異世界転移デザイナーの魔法陣
広告制作会社に勤めるアラフォー中堅デザイナー意匠嘉昭は、半年に渡るデスマーチによって過労死した。
彼が意識を取り戻したそこは、死後の世界ではなく、剣と魔法の異世界。
それから5年。魔法陣デザイナーとして生計を立てる嘉昭の元に、獣人族で大家の娘デイジーが相談を持ち込んできたことから、彼の運命は大きく動き出す。
魔導学校に潜む闇を暴いた嘉昭。それをきっかけに、彼は魔法陣デザインの臨時講師に雇われることとなり、降りかかる様々な問題に、持ち前の観察眼とデザイン力で立ち向かっていく。
ヒコヒコと動く獣耳。
褒め言葉を今か今かと待ち受ける、期待に満ちた大きな瞳。
しなやかに揺れるカギしっぽ。
少し小生意気な顔でにっこにこ笑う獣人少女のデイジーは、もうだいぶ冷え込んできた晩秋の、窓から差し込む夕日に顔の産毛を光らせる。
ただの人間が住むアパートには、ちょっと似つかわしくない位には、彼女は魅力的だった。
「ね、どぉ先生? 中々の出来っしょ?」
「あー……」
すまん、デイジー。
これから俺は、君の期待を大きく外さなければならない。
小さく息を吐き、お気に入りの作務衣の襟をちょいと正してから、俺は目の前のキジトラ少女に、厳かに告げた。
「デザインがなってない」
「……は?」
うわこえぇ、声ひっくいな。なんなら喉の奥から唸りが聞こえてくる。
だが、いくら大家の娘で人間より魔力も腕力も高い獣人の子とはいえ、プロデザイナーとして言わねばならないことは言わねばならんのだ。怖いけど。
「なぁ、これなんかの召喚陣だよな?」
「あ、分かる? これはぁ、この辺に漂うマナを集めて、風の精霊を召喚するっていう召喚陣だよ。ほら、ここから中心に向かって伸びてる線。これを伝わって……」
「ああ、それは分かる。分かるが、この術式じゃあ、一人の魔力量で動かすのは無理だぞ」
「えー」
ぶーぶー、と口に出しながらデイジーは口を尖らせた。いや、そんな可愛い表情見せてもダメなもんはダメなのよ。
「ほら、これ見てみ。マナの入り口の数に対して、術者の魔力を入れる場所が少なすぎる。これで無理やり陣を動かそうとすれば、ここに一気に流し込む魔力がとんでもない量になっちまう。……それにな」
「なによぅ……」
いや、そんな耳ペタンしてしょぼくれんなよ。頭ぐりぐり撫でたくなっちゃうだろが。
「デイジーお前、直線くらいちゃんと引けよ。ほとんど手書きでやってるからほら、対称形にしないといけないところがズレまくってんぞ」
「うー、でもでも、ちゃんと起動したもん! 予想よりちっこかったけど、ちゃんとシルフちゃん召喚出来たもんね!」
「……これで?」
こんな雑なデザインで成功させるとはこいつ、天才か。
小鼻を膨らませてフンフン息を荒げるデイジーを、俺は呆然と見つめた。
小さな広告制作会社に勤務して15年。
業界丸ごとブラックな上、無駄に有能な営業のせいで、週一回しか家に帰れない、寝るのは机の下で2日に3時間という状況を半年続け、その結果俺は過労死した。そんなデスマーチ、デスクワークで凝り固まったアラフォーの肉体には、到底耐えられるものじゃない。
脳内でぷつん、という音を聞いた後、楽しかった子供の頃を走馬灯に映しつつ、次に目が覚めたのがこの世界。
つまり人間も亜人もごちゃまぜの、剣と魔法の世界だった。
――それから5年。
なんやかんや生き延びた俺は、縁あって今のアパートを間借りしつつ、魔法陣デザイナーとして細々と生計を立てている。
「いいの! これで動いたんだから成功なの! あとは先生があたしを褒めるだけなの!!」
「お、おう」
釈然としないまま、突き出してきた頭に手を置いて、かいぐりかいぐりと撫で回す。
んふふーん、とか心地よさそうにするデイジーを見ていると、才能の前にはデザインなんて無力なもんなんだなぁ、と脱力感が襲ってきた。
「ね、先生は今日なにしてたの?」
「俺は先生じゃないつってんのに……」
「えー、でもおとーちゃんもおかーちゃんも、みんな先生のこと先生って言ってるよ?」
「普通に名前呼んでくれればいいんだけどなぁ」
「先生の名前、言いづらいんだよー。ヨシュ、ヨシュアキ? だっけ?」
「ヨシアキ、な。まぁ確かに言いやすくはないなぁ」
「あ、じゃあヨシュアって呼んでもいい? 言いやすいんだもん」
「……まぁ呼びやすいので俺が分かればなんでもいいけどな」
「おっけ、じゃあヨシュア先生ね!」
「先生は付けるんかい……」
他愛のないやりとりに苦笑する。
この世界に来た時は、こんな平和な時が来るとは予想もしてなかったものだ。
ここに至るまで、紆余曲折すぎてもう思い出したくもない。
魔法陣に関する知識も、その過程で手に入れたものだった。
「ね、ヨシュア先生はさ、魔力ないんだよね?」
「ああ。元々別の世界の人間だし、そこは魔力なんて存在もしてなかった所だからなぁ」
「それ前にも聞いたけど、どうやって生活してるのか想像も出来ないんだよねー。不便すぎるじゃん」
「魔力の代わりっていうとちょっと語弊もあるけど、電気ってものがあってな。機械に電気を通すことで、色々なことが出来るんだ」
「ふーん」
「聞いといてその〝興味ないっす〟みたいな態度はなんだおい」
「だって想像つかないんだもん。……ね、ところでさ」
む、急に真面目な顔になったな。
こういう時のデイジーは、割と真剣に悩んでいることが多い。まぁ大抵の場合はしょーもないことだったりするんだが。
「あたしの友達に、学年トップの子がいるんだけどさ。その子、この課題合格しなかったんだよね」
「ありゃ。そんなに難しい課題には見えないけどなぁ」
「ていうか。これ、合格しなかった人ってほとんどいないんだよ。数人って感じ」
「お前の学年って何人いるんだ?」
「んとね、400人くらい」
「多いな。……でもまぁ、そういうこともあるんじゃね? トップだからって全科目得意なわけでもねえだろ」
「そうなのかなぁ……」
デイジーは腑に落ちない様子で、作業台に転がっているペンを指で器用に回し始める。
――確かに、少し気になる話ではある。
いくら魔力が膨大だとはいえ、あんな適当な召喚陣を作って合格するようなテストだ。成績トップの子が作ったなら、まず失敗するようなことはない、はずなんだが……。
「なあ、デイジー」
「んー?」
「明日、その子をここに連れて来れるか?」
「いいけど……なんで?」
「ちょっとな。その召喚陣のどこが悪いのか気になったんだよ」
本人自体に問題がないなら、あとは召喚陣の問題だ。凡ミスならまぁドンマイってところだが、そこはデザイナーの勘とでも言おうか。
妙に引っかかる、気がした。
急な俺の申し出に訝しげな表情を浮かべていたデイジーだが、少し考えた後、俺の言葉に頷いてくれた。
「うん、分かった! ちゃんと見てあげてよね!」
「はいよ。……でもそんなに気にかけるってことは、よっぽど仲の良い子なんだな。同じ種族なのか?」
「ううん。その子はエルフだよ。魔力の量は少ないけど、使い方が上手なの」
「なるほど……」
つまり、魔力の効率化が出来る生徒ってことか。しかも成績トップになるくらい。
確かにそれなら、腑に落ちないだろう。
この召喚陣のシステム自体は比較的単純なもので、デイジー程とはいわないまでも、それなりの魔力さえあれば、ある程度雑な作りでも発動するようになっているようだ。
エルフは元々、魔力量の多い種族ではない。だが、その質や使い方を熟知しているため、大魔導士として大成している者も少なくない。
成績の良いエルフの子が、こんなところでつまづくのは、確かに考えづらいことではあった。
「分かった。じゃあ明日、学校終わったら連れてきてくれ。出来ればその問題の召喚陣も見たい」
「おっけ、じゃあ伝えておくね! あとヨシュア先生、お風呂入っといてね!」
「え? 風呂?」
「うん、ちょっと臭うよ? あたしの鼻がいいだけかもだけど」
「マジか……確かに昨日は入れなかったが」
「あ、あたしは別に嫌いな臭いじゃないんだけどさ、一応大人として?」
「う……わかった」
大人を引き合いに出されると弱い。
でもそうか、嫌いじゃないのか。助かるわー、これでくっせぇんだよオヤジとか言われたらもう作業場引き払うしかねえからな。
夕飯の頃合いでデイジーが帰った後。
俺は、ごそごそと、とある資料を取り出す。
そこには『ゴブにもわかる! 召喚陣入門』と書かれていた。
――――
翌日。
一晩中資料とにらめっこしていた俺は、どうやら寝てしまっていたらしい。
荒々しくドアをノックする音に慌てて飛び起きた。
「せーんせー、起きてるー? アヤメちゃん連れてきたよー!」
「お、おう、ちと待ってくれ。ていうかしばらく待ってくれ!」
そう応えながら服を脱ぎ、風呂場に行く。昨夜資料と格闘する前に貯めておいた湯は、当たり前だが水になっていた。
「おひょーう!」
「ちょ、先生何してんの!? 訴えるよ!?」
「まてまてまて、いまちょっと風呂ぉぉおおつめてえええええっ!!」
沸かす時間などあるわけもなく、水を全身にぶっかけて悶えていると、ドアの向こうから声が聞こえてくる。
「ごめんねアヤメ。なんか先生、お風呂で水被ってるみたい」
「う、うん……大丈夫なのかしら、もう水浴びする季節でもないけれど……」
「たぶん、昨日あたしがちょっと臭うって言ったの気にしてるんだよ。そんで、昨日のうちにお風呂沸かしてたけど忘れてて、今慌てて入ってるとみたね」
うーわ、全部当たってるじゃん。
学校に通うくらいの小娘に、そこまで読み切られるとは……。
「せーんせーだいじょーぶだよー、くさくないよー」
「嘘つけっ! おっさんはなぁ、若い子に加齢臭を指摘されるのに敏感なんだ! 部屋入ってていいからもうちょい待っててくれぅわっはぁ! つめてええええっ!!」
どうにもしまらない。
初対面は渋くキメてやろうと思ってたのに。
まあ寝こけてたのは俺だし、水風呂にしたのも俺だ。仕方ない。
魔導士なら温度調整なんかも楽々出来るんだろうが、俺は魔力の塊、魔石を使って沸かすしかないのだ。
これがまたすこぶる難しいもので、バスタブに一つ火系の魔石を放り込むと、一瞬でぼっこぼこに沸騰してしまう。
急いで使っても火傷するだけなので、俺はカタカタと小さく震えながら身体を拭き、脱衣場で作務衣を来て出た。
「あ、先生きた……って大丈夫? なんか唇真っ青だけど」
「ぉぉぉぅ」
「あっ、あの、お邪魔してます、デイジーちゃんからご紹介いただきました……」
「ぉぉぉぅ」
「もーかっこ悪いなー。はい、あったかいお茶入れといたから」
「ぉぅ……ふう、生き返った。で、その子か」
「あ、はいっ。アヤメと申します」
「初めまして、ヨシアキだ。言いづらかったらヨシュアと呼んでくれ」
「はい、よろしくお願いします、ヨシュア先生!」
だから先生じゃないのよ。凡百の極々普通のデザイナーなんだから。
そう言おうとしてふとデイジーを見たらこのやろう、ニヤニヤしてんじゃねえよ。
まぁいいや。
――それにしても、と俺は思う。
エルフってのはほんと、綺麗なんだなぁ。
身長高めでスレンダー、シミひとつない肌に長くて濃いめのブロンド髪。
もう生物デザインとして、ある意味最高峰なんじゃねえかな。
感心する俺だったが、二人のきょとんとした視線を感じて気を取り直す。
「で、例の召喚陣、持ってきてくれたか?」
「あ、はい、こちらです」
丁寧に丸められた羊皮紙を取り出すアヤメ嬢。なるほど、几帳面な子のようだ。
「ほらデイジー見ろよ。ちゃんと皺もつかないように綺麗に丸めてきてるぞ」
「うるさいな」
「……お前ほんとに仲良しなのか?」
「うーるさいっての! どーせあたしはガサツよ!」
「ちょ、ちょっとデイジー、先生に向かって……」
「いや、先生ってのはこいつが勝手に言ってるだけだ。気にしないでくれ」
言いながら羊皮紙を受け取り、作業台に広げた俺は、その出来栄えにため息が出た。
「こいつぁ……」
「ね、すごいっしょ先生。これで起動しないなんてことある!?」
「あ、あの、どうでしょうか……」
「……」
澱みなく引かれた直線。
きちんとコンパスを使った円。
活字かとみまごうばかりの精霊文字。
派手な印象こそないが、破綻の全くないその召喚陣は、なんなら魔力を持たない俺ですら精霊召喚出来そうなほどの出来だった。
「……素晴らしい」
「先生が褒めただと……っ」
「やかましい、俺だっていいものを見たら褒めらい。……いや、しかしこれは見事だ」
しかし、だからこそ、疑念が湧いてくる。
これほどの召喚陣で精霊召喚を失敗するというのは、どういうことだ?
「これまで、召喚陣で失敗したことは?」
「……ありません。今回が初めてです」
「失敗した時の状況は?」
「……これは、学校の課題として制作したもので、提出する時、先生に実際に起動させて見せるんです」
「それが起動しなかった、か」
「はい……。完成した時点ではちゃんと起動したんですが……」
「事前に起動確認済みか……」
「今回の課題ね、みんな学校で完成させたの。それで、アヤメは提出日の前の日に出来たから、学校に置いて帰ったんだよね」
「ええ、行き帰りで落としたりしたら嫌だし……」
「普通に考えりゃ、その一晩のうちに何かがあった、だな」
俺の呟きにアヤメ嬢が反駁する。
「そんな、学校はセキュリティもしっかりしてるし、何かがあるような……」
「そうだよ! ちゃんと夜まで先生たちもいるし、教室は放課後になったら鍵もかかるんだよ!? それのせいであたし、忘れた宿題を取りに戻っても入れなかったこともあるんだから!」
「うっかりを力説するなよ。……アヤメ嬢、この召喚陣、ちょっと預からせてくれないか」
「え? ええ、再試験は来週なので、今週中なら構いませんけど……」
「何するの? 先生」
「いや、ちょっと詳しく調べてみたい。ここまでしっかり出来てて、デザイン的な破綻がないのに起動しないってのは、少なくともこの召喚陣のどこかに欠陥があるってことだ。しかもそれは、アヤメ嬢が作った時には存在しない欠陥だ」
つまり、誰かが故意に、何かの細工をした。
それが何かが分かれば、犯人も特定出来るかもしれない。
「これほどの出来の召喚陣に誰かが小細工をしたとすれば、そりゃあデザインに対する冒涜だ。許すわけにはいかねえな」
「先生……」
「とはいえ、誰かのせいとはまだ決まったわけじゃない。……けど、絶対に原因を突き止めてみせるよ」
これが故意なのか、彼女のミスなのかは分からない。だが、これほどの出来のデザインを台無しにした何かがあるのなら。
俺はデザイナーとして、それを放っておくわけにはいかなかった。