9話:魔獣を討伐しよう
「……リア」
甘い匂いがする。香水ほど強くない、石鹸に近いような自然な香り。
いい匂い、ずっと包まれていたいくらい……。
「ふふ……」
幸せな気持ちで笑みをこぼすと、少し困ったように笑う声が聞こえてきた。
「アメリア、遅刻してしまうよ?」
「――――」
がばっと目を覚ます。目の前には制服に身を包んだお義姉様がいた。
「お義姉様、なんで……っ」
お義姉様のいる寮は校舎と同様にぼろいけれど、他の生徒がほとんどいないようで、部屋を自由に使えた。
だから、私はお義姉様の部屋で、お義姉様は隣の部屋で眠っていたはずなのだけど――。
「待っていたんだけど……時間がまずいから入ってしまったんだ。ごめんね?」
「えっ、今って……」
「すぐに身支度を整えないと、遅刻ギリギリになるかな」
「すぐ準備します!」
しまった、遅くまで勉強していたせいでぐっすり眠ってしまっていたらしい。
慌ててベッドから降りようとすると、なぜだかお義姉様は私からさっと目をそらした。
どうしたのだろうと思うけれど、すぐに、寝間着のボタンが外れてはだけていたことに気がつく。
「あっ、すみません……!」
「……ううん、こちらこそごめん」
は、恥ずかしい……。
だけど、お義姉様の反応は少し意外だ。いつものお義姉様なら、気にせずにさらっと直してくれそうだから。
「私は気にしてませんよ、女同士ですし!」
「……女同士、ね」
「……?」
お義姉様は少し困ったような反応をする。けれど、今はそれを気にするより前に、時間がまずい。
「すぐに準備します!」
私はそう宣言して、慌ただしく身支度を整えるのだった――。
*
校舎に向かって、お義姉様と一緒に速足で歩く。
「……今日の実習授業は、学園の裏手の森でやるんだよね?」
「はい。よく実習に使うって言っていましたけど……お義姉様も行ったことがありますか?」
「……うん、一応ね」
「魔獣討伐って……難しい実習なんでしょうか?」
予習はしたものの、具体的なイメージが湧かない。
「通常は五年以上の生徒が行う授業だからね。四年生には少し難易度が高いかもしれない」
「そう、なんですか?」
そういえば、シリルも言っていたっけ。
『魔獣討伐? こんな時期に……?』
「どうして、四年の私たちがやることになったんでしょう……」
「……それは」
お義姉様は何かを言いかけるけれど、私の校舎が見えてきたところで緩やかに足を止め、私の左手を取った。
「? お義姉……」
「……ん」
お義姉様の唇が、私の左手の甲に触れる。
「っ!? なっ、ななっ……!」
「不安そうにしていたからね。アメリアの身に何が起こったとしても、無事で済むお守り」
「お守りって……」
「じゃあね、アメリア。急がないと遅刻してしまうよ?」
「あっ……」
予鈴のチャイムが鳴り、お義姉様に軽く頭を下げるとすぐに校舎へ駆け出す。
振り返るともう、お義姉様の姿は見えなかった。
「手が、熱い……」
お義姉様は同性なのに――時折中性的な、不思議な魅力を持つものだから。
私の心臓はどきどきと早鐘を打って収まりそうになかった。
*
「……みなさん、準備は整いましたね?」
教室で軽く話を聞いた後、四年生の全員で裏手の森に集まる。
「今日はグループ数の三分の一の数の魔獣を配置しています。無事に討伐できたチームにはポイントが入り成績に加算されますから、励むように」
微かな緊張感が漂う中で、先生は声を張った。
「それでは各グループ、行動を開始してください」
先生の言葉と共に、生徒たちは思い思いに森の奥へと足を踏み入れていった。
「私たちも、行きましょうか」
「はい!」
私が声をかけると、シャーロットは元気に返事をしてくれる。
それに対して、シリルはローテンションに返した。
「今日は頑張ろうだとか思わなくていいから、とにかく大人しくしててね」
シリルは、完全に私とシャーロットを戦力だと思っていないらしい。
まあ、お荷物なことには違いない。
勉強はしたけれど、実践的な練習は何もできていないから、本当に魔法が使えるのかわからないし。
アメリアは伯爵家の令嬢。それも両親はかなりの魔法使いとのことだったから、魔力自体はまるでないわけじゃないんだろうけど――よくできたとも思えない。
そもそも現実世界で生きてきた私としては、まだ魔法そのものに対する実感がなかった。だけど――。
「確かに、魔獣を討伐できる自信はまるでないけど……探索くらいはさせて」
「探索? 君にできるの?」
できるかわからないけど、やってみるしかない。
地面に手を着き、私は大きく深呼吸をした。
精神を整えて、地面に流れるエネルギーを感じながら……呪文を唱えようとする。
私たち貴族は、それぞれ【花の加護】を受けているのだと言う。
私が加護を受けている花は、【アスター】だとお義姉様が教えてくれた。
『呪文を詠唱する時は、まず初めに加護を受けている花の名前を告げるんだ』
「――【アスターの聖なる力に求む。魔力探知】」
呟くように唱えると、指先から微かな振動を感じる。
「……っ!」
そうして、私の視界には光が線を描くような、魔獣の痕跡が映った。
魔法、使えた……!
教科書には初級だと書いていたから、大した魔法ではないのだろうけど……自分の力で魔法を使えた事実に興奮する。
「あっち! 魔獣はあっちだって!」
「…………」
シリルは意外そうに私を見て、目を瞬かせる。
あれ、もしかして私、すごいことやっちゃってたり……?
「うん、知ってる。僕は呪文を唱えなくても魔獣の位置くらいわかるから」
……呪文を唱えなくてもわかるの!? 完全に骨折り損だし、恥ずかし!
じたばたその場で悶えたいような気持ちになっていると、シリルは続けてつぶやいた。
「でも……前までの君なら、今の魔法すらも使えなかっただろうね。うっかり死ぬ心配くらいはしなくて済みそうだ」
「え……」
「あっちなんでしょ、行くよ」
「っ、う、うん……!」
シリル……無感情で生意気な美少年だと思ってたけど、意外と優しい?
一瞬そう思ったけれど、シリルは魔法の力を使っているのか、通常じゃありえないほどのスピードで前へ進んでいく。
「ちょっ、その魔法はまだ使えないから! クラインさんも! ね!?」
「は、はい……!」
「のろまだな……」
やっぱり、優しくはないかも。
前へ前へと進んでいくと、一体の魔獣が視界に入る。
炎を身にまとった、数メートルほどの大きさの鳥だった。
「! オクレールさん、あれ――」
「……あれはだめだ」
「えっ?」
せっかく魔獣を見つけたというのに、シリルは踵を返して歩き出そうとする。
「だめって、何が!?」
「強いから倒せないってことですか?」
不思議そうにシャーロットが問う。おお、天然で煽ってる。
シリルは厳しい視線をこちらへ向けた。
「そんなわけないでしょ。あれじゃ弱すぎるんだよ」
「はい……? 弱すぎる魔獣は倒したくないってこと?」
私の言葉に、シリルは軽く苛立つように足を止める。
「違う、教師から言われてるの。他の生徒との実力差も考えて弱すぎる魔獣は倒さないようにって」
ああ、そういうこと。
「はあ……なんで僕ばっかりハンデを背負わないといけないんだ。弱いのは自分たちの責任なのに……」
私とシャーロットは顔を見合わせた。
なんかごめん、シリル……。