人外ちゃんは命知らずの少年に離れてほしいようです
高校二年生の少年――西尾 伊織は、過去の出来事によって全ての命に対して興味が持てない人間だった。
そんな彼はある晩、人を食らう化け物に出会う。その正体は、クラス一の美少女であり人気者である、一ノ瀬 遥その人だった。
そして西尾はあろうことか――一ノ瀬に恋をした。
「ごめんなさい。人間はタイプじゃないの」
しっかり振られたけど。
ずれた価値観の西尾を受け入れられるのは一ノ瀬しかなく。
化け物である一ノ瀬を受け入れられるのは西尾しかいない。
これはお互いしか認めあうことができない二人で過ごす、夜の話。
もとい――化け物の一ノ瀬を追っかける西尾に、一ノ瀬がドン引く話。
世間一般的に、命は尊いものなんだろう。
例えば今朝のニュース番組での殺人事件。大量の血痕はあるのに死体がない事件が最近何件かあるとか。
例えば昨日気まぐれにつけたテレビドラマ。些細なことで虐められるようになった何某が過激化した虐めに耐え兼ねて自殺する。
そんな凄惨でありふれたシーンを思い浮かべながら、喧騒に溢れた朝の教室を眺める。
……うん、うちのクラスはそういうの無さそうだな。
平和な日常に感謝していると、不意にぽんと肩を叩かれる。
「おはよう西尾! 相変わらず『僕は命に興味が無いんだ』って言いたそうな顔してるな!」
「それやめて??」
開幕ハートブレイクショットを撃ち込んでくるのは竹内 武。このクラス唯一の話し相手で、しかし見た目は無味無臭な僕とは対照的な、いわゆるチャラい感じのやつだ。気崩し上等ピアスは当然、果ては五股までしているとんでもない人間。
悪気が無さそうにけらけらと笑う竹内は隣の席に腰を下ろす。
「んだよー、そう言ってたのは事実だろ?」
「そ、それは、そうだけど」
「てかむしろ弄んない方が残酷じゃね? 例えばうちのマドンナの一ノ瀬ちゃんに『あっ……ま、まあ考え方は人それぞれだもんね!』とか言われてみ?」
「それ以前に不必要に蒸し返すな」
少し前にちょっと気が緩んでて言っちゃっただけで、別に言わなきゃ誰も知らないんだからさ。
「というか何で一ノ瀬さん? 僕そんなに話したことないんだけど」
「──このクラスで最も命に興味がありそうだったから」
「やめろ」
「ん? もしかして私呼ばれた?」
真後ろから両肩にポンと柔らかい手が置かれる。恐る恐る振り返ると、そこには満面の笑みを携えたこのクラスの人気者──一ノ瀬 遥が立っていた。
どこか幼げで愛嬌のある可愛らしい見た目。彼女の活発な内面を象徴するかのようにふわりふわりとよく揺れる絹糸のような黒髪はこのクラスの名物だ。
「おはよ、二人とも! で、何の話?」
「昔さ、西尾が命に――ぐはっ!」
「竹内が一ノ瀬さんのことかわいいってさ」
「おま……腹はだめだろ……!」
しらん。いらないことを言おうとした竹内がすべて悪い。
腹を抑える竹内に一ノ瀬さんは苦笑いを浮かべる。
「あはは……。まあ、そういってもらえるのはうれしいけどね! でもいいのー? 彼女さんに怒られちゃう?」
「それはまずいな。なにされるかわからん」
「女子としては、いい加減刺された方がいいんじゃないかなって思ってるんだけどね?」
「け、結構えぐいこというじゃん……」
この二人は、どうやらそこそこ前から付き合いがあるらしい。美男美女で結構映えるとかなんとか。一ノ瀬さんは竹内の五股を知っている数少ない人間だったりする。
対して僕は、竹内はともかく一ノ瀬さんとはあまり話したことがない。いわゆる友達の友達程度の関係だった。
だから僕はあくびを噛み殺しながらぼーっとしていると。
「こいつとかどうよ」
「ん?」
「いやほら、彼氏に」
「は?」
そういうと竹内は僕の肩を押した。
どうやら一ノ瀬さんの彼氏の話になっていたらしい。
こいつ何考えてるんだよ。それを一ノ瀬さん本人に、しかも僕がいるとこで言うか普通。
「んー……」
すると一ノ瀬さんはグイっと距離を縮めてくる。大きな瞳、長いまつ毛の向こう側に僕が映っていた。
ち、近い……。
ここまで人との距離が近くなることがそうないから、なんだか居心地が悪い。
「そうだなぁ、考えたことなかったなぁ」
「ま、まあ、そんなに絡みもないからね」
「そういえばそうだね。竹内君とはよく話すんだけど……。でもたぶん付き合うことはないんじゃないかなぁ」
「なんでだ? こいつ結構素材としては悪くないと思うんだけど」
「というよりは、私今は誰かと付き合うつもりないんだー。ごめんね!」
じゃね! とそれだけ言い残すと一ノ瀬さんは絹糸の髪をふわりとたなびかせて女子グループの元へと戻って行った。
「いやなんで僕今振られたの……?」
「まあ、元気出せよ」
一方、好き勝手言いたいことを言っていたこいつは、憐みの目を僕に向けながら肩にポンと手を置いてきた。
元気出すも何も、僕はもともと一ノ瀬さんに全く興味がない。だから別に振られたところで何かを思うわけでもないのに。
「別に落ち込んではないんだけど」
「大丈夫だ、みなまでいうな。あいつに告って撃沈したやつは何人もいる。何もお前だけがダメだったわけじゃないから!」
今日帰りにどっか付き合うからよ! なんてことをほざく竹内の足を思いっきり踏みつけて、とりあえず溜飲を下げることにした。
◆
僕という人間の価値観がカチリと変わってしまった瞬間のことを、よく覚えている。
五年前、小学五年生のころ。妹が行方不明になった。
数か月後、そんな妹が、妹自身の部屋でぐちゃぐちゃの肉塊になって見つかった。
滑稽だったのは、その隣に妹の当時の服がきれいに折りたたまれていたこと。
そんなかつての妹を見て、僕は思った。
『命ってのは何てあっけないものなんだろうか』
あの時、あの瞬間から。僕は自他ともにすべての命に対して、興味も執着も持てなくなってしまったのだ。
――だからだろう。夜散歩していて、こういう場面に遭遇しても特に動揺できないのは。
「死体……」
本当に気まぐれだった。とある土曜日の散歩で、いつものルートを変更して、なんとなく少し住宅街の奥の方へ進んでいっただけ。
少し前まで確かに生命を持っていたであろう男性が、そこに横たわっていた。
だいたい三十代位だろうか。口元には無精ひげ、髪は荒れ、御世辞にも身なりはきれいとは言えず、また無惨に裂かれた腹からは朱色の血液が漏れ出していた。
百歩譲って、これはいい。
人生いろいろ、起こりえないことなんてなく、たまたま死体に遭遇することだって、まあなくはないだろう。
問題なのは、その死体の足元に佇むそれだ。
一言で表現するならそう――化け物。
背丈は僕より少し低いくらい。二足歩行で、右腕一本、左腕二本。鉄も切り裂けそうな鋭い爪と、耳辺りまで裂けた口の牙は赤く染まっていた。
「おお」
つい感嘆の声を漏らす。こんな生き物、見たことない。
その声に反応したのか、二つの鋭い左目がこちらに向いた。そして飛び出んばかりに大きく見開かれる。
それにとって僕は完全に予想外らしい。死体を跨いで、僕の元へ一歩。ピチャリとアスファルトに広がる朱色が波打つ。
サイズこそ小さいが、爪が壁を削りギャリギャリと削り、その不快な音に背筋が栗立った。
あ、これ死んだかなー、なんて。他人事のように考えた。
「ごめんなさい。運の悪い自分を恨んで」
夏の夜に透き通るような声が響く。きれいな声だな、なんて気の抜けたことを考えていた矢先、化け物は僕に向かって飛び掛かった。
いけない。僕としたことが、礼儀がなっていなかった。
夜に誰かと出会ったら、言うべきことがある。
鋭い爪を僕に向かって突き出すクラスメイトに向かって、僕はとりあえず笑いかける。
「こんばんは――一ノ瀬さん」
僕に突き出されたナイフのような爪は、顔の寸前で動きを止めた。
◆
「よくわかったね――西尾君」
クラスの男子が聞いたら卒倒するような冷えた声で、彼女はそういった。普段の明るい一ノ瀬さんとは大違い。
ショートパンツに少し大きめのTシャツという、特におかしなところもないラフな格好。でもその左袖からは二本の腕が生えている。
化け物らしい姿ではなく、人間を少しずらしたような異形の彼女は、間違いなく一ノ瀬さんだ。
確かに学校の彼女とは違うかもしれない。少なくとも僕の知る彼女は、口はもっと小さいし、牙なんてなかった。両目も両腕も一つずつ。
でも差し込む月明かりを反射する日焼けを知らない白い肌も。絹のような黒髪も。すっとした鼻筋も。光を受けて輝く大きな瞳も。
それらは学校で見る一ノ瀬さんと同じものだった。
「面影はあるし。それに学校と普段の格好に違いがあってもおかしくないでしょ?」
「……私のはその次元じゃないと思うんだけど」
自嘲気味に笑いながら、彼女はゆらゆらと腰から生えた何かを揺らした。暗くてよく見えなかったが、尻尾まで生えていたらしい。
爪先がプルプル震える。と思えば、彼女は爪を収めた。
「はぁ……失敗した……」
僕を無視してまた死体のもとでしゃがみ込み、大きくため息。
いつも太陽のような笑みを浮かべ負の感情なんてなさそうな学校の彼女とは、まるで別人だ。
容姿はもちろん、雰囲気も、話し方も全くちがう。
「あれだったかな。あまり食事姿を見られたくないとか?」
でも確か彼女は教室で、いつも友達に囲まれながらお昼ご飯を楽しそうに食べていた気がする。
確かに、今の食べ方はかなり汚い。口の周り結構汚してるし。なんなら直食いだし。それを見られて恥ずかしいというなら、わからなくもない。
だとしたら申し訳ないことをしたのかもしれない。
なんて一人で反省する僕を、彼女はなぜかげんなりした顔で見ていた。
「……西尾君、よく空気読めないって言われない?」
「まあ、割と」
やっぱりとばかりに、彼女は僕から視線を外す。
訪れる静寂。元々彼女とはそんなに話したこともない。今の一ノ瀬さんは学校のときみたいに積極的に間を埋めようとしないみたいだし。
なんならぐちゃり、ぶちぶちと、なかなか愉快な音と共に、死体をいじっていた。
「……あれだよ、とりあえず、命を粗末にしないほうがいいんじゃないかな」
「粗末にしてる覚えはないよ。人間だって似たようなことしてるでしょ」
「それもそうか」
「それに私、『いただきます』も『ごちそうさま』も欠かしたことないし」
ちょっと得意げに彼女はそういった。まあそれは結構なことだけど。
「でもさっき、僕のこと殺そうとしたよね?」
「……」
急に黙って、気まずそうに眼をそらした。
「………て……し」
「ん?」
「……殺そうと、してないし」
それは嘘じゃん。
百パーセント嘘じゃん。
でも特に言及する気にもならず、彼女の隣に腰を下ろした。変に機嫌を損ねて殺されるかもしれない。死ぬこと自体は別にいいけど、痛いのは好きじゃない。
久しぶりに座って大きく息を吐きだす僕を、一ノ瀬さんはまじまじと見ていた。
「……なんで怖がらないのよ」
訝しむように眉をゆがめて、彼女は僕にそう問いかけた。
「怖い? 何が?」
「全てよ。ここにある、すべて」
「いや、特に」
「なんで!? ここで一人殺されてるじゃん! やったの私だけど! それに自分だって殺されかけたじゃん!」
「やっぱ殺そうとしてたんじゃん」
うぐっと彼女は言葉に詰まる。
「そ、それはそれとして。はぁ……普通は叫んで逃げるものなんだけどね」
蚊の鳴くような声で、彼女はそうこぼした。
キラキラしていて、自信にあふれ、笑顔が絶えない学校の一ノ瀬さん。
ため息が多く、自信なさげで、どこか悲壮感が漂う今の一ノ瀬さん。
なんというか、本当に同一人物か疑いたくなるくらいに学校の彼女とは違っていた。
「で、僕は結局殺されるの?」
「殺される側の態度じゃないね」
「まあ、別に命なんて大したものじゃないし」
他人のも、自分のも。そう付け加える。
別に命に執着はない。死のうが正直どうでもよかった。
自殺願望があるわけでもないけど、ここで一ノ瀬さんに殺されたとしても、それはそれ。
すると彼女は、少し驚いたように目を見開いていた。
「あんたそれ、本気だったんだ」
「話したことあったっけ」
「竹内君が話してたから」
何してんだあいつ。
てへっと舌を出すあいつの顔が自然と頭に浮かび上がってきて、とりあえず脳内でぶん殴っておく。
「はぁ……そうだよ、本気だよ。生きてるのだって死ぬのだって全部偶然。自分が死ぬとか誰かが死ぬとか、そんな大層なことじゃないだろ」
少しやけくそ気味に言い捨てる。
竹内に聞いてるならもういいと思った。
人は簡単に死ぬ。他人や当人がどう思ってようが、死ぬときは死ぬ。
……あの時だってそうだ。必死に探した。警察にも行ったし、家族総出で探した。大量にチラシも配ったし、いろんな探偵に依頼もした。でも妹は死体になって突然帰ってきた。
それだけ想っても、どれだけ大切でも、死ぬときは突然死ぬ。そう思ったらなんだかどうでも良くなってしまった。
わかってる。どうせあの視線を向けられるんだろ。
困惑した視線。可哀想なものを見るような視線。げんなりしたような視線。バカにしたような視線。
別に気にしてるわけじゃないけど、なんとなく、悲しくなる。根本的なところがみんなと違う気がして。
だけど、一ノ瀬さんは。
「――ふふっ。変なやつ」
彼女はただ吹き出すように笑った。
「……!」
そんな彼女から、目が離せなくなった。
おかしい。教室でも一ノ瀬さんが笑う姿は何度も見ている。でも僕はそれに対して特に何かを想うことはなかった。なかったはずなのに。
「……」
ああ、これは。もしかして。
「一ノ瀬さん」
「ん? なによ」
「僕――君が好きだ」
「ごめんなさい。人間はタイプじゃないの」
「むぅ」
初恋、そして失恋まで約三秒。今回はちゃんと振られてしまった。
さすが週一で告白されるほどモテる女子。返事に迷いがない。
「そんなことより」
「やめて、僕の告白をそんなことで片付けないで」
「そんなことより、わかってるんでしょうね」
鋭い三つの目で僕を睨みつける。ピンと張りつめた空気に、無意識に背筋が伸びた。
「今日のこと、私のこと、絶対に誰にも話さないで」
彼女からの命令は、考えてみれば至極当然のことだった。
「言っとくけどさっき殺さなかったのに理由はないから。なぜかあんたを殺そうとすると体が動かなくなるだけ。……なんでかはわからないけど」
なるほどと合点がいった。正直、なぜ最初に僕を殺さなかったのかわからなかったのだ。
間違いなく僕に飛び掛かり、その爪で串刺しにしようとしていたのに。その寸前で彼女は動きを止めてしまった。
殺さなかったのではなく、殺せなかった。その理由は彼女もわからないときた。
「でもやりようはある。あんたの両親とか友達とか。誰かにこのことを話したら、そいつらをあんたの代わりに殺すから」
「まあそれならそれで」
「そうだった、こういうやつだった。はぁ……やりにくい」
彼女はため息とともにこめかみを抑える。なんだか大変そうだ。何か力になれればいいんだけど。
「大丈夫。誰にも言わないよ」
確かに僕は普通から少しずれているけれど、好きな人の秘密を言いふらすことはしない。
これで少しでも安心してもらえれば、なんて思ってのつもりだったんだけど。
彼女はなぜか不服そうに半目になって睨みつけてくるだけだった。
「とにかく」
彼女は尻尾で死体を担ぐと僕に背を向けた。
「私には関わらないで」
そう言い残し彼女は死体を抱えたまま跳躍する。一息に建物を飛び越え、姿をくらませた。
◆
そして、翌日の夜――。
「やあ一ノ瀬さん! 今夜もいい夜だね!」
「来んなっていったじゃん!!」
何なのこいつ! と。
美しい化け物は、なぜか半分涙目になっていた。