最終話 陽関三畳
白楽天が笛を吹く。一音下げたり上げたりして、ようやく声調が落ち着いた。
一同は孟浩然の詩を抒情豊かにうたい上げた。99回目の満点をものにして、点心と桂花酒を注文した。
杜樊川は場を盛り上げようと太鼓持ちをかってでる。
「この店の唐揚げ最高~~! ほら楽天先生もどうぞどうぞ!!」
李義山も魚恵蘭とワンタンや月餅を卓上に広げた。
「さあ、お酒も注いで!」
残り1曲となれば、詩人たちの心は有終の美を飾ると同時に、離れがたい心が大きくなっていた。それはチリチリと7人の胸を焦がしていた。
杜甫がすっくと立ち上がり、陽関三畳を締めくくりにどうかと訊いた。
陽関三畳とは王維の『元二の安西に使いするを送る』という送別詩の別名である。七言絶句の第4句に「陽関」という西域の関所が詠まれていて、この詩を詠む時は第4句を3回繰り返すので三畳というのだ。
彼の一言はまさに7人の心情にぴたりと来た。
「では、最後はそれで行きましょう」と王維。
体を伸ばす李白と魚玄機、喉に手をやる白居易、髪を撫でつける杜牧と李商隠、王維はタブレットに入力した。
渭城朝雨浥軽塵 渭城の朝、雨で埃は地に落ち
客舎青青柳色新 宿屋の前の柳も青々としている
勧君更尽一杯酒 君、もう一杯の酒を飲まないか
西出陽関無故人 陽関の関所を西に出れば、友人はいないのだから
白楽天が笛を短く吹いた。音程は調った。後は詠うばかりだ。
が、李白は上を向いて泣き、杜甫は頭を垂れて泣き、李商隠と杜牧は魚玄機と並んで泣いていた。白楽天は髭をしごく。
「おやおや、詠うのを忘れたのか? 儂の歳になると泪も出ぬわ」
そういう彼も衣の袖で顔を覆っていた。
「今のうちに別れを惜しむか。まったく気の早い奴らじゃのう」
彼は再び笛を吹いた。
「ぴっぴき、ぴっぴっぴーーー。それ、このカラオケ機とやらに100回目の満点をくらわせてやろうじゃないか」
そうして、彼らと彼女は『送使元二安西』を勇壮に、だが思い切り明るく詠じた。最後の句を繰り返すこと3回、和声極まりておのおのアドリブが入る始末。だが、そこは百戦錬磨の甲斐あって、リスペクトに満ちた掛け合いで陽関三畳を締めくくった。
モニター画面に100点が表示された。
とたんに、7人の体は足元から消え始めた。快哉をあげる間もない。
魚玄機が叫ぶ「なんなの、この余韻もへったくれもない消え方、いやああ、 怖い!!」
李白と李商隠が同時に手を差し伸べた。その手を必死で掴む魚玄機。
「李太白、獺祭魚、ありがと、ありがとうね……」
あとは泪で声にならない。李商隠はふふと笑った。
「久しぶりに獺祭魚と言われて楽しかったですよ」
そこに杜牧と杜甫の手が加わった。
「本当に楽しかった。皆さんと共に詠いたいものです」
「またカラオケルームで会えるといいですね」
王維は白居易と並んでいた。白居易が訊いた。
「王摩詰、皆と手を取り合わないのか?」
少し自嘲気味な返答があった。
「白楽天、私はどうも傍観者でいたいようです。陽関三畳を最後に詠じた恩義があっても、あの輪の中に入るのをためらう。それが私です」
「ああ、分かる気がする。宮仕えは時に理想を裏切り、挫折の淵に立たせるものだ。慣れ合いは諸刃の剣だ」
「さすが白楽天、あなたにそう言っていただけて、会った甲斐があるというものです」
その言葉が終わるや、7人の体は消えて魂となった。淡い光を放ち、それぞれの天地に還っていく。
カラオケ機のモニター画面は次に召喚すべき者を探して、盛んに点滅を始めた。卓上の皿と杯は紙屑と化して消えた。微かに桂花酒の香りが漂うばかりであった。