魔王妃について
「と、いうことで改めて魔王妃様じゃ」
翌日、わたくしはまた幹部の方々と会った。
まだ妃になることに頷いたわけではないけれど、魔族からしたら、魔王であるエヴァルト様が決めたことは絶対なのだ。
アレクシア様の言葉にカーテシーを行う。
「リッチのレイチェルです。あの、わたくし、まだエヴァルト様の妃になることを受け入れてはいないので、やっぱり魔王妃と呼ばれて良いものなのか……」
「名前を呼べんから仕方がない。まさか『おい、リッチ』と呼ぶわけにはいかんしの。暫定的な呼び方じゃて」
「それはもはや決定事項なのでは……?」
他の方々はわたくしを魔王妃と呼ぶのは嫌だろう。
アレクシア様は、ほほほ、と笑う。
否定しないところは正直ではある。
「ファウスト様が決めたことに否やはない」
ドラゴンのヴィルヘルム様が言った。
それに他の方々が頷く。
「気に食わねえ部分はあるが、魔王様を復活させてくれたのは事実だしな。まあ、少しは信用してやってもいい」
「魔王様って想像以上に素敵な方だったわ〜。望まれるなんてあなたが羨ましい〜」
「ああ、ファウスト様、ついに彼の方も愛という美に目覚めてしまわれたようだ! なんとめでたいことか! 祝いの宴を準備しなければ!」
……一人だけ変な方がいるけれど。
「待て、まだ魔王妃様はファウスト様の妃になることを受け入れたわけではない。余計なことをすると後が怖いぞ」
アレクシア様が呆れた顔をする。
ちなみにこの少し変わった男性は、黄金色の短髪に赤い瞳をした吸血鬼で、アレクシア様と同じく吸血鬼の始祖の一人らしい。
アレクシア様いわく、弟分、とのことだった。
「なんと?! あのファウスト様に求められて頷かないとは、何が不満なのかい?!」
ぐわっと迫られて少し驚いた。
「え、い、いえ、エヴァルト様に不満はございませんが……」
「では何故頷かないんだい?!」
更にずずいと迫られて思わず身を引く。
「わたくし、自分のことを自分で決めたことがなかったのです。それに急に言われても、すぐには信用出来ません。人間だから魔族だからというのではなく、一度捨てられた身としては、もう二度と同じことを繰り返したくはありませんから」
「待て、自分のことを決めたことがないってのはどういうことだ?」
ウェアウルフのロドルフ様に訊き返される。
わたくしはそれに苦笑した。
「お話した通り、わたくしは元公爵令嬢でした。そして幼い頃よりイングリス王国の王太子の婚約者として、王太子妃、ひいては王妃となるべく、教育を受けて参りました。ドレス、身につける装飾品、髪型、立ち居振る舞い、話す内容、全てが決まっていて、わたくしはその通りにしていたのです」
ロドルフ様が牙を剥いた。
「何だそれは。ちょっとおかしいんじゃないか? じゃあ、テメェ……っと、魔王妃様はずっと周りの言う通りに過ごしてたってことか?」
「ええ、そうですわ。今思えば愚かでした」
それでもあの当時のわたくしは必死だった。
王太子の婚約者という立場はわたくしにとって、唯一の居場所であり、自分の価値であった。
王太子の婚約者でなくなったら、もう、わたくしはなんの価値もなくなってしまうと思っていた。
だから教育係や王妃様の言葉は絶対だった。
そんなわたくしを王太子が好いていなかったことも、本当は前から気付いていたけれど、わたくしは王妃様や教育係の言葉に従い続けた。
聖女ユウリが現れてからも、王妃様の「あなたに魅力がないから悪いのです」という言葉を信じて、わたくしが悪いのだと思っていた。
……でもわたくしは何も悪くないわ。
まさか聖女によって冤罪をかけられるとは。
「だからこそわたくしは考えているのです。エヴァルト様の妃となることがわたくしにとって最善の道なのか。信じられるのか。……それをわたくしも知りたいのです」
誰も信じられない。
でも、信じられる存在が欲しい。
それは本心で、だから、すぐに拒絶出来なかった。
レイチェル=シェリンガム公爵令嬢として生きてきた頃は誰からも求められることがなかった。
今になって求められることに自嘲が漏れる。
「なら、ファウスト様が嫌だというわけではないと?!」
吸血鬼の男性、ファーレン・テイン様に訊かれて、わたくしはまた身を引きつつ、頷いた。
「え、ええ、エヴァルト様のことは嫌いではありません。こうしてわたくしを魔族の一員として迎え入れてくださったことには感謝しております」
「であれば、まだチャンスはある──……!」
「テインよ、おぬしは少し黙っておれ」
ドゴォ、とアレクシア様の拳がファーレン様の腹部に埋まる。
ファーレン様の足が一瞬宙に浮いて、その体が少し吹っ飛んだ。
「あと魔王妃様に近付きすぎじゃ。あまり距離が近いと魔王様に躾けられるぞ?」
床にファーレン様が転がる。
全員が呆れた顔をしてそれを見る。
ファーレン様が、ごほ、とむせた。
「ああ、相変わらず姉上の拳は刺激的だ……」
どこか嬉しそうな響きにわたくしは若干引いた。
アレクシア様がそれを無視する。
「とにかく魔王妃様は幹部の一員でもある。それを各々の配下にも周知させるようにの。この魔力量と気配を見て、手を出す輩はいないとは思うが、魔王妃様に何かあれば魔王様の逆鱗に触れるのじゃ」
「分かっている」
アレクシア様の言葉にヴィルヘルム様が頷く。
「おい」とロドルフ様に声をかけられる。
「テ、魔王妃様も、気を付けろよ。中には魔王様の意を無視する馬鹿がいるかもしれねーからな」
それに少し考える。
「魔族は弱肉強食、強い者が正義、なのですよね?」
「あ? ああ、そうだ」
「手を出してくるような者は、容赦しなくてもよろしいでしょうか?」
わたくしはもう我慢はしない。
黙っていることは良い結果に繋がるとは限らない。
そして、時には抵抗することも大事だと学んだ。
「まあ、叩きのめせばいいんじゃねーか? だが、殺すなよ。よほどの理由がなきゃ同族殺しはダメだ。もし殺すなら魔王様の許可を取れよ」
「分かりました」
殺すな、ではなく、許可を得てから殺せ、か。
本当に魔族というのは面白い価値観だ。
……でも、そうね。
わたくしももう人間ではないのだから、人間の価値観は捨てるべきなのかもしれない。
わたくしはリッチのレイチェルなのだから。
* * * * *
ふ、と魔王妃が微笑んだ。
そのどこか凄みのある笑みにロドルフが半歩引いたのを、アレクシアは内心で面白いと思いながら眺めた。
ただの興味本位で拾ってきた娘が、まさか聖女イルミナの子孫だったのは予想外であったものの、結果的に、魔王の復活に繋がったのは僥倖であった。
……それにしても、妃とはのう。
魔王とアレクシアは旧知の仲だが、あの魔王が誰かを娶るなどというのは初めてのことだ。
それも元人間、聖女の生まれ変わり。
だが確かに殺すよりは良い選択だ。
リッチは不死者であり、この魔王妃は死霊術が得意だと言っていた。ゾンビやスケルトンは即席だが、軍の先行部隊としては役に立つ。
どれほどの力量かは不明だが、そこそこの数を扱うことが出来れば、人間との戦いで魔族側の消耗を抑えられる。
それに元人間なので、人間側の事情にも明るいだろう。
魔王を復活させただけでも喜ばしいことだが、魔王軍の戦力が増えるという意味でも迎え入れるべきだ。
魔王様を封じることが出来るのは魔王妃だけ。
だが、婚姻関係を結び、仲間とすれば、裏切られる可能性も減らせるかもしれない。
裏切られることのつらさを知っているこの娘なら、一度仲間となれば、そう簡単には裏切らないだろう。
話していると部屋の扉が開かれた。
「ここに居たか」
魔王妃を除いた全員が首を垂れる。
来訪者は我らが主君たる魔王だった。
魔王妃も慌てて礼を執ろうとしたが、それを魔王が手で制した。
「レイチェル、あなたはそんなことをする必要はない。ここでは何を?」
「皆様と話しておりました。今は魔王軍の一員ですから、仲を深めようと思いまして」
「それは妬けるな」
近付いた魔王が、魔王妃の手を取った。
その手に魔王が口付ける。
「その関心をもう少し私にも向けて欲しい」
低く、甘やかな声に魔王妃が恥ずかしそうな、戸惑ったような顔をする。
どうやら魔王妃は男性慣れしていないらしい。
「その、関心はございます……」
それに魔王が微笑んだ。
「そうか、それは良かった」
そうして魔王は魔王妃を引き寄せる。
「だがもっと私に興味を示してほしい。私はあなたのことを知りたい。どうか、私にあなたを知る機会を与えてはくれないか?」
魔王の腕の中で魔王妃が小さく頷いた。
そして、魔王が魔王妃を連れて部屋を出て行った。
アレクシアはそれを見送った。
……今は邪魔をしない方が良かろうて。
扉が閉まり、足音が遠ざかると、全員が立ち上がる。
「ああ、ファウスト様! なんと麗しきお方! 魔王妃様は何故頷かないのだ! あれほど素晴らしきお方はこの世のどこを探してもいないというのに!!」
大袈裟な身振りで騒ぐテインの横腹を、アレクシアは殴りつけた。
「喧しい」
ぐふ、と声を漏らしたが、テインの顔は嬉しそうで、誰もそれに触れない。
この弟分は優秀ではあるものの、少々変わり者で、昔からこのような感じであった。
ロドルフがはあ、と溜め息混じりに頭を掻く。
「事情は聞いてるが、魔王様は本当に魔王妃様を妃にする気なんだよな?」
「うむ、恐らくは。口にしたことは曲げないお方だ」
「魔王様の意に背くわけじゃねーけど、魔王様の妃になるってんなら、それなりに実力のある奴じゃねーと俺もそうだが、他の奴らも納得しないぞ。ただ魔力量が多いってだけじゃあな」
魔王様を復活させた偉業はある。
しかし、それだけで魔族がついて来るわけではない。実力が物を言う世界が魔族なのだ。
「そこは今後の様子を見て決めてもいいのではないかしら〜?」
ヒルデの言葉にロドルフが小さく鼻を鳴らす。
「お前はあっさり受け入れるんだな?」
「あら、だって魔王様がお決めになられたんですもの、私はそれに従うだけよ〜」
「もうちょっと考えろよ」
ヒルデが腰に手を当てて少し頬を膨らませる。
「まあ酷い。これでも私だって色々考えてるわ〜。イングリス王国の王太子の婚約者だったということは、国の内情をよく知っているはずよ。そしてイングリス王国には聖女がいるわ。あの国を落とせば、他の人間の国の勢力も削ぎ落とせると思うのよ〜。今、人間側の勢力の中心はイングリス王国でしょ?」
そう、ヒルデの言う通りだ。
人間側の勢力の中心は聖女のいるイングリス王国であり、そこを落とせれば、あとは散り散りになるだろう。
人間の国は今は魔族に対峙するために協力し合っているが、魔族と違い、同族同士で戦争を行うこともある。
イングリス王国の内情を知る者がいれば、攻め込みやすい。
王太子の婚約者であったなら、国の内情や人間側の軍の状況を知っていても不思議はない。
異界から召喚されたという聖女の情報も聞き出せれば、何か、対抗する手立ても見つかるかもしれない。
聖女の使う浄化魔法は厄介だ。
魔族を弱体化させる聖属性の広範囲魔法で、弱い魔族だと死んでしまうこともある。
「それは、まあ、そうだが……」
ロドルフは微妙な顔をした。
魔王妃のことを完全に信用したわけではない。
それはこの場にいる全員がそうだった。
だが、魔王を復活させたことを考えれば、人間側に戻るということはないだろうとアレクシアは考えている。
もし迷いがあるのならば復活させなかったはずだ。
「どちらにせよ死霊術の力は欲しいところじゃ。軍としてゾンビやスケルトンを増し、人間を先に弱らせてから叩けばこちらの損害は少なくて済むからの」
「ああ、それには少し期待している」
「おや、ヴィルヘルムがそのように言うのは珍しいのう?」
人間嫌いのドラゴンなので、魔王妃様の力を借りるのは嫌がるかもしれないと思ったが。
「人間を滅ぼすためなら多少の我慢は致し方ない。それにリッチならば魔族だ。元人間だろうと使えるものは使う」
「ほほ、そうじゃな、魔王様が目覚められたとは言え魔族の数は全盛期に比べれば大分少ない。人間は一人一人は弱いが数が多い。数には数で対抗するしかないのじゃ」
「あの魔力量で少数しか扱えないということもないだろう」
それにはアレクシアも期待している。
リッチは元々死霊術が得意な魔族だ。
そして魔王妃は人間だった頃から死霊術が得意だと言っていたので、リッチとなり、魔王様との繋がりを得て魔力量を増やし、生前よりも更に死霊術が強くなっているだろう。
「魔王妃様の力も見てみたいのう」
アレクシアの言葉に全員が頷く。
「じゃが、魔王様の邪魔をするのはさすがの妾でも怖い。魔王妃様から言ってくるまでは待った方が良いじゃろうて」
「……魔王様はそれほどに魔王妃様のことが気に入ってるのか?」
ロドルフの問いにアレクシアが笑う。
「先ほどのを見たであろう? 魔王様は本気で魔王妃様を娶るおつもりじゃ。あのように誰かを特別に扱うところは初めて見たぞ」
それにヴィルヘルムも黙って頷く。
「魔王様の逆鱗に触れたくなければ静観しておれ。彼の方は心は広いが、機嫌を損ねると同胞でも躊躇いなく排除する。妾はまだ死にとうない」
ロドルフは「そうか」と思案している風だった。
……さて、何もなければ良いのじゃが。
アレクシアのこういう時の勘はよく当たる。
* * * * *