って言うまで、喋っちゃだめだよ。約束できる?」
勇人は、必死に――
首を何度も、何度も縦に振った。
「ふふ……いい子、いい子」
何度も、何度も頭を撫でられる。
ゆっくりと。
慈しむように。
「もし喋ったら……お仕置き、だからね」
楽しげな声。
ぞっとするほど、無邪気な笑顔。
「……お仕置き、してみたいけど」
そう囁きながら、彼女の指が、猿轡にかかる。
――カチャリ。
音とともに、口の自由が戻った。
「はあ……はあ……はあ……」
やっと、肺に空気が戻ってくる。
猿轡が外れたことで、息ができる――その安心が、思考を緩めた。
「き、君はいったい……」
言葉が、零れ落ちた瞬間だった。
「――しゃべんなって言っただろうが!!」
空気が、叩き割られた。
優しかったはずの声は、刃物のように変わり、怒声が部屋を震わせる。
魔女の顔は、さっきまでの微笑みを跡形もなく消し去り、歪み切った鬼の形相になっていた。
「ひっ……!」
勇人の喉が、引き攣る。
全身が、反射的に縮こまった。
――殺される。
本能が、そう叫んだ。
だが。
次の瞬間。
魔女は、すっと表情を引っ込めた。
「あっ……ごめんね」
声が、元に戻る。
いや、戻りすぎる。
「びっくりしたよね。うんうん、大丈夫だから。怯えなくていいよ」
まるで、泣きじゃくる幼児をあやすように。
彼女は、ゆっくりと勇人の頭を撫で始めた。
その手つきが、逆に恐ろしい。
――怒りを、切り替えられる。
感情のスイッチを、自在に。
勇人の身体は、止まらず震え続けている。
その様子を見て、魔女の目がわずかに柔らぐ。
庇護欲――いや、所有欲に近い何かが滲む。
「うん、うん。私の言うこと、ちゃんと聞いてれば大丈夫だからね」
頭を撫でながら、諭すように。
「約束、守ろうね?」
勇人は、恐る恐る顔を上げる。
視線が合うのが怖い。
それでも、逆らえない。
震えながら、ゆっくり――頷いた。
「うん、うん。いい子、いい子」
その言葉が、首輪の音のように胸に響く。
魔女は、しゃがみ込み、視線の高さを合わせてくる。
「ここはね」
指先で、部屋をなぞるように示しながら。
「君の部屋。でも……君の部屋じゃないんだ」
勇人の背筋に、冷たいものが走る。
「私が作った擬似空間。記憶と執着と魔術で組み上げた――君専用の箱庭」
くすり、と笑う。
「でも、いいでしょ? 最高でしょ?」
頬に手を当て、うっとりとした表情。
壁一面の写真が、無言でそれを肯定しているようだった。
魔女は、すっと身を寄せる。
そして、耳元。
「ねえ……元の部屋に帰りたい?」
吐息が、直接、耳を撫でる。
「帰りたいなら……ゆっくり、頷いて」
勇人は、言いつけを必死に思い出す。
喋らない。
逆らわない。
だから、首を――ゆっくりと縦に振った。
「うん……うん……」
満足そうな声。
「いいよ」
その一言に、勇人の顔がぱっと明るくなる。
――助かる。
――帰れる。
だが。
次の言葉が、その希望を、粉々に打ち砕いた。
「じゃあ――クイズを出します」
にこり。
楽しそうに、心底楽しそうに。
「正解したら、ちゃんと元の部屋に帰してあげる」
そこで、わざと一拍、間を置く。
「でもね。不正解だったら……」
目が、完全に光を失う。
「ここで一生、私と暮らすよ」
勇人の心臓が、凍りつく。
「この部屋の、最後のコレクションとして」
ゆっくり、ゆっくりと顔を近づけて。
「――私の、旦那さまとしてね」
愉悦に歪んだ笑みが、間近に迫る。
逃げ場はない。
選択肢も、ない。
こうして。
恐怖のクイズが、静かに幕を開けた。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!




