第5話 字(あざな)で呼び合うは、気心の知れた仲
さすがに詩仏と評される王維である。彼は少々複雑な笑顔を白居易に向けた。その白居易は李商隠に肯いてみせた。李商隠は拱手して言った。
「獺祭魚と呼ばれた私、実は李白殿に憧れておりました!」
その言葉に李白は一瞬ぽかんとなったが、すぐに「字は何という」と聞き返した。獺祭魚は少し照れて「義山」と応えた。
李白の「好!」に惹かれるように杜牧が勢いよく手を挙げた。
「私にも訊いてくださいよ!」
「ちゃっかりしてるな、こいつ。が、その意気や、好!」
杜牧の字は「樊川」である。
李白は魚玄機にも声をかけた。彼女は誇り高く「恵蘭」と応えた。こうして全員が字で呼び合う仲になった。最年長の王維の字は摩詰である。
杜牧は魚玄機を手伝い、朝の粥の椀を卓に置いていった。
皆で腹ごしらえをしたところで、戦いが再開した。
「打倒!! カラオケ満点百回! 杜樊川、行きます!」
ここに来て、杜牧は遠縁で先達である杜甫へのリスペクトを以て、杜甫の『春望』を詠った。
国破山河在 国破れても山河はそのままにあり
城春草木深 城に春がきて草木の緑は深い
感時花濺涙 戦乱の時代を感じて花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心 家族との別れを嘆いては鳥にも心がざわめく
烽火連三月 戦の烽火は三月におよび
家書抵万金 家族からの手紙は万金にあたいす
白頭掻更短 白髪の頭を掻けば掻くほど短くなり
渾欲不勝簪 束ねて簪を挿せなくなりそうだ
杜甫こと杜子美は「我ながら良い詩だ」と杜樊川の聲に感じ入っていた。たちまち満点が表示された。
白楽天が袖を震わせて涙を拭っていた。
「人に詠んでもらうも、また味わい深い。王摩詰の言うとおりリスペクトだ」
こうして7人は3日目で98回目の満点を達成したが、その時点で声が枯れてしまった。そこで4日目はうち揃って休養を取った。誰もマイクを握らず、喉に効くものを注文し、惰眠をむさぼったあとは、五禽戯をして英気を養った。
5日の朝、またしても大量の熱いおしぼりが配られた。
魚玄機が「あと2回は皆で詠うのはいかがでしょう」と提案した。おしぼりを使った頬は一層艶やかで、笑みが浮かんでいる。
「皆の声を合わせて満点を取るほど嬉しいことはないと考えます。ここにおられない孟浩然殿の『春暁』はどうでしょう」
「おお、孟浩然よ、そなたはなぜ急死してしまった」と嘆く王維と李白。それを皆でなぐさめ、部屋に柔らかな合唱が響いた。
春眠不覚暁 春の夜明けを知らずにいると
処々聞啼鳥 そちこちから鳥の鳴き声がする
夜来風雨声 昨夜の風雨が聞こえていたが、
花落知多少 花がどれほど落ちたかは知らない
90点である。杜甫が唸る「何か足りないのか、それとも」
李白が杜牧を指さした。
「樊川と恵蘭の声がズレていた。なに、何回か練習すればズレなくなるさ。なにしろ生まれた年がだいぶズレてるからな」
杜牧は白居易の腰に小笛を見つけた。
「楽天先生、笛で声調を整えていただけませんか。五言は簡単そうで難しい」
魚玄機も「お願いしますわ」と頼りにした。
もう誰も先を急ごうとしない。残り2首を詠えば、部屋を去り、再び会うこともないからだ。何の憂いもなく、滔々と詩を詠じて過ごせる時間は貴重なものとなった。
官吏でいれば常に党争と誣告や讒言に注意を払って、軽口を叩くにも細心の注意が必要であったし、官吏でなければ殺人的競争率の科挙に挑み、合間で仕官活動を続けなければならない。そしてひとたび国が乱れれば、官吏も名門貴族も一介の民も、明日の食事どころか命が危うくなるのだ。
その点、この部屋は閉じてはいるが、出世競争からも姦計からも飢えからも解放されている。互いの気心も分かってきた。名残惜しくなって当たり前である。