魔王とわたくし
アレクシア様のドレスを借りて、案内されるまま魔王城の中を進む。
……どうしてこの大きさのドレスがあるのかしら?
わたくしよりもアレクシア様の方が小柄で細いのに、どういうわけか、わたくしの体の大きさに大体合うドレスを着せられた。
訊いてもアレクシア様は笑うだけだった。
そうして誰とも会うことなく、目的地に到着した。
「食堂じゃ。ここを使用するのは魔王様だけであったが、今日からは魔王妃様もここで食事を摂るように」
「アレクシア様達はどこで食事を摂っていらっしゃるのですか?」
「妾は己の部屋で摂るが、ヴィルヘルムやロドルフ達は下の食堂であるな」
「下?」
どうやら今わたくしがいるのは魔王城の上層部で、普段、アレクシア様達は中層や下層で過ごしており、上層は基本的に魔王様の領域らしい。
「わたくしが上層にいて良いのでしょうか?」
他の魔族と同様に中層や下層にいるべきではないか。
アレクシア様が首を振る。
「魔王妃様は妃に選ばれた身。魔王様と同等の地位と扱いを受けるべき立場になったのじゃ」
「でもわたくしはまだ頷いては……」
「魔王妃様の返答なぞ関係ない。魔王様が妃にすると決めた。妾達魔族にとって重要なのはそれだけじゃよ」
人間と魔族とでそういった感覚というか、価値観なども違うのだろう。
もしかしたら人間よりもずっと『王』の持つ力は大きいのかもしれない。
「まあ、気になることは魔王様に訊くが良い」
アレクシア様が目の前の扉を開ける。
相変わらずどこも真っ黒な室内には、大きな暖炉があり、テーブルがあり、そしてテーブルの先に魔王様が座っていた。
「魔王妃様を連れて参ったのじゃ」
「ご苦労」
アレクシア様に連れられてテーブルの横を進み、魔王様の斜め前の椅子を、アレクシア様が引いた。
ここに座れということらしい。
座ると、アレクシア様が下がって行った。
代わりにゴトゴトと料理の載ったワゴンが近付いてくる。誰もいないのに動いていた。
「よく休めたか?」
魔王様に問われて頷いた。
「はい、お部屋をありがとうございます」
「気にするな。今は暫定的にあの部屋になっているが、妃となった際にはもっと良い部屋へ案内しよう」
ふわふわと料理の皿が浮いて、テーブルに並べられていく。
魔王様が気にした様子がないので、ここではこれが当たり前なのだろう。
料理は人間のものと同じように見える。
「話は食べながらするとしよう」
魔王様が食器に手を伸ばしたので、わたくしもフォークとナイフを手に取った。
……あら?
魔王様のお皿とわたくしのお皿とで料理の量が違う。
わたくしのお皿の方が大分少ない。
もしかしてわたくしが食べられる量にしてくれたのだろうか。
「レイチェルよ、あなたの心が決まるのを待つと言ったが、まずは私のことを知って欲しいと思っている。互いのことを知らなければ頷けまい」
食事をしながら魔王様が言う。
「あなたのことも知りたい。けれども、言いたくないことは言わなくても良い。レイチェルの話したいことを話してほしい」
わたくしはそう言われて困ってしまった。
今まで、そのように言ってくれた人はいなかった。
王太子殿下の婚約者として社交も行なっていたけれど、夜会やお茶会などで出る会話はいつも細心の注意を払っていた。
自分の話したいことを話すことなどない。
戸惑うわたくしに魔王様が小さく笑みを浮かべる。
「そうだな、自己紹介から始めよう。私はエヴァルト。皆からは魔王ファウストと呼ばれているが、レイチェルには魔王やファウストではなく、エヴァルトと呼んでもらいたい」
「……エヴァルト様?」
「ああ」
名前を呼ぶと嬉しそうに魔王、エヴァルト様が目を細めて頷いた。
「どうして他の方はエヴァルト様のお名前を呼ばないのですか?」
「私は力が強過ぎる。本来、名とは個を示すもので、その者自身である。力の弱い者が私の名を呼ぼうとすると、名に込められた魔力を消費する。普通ならばそれは微々たるものだが私の場合は消費量が多い」
「それだとわたくしも魔力が消費されるのでは?」
でも、エヴァルト様の名を呼んでも魔力が減った感じはしなかった。
エヴァルト様が首を振る。
「あなたと私は魔力によって繋がりが出来ている。言わば、常に手を繋いでいるようなものだ。あなたがいくら私の名を呼び、魔力を消費したとしても、それは私に流れ、繋がりからあなたへ帰っていく」
つまり、わたくしとエヴァルト様との間で魔力が循環しているだけということか。
だからわたくしはいくらエヴァルト様の名前を呼んでも問題ない。
「私とあなたは互いに魔力を共有しているようなものだ。あなたの魔力が減れば私から流れ、私の魔力が減ればあなたから流れてくる」
それはある意味では凄いことなのではないか。
「今の私は全盛期とほぼ同じだけ魔力が戻っている。あなたが好きなだけ魔法を使用しても問題ないくらい。もしイングリス王国に広範囲魔法を打ち込みたくなったら、遠慮なく使ってくれ」
さらりととんでもないことを言う。
広範囲魔法なんて使える人間はまずいない。
あまりにも魔力の消費が大きいからだ。
……でも、もし、使えたとしても。
「いえ、それはやめておきます。魔法で殺すのは一瞬ですから。わたくしは、わたくしが受けた苦しみをイングリス王国と聖女ユウリ、王太子に返したいと思っておりますので」
「なるほど」
エヴァルト様はわたくしの言葉に納得したようだった。
「確かに一瞬で終わらせるのは優しすぎるな」
……さすが魔族。人間とは感覚が違うのね。
「わたくしからも質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、好きなだけ訊いてくれ」
「わたくしが妃となるならば復讐を手伝ってくださるとおっしゃっていましたが、妃になることを拒否した場合はどうなるのですか?」
エヴァルト様の唇が薄く弧を描く。
「手伝うことはない。が、あなたは私に最も近しい幹部となるだけだ。まあ、皆はあなたを私の妃として扱うだろうが」
それにふと思い出す。
「魔族は皆そうなのですか?」
「そう、とは?」
「魔王様の決めたことに絶対服従するということです」
エヴァルト様が頷く。
「魔族は強き者が正義だ。大事なのは力。そして私は魔族の中の王。強き者が是と言えば、是とされる。それだけのことだ」
「元人間のわたくしを嫌がる者も出てくるでしょう」
「それを捩じ伏せるのが私の役目だ。もし妃にならなかったとしても、必ず幹部の座につけるようにしよう。だが私の力などなくてもあなたに刃向かう愚か者はそういないだろう」
「何故そう言えるのですか?」
「あなたからは私の魔力の気配を感じる。あなたは今、魔王と同等の魔力量を有しているのだ。力の弱い魔族は自然とあなたに従うはずだ」
……先ほどの魔力の共有ね。
悪くない話である。
妃となれば魔王と同等の立場に立ち、魔族を率いてイングリス王国に攻め込むことも出来るだろう。
妃にならなくとも、魔王軍幹部として過ごしていくうちに、いつかはイングリス王国と戦うことになる。
どちらにしてもわたくしにとって損はない。
裏切られなければの話だけれど。
「それでしたらわたくしが『イングリス王国に攻め込む』と言えば皆、従うでしょうか?」
エヴァルト様が小さく笑う。
「いいや、魔王たる私が頷かなければ従わないだろう。あなたと私とでは、私の方が強い。それに魔族は皆、私と繋がっている。私の意に沿わぬことはしない」
「繋がっている?」
「上手く表現するのは難しいが、あなたと私が繋がっているように、私は魔族とも特別な繋がりがある。魔族が増えれば私の力は強まり、私の力が増えることで魔族はより強くなる。その点では魔族は皆、あなたに感謝するだろう。魔王を目覚めさせ、復活させたあなたは魔族の英雄だ」
……それは喜んでいいものなの?
魔族には悪いけれど、わたくしはわたくしの願いを叶えるためにエヴァルト様を復活させた。
魔族のためではない。
「わたくしは繋がっておりませんの?」
「元人間は繋がっていないな」
「そうですのね……」
……結局、わたくしはここでも仲間外れ。
いや、元から仲間ではないか。
わたくしは聖女の子孫で、魔族からしたら憎むべき存在で、そうそう受け入れられることはないだろう。
アレクシア様は親切にしてくれるけれど、他の者達もそうとは限らない。
「他の者との繋がりは必要か?」
エヴァルト様の言葉に顔を上げる。
「……いいえ」
今までもひとりぼっちだったのだから、今更だ。
「あなたと繋がっているのは私だけであってほしい」
私は強欲なのだ、とエヴァルト様が笑う。
同時にエヴァルト様から闇属性の魔力を感じた。
どうしてか、その感覚に酷く安堵する。
「……その、わたくしを妃にする話ですが、もしわたくしが妃となった際には何をすればよろしいのでしょうか?」
安堵したことが何故か恥ずかしく思えて、こちらから別の話題を切り出せば、エヴァルト様が「ふむ」と首を傾げる。
「特にするべきことはない」
「え?」
「あなたの好きなことをすれば良い。イングリス王国に復讐し、それでも恨みが晴れなければ、好きなだけ人間を殺しても良いし、怠惰に過ごしても構わない」
「妃としての仕事はございませんの?」
わたくしはイングリス王国で王太子の婚約者だった。
本当に結婚したかは別としても、王太子妃となるべく教育を受け、努力してきた。
いつか王となる方を支えるために。
「私は妃に仕事を押しつけるほど無能ではない。何より、大抵のことは幹部達だけで事足りる。私自身もさほど仕事は多くない」
「そう、なのですね……」
……好きなこと……。
「ああ、一つだけあなたにしてほしいことがある」
「なんでしょう?」
「妃として、夫となる私を愛する努力だ。私もあなただけを妻として愛するが、あなたが他の者に目を向けるのは面白くない」
それにわたくしは目を丸くした。
「名実共にわたくしを妻として迎え入れるということですか? ……初代聖女の生まれ変わりであり、エヴァルト様を封じることが出来るわたくしを縛りつけるために妃という立場を与えるおつもりなのでは?」
「確かにその意味もある。しかし、それだけならば幹部に据えておけば良いことだ。妃の立場まで与える必要はない」
エヴァルト様がグラスをテーブルへ置く。
「私があなたを妃に迎えようと思った理由は二つある。一つはあなたの魂が美しかったから。もう一つは、私の能力の一部があなたには効かないからだ」
空いた手でエヴァルト様が自身の額に触れた。
手を離すと、その額に縦向きに第三の目が現れた。
ギョッとするわたくしを他所に、三つの目がわたくしを見る。
「ああ、やはりあなたの魂は美しい」
感嘆の溜め息混じりに言われる。
「魂はその者の性格や人生が表れる。罪を犯せば犯すほど、欲に塗れるほど、魂の色は淀み、汚れていく。けれどあなたの魂は美しいままだ。これまで清く真面目な人生を歩んできたのだろう」
わたくしは自分の魂を見せられた時のことを思い出した。
ほのかに青みがかった白い炎。
「でも、わたくしの魂には赤黒いものが混じっていたはずです」
「あれは怒りや憎しみの色だ。魂に表れるほど、あなたの感情が強く、深く、そして純粋だということだ。ただ清いだけの魂などつまらない。その負の感情も合わせてあなたは美しい」
……どうしてかしら。
今まで『美しい』と評されることは多々あった。
それが本心でないにしても、容姿だけのことだったにしても、美しいと言われることはあった。
けれどもわたくしの心は動くことはなかった。
……どうして、こんなに嬉しいのかしら……。
「……ありがとうございます」
これまでのわたくしを否定されなかったから?
この憎しみや怒りすら認めてくれたから?
……分からない。
わたくしは今、上手に笑えているだろうか。
「二つ目の能力の話だが、私のこの目を見て、あなたはどう感じた?」
この、と第三の目を示されて考える。
「少し驚きはしましたが、特には……。その第三の目にはどのような能力があるのでしょうか?」
「見た者の記憶や心を覗くことが出来る。それだけでなく、威圧したり魅了させたりも可能だ。だがあなたには読心は効かない。だからこそ妃にほしい」
「心の読めない相手をそばに置くのですか?」
「ああ、心が読めるというのは案外鬱陶しいものだ」
エヴァルト様がもう一度額に触れる。
手を離すと第三の目はなくなっていた。
「もちろん、あなたの容姿も気に入っている」
口元を拭い、エヴァルト様が立ち上がった。
わたくしのそばへ来ると、膝をついた。
「初代聖女様とよく似て、嫌ではありませんか?」
エヴァルト様が目を細めて笑う。
「私から見たら似ているのは色彩だけだ。だが、そうだな、強いて言うならあなたはもう少し自信を持つべきだ」
そっと手を取られる。
「この魔王が求婚した唯一の存在だと誇りを持て」
手の甲に口付けが落とされた。
「私の運命はあなただけだ」
それからのことはよく覚えていない。
気付いたら部屋に戻っていた。
頭の中も心も混乱していたけれど、エヴァルト様に口付けられたところがずっと熱を持っているように熱く感じて、顔が赤くなる。
……求婚、そう、求婚だったわ。
妃にと言うのはそういうことだ。
あんな風に求められたことなんてなくて、吐き出した息が震えてしまう。
思えば、自分のことを自分で決めること自体が初めてである。
着るドレスも、身につける装飾品も、仕草や言葉遣いも、全て王太子妃になるために定められたものばかりだった。
……わたくしは今、自由なのね。
それが少し、怖い。
怖いけれど、安堵もしている。
もう誰の顔色も窺わなくていい。
もう誰の目も気にしなくていい。
不意に笑いがこみ上げてきた。
死んでからやっとわたくしはわたくしとして生きられるだなんて、馬鹿な話だった。