主題1・[4次元空間上視座]における視覚(知覚)的な世界認識とは
注:まず筆者は特定の宗教や神学、神話等に傾倒していません。
前提となる科学的、物理学的知見は多少ありますが結論に至るまでの同論拠はありません、また裏付けの為の調査や研究も行っておりません。
もしかしたら過去の研究や空想などに似たような、あるいまそのままの内容の考察ないし結論部分もあるかもしれませんが筆者はマジで知りませんし読んでいません。
文脈上、文章作品の形態上の都合として断定的、結論的文章を多用しておりますが、全ての結論に至る過程はあくまでも筆者の空想上に基づく仮定された内容(妄想)です。
少なくとも本人はコレを妄想として書いています、学術的意味、意義、解決は全くありませんので前提ご理解下さい。
尚、本内容に基づいて読者が何をトチ狂っても筆者は責任を持てませんのであしからず。
では前提を踏まえ、これを逆から検討したい、
前提では、【0~3次元世界とはこういう物だから世界はこう見える筈だ】という論拠を持って記述し、
その結果を持って【在位する次元空間から一つ下の次元的視覚(知覚)のみが得られる筈だ】という一つの解を得ているが、
本主題においてはこの解を踏まえ前提として、[4次元空間上視座]で得られる[3次元的な立体の視覚(知覚)]とはどんな物かを想像する。
・全てを把握する視座
我々の[3次元空間界]における[2次元平面的な視覚(知覚)]からすると想像が難しいが、
結論から言って[3次元的な視覚(知覚)]とは認識した(見た)瞬間にその形(或いは全て)を、表現が難しいが[理解し、把握し、視る]事のできる視点である。
その認識下において、物体に裏や表という1面的な概念は無く、「そういう物がそこに有る」と視る事ができる視点だと想像される。
実際とは異なる(と思われる)が、例えるなら地球儀を一方向から見て世界地図を把握できる視点と言えばまだ想像しやすいだろうか?
言語化するならばそれは、切り取られた一平面を見るのでは無く、[空間そのものを視る視座]だと思われるのである。
・どこから視るのか
さてこの[空間を視る視座]という物を仮想する場合、我々の3次元世界下で考えると想像を困難にする問題が一点存在する。
それは、「視る為の起点を何処に置くのか」という事。
我々が次元論を展開する場合、総じてⅩ・Y・Z軸を有する立方体を3次元として前提に置き、その何処に視点(起点)を置いて観測するかで観測結果を想定する。
そして3軸が既に伸びている起点に同様に4軸目の起点を置いてしまうが故に、[4次元空間的立体]を想定しようとすると破綻してしまう。
当然だ、[3次元的観測が可能な4次元的立体]をでっち上げたとして、その何処に視点(起点)を置いたとしても、そこから観測する単一方向の何かは[3次元空間上視座]から観測する[2次元的平面(□)]でしか無いからである。
アニメーション的な歪みを持って解決される事が多いこの[4次元空間的的立体]だが、[3次元空間的立体]から派生、発展させようとすると、
4つ目の座標軸を組み込む為には状態を変質、変容させ、歪ませるしか解決できないので理解はできるが、概念的には破綻している。(と筆者は思っている)
では、あるべき視点、いや[視座]とはどこなのか。
それは[空間そのもの]であると筆者は想定している。
・なぜ[視座]なのか、[空間そのもの]とは
ここでまた前提を踏まえつつ、概念をこねくり回さなければならない。
私は前提を記述するにあたり、文脈的、文章的に理解しやすいよう[視点]と言う言葉を持って一部を表現をしているが、
本来的には全ての次元においてこれは[点]では無く[座]と評するべきだと思っており、また以後はそのように記述する。
ではなぜ[座]なのか、それは[1次元空間]を除き、【本来的に観測位置(観測者)は点では無い】からである。
[0次元空間]において、前提、補足でも述べたが、本来的にその世界は"無"であり、仮に観測点を置くとしてもその観測点すらも"無"である。
[1次元空間]ではどうか、観測する自己はまた観測される"他"から見た時、それは概念的には"点"である。
続けて[2次元空間]は、同様に観測される自己はまた点では有り得ない(平面上の広がりしかない世界において点=ゼロである)ので自己もまたどれほど短くとも"線"であると言える。
では我々の[現有現実空間]である[3次元空間]はどうか、物理法則上は光の反射を持って[焦点]の結像により世界を捉えているので、我々はこれを[視点]と捉えがちであるが、
概念的には、[2次元空間以下]と同様に他から観測された場合の自己もまた立体上から切り取られた平面であるため、[3次元空間下]における視座とは"平面"から見た"平面"だと認識することができる。
故に、[視点]では無く[視座]とするのが適切であろうと思っている。
本題、では[4次元空間上視座]とは、前述の通り[空間そのものを視る視座]だと考えられる
[3次元空間界]までの前提に準拠するのであれば、この[空間そのものを視る]何某かは何か、
答えは[空間その物]であると帰結する。
・空間そのものの視座とは
前述にて「そういう物がそこに有る」と見る視点という事について地球儀を例にしたが、
この[空間そのものの視座]を考えるにあたりこの例は酷くミクロな、或いは矮小な表現である。
何故ならこの空間そのものを視る[4次元空間上視座]にとって、大きさや距離という概念は、恐らく意味を成さない。
物質的にはもちろん距離や大きさは存在するのだが、それがどれほど小さかろうと大きかろうと、距離が離れていようとも、
【その空間(世界)内にある以上はその全てを視る(知る)事ができる】のだ。
また物理的な視覚的障壁も意味は無い、何故なら何に遮られようとも、【空間内にある以上は全てを超えて視る(知る)事ができる】
※更に加えるならば視る(知る)為に光という物理法則すら恐らく必要としない。
これは我々が例えどんな暗闇の中にあっても、己の肉体は、精神はそこにあると認識できる事に近い。
つまり[空間そのものの視座]=[4次元空間上視座]とは、[空間=世界]を己そのものとして、
距離も質量も超越し、全てを識り、理解し、把握し、視る事のできる、[極極々マクロで超大な視座]だと想像されるのである。




