前説・本説における次元の捉え方と考察の方向性
注:まず筆者は特定の宗教や神学、神話等に傾倒していません。
前提となる科学的、物理学的知見は多少ありますが結論に至るまでの同論拠はありません、また裏付けの為の調査や研究も行っておりません。
もしかしたら過去の研究や空想などに似たような、あるいまそのままの内容の考察ないし結論部分もあるかもしれませんが筆者はマジで知りませんし読んでいません。
文脈上、文章作品の形態上の都合として断定的、結論的文章を多用しておりますが、全ての結論に至る過程はあくまでも筆者の空想上に基づく仮定された内容(妄想)です。
少なくとも本人はコレを妄想として書いています、学術的意味、意義、解決は全くありませんので前提ご理解下さい。
尚、本内容に基づいて読者が何をトチ狂っても筆者は責任を持てませんのであしからず。
・次元とは何か
一般的な考え方として、次元とは[空間的位置を特定する為の構成座標数]を指して捉える事が多い
最も分かりやすいところで、我々の存在する3次元世界について考えると、とあるマンションの10階にある部屋は
北へ100m(奥行)西へ100m(幅)エレベーターで上に10階(高さ)のところ、
と言うように、3方からなる軸上を基準に位置を特定するため、この空間は[3次元空間]であると言える。
あるいはこの位置情報が2軸情報のみで完結する世界があった場合、それが[2次元空間]である。
しかし一般的には、さらにこの位置情報に加えて、"いつ"という時間指定を加えて、
特定時間軸上の空間座標として固定するために奥行・幅・高さ+時間で4次元と言われる事が多く、実際ほとんどの人がこの捉え方をしていると思われる。
だが筆者はこの時間という概念は空間では無く、空間を超越した次元とは別の[時空]と言う単一の概念として捉えている。
そのため本説においては個別の物としてあくまでも[空間としての次元]と[時空]として考えていきたいと思う。
・空間的次元と[時空]
とは言え、何故[時空]だけ特別なのかという事をまず理解しておかなければ成らないかと思う。
空間的な次元の概念とは、前記の通り座標を特定する為の基軸であるが、同時にその空間がどういう空間なのかを固定する概念であると思う。
時間とはその空間の在り様を定義する要素では無く、空間的次元の概念の元に固定された世界が、連続性を持って1方向に変容していく事を捉える概念であり、
その時間の流れそのものが[世界=空間]の在り様そのものを変容させる訳では無い。
もう少しわかりやすく言えば、"平面上に描かれた絵"はいくら"時間"が経とうとも劣化等の"変容はする"が"平面を逸脱し立体には成らない"という事に近い。
それは、[一個の空間的次元]は一つの基軸としてその要素を崩す事も変容する事も無い、だが反して、[時間=時空]は空間的次元を構成する要素では無いが変容を促す物である、と表現できる。
故に前提として、時間という存在は空間を構成する概念では無いと捉えられる。
しかし[時間=時空]という概念が存在しなければ、あらゆる[世界=空間]に変容、変化は無く、物理的運動が存在し得ない。
ありとあらゆる物質は原子的、電子的には常に運動をしている為、これが否定される世界はすなわち"無"と同一である。
いささかファンタジー的だが、時間とは発生を促し、変化を与え、また同時にソレを観測する、
全ての次元空間を内包し監視する、デウス・エクス・マキナ(時計仕掛けの神)か、あるいはアカシックレコードのような、そんな存在だと筆者は捉えている。
その為、[時間]とは次元数の一つではあるかもしれないが[空間]では無く、これを指して[時空](時に内包された空間)と評するのが正しいと思っており、
故に現有現実世界は[4次元時空]ではあるが[3次元空間]なのである。
※この考え方は筆者独自の物では無く、考え方と一つとして既存の物です。
・数学的解決と概念的アプローチ
改めて本説において何を考察していくかであるが
基本的にこの[空間的次元]の在り様というのは現有現実世界(3次元空間)における物理法則上の数学的解決によってその結果を真とする考えである。
この数学的解決にあたっては最初に記述した通り、【空間的位置を特定する為の構成座標数】を持って検討されることが主であり、
しかしながら上位次元である4次元空間やより上位の次元空間(物理学的には超弦理論の仮定において[10次元時空]まで有ると想定される)を考える時、この数学的解決は矛盾を孕み現在を持って真足り得ておらず、
未だに誰も4次元空間以上の世界がどんな世界であるかの解を持っていない。(真であると証明できていない)
その上で筆者は本説において、その要素を借りはすれども数学的、物理学的な解決を目指す事はせず、
全てを空想上の概念として捉え、想像(妄想)の元に仮定を重ねてその論理を構成して行った時、それはどんな姿になっていくのかを考えていく。
ある種言葉遊びに近い内容になると思われるが、本説はそんな遊びの一種だと理解して頂ければ幸いである。
※今後記述するあらゆる面において現在の数学的、物理学的考察、解決と矛盾する可能性が多大にあります。




