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どろだんごの神さま

アラサー独身の会社員望月拓は、仕事は出来るが孤独な男だ。

その拓の孤独を幼少期から癒やしてくれたのは、どろだんごの神さま。

拓にはどろだんごの神さまだけが友だちだった。

ある日、地元を離れてひっそりと暮らす拓と神さまに、仕事は出来るが変わり者の後輩が絡んで来た。

彼女の名前は、宮沢一穂。

一穂は拓のアパートを急襲、どろだんごの神さまの存在を知る。

絶望に苛まれる拓をよそに、一穂は神さまの存在を言いふらすどころか、神さまを【キュイくん】と呼ぶほどに仲良くなった。

そんな折、一穂は拓に里帰りを提案する。

強引に話を進める一穂に拓は翻弄され、気がつけば拓と神さまは、一穂と一緒に故郷の静岡へ。

拓が生まれたダイラボウは、神さまにとっても故郷だ。

喜ぶ神さまと対照で、拓は不安で一杯。

そんな二人?三人?の里帰りを勝手に決めて同行する一穂の思惑は。


そして、拓と神さまの運命は。

1 神さまと帰郷、後輩同伴


 七月末の平日。

 東京駅発の東海道新幹線【ひかり】は、雨上がりの熱海付近を順調に走っていた。

 昼過ぎに新横浜から乗った望月拓は、眠っている。

 向かい合って座る同行者の目も気にせずに、指定席のシートに身を沈めて幼少期の夢を見ていた。


 ──夢の中では、幼い望月拓が祖父の山で遊んでいた。


「雨上がりだんて、あんま遠くにゃ行くなよ。山の神さまに叱られるんて」

「はーい」


 拓を引き取った祖父の山は、ダイラボウと呼ばれる山の一角だ。

 いつものように返事だけ良い拓は、祖父の言い付けなんかそっちのけで勝手知ったる山中を駆ける。

 雨の名残りの泥濘(ぬかるみ)に足をとられながら山を探検していると、拓は木々の向こうにぽっかりと開けた場所を見つけた。

 祖父の家から然程離れてはいないが、拓は初めて見る場所だ。


 平らな場所は八畳間くらいだろうか、すこぶる狭い。

 その不自然に狭い平地の奥は切り立った岩壁になっていて、その前に幼い拓の背丈と同じくらいの長細い石が倒れていた。

 石の内側は丁寧にくり抜かれ、拓にはその石は地蔵や道祖神が収めてある(ほこら)のように見えた。


「小さな神さまの、小さなおうちかな」


 そのくり抜かれた空間の隅っこに、子どもの手で作ったような小さな泥団子があった。

 表面は乾いてヒビが入って、しかし拓の小さな手では割れないほどには頑丈だ。

 ならば、このヒビを治してやろう。

 そう決めた拓は近くの沢まで行き、まず自分の手を洗った。

 それから小さな手のひらを左右くっつけて、水漏れする即席のお椀を作って、沢の水を飲む。

 沢の水は、冷たくて美味しい。ご馳走だった。

 自分のノドを存分に潤した拓は、また沢で両手を濡らす。そしてその濡れた両手で、ヒビの入った泥団子を包み持った。


「ちょっと待っててね、なおしてあげる」


 拓は、ヒビを埋めるように指を動かして、手を濡らして再び泥団子のヒビに擦り付けた。

 沢の水を吸った泥団子は、湿った土の色へと変わった。

 その時である。

 拓の手の中の泥団子が、小さな声を発した。


「キュイ……」

「わ、鳴いた!」


 驚いた拓は、泥団子を落としてしまった。

 ころころと転がる泥団子は、その身に山の土を(まと)って、少しだけ大きくなった。そして、


「キュイ!」


元気よく鳴いたちっこい泥団子には、ちっこい胴体と手足が生えていた。


「わわ、どろだんごが、どろにんぎょうになった!」

「キュイ〜」


 二頭身の泥団子の人形は、そのちっこい体で目一杯に胸を張って、拓の背後の山を仰ぎ見る。

 その時、拓は祖父の話を思い出す。


 ──むかしダイラボウには神さまがいてな。土の中に隠れて、山を守ってくれていたんじゃよ──


「もしかしてキミ、神さま?」

「キュイ!」


 拓の言葉に応えるように、泥団子の人形は短い両腕を挙げて鳴いた。


「はは、神さまだ。どろだんごの神さまだ!」


 その瞬間、夢の外から呼ぶ声がした──




「──いっ、先輩っ。起きてください」

「キュイ!」


 拓が目を覚ますと、旅の同行者である後輩社員の宮沢一穂の怒る目と視線が重なった。

 すぐさま視線を逃した拓は、ぼんやりする頭を揺り起こすように辺りを見回し、状況を確認する。

 たしか新横浜から新幹線に乗って、駅で買った崎陽軒の横濱チャーハンを食べて、そこまでは覚えている。

 で、もう静岡県か。新幹線は速いな。

 ひとつ伸びをした拓は、自分の膝の上に置きっぱなしだった弁当の空箱を退()かして、ようやく一穂への返事に至る。


「ん、どした」

「どした、じゃないですよ。ほら起きてください、富士山ですよ!」


 一穂が指差す車窓を寝ぼけ(まなこ)の拓が眺めると、幼少期から見慣れた日本一の山が視界に飛び込む。


「ああ、そう。今年の夏は雨が多いからな。お天気になってよかった……え」


 東京生まれ東京育ちの一穂には珍しい富士山だが、静岡生まれの拓には見慣れた山だ。

 それよりも、拓は気になった。


「……神さまの声がしなかったか」

「当たり前です。今日は、キュイくんも一緒に里帰りするんですから」


 小さな頃の拓が出会った、動く泥団子の人形。

 拓は、山中の石祠で見つけたから「神さま」と呼び、後輩社員の宮沢一穂は、その鳴き声から「キュイくん」と呼んでいる。

 どっちの呼び方で呼んでも反応するので、本人、もとい本人形は、自分の呼び方なんて気にしていないようだ。


 きょろきょろと視線を這わせる拓の目に、一穂の膝で寝釈迦のように(くつろ)ぐ、二頭身の泥団子の人形の姿が飛び込んだ。

 拓は慌てて辺りを見回して、声を潜める。


「おい宮沢、ダメだろ。神さまが他の人に見られちゃうだろ」

「えー、他の人なんて、この車両にはいませんけどぉ」


 少々舌足らずの甘い口調で、一穂は笑う。

 たしかに一穂の言う通りなのだから、拓は言葉に詰まった。

 【のぞみ】が最速の座についた東海道新幹線では、拓たちの乗る【ひかり】はすっかり私鉄の準急のような扱いだ。

 しかし悲しいかな、目的地である拓の故郷の静岡駅には、東海道最速の【のぞみ】は停車しない。 

 通勤時間帯ならともかく、平日の昼に【ひかり】に乗る客は少ない。


「キュイくんも、ずっと狭いバスケットの中は嫌だよねー」

「キュイ、キュイキュイ!」

「ねー、そうだよね」


 どうやら二人の間では、意思の疎通が成立しているらしい。

 拓と泥団子人形=神さまとの付き合いは二十年。

 対する後輩社員の宮沢一穂は、神さま=キュイくんと会ってから数ヶ月しか経っていない。

 なのに一穂は、拓が二十年以上かけても突破出来なかったコミュニケーションの壁を、あっさりとブチ破っていた。

 非常に悔しい思いの拓だが、今はそれを悔しがっている場合ではなかった。

 大きな溜息を吐いた拓は、一穂の膝で呑気に寝そべる泥団子人形に手を伸ばす。


「神さま。もうすぐだから、おとなしく隠れていてくれ」


 拓の手が泥団子人形に届く寸前、一穂が身を引いた。


「助けて、キュイくん。拓先輩が私の下半身に手を、ああ」

「キュイ!」


 どろだんご人形は一穂の膝の上に仁王立ちになり、ちっこい両手をぶんぶんと振り回す。

 


「やめろ宮沢。その言い方、ものすごく誤解されるから」

「だーかーらー、他に誰も乗ってませんって」


 その時、車両どうしを繋ぐ扉が開いた。


「え」

「あ」

「失礼します、乗車券を……あっ」


 拓、一穂、車掌さんの声と視線が、微妙に交差して重なって、一瞬のうちに気まずい空気が醸成された。

 泥団子人形の神さまは、即座に動かない人形のふりをした。



 静岡駅到着のアナウンスが流れる新幹線の車内。

 拓は、あの車掌さんの罪人を見るような目を思い出していた。


「楽しい新幹線の旅でしたね〜」


 拓の後輩社員の宮沢一穂は、肩を落とす拓に笑顔を向ける。


「ひどい目に遭った……」

「ふふ、キュイくんや私をそっちのけで寝ていた罰です」


 そんな、短く長い旅路の果て。

 目的の静岡駅のホームに、望月拓と宮沢一穂、そしてどろだんごの神さまを乗せた新幹線は停車した。


「暑い……」

「真夏ですからね〜」


 静岡駅のホームへ降りた途端に、真夏の湿った熱風が拓たちを抱え込む。

 一瞬でげんなりした拓は、すぐに横浜に帰りたくなる。

 よれよれの拓のポロシャツの襟はあっという間に汗を吸い、色が変わる。

 涼しげなワンピース姿の一穂はといえば、神さまが隠れた籐編みの四角いバスケットの水平を保ちつつ、日傘の用意の最中だ。


「はい、先輩。日傘ですよ」

「まだホームだろ……」

「えへ、そうでした」


 日傘と同時に片目を閉じる一穂に動揺しつつも、拓の足は自然とホームの売店へ向く。

 今日は有給休暇。

 昼間のビールも美味いが、静岡駅といえば東海軒の幕の内弁当だろう。

 一見ただの駅弁だが、ひとつひとつのおかずが美味く、さらにご飯が絶妙に美味いのだ。

 しかし鯛めし弁当も捨て難いな、などと普段の単独出張の如く独歩する拓の汗まみれのポロシャツを一穂が引っ張る。


「もう、先輩!」

「ああ、悪い。いつもの出張の癖で」


 拓と一穂が勤める会社は、地質調査が主な業務だ。

 日本各地を飛び回り、時には山間部の地質調査も請け負っている。

 その会社の営業部に属する拓は、ひとりの出張が多いせいか、ある種の旅のルーティンが出来上がっていた。


「今日は仕事じゃないんですからね。里帰りなんですからね」

「悪かった」

「じゃあ、手を出してください」


 拓は荷物を押し付けられるのだと思い、素直に手を差し出しす。

 その手を一穂がキュ、と握ったものだから、たちまち拓の頭はパニックを起こした。


「お、急げば東京行きの新幹線に間に合うぞ」

「なにしれっと帰ろうとしてるんですか。先輩の里帰りは、始まったばかりですよっ」

「その俺の里帰りに、なんで後輩くんがいるのでしょうね……」

「何か文句でも?」

「……ありません」


 一穂は汗で湿る拓の手を引いて、静岡駅の北口を出る。

 生まれ故郷の駅で連行される身となった拓は、真っ赤な顔を伏せて一穂に従った。

 駅を出ての最初の目的地は、駅の北口から近いレンタカー屋だ。

 そこで、拓が予約したセダンタイプの地味なレンタカーに乗り込む。


「ふるさとだよ、ふるさとだね、キュイくん」

「キュイ〜」


 レンタカーが走り出すと、一穂と神さま、キュイくんのコンビは、後ろの席で楽しそうにヒソヒソコソコソとしていた。

 拓は無人の助手席に開放感を憶えながらハンドルを握る。

 寂しさや疎外感はないが、それでも後部座席の楽しげな様子は気になった。


「まったく。はしゃぎ過ぎだよ、二人とも」

「だって先輩の住んでた山は、キュイくんにとっても故郷、なんでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「それにぃ、私はぁ、先輩の生まれた場所が見られるのでぇ、テンション爆上がりでーす」


 ……他人の故郷を見て、なにが楽しいのか。

 他人に興味がない、というより他人が苦手な拓は、自分の故郷で一穂のテンションが上がる理由がまったく解らない。

 当然といえば、当然だ。

 拓は、他人とのコミュニケーションの経験が圧倒的に少ない。

 幼少期はもちろん、多感な思春期でさえ、拓の遊び相手はどろだんごの神さまだけだったのだ。

 大学でやっと、研究や作業などの共通点を挟めば、「それなりに人と話せる」ようになっただけでも、拓にとっては格段の進歩なのである。

 そもそもこの里帰りだって、拓の後輩社員である宮沢一穂の提案、いやワガママ、いやゴリ押しであったのだ。

 それを拓は、断れなかったに過ぎない。

 

「ただの山だぞ。そんなの仕事で見慣れてるだろ」

「……先輩。私でなかったら泣いてますよ。シクシク」

「泣いてるじゃねえかよ」


 一穂の分かりやすいウソ泣きにだけ言い返して、そこで終わる。

 何故一穂が泣き真似をするのか、どうして泣きたいか、拓の思考はそこまで辿り着けない。

 そんな拓との時間を、一穂は苦労しつつも楽しんでいた。


 静岡駅前から山間(やまあい)へとレンタカーを走らせ、途中コンビニに寄り道したりして、四十分と少々。


「着いたぞ」


 拓と一穂の眼前に(そび)えるのは、ダイラボウと呼ばれる山。

 その一角が、どろだんごの神さまと出会った場所。現在は親戚の山だが、かつて拓の祖父が所有していた山だ。

 今日は、その山の(ふもと)に一軒だけある、ビジネス旅館に部屋を予約している。 

 その旅館の、拓の客室。

 一穂は、ゴネていた。


「ねー先輩、どうしても先輩と一緒の部屋じゃダメですかぁ?」

「ダメ」

「私が先輩と別の部屋だと、キュイくんが寂しがりますよー?」

「なら神さまは、宮沢の部屋に泊まってもらうか。な、神さま」


 神さまの鎮座する籐編みのバスケットを拓が開けると、神さまはキョトンとしていた。

 そんな拓の様子に長い溜息を吐いた一穂は、ゆっくりと首を振る。


「そういうことじゃない、と絶叫していいですか」

「やめとけ、近所迷惑だ」

「……シクシク」


 一穂の心中はさておき、会社の先輩後輩の関係でしかない二人は、もちろん部屋は別々だ。

 そこで困ったのはどろだんごの神さま、キュイである。

 バスケットから出て、二人の間でキョロキョロと迷った神さまは、珍しく少し落ち込んだ様子の宮沢一穂の横へテケテケと駆けて、その膝をポンポンと軽く叩く。


「キュイくん……ありがとうね」


 どろだんごの神さま、男前である。

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