2話:義姉 エリナ・ブランシャール
だらだらと汗を流しながらも、私は状況を理解して肩を落とす。
弊社のディレクターとの何気ないやりとりによって、ほとんど前情報を入れなかった。だから、主人公のことも、攻略対象のことも、ストーリーについても知らない。
とはいえ、アメリアが『悪役令嬢』だと言われていたことだけは、知っている。
ということは。アメリアは何かをやらかし、処刑されたりするのではないだろうか。
うちのメーカーから令嬢ものの世界観の作品が出るのは初めて。だけど、うちのメーカーの作品は……大体、乙女ゲームとは思えないほどエグい。主人公が拷問されたり、攻略対象がバラバラ死体になったり……ハッピーエンドと見せかけて、最悪のバッドエンドになったり。
だとすれば、悪役令嬢ってもっとひどい目に遭うんじゃないの?
そんな。過労死して、今度は悪役令嬢として断罪って……最悪すぎる。しかも内容を知らないから、ひどい未来を避けようもないし。何もバフがない!!
……いや。『主人公をいじめまくる』って言ってたっけ。それなら、主人公をいじめなければ特に何も起こらないんじゃ……!?
「アメリア!」
「っ!」
軽い力で肩を掴まれる。
目の前には、心配そうに深い薄墨色の瞳を揺らす美少女の顔があった。
「どうしたの、大丈夫……?」
そういえば、この美少女、さっきからアメリアを心配してくれるけど……。
「……誰?」
「えっ」
美少女が目を丸くする。しまった、口に出てた……!
「あっ、えっと……頭を打った衝撃で混乱してるっていうか……!?」
「! 大変、先生を呼び戻さないと――」
「いや、少ししたら治ります! ちょっと状況整理できたらいいだけなんです!!」
「そ、そう……?」
まったく腑に落ちた様子はないものの、美少女は私の必死さに一旦足を止めてくれる。
「混乱って……自分のこともわからない?」
「えっと……」
とりあえず、情報はひとつでも多く欲しい。
頷いておくと、美少女はますます心配そうに瞳を揺らしながらも、ベッド横に椅子を移動させて座り、話し始めてくれた。
「まず……君の名前は、アメリア・ブランシャール。年は十五歳で、ブランシャール伯爵家の娘だよ」
伯爵家……。【悪役令嬢】って言ってたし、アメリアは相当なお嬢様なんだ。
「ぴんと来る?」
「は、はい。まあ……何となく」
「…………」
美少女の探るような視線にひやっとして、慌てて口を開く。
「え、えっと。転んで頭を打ったって言ってましたっけ……?」
美少女とお医者さんの会話を思い出して言ってみると、彼女は頷いた。
「うん、酔っていたからふらついていて……打ち所が悪かったみたいで気絶してしまったんだ。遠目で見かけたんだけど、助けられなかった――」
「よ、酔っていた? 私、お酒を飲んでいたんですか?」
美少女は気まずそうに視線を落としながら頷いた。
「いや……リキュール入りのチョコレートをやけ食いしていたみたいでね。今日は荒れていたから……」
「な、なんで……?」
美少女は気まずそうに、小さな声で答えた。
「私には話してくれなかったけど、使用人の話を聞く限り、男性に冷たくあしらわれたみたいで……」
「…………」
男に冷たくされて、酒入りのチョコを食べまくって酔って転ぶって。
アメリア、伯爵家の令嬢として大丈夫!? 大丈夫じゃないから悪役令嬢ってこと……!?
いろんな意味で頭がずきずき痛む。これ以上何も聞きたくないような。
「あっ、そ、それより……あなたは……?」
そもそも、彼女の正体を聞いているところなのだった。
美少女はぱちぱちと目を瞬かせた後、気まずそうにも、気恥ずかしそうにも見える表情で薄い唇を開く。
「私は……エリナ・ブランシャール。――二つ上の、君の姉だよ」
「……姉?」
本から飛び出してきたみたいなこの美少女が、顔だけいいこの悪役令嬢の、姉?
「うそ! ですよね……!?」
「……いや、うそじゃないよ。ただ――」
美少女は唇を微かに開くと、ゆっくりと答える。
「血は繋がってない。義理の姉だけど」
「義理の、姉」
ああ、なるほど。それならギリギリ納得もいく。血が繋がっていないなら、この差もありえるだろうし。
でも、血が繋がってないって……どちらかが連れ子とか?
様々な情報が頭に流れ込んでくると、そのうち、頭にぴりっと頭痛が走った。
「うっ……!」
「! まだ痛むんだね……とりあえず続きは後にしよう。この薬だけ塗ったら、寝て」
「は、はい……。ありがとうございます、エリナさん」
言われるがまま身体を倒すと、美少女……エリナさんは私に掛け布団をかけた後、小さく微笑んだ。
「敬語じゃなくていいよ。それと……エリナさんじゃなくて、お義姉様、ね?」
「お、お義姉様……!?」
彼女はくすっと笑うと、私から身体を離す。
「私がいたらゆっくりできないだろうから、出るよ。何かあればベルを鳴らして」
「は、はい……」
「お大事に、アメリア」
ひらりとスカートを揺らし、エリナさ……お義姉様は部屋を出ていった。
お義姉様……。最悪な義兄しかいなかった私にあんなに美しい姉ができる日が来るなんて。
本当に、人生は何が起こるかわからない――。
「うう、まだ痛むな……」
いろいろと考えたいことも、考えなくちゃいけないこともあるものの。とりあえず頭痛から逃れるためにも、私は薬を塗ると、何とか眠ろうと強く目を瞑った――。
*
「…………」
エリナがアメリアの部屋を出て自室に戻ると、軽く開け放していた窓から、一羽の青い鳥が部屋へと入り、羽を休ませる。
「ふう……王城からこの屋敷まで飛んでくるのはなかなかつらいですね……」
「お疲れさま。水でも飲む?」
「冷たいので頼みます」
しゃべる鳥に何ら違和感を覚えることなく、エリナは言われた通りに冷たい水を用意してやった。
「こっちの状況を話す前に……何かありました?」
「……何かって?」
「何か考え込んでる時の顔をしてるんで」
「付き合いが長いって怖いね」
「俺に隠し事ですか」
「違うよ」
鳥は訝し気な目をしてエリナを見ると、声を潜めるように告げた。
「それならいいけど。何か変わったことがあればすぐに言ってくださいね、あなたにとっては少しの変化も命取りなんだ」
「……わかってる、ありがとう」
「礼はよしてください。それじゃあ、こっちの話をさせてもらいますけど――」
話を聞きながらも、エリナの心は違うところにあった。
――アメリア……彼女があんなにしおらしく会話してくれるのは、この屋敷に来てから初めてだった。
アメリアは、義理の姉となったエリナを毛嫌いしていた。
――記憶が混濁しているせいなんだろう。しばらくすれば元に戻ってしまうはず。
エリナとしては、これからでも平和な関係性を築けるのならそれに越したことはなかった。血は繋がっていないとは言え、ただ二人の【姉妹】なのだから。
ただ。万が一にでも今のアメリアが、記憶の混濁により変化したのではなく。【自分を脅かすあの存在】によって操られているのだとしたら――。
「……って感じです。大丈夫そうですか?」
「うん……。問題ないよ」
「それじゃ引き続き頼みますよ。【リュシアン第一王子殿下】」
――その魂ごと、【殺す】しかなくなるのだけど。