龍火絶消(りゅうかぜっしょう)
1945年7月
全長2000メートルを超える龍が占拠された。
留学生の母と、最強の少年兵によって。
龍を守るため、娘のために。
8月――龍は燃える。
少女は幻滅した。
サンタも、お菓子の家も、人魚も魔女もいない事実に。
サンタに会ってみたかった。
お菓子の家に行ってみたかった。
人魚になって海を泳いでみたかった。
魔女になってほうきで空を飛んでみたかった。
願いが叶わないと知った少女の目から涙が溢れた。
泣き続ける少女を母が抱きしめる。
大好きな母の温もりを感じても気持ちは悲しいままだった。
「ガリーナ」
父に呼ばれて、少女は声のする方を見た。
少女の充血した目に父が写り、父の蒼い瞳に真っ赤な髪を乱した少女が写る。
サンタさんはなんでいないの?
お菓子の家もなんでないの?
人魚のお姫様も、魔女のおばあさんもなんでないの?
弱々しい声で少女は聞いた。
「お父さんも知らないんだ、すまない」
父は、「だけど」と付け加えた。
だけどの後に続いた言葉を聞いて少女の目が見開き、涙が止まる。
『龍はいる』
その言葉は少女の心に強く刻まれた。
その言葉は少女にとって魔法だった。
サンタも、お菓子の家も、人魚も魔女もいないことを知った少女にとって――その言葉は劇薬だった。
※※※
1945年7月、オセアニア海域。
どこまでも海が広がっていた。
目印になる島は一つもなく、太陽の位置から方角を知ろうにも太陽が見えない。空もまた、雲がどこまでも広がっていた。
雲の灰色と海の青が支配するなかに日の丸があった。
胴体に日の丸を描いた飛行機が、翼に取り付け二つのプロペラを回転させながら飛んでいる。
日の丸の他にも赤があった。
その赤は髪の毛だった。
空席が目立つ機内。
窓際の席に座るガリーナの髪だ。
大好きな母と一緒の色だからと大切にするあまり、切るのが嫌で散髪を粘れるだけ粘る。シャワーに入るたび鏡を見て、おへそに毛先がたどり着いたら仕方なく切るようにしていた。
そんな彼女の髪は今回、耳の辺りまでしか伸びていなかった。
切ってきたのだ。
毛先がおへそに到達したから、ではない。
留学のためだった。
15歳になったら留学すると決めていた。
留学先は秋津。
かつてアジアの大国だったが今は衰退を歩み、経済は他国に依存している。これだけを聞くと留学先としての魅力に欠けるが、ガリーナにとっては理想郷だった。
秋津には、龍について学べる学校があるのだ。
ガリーナのいた国では、龍に関する書物も写真も流通していなかった。
他の国も似た有様。
龍を知れるのは秋津だけ。
だから、留学を選んだ。
飛行機に乗ること2時間。ずっと雲の下を飛んでいた飛行機が上昇を始め、雲のなかに入っていく。
窓の外が雲に覆われると機内が暗くなった。
視界を遮られたガリーナは、エンジンと風の音がさっきよりもうるさく感じた。
口が自然に開いて、あくびが漏れた。
生まれ育った国を出て船旅1ヶ月。船を降りたあと3日の休息を取らされたが疲れは抜けきっていなかったらしい。
窓にもたれかかり、うとうとと眠りかけていたそのとき。窓から光が入ってきて視界が真っ白になった。あまりの眩しさに目を瞑る。
エンジンの音も風の音も変わらない。
座席越しに伝わる振動もさっきまでと同じ。
光が気になり、片目だけそっと開いてみた。
開いた片目は無事に視界を確保。
大丈夫とわかったガリーナはもう片方の目も開き、窓に顔を近づける。
外を覗くと、上にあったはずの雲が真下に広がっていた。
外にあるものに触れようと手を伸ばす。
その手は窓に防がれた。
ガリーナが手を伸ばした先に龍がいる。
2000メートルを超える巨体が窓いっぱいに広がり、その巨体は赤錆びた色の甲殻で覆われていた。
龍の背中には滑走路が敷かれ、管制塔やクレーンに宿舎や消防署が建っている。
体つきだけ見ればワニやとかげに近い。
ただ、
大きな一つ目を描いた布が龍の頭部に被せられ、隠れ切れていない口が異質な雰囲気を漂わせていた。
「怖い?」
龍をじっと見ていたガリーナは、背後からの声に反応して振り返る。
声の主は母だった。
娘が心配で付いてきたのだ。
「ちょっとだけ」
「夜怖かったら一緒に寝てあげよっか?」
「もう15歳なんだけど」
「そっか」
15歳でも親からすれば子供は子供。
留学に付いてきたのがそれを物語っている。ガリーナは気づいていたが嫌ではなかった。
自分が大切にされていると感じていたから。
ガリーナたちが話していると、操縦室から軍服を着た若い女性が出てくる。
女性はガリーナたちのまえに立つと、
「これから着陸に入ります。パイロットは秋津陸軍の腕利きですが、着陸時に揺れるので必ずシートベルトを装着してください」
女性の宣言通り、飛行機は反時計回りに旋回を始めて管制塔の指示した着陸コースに入る。
ガリーナは留学しに来た。
龍を学ぶため秋津の学校に。
その学校が建っているのは地上ではなく、龍の上だった――
※※※
着陸を成功させた飛行機から降りたガリーナたちは担任との挨拶を済ませたあと、宿舎に案内された。
用意された部屋は二人部屋。
二人で暮らすには手狭な洋室にベッド・勉強机・クローゼットなどの家具が二つ用意され、動かないようしっかりと固定されている。
ルームメイトの母がクローゼットに自分の荷物を収納していくなか、ガリーナはベッドの上で枕を抱きしめながら縮こまっていた。
宿舎を案内されたあと、担任から言われた。
生徒が訪れると。
それを聞いてからガリーナはこの有様。
「……仲良くなれるかな?」
「大丈夫よ」
「でも――」
でも、とガリーナが言ったとき部屋のドアがノックされた。ガリーナが動かないのを見て、母は立ち上がってドアを開けに行った。
「初めまして、朝倉嶋子と言います。ガリーナさんに学校を案内するよう先生に頼まれて来たのですが……」
「母のデリカです。娘を呼んでくるから待っててもらえる?」
「わかりました」
ガリーナが聞き耳を立てていると、母が玄関から戻ってきてガリーナの腕を掴む。腕を引っ張られたガリーナは心の準備もできないまま玄関に連行され、生徒と対面。
長い黒髪に、垢抜けた顔。
黒を基調としたロングスカートの制服はガリーナが着ているものと一緒。ただし、ガリーナのと違って朝倉嶋子の制服にはお尻の辺りに切れ目が入っていた。
その切れ目から尻尾が生えている。
龍と同じ尻尾が。
尻尾だけじゃない。
首筋や手の甲に爬虫類の鱗があり、蛇のような瞳が眼鏡のレンズ越しにガリーナを見つめてくる。
対するガリーナも尻尾をじっと見つめる。
ガリーナの顔に張り付いていた緊張はどこかへ行き、緊張の代わりに好奇心が瞳に宿っていた。
「触ってみる?」
「いいの!」
「友達になってくれるならね」
ガリーナは友達に飢えていた。
龍について話すことをタブーにする国が多く、ガリーナなの国もその一つだった。龍に興味をもち話したがるガリーナは周りから疎まれ、非常識だと罵られた。
タブーの理由をあとで知った幼き日のガリーナは両親とだけ龍について話をした。
でも満たされなかった。
友達がほしかったのだ。
龍について楽しく語り合える友達が。
だから、朝倉の申し出にガリーナは飛びついた――
部屋を出たガリーナと朝倉は、校舎に向かう通路を歩いていた。天井や壁は鉄板が使われており外気の侵入を許さず、高山病対策として建物内は与圧装置により気圧が一定に保たれている。
酸素マスクや防寒着の必要がないので、ガリーナたちは制服のままだ。
先生から学校の案内役を頼まれていた朝倉は、質問があったら聞いてと言った。
聞いてと言われたのでガリーナは質問する。
「龍の頭に被せてあった布ってなに?」
「残念だけど知らない。国家機密だから」
「龍の操縦ってどうやってるの?」
「それも国家機密」
「ここって龍を学ぶ学校だよね?」
「仕方ないじゃない。国家機密なんだから……」
「じゃあ、朝倉さんたちの鱗と尻尾って突然生えてくるのは本当?」
「うん、本当」
「尻尾が生えたあとは力持ちになるのも本当?」
「それも本当。爆弾も小型なら擦り傷程度で済む体になってるよ」
「爆弾に当たったことあるの!?」
「私じゃなくて、兵士になった人が爆弾に耐えたって話を聞いただけ」
「朝倉さんは飛べる?」
「私は無理。だけど一人だけ飛べる」
「それって、脱走してきた少年兵?」
「その子で合ってるよ」
ガリーナが今乗っている龍には少年兵が拘束されている。ガリーナが留学する直前、その少年兵は脱走しガリーナたちが今乗っている龍を見にやって来たのだ。
少年兵を見ようとした生徒の一人が誤って転落。少年兵が救助したことで生徒は無事だったが、龍に常駐し龍の警備を任されている消防隊は脱走してきた少年兵を見過ごすわけにいかなかった。
ただ、少年兵は12歳にして戦車を61両破壊し、爆撃機も5機落としている。対する消防隊は実戦経験がなく、生徒たちの身の安全も考慮しながら少年兵を相手にするのは無理だった。
幸いにも少年兵に抵抗する意思はなかったので拘束自体はできた。けれど、軍に連れ戻されることになったら逃げ出すと言い、逃げられるよりは目の届く範囲にいた方がいいとの結論になり消防隊に拘束されたままになっている。
「少年兵に会える?」
「接触禁止」
「なんで脱走してきたの?」
「消防隊の人から聞いた話だと、龍が気になったらしい」
「気になった……」
「私からも質問いいかな?」
「いいよ」
「少年兵が拘束されたあと、安全を考慮して生徒たちは他の学校に移ることになった。この学校に留学が決まっていたあなたも別の学校に留学するはずだったのに、学校と交渉して留学先を変更しなかったのはなぜ? なんでこの学校に留学したの?」
「少年兵に会ってみたかったから」
「保護者同伴も、学校側に強引に認めさせたって聞いたけど」
「少年兵の件で心配したお父さんが自分も行くって言い出して。でも女子校だからお父さんは行けないってなって、お母さんが代わりに付いてきてくれたの」
「愛されてるのね」
「うん」
二人が話しているあいだに目的地の校舎にたどり着き、教室を見ていく。教室はもぬけの殻で、生徒たちがいた証は壁に貼ってある写真だけだった。
誰かの誕生日を祝ってる写真。
なぜかずぶ濡れの生徒が写った写真。
被写体がブレてる謎写真。
先生の寝顔を撮った写真。
翼を生やした少年に生徒がお姫様抱っこされてる写真。
生徒たちが笑顔で並んでる集合写真。
他の学校に移れば写真に写ってる生徒たちと会える。
龍が好き同士、仲良くなれそうな気がする。
自分も友達と一緒に写った写真がほしい。
思い出がほしい。
でも、ガリーナは他の学校に移る気がなかった。
龍の最後を見届けると決めたから……
「――これより甲が飛行に入ります。繰り返します、これより甲が飛行に入ります――」
校舎内に女性の声が響いたあと、サイレンが鳴った。
「甲ってなに?」
「甲は少年兵のこと。拘束されてるけど、少年が空を飛びたいって言ったら飛行許可が出るの。
「拘束されてるんじゃないの?」
「機嫌を損ねて暴れられたら誰も止められないし、満足したら帰ってくるから仕方なく許可を出してるの――それと、少年が飛んでるあいだは生徒も保護者も部屋で待機だから戻るわよ」
朝倉は最後に、「少年に会いに行っちゃダメだからね」とガリーナに注意する。
その注意は無駄だった。
部屋に戻ったガリーナは朝倉と別れたあと、すぐに部屋を出た。
見つかるとマズイので人気がないところを探して歩き回った結果、宿舎の外にある作業用の通路にたどり着いた。
屋根はなく、壁の代わりに柵が設けられた通路は風に晒されていた。計画性のなかったガリーナは制服姿のまま。
息は白く、体がぶるぶると震える。
震えながら彼女は見つめていた。
空を飛ぶ少年を。
肉眼だと表情はわからない。
でも、飛んでいる姿を見て楽しんでいるようにガリーナは感じた。
20分ほどの時間が経ったとき、少年がガリーナの方に向かってきた。近づいてきた少年の目が自分を捉えていることにガリーナが気づいたときにはもう、少年は柵の上に着地。
柵の上から見下ろす少年の表情に感情はこもっておらず、無表情だった。
「中に戻って」
少年に話しかけられることを想定していなかったガリーナは、返す言葉を必死に考えた。けれど思考がまとまらず、開いた口からはなにも出てこない。
「中に戻って」
「……」
「……死んじゃうから戻って」
「えっ?」
「こうざん病? さんけつ? にっしゃ病? になるから」
少年が心配してくれているのだと理解すると、ガリーナの思考が少しだけ落ち着きを取り戻した。
落ち着いたことで自分の体調が悪くなっていることに気づいたガリーナは戻ることを考えたが、そのまえにせっかくのチャンスを無駄にしたくなかったのでもう少しだけここに踏みとどまることにした。
「質問に答えてくれたら戻る」
「早くして」
その言葉を肯定と受け取ったガリーナは真剣な表情で聞く。
友達にも聞けなかったことを。
「君がここに来た理由って、龍が処分されるから?」
留学まえ。
ガリーナは両親の会話を盗み聞きしてしまった。龍が処分されると父が言っていたのだ。
留学の目的は龍に会うのと学友を作ることだったが、会話を聞いたガリーナは新しい目的をたてた。
処分される龍に絶対会うこと。
そして、処分される理由を知ること。
知っても納得しないと思う。
それでも知りたかった。
自分の好きなものが処分される理由を。
処分される龍の元に脱走兵の少年が現れた。
偶然と思えなかった。
ガリーナの勘は当たっていた。
少年が、「合ってる」と言ったのだ。
「龍を殺すのは君?」
「僕じゃない」
「君じゃないなら誰?」
「人じゃなくて爆弾。ベリカの新しいやつ」
「ベリカって国のベリカ?」
「そう」
「その新しい爆だ」
「――質問はそこまでにしなさい!」
通路の下から朝倉の声がした。
ガリーナが下に視線を向けると、通路下から手が伸びてきて柵を掴む。手のあとに朝倉の顔が通路下から出てきたと思ったら、彼女はとかげのようにフェンスを登っていく。制服姿のままだったが恥じらう様子はなく、柵を登りきった朝倉は通路に飛び降りた。
朝倉を見たガリーナは、「忍者だ」と感想を漏らした。
忍者のような登場をした朝倉は言う。
「ガリーナ=フルフレア。スパイとしてあなたを逮捕します」




