運命をこの手に
* * * * *
意識を失ったのか、細い体から力が抜ける。
それを抱え直しながらエヴァルトは顔を上げた。
自身がいるのは寝台のような、棺桶のような、独特な造りのもので、そのすぐそばには床に膝をつき、首を垂れている者達がいる。
その中には見知った顔が二つあった。
「アレクシア、ヴィルヘルムよ、あれからどれほどの時が流れた?」
名を呼べば二つが顔を上げる。
「聖女イルミナの手によって封印されてから、今日まで八百二十四年経ちましたのじゃ」
「永き眠りからの目覚めをお待ちしておりました。ご復活、おめでとうございます」
エヴァルトは「ふむ」と呟く。
「少々寝過ぎたようだな」
だが気分は悪くない。
むしろ、今までの中で最高の気分だった。
腕の中の存在を見下ろした。
レイチェルと言っていたか、柔らかな金髪に鮮やかなピンクレッドの瞳をした、なかなかに美しい娘である。
意識を集中させて見れば、娘の胸元に魂の色が見える。
ほのかに青みがかった美しい白い魂。
憎しみや怒りの赤黒い炎に包まれていたが、美しい魂が確かにそこにある。
この魂の色を見たのは二度目だ。
一度目は、聖女イルミナ=フェルバーン。
この娘は聖女イルミナの生まれ変わりである。
……聖女がリッチになるとは興味深い。
「ファウスト様よ、残りの二名を紹介したいのじゃが良いか?」
吸血鬼の始祖の一つ、アレクシアが言う。
アレクシアとヴィルヘルム、そしてアレクシアの弟分のファーレンは、エヴァルトが眠りにつく前から魔王軍にいて、エヴァルトの良き友人であり、配下として、そばにいた。
「ファーレン・テインは?」
「あれには部屋を整えさせに行かせておる。まあ、あれの性格上、ファウスト様の目覚めに立ち会わずとも気にしなさそうじゃったからのう」
「そうか、生きているならば良い」
当時の魔王軍幹部の何名かは既にこの世にいないだろう。
人間との戦で死んだか、寿命で死んだか。
魔族の中でも何百年と生きられる種族は多くない。
「では紹介を。まずウェアウルフのロドルフ、そしてサキュバスのヒルデじゃ。どちらもこう見えて族長である」
アレクシアの言葉に二つが頭を下げたまま言う。
「ご復活、心よりお待ち申し上げておりました」
「ご復活おめでとうございます〜、魔王様」
エヴァルトは小さく頷いた。
「面を上げよ」
顔を上げた二つをエヴァルトは見た。
エヴァルトの額に、小さく裂け目が出来たかと思うと、縦向きに第三の目が現れた。
エヴァルトの第三の目は、見た者の心を読む。
そうして第三の目を閉じる。
「お前達の忠誠心は確かなようだ」
「ほっほ、そうでなければ幹部に選んだりはせん」
エヴァルトの言葉にアレクシアが笑う。
「ロドルフ、ヒルデ、立つが良い」
二つが立ち上がる。緊張しているらしい。
ヴィルヘルムが口を開いた。
「ファウスト様、そのリッチの娘を気に入られたのですか」
それにエヴァルトは低く笑った。
「ああ、これは我が『運命』だ」
艶のある金髪を撫でれば、サラリと指触りが良い。
緩く癖のついた髪を指先に絡めると、くるくると素直に巻きつき、ふわりと離れる。
その感触を楽しむエヴァルトにアレクシアが問う。
「どういう意味じゃ?」
それにエヴァルトは口角を引き上げた。
………………。
…………………………。
今より八百二十四年前。
魔族と人間の争いが最も熾烈を極めた頃。
とある国で、一人の貴族の娘が立ち上がった。
その娘は聖属性の魔力を持ち、闇属性の魔族に対抗するために、戦の先陣を切って戦った。
聖属性を持った娘は人々から聖女と呼ばれた。
闇属性の魔族にとって、聖属性は厄介である。
当時は魔族軍の方が優勢であったが、聖女が現れてからは、その勢いを落としていった。
もしも聖女がいなければ今頃人間達は滅んでいただろう。
聖女の使う聖属性の魔法は魔族を弱体化させる。
それでもエヴァルトを含む魔族は屈しなかった。
たとえ最後の一人になっても戦う。
決して人間に降伏などしない。
それが魔族の誇りだった。
全ての魔族は魔王と繋がりを持っている。
己が死んだとしても、それは、完全な死ではない。
魔王が生きてさえいれば、いずれまた魔族として生まれてくると信じられてきた。
だから魔族達は死を恐れない。
魔族にとって、魔王こそが神だった。
だが聖女の力は強かった。
多くの魔族が戦いに負けて、散り、魔王軍は劣勢に回った。
たった一人の聖女に戦況を覆されたのだ。
聖女は魔王城まで到達し、そして、アレクシアやヴィルヘルム達をも叩きのめし、エヴァルトの下まで辿り着く。
「来たか、聖女イルミナよ」
聖女イルミナは美しい娘だった。
淡い金髪に、珍しいピンクレッドの瞳を持っていた。
細い体は容易く折れてしまいそうで、しかし、そうはならないことをエヴァルトは知っていた。
「わたくしはイルミナ=フェルバーン。魔王、あなたを討ち倒すためにここへ参りました」
他の仲間達はついて来られなかったのか、聖女は一人だった。
エヴァルトもまた、一人だった。
聖女は剣術も魔法も秀でており、エヴァルトと互角に戦い、どちらも決して引くことはなかった。
エヴァルトは魔族の未来のために。
聖女は人間の未来のために。
全力で戦った。
だが、当時のエヴァルトは他の魔族達を殺されて、力が弱まっていた。
魔族達と魔王の繋がりは特別だ。
魔王の力とは、魔族の多さに比例する。
魔族が死ねば死ぬほど弱くなる。
聖女と相対した時、エヴァルトは本来の力の半分も発揮出来なくなっていた。
だからというわけではないが、エヴァルトは負けてしまった。
だが魔王に死というものはない。
何度殺しても蘇る魔王に、聖女は封印を施した。
「いずれ、我は目覚め、人間を滅ぼすだろう」
聖女もエヴァルトもボロボロだった。
聖女はそれに返す。
「そうならないために、わたくしは子を残します。そうして、その子が更に子を産み、わたくしの血筋と魔法を受け継いでいく。わたくしの子孫がいる限り、あなたは目覚めることはない」
エヴァルトはそれに笑った。
「人間などいつか死ぬ」
「……ええ、そうですわね」
そう答えた聖女は少し悔しそうだった。
「もし封印が解けかけたとしても、わたくしの子孫がまた封じに来るでしょう。これを解けるのもわたくしの子孫だけ」
封じの魔法をかけられ、エヴァルトは微かに呻いた。
無理やり、他の魔族との繋がりを断たれていく。
「あなたの、そして人間の命運を握るのはわたくしの子孫となる。……この重責を担わせるのは可哀想だけれど」
意識が薄れていく中で聖女が言う。
「魔族と人間が手を取り合う未来はないのかしら」
……それを拒絶したのは人間だ。
まだ、人間と魔族の境界がなかった太古の昔。
エヴァルト達を排除しようとしたのは他ならぬ人間達だった。
先にエヴァルトを虐げたのは人間だ。
……もはや、今更共存しようなどとは思わぬ。
そしてエヴァルトは封じられ、長い眠りについた。
…………………………。
………………。
それから八百二十四年。
意識だけは薄っすらとあった。
友であり、部下であるアレクシアやヴィルヘルムが頻繁に訪れては、状況を話す声を微かに聞いていた。
だが他の魔族との繋がりを絶たれ、封じられ、体を動かすことすら叶わない。
エヴァルトにとっても長い長い時間だった。
このまま同胞達が弱体化し、絶えてしまうのではないかと最初は怒りと憎みに支配されていたが、八百年もの間にそれは半ば諦めに近い感情に変わった。
だが、不意に聞き覚えのない若い娘の声がした。
魔法の詠唱から人間だと理解した。
同時に聖女イルミナの言葉を思い出した。
……聖女の子孫が我を封じに来たか……。
更に封じをかけられれば、恐らく、この微かな意識すら闇の中へ沈んでしまうだろう。
ここまでか、と思ったエヴァルトの諦めは一瞬だった。
全身を聖なる魔力が包み込み、痛みを感じた。
しかし、それはすぐさま溶けて消える。
代わりに酷く心地の良い闇属性の魔力に包まれた。
聖なる封印が弱まり、そして破れる。
エヴァルトは本能のままに闇属性の魔力を取り込み、目を開ければ、そこには一人の人間の娘がいた。
柔らかく豊かな金髪に、聖女イルミナによく似た、ピンクレッドの瞳。
その瞳だけでなく、エヴァルトの読心が通じないことからも、娘が聖女イルミナと深い関係があるのは考えるまでもなかった。
エヴァルトがこれまで生きてきて、この読心が通じなかったのは聖女イルミナ以外には他にいない。
それでも、娘の魂の色は見えた。
やや青みがかった美しい白い炎。
聖女イルミナの魂とそっくりだった。
いや、聖女イルミナの魂そのものだった。
人間の寿命は短く、その娘は聖女イルミナの子孫であるのと同時に、生まれ変わりであった。
けれどもその魂は怒りと憎しみの赤黒い色で包まれていた。
相反する色を宿した聖女の末裔にして生まれ変わり。
この娘がエヴァルトの封印を解いたのだ。
エヴァルトはその奇跡に笑った。
……聖女イルミナよ。お前の負けだ。
運命は魔族に味方した。
「この娘は聖女イルミナの子孫にして、その生まれ変わりだ。我を封じることが出来るのはこの娘だけだろう」
第三の目で見るが、やはり読心も、記憶を盗み見ることも出来なかった。
アレクシアが「ほう」と言う。
「ではレイチェルがこちらにいるうちは、ファウスト様が封じられることはないということかの?」
「ああ」
エヴァルトが頷けば、ヴィルヘルムが訊き返す。
「しかし、人間側には異界より召喚した聖女とやらがいるでしょう。あれがまたファウスト様を封じるという可能性はありませんか?」
ふと、それを思い出した。
しかしエヴァルトは笑う。
「ただ封印を解かれただけであれば、その異界の聖女とやらにまた封じられたかもしれないが、今は違う。この娘が己の魔力を極限まで我へ捧げてくれたおかげで、昔の頃のように力が漲っている。同じ封印を受けても、今ならば弾くことが出来よう」
ただ魔力を捧げるだけでは意味がない。
魔族と同じ、純粋な闇属性の魔力が必要だった。
……これは運命なのかもしれない。
聖女の子孫にして生まれ変わりである娘が闇属性の魔力を持ち、そして、魔王たるエヴァルトの封印を解き、その闇属性の魔力を捧げたのだ。
「この娘を連れて来たのは誰だ?」
「妾じゃ」
「そうか、アレクシア、お前は昔から先見の明があったが、今回はよくやったと褒めてやろう」
アレクシアが、ほほほ、と笑った。
「勿体なきお言葉じゃな」
エヴァルトは腕の中でぐったりと深く眠っている娘、レイチェルを抱え直す。
リッチのレイチェルと名乗っていた。
そうして、確かに人間ではない気配を感じる。
冷たい体、青白い肌、呼吸はない。
どのような経緯でそうなったかは知らないが、このレイチェルが魔族となったことはエヴァルトにとっては何よりの僥倖だった。
魔王の脅威は消え去ったも同然だ。
「ああ、今日は最高に気分が良い」
同胞との繋がりも以前より強く感じる。
全身に闇の魔力が行き渡り、驚くほどに体が軽く、気分も良い。
もしも今この状態で聖女イルミナと戦ったならば、その時は、エヴァルトの方が勝利しただろう。
「よく聞け、我が愛しい同胞よ」
エヴァルトの言葉に全員が集中する。
「我はレイチェルを妃に迎える」
運命が手の中へ落ちてきたなら、掴むまで。
エヴァルトの言葉に全員が平伏した。
「この娘は我のものと心得よ」
良い予感がする。
この娘は魔族にとって、重要な存在となる。
聖女の子孫だから。生まれ変わりだから。
それだけではない気がする。
そしてエヴァルトのこういった予感はよく当たる。
そのことをエヴァルト自身が最も知っている。
「……レイチェルよ、あなたは私の運命だ」
この魔王エヴァルトを生かすも殺すもお前自身。
だが、二度と人間側に戻させはしない。
* * * * *