準備
金曜日になった。
花宮のお陰で、今週は驚くほど充実した一週間だったと思う。
いつもならテスト期間と聞いただけで気が重くなるのに、今回は不思議とそうでもない。花宮様様、というやつだ。
ただし、今日の放課後に花宮の姿はなかった。
スマホには、『放課後できなくてゴメンね』というトークが1通だけ届いていた。
毎週金曜はバイトがあるらしく、チャイムが鳴るや否や、彼女は鞄を肩にかけて足早に教室を出ていった。
さすがにクラスメイトに囲まれた状況では、俺と話すこともできなかったのだろう。
謝られるようなことじゃない。むしろ今週は、助けられてばかりだった。
本当に、感謝している。
週明けにはすぐテストがある。
今日は今日で、自分の力でちゃんとやらないといけない日だ。そう自分に言い聞かせながら、机の上にテキストを広げる。
取り出したのは、現代文。
……俺が一番得意な科目だ。
別に日和っているわけじゃない。
満遍なく勉強しておいた方がいいと思っただけだ。
うん。
17時。
いつもなら半過ぎくらいまで続けている勉強を、今日は少し早めに切り上げた。
花宮のバイトが何時に終わるのかは知らない。
けれど、もし俺より先に着いて、外で待たせるようなことがあってはならないだろう。
勉強道具をしまい、鞄を肩に掛ける。
教室を出て、足早に帰り道を進んだ。
家に着く頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。端の方では宵の表情さえ窺える。
フロントを確認するが、花宮の姿はまだない。スマホを見ても、向こうからの通知は来ていなかった。
……まだ、だな。
きっと今もバイトを頑張っているのだろう。
そう思いながら、鍵を回し、静かな家の中へと足を踏み入れた。
通知が届いたのは、19時手前だった。
画面に表示された名前に、反射的に視線を落とす。『今から向かうね!』という短い文面。
『気を付けてきてください』
それだけ返信して、スマホを伏せた。
住宅街とはいえ、この時間帯になると街灯や家々の灯りがあるとはいえ心許ない。
車通りも昼間ほど多くはなく、音のない道は妙に広く感じる。
迎えに行った方がいいのだろうか。
そんな考えが頭をよぎるが――それは、少し下世話だろうか。
友達という距離感を越えてしまう気がして、結局その一歩が踏み出せない。
……過保護だと思われるのも、違う気がするしな。
リビングの時計に目をやる。秒針の音が、やけに大きく聞こえた。
どうせ暇なのだから、食材の準備とご飯を炊いておこう。
俺は落ち着かないまま、いそいそとキッチンに立ち、冷蔵庫から食材を取り出し始める。
まずは合いびき肉と玉ねぎ。それから麩。
麩を使うのは、パン粉よりもハンバーグの肉汁を多く吸ってくれるからだ。
ふっくらとして、噛めば中から肉汁があふれ出るようなジューシーなものに仕上がる。
見た目はあまり変わらないが、仕上がりだけは確実に変わる。
続いて取り出したのはじゃがいも、きゅうり、にんじん、それにハム。これでポテトサラダを作る予定だ。
ハンバーグだけではどうしても味気ないし、箸休めとしても丁度いい。
全体のバランスを鑑みても組み合わせは無難だろう。
さらに、彩り要員としてブロッコリーとプチトマトも取り出しておく。ブロッコリーに関しては他の食材と比べて常温保存には不向きだが、花宮の到着までであればさして問題もないと思う。
今夜使う食材を出し終えた俺は、最後に米を取り出す。
祖父が農家のおかげで半年に1回ペースで一斗分送られてくる。そのため買う必要はないから助かっている。
サッと米を研ぎ、炊飯器にセット。多分料理中に炊き上がるだろう。
ひと通り準備を済ませてしまったせいで、急にやることがなくなった。
シンクも作業台もきれいで、フライパンもまだ出番を待っているだけだ。
……静かだな。
時計を見ると、まだ少し時間がある。
折角なら、週明けの中間テストに向けて勉強でもするか。
鞄からテキストを取り出し、テーブルの上に広げる。
不思議なことに、机に向かうこと自体が億劫じゃない。花宮のおかげで、今回のテストに対するモチベーションはかなり高めだ。
誰かと一緒にやった時間が、こんなにも自分の中に残るものなんだなと実感する。
ページをめくる指先も軽い。
つい数日前までは、文字を追うだけで眠くなり、そもそもどこから手を付ければよいかわからなかったはずなのに。
自分のためでもあるし、何より、あの「わかりやすかった」という言葉を嘘にしたくなかった。
そう思いながら、俺はペンを取った。
1,000文字になろそうな話を、強引に2000弱までもっていきました。




