10話:金髪の王子様 リュシアン
シリルに課せられたハンデもあり、私たちは数体の魔獣を見つけながらも、討伐せずにスルーせざるを得なかった。
けれど、しばらく探索しながら歩き続けたところで、シリルはふと足を止める。
「あれならいいか」
「……!」
シリルがそう告げた先にいたのは、今まで出くわしたどの魔獣よりも魔力の強い、禍々しいオーラを放つ大きなトカゲのような魔獣だった。
「あ、あの魔獣を倒すの……?」
「君たちはただ、自分の身だけ守っていればいい。僕がひとりでやるから」
「あっ、オクレールさん……!」
シリルはまた移動速度を上げる魔法を使ったのか、風のごとき速さで魔獣へ向かっていく。
魔獣がシリルの気配に気がつき、のそりと身体を翻そうとした瞬間、彼は魔獣に向かって手をかざし――。
「【アンモビウムの聖なる力に求む。魔力の業火】」
魔獣は全身を火に包まれ、悶えるように身を揺らし、耳をつんざくような声を上げた。
シリル、すご……!?
あれがどういう魔法なのかは知らないけど、絶対に上級の魔法だということはわかる。
シャーロットも驚いたように口を開けて、シリルを見つめている。
強そうな魔獣相手に大丈夫だろうかと思ったけど、これなら案外すぐに決着が着くかも……。
弱った様子の魔獣に向けて、シリルが再び手をかざす。
きっと次の攻撃魔法で勝負がつく。この場にいる三人ともそう思った。
けれど、次の瞬間――私たちの周囲を謎の光が覆い……。
「……っ!? なんだ……?」
その時、弱っていたはずの魔獣が咆哮した。
「! オクレールさん、魔獣が……!」
「ちっ」
魔獣が大きく尻尾を振り回す。シリルはそれを紙一重で避けると、魔獣に向かって攻撃を仕掛けようとする。
「【アンモビウムの聖なる力に求む。魔力の――】」
けれど、それを上回る速さで魔獣は火を吐いた。
「……!」
シリルが防御魔法を発動するけれど、炎の熱さがこちらまで伝わってくる。
「熱っ……!」
ぎしりと、何かが軋むような音も聞こえた。
「――ちっ、よりにもよって今日か……」
シリルは何かを小さな声でつぶやくと、私とシャーロットを見やる。
「急いで話すから黙って聞いて。あの魔獣、なぜか魔力が格段に上がった上に、僕たちの周りに結界を張ってる」
「えっ……」
「結界が張られている間は外には逃げられない。教師の力も得られないだろうね。魔獣の攻撃を避けながら少しの間結界を破るから、君たちはその隙に外に出て」
「でも、それじゃあオクレールさんが……!」
「僕は問題ない。いいから早く」
「……っ」
私たちじゃ力になれない。それならシリルの言う通り結界の外に出て、先生たちの助けを得るほうがいいだろう。
「わかった」
「行くよ」
シリルは防御魔法を解除すると、魔獣に向かって攻撃魔法を放つ。そして、魔獣がひるんだ一瞬の間にぶつぶつと小声で呪文を詠唱し――。
「今だ!」
「! クラインさん、行きましょう!」
「は、はい……!」
周囲を覆う光が一部晴れた瞬間に、私はシャーロットの腕を引いて外へと出た。
「ぐあっ……!」
けれど、中からはシリルの苦しげな声が聞こえて――。
シリルが魔獣にやられてる!? どうしよう……早く先生を呼んでこないと!
だけど、もしもそれが間に合わなかったら?
足手まといを仲間にしたせいで、シリルにもしものことがあったら……。
十五歳の男の子をひとり置いて逃げるなんてできそうになかった。役に立たないとはわかっていても――。
「――クラインさん、先生の元へ行って状況を伝えてきて」
「えっ、ブランシャールさんは……」
「私は彼を援護する」
「!? でも、そんなのあぶな……」
「お願い!」
シャーロットは息を呑むと、頷き、その場を駆けて行った。
私はと言うと、すでにほとんど閉じかけている結界へと駆けて――何とか中に滑り込む。
「オクレールさん!!」
「!? 馬鹿、あんた何で戻って……!」
結界がみるみるうちに閉じていくのを見ながら、私はシリルに向かって答える。
「先生のところへは、クラインさんに行ってもらうように頼んだ!」
そうして、膝をついていたシリルに駆け寄る。彼の肌は火傷でぼろぼろだ。
「っ、今すぐ治癒魔法を……」
「そんな暇ない、いいからあんたは下がって……」
再び、魔獣が咆哮する。
一昨日まで何の起伏もない生活を送っていたというのに、こんな化け物とまともに対峙することになるなんて……。
怖くて手が震える。本当に死ぬかもしれない。
だけど、戻ってきたからには【何か】しなくては――。
「今から援護魔法をかけるから……!」
「あんたの援護魔法なんて……」
意味がない、と言おうとしたらしいシリルだけど、口を噤む。
「いや……今はないよりマシかもね」
シリルがそんなこと言うなんて……今はよほどの窮地ということなのだろう。
お願い、少しでも役に立つ魔法が発動して……!
必死に祈るように、私は呪文を詠唱した。
「【アスターの聖なる力に求む。援護魔法】
「【アンモビウムの聖なる力に求む。魔力の――】
シリルが呪文を唱え始めた時、魔獣は風のごとき速さで尻尾を振った。
周囲の砂を巻き上げ、前を見ていられないほどの砂埃が舞う。
「ごほっ……!」
シリルは砂を大きく吸い込んでしまったようで、詠唱を続けられずにせき込む。
その瞬間を狙うかのように、魔獣はシリルに向かって突進し――再び尻尾を揺すった。
「がっ……!?」
「シリル!!」
シリルの身体が宙を舞い、やがて地面に打ち付けられる。
気を失っているのか、シリルの身体は動かなくなった。
「シリル、シリル……!」
彼の元へと駆けだそうとする。
それを阻むように、魔獣は私に向かって近づいた。
「うそ、こんなところ死んじゃうの……?」
一度現実世界で死んで転生したばっかりなのに、こんなのってあり? しかも私ひとりならともかく、同級生になった男の子まで一緒に……。
どうにかしなくちゃと思うのに、あがけるだけあがきたいと思うのに。
怖くて、身体が動かない……。
魔獣に向かって震える手をかざすけれど、攻撃魔法はまだ勉強できていない。ゆっくりと手を下ろしながら、私は息をついた。
ああ、仕事ばっかりじゃなくてジムとか通っておけば身体が動いたのかな……。いや、この身体はアメリアのだから関係ないか……。
魔獣が叫ぶ。
「……っ!」
どうせ、ここで死ぬのなら。
最後に、一欠けらの希望をもって、シリルのいるほうへと手をかざす。
「【アスターの聖なる力に求む。防御魔法】――」
魔法が発動し、シリルの前に頼りない魔法の盾が生まれた。
シリルだけでも――先生たちが来てくれるまでの間、持ってくれればいい……。
そう思い、ゆっくりと目を瞑る。
お父さん、お母さん、何度も死ぬ親不孝な娘でごめんなさい。
『不安そうにしていたからね。アメリアの身に何が起こったとしても、無事で済むお守り』
お義姉様も。義理とはいえ、妹が死ぬ不幸を味わわせてごめんなさい――。
「――よく頑張ったね」
その時、だった。
嵐かと思うほど大きな風が吹き込んだかと思うと、目の前で飴細工のようにきらきらと光る金髪の短い髪が揺れる。
金髪の青年は大剣を振り上げると、魔獣に向かって大きく振りかざした。
ダンスを踊っているかのように、美しい無駄のない動作。
何が起こっているかもわからないうちに、魔獣はゆっくりとその場に倒れ、粒子となり消えていく――。
「な、なに……?」
本当に、何が起こったのかわからない。
でも、わかったのは、魔獣は倒れたのだということ。
そしてそれは、目の前にいる青年のおかげだということ――。
「……大丈夫?」
ずっと魔獣を向いていた身体が、こちらへと向く。
まだ吹き続けている緩やかな風により、金髪は揺れ。宝石のように深い青の瞳は、いたわるように私を見ていた。
その人はまるで、
「王子、様……?」
物語に出てくる王子様、そのもののようで。
夢を見ているかのようにつぶやく私を見て、【王子様】は少し悲しそうな眼差しを見せながら微笑む。
それと同時に、私の意識はぷつりと途切れていった――。
*
「殿下!」
破れた結界の隙間から、アレクシが駆け寄ってくる。
「ご無事ですか!?」
「私は無事だ。アメリアも、オクレール家の子息もね」
「そりゃ、よかった……。けど、相変わらず無茶苦茶だな。魔法を一切使わずその強さって……」
「少しは使ったよ。だから、見た目が元に戻ってしまった」
「髪の長さと色が変わっただけでしょ。……あ、あと目もか」
【エリナ】の際の姿とは違い、本来の金髪に青い目をしたリュシアンは苦笑する。
「だけど、こんな中級程度の魔獣が結界を張って大暴れするとは……」
「やはり、【彼女】の影響の可能性がある。調べてみよう」
「……はい。他の生徒や教師が来る前に、あなたは逃げてくださいね」
「わかった、それじゃあ――」
「あっ、一つ聞いていいですか?」
「なに?」
足を止めたリュシアンに、アレクシは問うた。
「魔法をほとんど使わず、どうやって結界の中へ?」
アレクシの質問に、リュシアンはいたずらが成功した少年のように、気さくな笑みを浮かべる。
「アメリアは【彼女】と同じグループだと聞いていたからね。……かけておいた【お守り】が、ちゃんと効いてくれたよ」
「お守り?」
「じゃあ、行くよ」
「あっ、ちょ――」
尋ねるアレクシに答えず、リュシアンは風のような速さでその場を去っていく。
「……はあ。うちの王子様は相変わらず自由だねぇ」
その様子にため息をつきながら、アレクシは倒れるアメリアとシリルに向かい、治癒魔法を発動するのだった。