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目覚め

 






 ふわ、と何かが頭に触れる。


 それはブラシのように髪を梳いていく。


 その感触が心地良い。


 何故だか体の右側と下側が温かい。


 温もりにくっつくと頭上から、さざめきのように低い、小さな笑い声がした。


 ……わらい、ごえ?


 思ったよりも近い位置から聞こえたそれに目を開けて、そして、硬直した。




「私の運命よ、目は覚めたか?」




 銀髪に真紅の瞳、褐色の肌をした、非常に見目の良い男性がそこにいた。


 思わず身を引こうとしたけれど体は動けなかった。


 そこで、わたくしが今どこにいるのか理解した。




「?!」




 ……わ、わたくし、どうして魔王様の膝の上に?!


 慌てて降りようとしたが、がっちりと魔王様の腕に固定されて動けない。




「な、ど、えっ……?!」




 こんなに男性と密着したことなどない。


 混乱していると魔王様がまた笑った。




「落ち着け、私の運命」


「お、落ち着けません! 下ろしてください!」


「それは聞けない相談だ」




 宥めるように頭を撫でられる。


 それにわたくしは更に衝撃を受けた。


 誰かに頭を撫でられるなんて、初めてだった。


 もしかして先ほど感じた髪を梳く感触は、ブラシなどではなく、魔王様の手では……。


 もう心臓など止まっているのに、ドキリと動かないはずの心臓が大きく鼓動を鳴らした気がした。


 辺りを見回せば、そこはやけに広い場所だった。


 魔王様は数段高い場所にある豪奢な椅子に座っており、数段下には、アレクシア様達が膝をついていた。




「ア、アレクシア様……?」




 名前を呼ぶとアレクシア様が顔を上げた。




「魔王妃様、お目覚めになられましたかの?」




 ……まおうひ、さま?




「まおうひ、とはなんですか? わたくしはどうして魔王様の膝の上にっ?」




 混乱するわたくしを魔王様が抱き寄せる。




「あなたは私の運命、私の恩人、そして私の妃となる存在だ」


「妃? 魔王様、その、運命とはどういう意味ですか? わたくしは一体……」




 そっと唇に魔王様の指が添えられる。




「まず、あなたは三日間眠り続けていた。私に魔力の殆どを与えた影響だろう。だから私はあなたの魔力が回復するまであなたを守っていた」




 そこで気を失う前のことを思い出す。


 ……そう、わたくしは魔王を復活させた。




「魔王様自らがわたくしを守るだなんて」


「あなたは私の封印を解き、魔力を与え、復活させてくれた恩人だ。こう見えて私は恩を忘れない」


「……妃というのは? それも恩人だからですか?」




 魔王様が首を振った。




「いいや、それは違う。あなたが私の運命だからだ」


「意味が分かりません……」




 その、私の運命、という言葉が分からない。


 魔王様は「そうだろうな」と頷く。




「それについても説明しよう」




 魔王様が片手を上げて、それを横に振ると、空中に半透明の絵がいくつも現れた。




「これは八百二十四年前、聖女イルミナと戦った時の記憶だ。この女がイルミナだ」




 絵の中にいる女性を魔王様が指差した。


 金髪にピンクレッドの瞳を見て、ハッとする。


 その女性はわたくしにとてもよく似ていた。




「聖女をよく見るがいい」




 魔王様がわたくしの額に軽く触れた。


 すると絵の中の女性の胸元に青みがかった白い炎のようなものが見えた。




「これはなんですか……?」


「魂だ。私には生き物の魂の色を見ることが出来る。……そして、これがあなただ」




 もう一つ絵が現れた。わたくしがいる。


 やや上から覗き込むような格好をしていて、恐らく、魔王様が目を覚ましてすぐに見たわたくしの姿なのだろう。


 その胸元にも青みがかった白い炎があった。


 ただしわたくしのそれには、同じくらいの量で、赤黒い炎が混じっていた。




「レイチェル」




 低い声に名前を呼ばれて、またドキリとする。




「聖女イルミナの子孫であると同時に、あなたはその生まれ変わりでもある」


「生まれ、変わり……」




 そんな、と思った。


 前世のわたくしは異世界の人間だったはずだ。


 初代聖女様の生まれ変わりなどではない。




「いいえ、違います。だってわたくしは闇属性を持っています。聖女の生まれ変わりならば、聖なる魔力を持っているはずです」




 そのせいでわたくしは聖女にはなれなかった。


 一応、聖女の子孫として表向きは扱われてきたけれど、家族も王家も、王太子殿下もわたくしを本物の聖女とは思っていなかった。


 むしろ聖女の子孫でありながら、闇属性の魔力を持つわたくしは疎まれていた。




「どの属性を持って生まれるかは運に過ぎない。そもそも、聖女イルミナは聖属性が最も強かったが、闇属性魔法も多少は扱えた」


「そうなのですか?」


「ああ、私もあれには驚かされた。あれは正反対の二属性を持った女だった」




 魔王様に見下ろされる。




「レイチェル、あなたは浄化魔法を扱えるか?」


「え? ええ、多少なら……」


「では聖女イルミナとは逆に、闇属性の魔力を主に、僅かに聖属性の魔力も有しているのだろう。浄化魔法は聖属性持ちにしか使うことは出来ない」




 ……わたくしにも聖属性の魔力がある?


 呆然としていると魔王様が続きを語る。




「私を封印出来るのも、解放出来るのも、聖女イルミナかその子孫だけだ。しかし、私を完全に復活させるには闇属性の魔力も必要だ」




 だが、と魔王様が言う。




「人間で闇属性持ちは珍しい」




 それにツキリと胸が痛んだ。


 ……わたくしは……。




「聖女の子孫で、同じ魂を持ち、私を完全に復活させられるのはあなたしかいなかった。そして、今、私とあなたは魔力を介して繋がっている」




 手を取られ、魔王様の胸元へ手の平を当てさせられる。


 どくん、どくん、と心臓の鼓動を感じた。


 それと同時に、確かに、そこに馴染んだ魔力を感じた。わたくしの闇属性の魔力だった。




「今の私は聖女イルミナと対峙した時よりも格段に強くなっている。あなたの魔力のおかげだ。もし私を封じられる者がいるとしたら、それは、あなただけだ」




 だから、わたくしは魔王様の運命。




「私の命運を握るのはあなただ」




 魔王様にジッと見つめられる。




「何故、わたくしを殺さないのですか? わたくしが魔王様を封じられるのであれば、殺してしまえば、もう危険はなくなります」




 ふ、と魔王様が笑った。




「先ほども言ったが、私は恩を忘れない」




 近付いてきた魔王様の顔が、額が、こつんとわたくしの額に軽く触れる。


 鼻先が触れ合いそうなほど距離が近い。




「話はアレクシアから聞いている。人間を、イングリス王国の者達を憎んでいるようだな。もし、私の妃となってくれるのであれば、あなたの復讐に魔族を使うのを許可しよう」




 まるで恋人に愛を囁くように、魔王様が言う。




「妃とは半身だ。私の妃となれば、あなたの受けた屈辱は私のものとも言える。喜んでイングリス王国に攻め込もう。あなたの復讐を手伝おう。……魔王わたしを利用すれば良い」




 それは確かにわたくしが望んでいたことだった。




「……魔王様に利はないように、思います……」


「そんなことはない。あなたが私の妃となってくれたら、私は私を唯一封じることの出来るあなたを味方につけられる」




 ……なるほど。


 わたくしを味方にする代わりに、わたくしの味方にもなってくれる。


 そうして聖女の子孫わたくしが手中にあれば、魔王様はまた封じられずに済む。


 でも、魔王様の妻になるということだ。


 ……すぐには信用出来ない……。


 また、捨てられるかもしれない。




「……少し、考えさせてください」




 わたくしはまだ誰も信用出来ていない。


 魔王様はそれに頷いた。




「分かった。あなたの心が決まるまで、いつまででも待とう。だが私の妃はあなただけだ。それだけは忘れないでほしい」




 魔王様の顔が離れていく。


 そっと持ち上げられて、膝から下ろされた。




「アレクシア・ルーンよ、レイチェルの身の回りの世話は後見人たるお前に任せて良いな?」


「ええ、承りましょうぞ、魔王様」



 アレクシア様が立ち上がり、わたくしに近付くと、そっと手を取られる。




「とりあえず、一度身綺麗にいたしましょう」




 と、言われて自分を見下ろした。


 処刑の時に着ていた囚人服のままだった。




「また後ほど会おう、レイチェルよ」




 魔王様が軽く手を振ると、視界が一瞬で変わった。


 そこは綺麗に整えられた部屋で、どこもかしこも真っ黒だけれど、品は良い。




「さあ、魔王妃様、汚れを落としましょう。お手伝いいたしますので」




 アレクシア様の言葉に戸惑った。




「あの、アレクシア様、わたくしのことはどうかレイチェルと。それに言葉遣いも今まで通りにしていただいて構いません」


「では言葉遣いだけは戻させてもらおうかのう。実はあの口調はわらわも苦手なのじゃ」




 ほほほ、とアレクシア様が笑った。




「じゃが名前は呼べん。たとえ魔王妃様が魔王様の妃とならなかったとしても、魔王様は魔王妃様を妃と定めてしもうた。その名を呼べるのはもう魔王様だけである」




 と、いうことだった。




「わたくしが魔王妃にならなかったら、どうなるのでしょうか……」


「ほっほ、ならぬのか? 妃となればイングリス王国に復讐出来るのじゃぞ?」




 それにわたくしは答えられなかった。


 心では迷っているけれど、頭では、魔王妃になるべきだと分かってはいる。


 たとえ魔王様に裏切られたとしても、イングリス王国さえ窮地に立たせることが出来ればわたくしはそれで良かった。


 ……一度は死んだ身だもの。


 今更、命など惜しくはない。


 ただ、心は頭ほど冷静ではなかった。


 ……もしもう一度捨てられたら……。


 あの絶望感をまた味わうことになるのだろうか。


 アレクシア様がわたくしの肩に手を置いた。




「何にせよ、これからは妾が魔王妃様の後見人兼世話役となるからの。困ったことがあれば何なりと妾に言うが……」




 そこまで言いかけて、ふとアレクシア様が笑う。




「いや、困ったことがあれば魔王様に言うが良かろうて」


「アレクシア様ではなく?」


「うむ、魔王様も魔王妃様に頼られた方が喜ぶじゃろう。安心せよ。彼の方はああ見えて心の広い方である。おぬしの我が儘なぞ、いくらでも聞いてくれようぞ」




 ……それは言い過ぎではないかしら。


 でも、どうせ魔王軍にいることになるのなら、しばらく様子を見てから決めても悪くないかもしれない。


 少なくとも魔王様は待つとおっしゃった。


 それすらも信じていいのか悩んでしまう。




「とにかく、魔王妃様は魔王軍ここで過ごせば良いのじゃ。魔王妃様が躊躇うように、魔族の中にも魔王妃様に対して思う所のある者もおるだろう。すぐに決めずとも良いのではないか?」




 肩に置かれた手に少し力がこもる。




「さて、難しい話はここまでにしようぞ」




 アレクシア様がにっこりと笑う。


 それから、わたくしは問答無用で入浴させられたのだった。


 処刑される前も地下牢に入れられていたので、お世辞にもわたくしは綺麗ではなかっただろう。


 入浴したら湯が結構汚れたので恥ずかしくなる。


 ……わたくし、こんな汚れた状態で魔王様の膝にいたのね……。


 ちなみにアレクシア様が言うには、不死者は汗をかかないし、食事や睡眠も不要らしい。




「じゃが、皆に合わせて生活した方が良いじゃろうな。食べて、寝て、心を落ち着ける時間がないとな。まだ混乱しておろう?」




 入浴後に軽食を少し食べる。


 地下牢で過ごした時間のせいか食事量が落ちてしまっていて、アレクシア様に「もう食べないのか?」と驚かれた。


 まともな食事は久しぶりだったけれど、胃が受け付けなかった。


 それからベッドへ放り込まれる。




「何か用があればそこのベルを鳴らせ。妾か、妾の配下の者が来る。夕食の少し前に来るからの。それまで休んでおれ」




 アレクシア様が「ではの」と片手を上げて部屋を出て行く。


 ベッドの上からそれを見送り、思う。


 ……あの細く小柄な体のどこから、わたくしを抱え上げられるだけの力が出るのかしら。


 しばし周囲の音に耳を傾けてみても、静かだ。


 ベッドはふかふかで、地下牢の板張りのベッドとは違い、わたくしの重みを柔らかく受け止めてくれる。


 そっと寝転がれば心地良さに包まれた。


 色々なことがあって少し疲れた。


 どちらにしても、もう、わたくしは魔族なのだ。


 魔王妃になるかどうかは別にしても、魔族の中で、魔王軍の一員として生きていくつもりだ。


 それだけは確かなことである。


 人間に戻りたいとは思わなかった。


 目を閉じると心地良い眠気がやってくる。


 ……少しだけ休みましょう。


 ………………。


 ……………………。


 夢を、見ている。


 ビシリと背中に衝撃を受けた。


 遅れて、熱と激痛が襲ってくる。


 わたくしが悲鳴を上げても拷問官は手を休めない。


 二度、三度と背中に鞭を振るわれる。


 痛みに呻きながらも顔を上げれば、そこに王太子殿下こんやくしゃがいた。




「吐け。お前は魔族と通じているだろう」




 問いかけというより、命令に近かった。


 それ以外の言葉を認めない響きがあった。


 でもわたくしはそれに気付かなかった。


 ……気付かないふりをした。




「いいえ、殿下、そのようなことはございません! わたくしは神に誓って、魔族とは関わりはありません!!」




 また、ビシリと鞭が振るわれ、悲鳴が上がる。




「嘘を吐くな。では、何故、お前は闇属性の魔力を持っている。魔族と通じ、得ていたのだろう」


「い、いいえ、いいえ、違います! これは生まれつきですわ! それは王家の皆様もご存知の──……」



 一際強く振られた鞭が背中を打った。




真実・・を話すまで行え。だが殺すなよ」




 殿下はそう言うと踵を返して出て行った。


 わたくしはそれを見送るしかなかった。


 貴族の令嬢が、公爵家の令嬢たるわたくしが、家族や婚約者でもない男に肌を晒すことになっているのに。体を傷つけられているのに。


 殿下は全く気にする素振りを見せない。


 それどころか汚れたものでも見るかのような、冷たい眼差しでわたくしを見下ろしていた。


 背中に鞭を振るわれながら、わたくしがどれほどの屈辱と怒りと憎しみを感じたか。


 食いしばった唇から滲んだ血の味は忘れない。


 ……………………。


 ………………。




「起きよ、そろそろ支度をするぞ」




 かけられた声にパッと目が冷める。


 ないはずの痛みを背中に感じて眉が寄った。


 それを無視して起き上がる。




「とりあえず、しばらくは妾の服で我慢しておくれ。早急に服を用意するのじゃ」




 わたくしは小さく頷く。


 ……絶対に、忘れないし、許さない。


 わたくしの受けた苦痛と屈辱を返すまでは。


 決して誰も許さない。






 

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― 新着の感想 ―
あれ?アレクシアに助けられたあと少しなら聖属性も扱えるから封印も解けるはずって独白してたよね?健忘症?
[気になる点] 妃だっていうなら礼節を尽くして距離を空けて求婚しろ 寝ている間に公衆の面前で同意も得ず膝抱きにするとかキモさの極み。幹部の面前で抱き寄せたり触るというプライバシーの無いおもちゃ扱いされ…
[気になる点] 食事や睡眠も不要といったそばから食事して寝てるうえに心臓は止まってるけど普通に肉体があると本当にリッチなのかと思ってしまう
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