昼休みの彼女
月曜日の朝。
ついこの間まであれほど鬱陶しかった夏の暑さが嘘みたいに、空気がひんやりと肌を撫でる。
ブレザーの布地が、思いの外温かく感じられた。
教室の扉を開ける。
いつも通り、誰かに声を掛けられることもなく、自分の席へ向かう。
俺がいつも始業ギリギリに来るせいで、すでにクラスの大半は登校済みだ。
休日の思い出を笑い合う声、スマホの画面を覗き込みながら盛り上がるゲームやアニメの話。
中には宿題に追われているやつや、静かに本を開いているやつもいる。
教室という小さな世界の中で、週明けの朝がいつものように回っていた。
俺は、鞄から教科書やノートを取り出して机に収めながら――ふと、視線を巡らせる。
……花宮詩乃の姿を、探していた。
……居ないな。
普段なら俺なんかよりずっと早く来ているはずなのに、今日は休みなのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、ホームルームの開始を待つ。
クラスメイトたちは次々と自席へ戻り、やがて空席は花宮の席だけになった。
このクラスは出席率が異様に高い。不登校気味の生徒など一人もいない。
……もし登校危ういランキングなんてものがあったら、間違いなく俺がトップだろう。
それくらいには、みんな真面目に学校へ来ている。
チャイムが鳴る一分前。
教室の後ろ扉が勢いよく開かれた。
ざわ、と空気が少しだけ揺れる。
周囲にならって俺もそちらへ視線を向ける。
そこには、少し肩で息をして立つ花宮がいた。
どうやら相当急いできたらしい。
色素の薄い長髪が風を含み、ほつれた前髪の隙間から光を受けて淡く揺れていた。
「おそーい!」
「ごめ、ちょっと……」
「あー……そゆこと」
廊下側の席に座る花宮の友達、稗田が冗談めかして軽口を飛ばす。
ほんの数語のやり取りだけで、遅刻の理由を察したらしい。
――女子の察知能力って、ほんとスゴい。
そんなことを考えているうちに、前の扉が開き、担任が入ってきた。
体育大出身のがたいのいい男で、いつも通りのジャージ姿。
その明朗快活な笑みが、週の始まりを無理やり明るく照らす。
直後、チャイムが鳴る。
教室のざわめきが一瞬で静まっていく。
――そして、憂鬱な一週間が始まりを告げた。
「で、どうだったん?」
「どうって……?」
「そりゃ、朝コクられたんでしょ?」
「やっぱりお見通しかぁ」
「その感じだと振ったんだ……どんな子だったの? 先輩? 同級生? ……もしかして先生!?」
「ち、近いよ。あと先生じゃないよ、先輩だったよ」
「はえ~、大変だね、モテるっていうのも」
「いっそ誰かと付き合っちゃえばいいのに。そうすれば言い寄ってくる人減るはずだよ?」
「それはそうだけど、お付き合いするならやっぱり私が好きになった人がいいというか……」
「シノちゃんはピュアだなぁ」
「ふ、普通でしょ!」
「そんなだからまだ誰とも付き合ってないし、手すら繋いだことないんだよね」
「いいでしょ、もう私のことは!」
昼休み。
窓の外には、雲ひとつない真っ青なキャンパス。
普段ならチャイムが鳴った直後にでも外へ出て、誰もいない場所で昼飯を取るのが俺のルーティンだった。
しかし、今日は席を立つことをしなかった。
理由は特にない。
ただ、少し肌寒そうだし、行かなくてもいいかと思っただけ。
「花宮さん、今朝も先輩からの告白蹴ったらしいぜ?」
不意に背後から囁き声が落ちてきた。
声の主は、花宮のことを何となく好きなんだろうと感じていた男子と、その友達。
声のボリュームは、向こうの耳には届かない程度――が、その真ん中に座る俺には、やけに鮮明に届いた。
そのせいで、俺の視線は自然と花宮たちの方を向いてしまう。
彼女はいつも通りの4人で机を寄せながら昼ご飯を食べていた。他の3人は弁当だったが、花宮だけパンを頬張っている。
そういえば、花宮ってパンなんだな。
勝手に弁当のイメージを持っていたが、よくよく思い返すと弁当を食べているところを見たことがなかった。それに、普段教室にいないことも多いし、今朝も遅刻しかけていた。
多分急いで買ったのだろう。
「てか、誰ならお眼鏡に叶うんだろうな?」
「それな。その先輩、結構モテる人だったみたいでさ、二年の間じゃニュースになってるっぽい」
「あー、もしかしてB専とか……」
「いやいやいや、あんな美人に限ってそれだけはないだろ」
「さすがにそうだよなぁ」
軽口まじりの会話。
笑い声。椅子のきしむ音。
それらが妙に遠くに感じられる。
「お前も頑張れよ?」
「頑張れって言ったってさぁ……」
「もっと自分をアピールするんだよ。さりげなく落とし物拾ったりさ」
「う~ん、まあ頑張るよ」
聞こえなかったふりをして、俺は席を立つ。
購買にでも行って俺もパンでも買ってこよう。
教室を出る直前、チラリと花宮を見やる。
彼女は友人たちと楽しそうに笑っている。
やっぱり人気なんだな。
優しいし、こんな俺とも友達になりたいと言ってくれた。
モテるのも当然だ。
もし、俺が彼女に告白するようなことがあったら……いや、止めよう。折角友達になりたいと言ってくれた少女に対する裏切り行為だ。
俺は考えを払拭するように、ポケットの中に手を突っ込んだ。




