魔王軍幹部
アレクシア様に抱えられ、物凄い速さで飛び続けて一昼夜。
翌日の夜に、わたくし達は目的の魔王城に到着した。
翼をバサリとはためかせながら、アレクシア様が魔王城の門前に降りる。
門は二本足で立つ、狼のような姿の魔族達が守っており、わたくしを見ると「人間か!」と唸った。
それにアレクシア様が言う。
「待て、確かにこの者は元人間じゃが、今はリッチ、我々魔族の一員である。ここを通せ」
「ですがアレクシア様、人間を中に入れるなんて……!」
ギロリとアレクシア様が睨んだ。
「聞こえなかったのか? この者は魔族となった。妾がこの者の後見をしておる。もし何かあれば妾が責任を取る」
狼の姿をした魔族達は顔を見合わせると、渋々といった様子で門を開けた。
でも通る時にかなり睨まれた。
やはり元人間だからだろう。
わたくしも、自分が魔族になったからといって、簡単に魔族を信用したわけではない。
……その辺りはお互い様というものね。
魔王城は真っ黒な城だった。
外も中も黒く、どこか陰気で、酷く静かだ。
アレクシア様について行く。
右へ左へ、上へ下へ、複雑な道順で進む。
王城というのは道を複雑にすることで、侵入者を目的地に辿り着けないようにしているので、おかしい話ではないが、どうにも外から眺めた時よりも広い気がする。
気のせいかしら、と内心で首を傾げた。
アレクシア様は道をきちんと把握しているようで、分かれ道に当たっても迷いなく歩いている。
やがて、両開きの扉に辿り着いた。
「この先に魔王軍の幹部達がおるはずじゃ」
そう言って、アレクシア様が扉を叩いた。
それから扉を押し開ける。
中には複数の影があった。
全員がパッとこちらを見る。
見慣れない姿の者もいたけれど、鋭く睨まれても、わたくしは何とも感じなかった。
王太子殿下のあの冷たい眼差しや、民達から向けられる憎悪の視線に比べれば可愛らしいものだった。
「おお、姉上!」
若い男性の声がして、一人が近付いて来る。
アレクシア様とよく似た黄金色の短い髪に、同色の赤い瞳をした、恐らく吸血鬼だろう青年は線の細い美しい外見をしていた。
優しく甘やかな顔立ちは女性に好まれそうだ。
アレクシア様を姉と呼んだ青年は、アレクシア様のそばに立つと、まじまじとわたくしを見た。
「おや、人間……いや、この気配はリッチかい?」
珍しいね、と言われてわたくしは頷いた。
「はい、リッチのレイチェルと申します」
その場でカーテシーを行う。
ボロ布の衣類なのであまり見目は良くないが。
「おい、アレクシア! ここがどこか分かってんのか?! 人間の小娘なんて連れて来やがってどういうつもりだ!!」
吠えるような怒鳴り声が飛んでくる。
あまりに大声すぎて耳がキンとなった。
しかしアレクシア様は気にした風もなく、ほほほ、と笑った。
「『元人間』じゃ。本人が言うたように、今はリッチとなっておる。魔族なら、魔族の中にいても不思議はなかろうて」
「そんなこと言ってるんじゃねえ! 魔王様の居城であるこの貴い魔王城に、元だろうが何だろうが、人間が入るってのが許せねーんだよ!!」
大声を出しているのは、門で見た魔族と同じ姿の者だった。
大きな狼が二本足で立っているような。
でも、筋骨隆々で大柄な、恐らく声からして男性だろう魔族である。
ちなみに門前の狼達は暗い灰色だったけれど、目の前の狼の姿をした魔族は青みがかった暗めの灰色の毛並みをしている。
最低限の鎧を身に纏い、手足に包帯のように布を巻いており、手足には鋭く黒い爪があった。
魔族をこんなに間近で見たのは初めてだ。
……いえ、アレクシア様も魔族でしたわね。
吸血鬼は人間に擬態出来るほど姿形が似ているため、あまり、魔族という感じがしないが、きっとそれを言ったら嫌がられるだろう。
魔族は人間を嫌っているから。
「おぬしの許しなど要らん。見よ、これほどの魔力量に死霊術の使い手、しかも不死者のリッチともなれば遊ばせておく方が勿体ないであろう?」
アレクシア様の言葉に他の者がわたくしを見る。
わたくしは頭を下げ、敵意がないことを表した。
「今すぐ捨ててこい!」
「断る。妾はもうレイチェルの後見人となってしまったからの、この娘をしばらくは連れ歩くことにしたのじゃ」
「っ、テメェ、頭おかしいんじゃねーか?!」
狼の魔族は空気を震わせるほどの大声で騒いでいるが、アレクシア様はどこ吹く風といった感じで、多分、このお二人にとってはそれが日常なのだろう。
ぼんやり眺めていると狼の魔族と目が合った。
ギロリと睨まれる。
「おい、人間、テメェ──……」
「リッチです」
今度はわたくしに標的を変えて怒鳴ろうとしたのだろう狼の魔族の言葉に訂正を入れる。
「わたくしはリッチのレイチェルです。もう、人間ではありません。わたくしも人間が大嫌いなので、喜んで魔王軍のお手伝いをさせていただきたいと思っておりますの」
ぽかん、と狼の魔族が口を開く。
狼の魔族の後ろから声がする。
「何故、元人間が同族を嫌う?」
静かな男性の声だった。
狼の魔族が後ろを振り向けば、視界が開けて、そこにいた別の魔族を見ることが出来た。
形は人に似ているけれど、肌に硬質な鱗模様が浮いており、やや年嵩の印象を受ける。
短い濃い緑の髪を後ろへ撫でつけ、その顔の鼻の上辺りには横一線の傷がある。
静かだけれど、威圧感を覚えた。
「お話ししなければいけませんか?」
「少なくとも、貴様が何者で、何を考えているのか我々は知る必要がある。たとえ魔族になったとしても、元人間をすぐに信用する気にはなれない」
「その通りね」
その魔族の男性の横にいた女性が頷いた。
黒髪に鮮やかな紫の瞳の、妖艶な美女だ。
ただそこに立っているだけなのに目を惹く美貌と、滴るような色香は、同性のわたくしであってもつい見惚れてしまいそうになる。
「……そうですわね」
まだ思い出すと憎しみと怒りで苦しくなるけれど、わたくしが人間を嫌っていることを理解してもらえなければ、受け入れてももらえない。
だからわたくしはこれまでのことを語った。
イングリス王国の公爵令嬢の生まれであること。
そこで王太子の婚約者として育ってきたこと。
元より闇属性を持ち、死霊術を使えたこと。
それ故に家族からも婚約者からも疎まれていたこと。
半年ほど前にイングリス王国が聖女を召喚したこと。
聖女と王太子が恋に落ち、そして、わたくしは不要の存在となったこと。
聖女が、わたくしが魔族に加担していると予言し、わたくしは家族に捨てられ、王家に差し出されたこと。
王家はわたくしを罪人のように扱い、拷問にかけ、最後には王太子との婚約を破棄して、処刑したこと。
「そうして気が付いたらわたくしはリッチとなっておりました」
話しながら、ドロドロとした感情が胸のうちでふつふつと湧き上がる。
ただただ、憎しみと怒りが込み上げてくる。
握り締めた手の爪が、掌に刺さる感触があった。
「わたくしを捨てた公爵家も、わたくしを罪人にした聖女も王太子も、わたくしを殺せと叫んだ民達も、皆、許さない。わたくしと同じだけの苦痛を味わわせなければ。……復讐がしたいのです」
ふふ、と笑みが漏れる。
彼らに復讐出来たらきっと、わたくしは心から喜びに笑えるだろう。
ふむ、と魔族の男性が頷く。
「その憎しみ、本物のようだ」
アレクシア様が呆れた顔で言う。
「まさか公爵家の娘であったか。全く、人間という生き物はほんに愚かなものよ。異世界から呼び寄せた聖女の言いなりになろうとは、人間の王族というのも、阿呆ばかりじゃな」
ふと、吸血鬼の青年が顔を上げた。
「ん? イングリス王国の公爵家……?」
何かを思い出そうとする様子にわたくしは微笑んだ。
「ええ、イングリス王国の四大公爵家が一つ、シェリンガム公爵家が長女、レイチェル=シェリンガムと申します。元ではありますが」
「君、初代聖女の直系の子孫か!」
その言葉に全員が驚いた顔をした。
「やっぱりテメェ、俺達を討伐しに来たのか!!」
狼の魔族が腰を下げ、構えるような素振りを見せる。
アレクシア様以外は皆、戦闘態勢に入ったようだったけれど、わたくしは首を振った。
「いいえ、魔族を敵に回すつもりはございません。わたくしはもう、人間を助ける気はありませんから」
冤罪をかけられ、拷問され、殺された。
人間のために何かしようなんて気は微塵もない。
それどころか今あるのは人間への憎しみだけだ。
「わたくしは初代聖女の直系の血筋でございます。それに、元とは言え、人間です。魔族の皆様では破ることの出来ない魔王様にかけられた封印も、わたくしならば解くことが出来るでしょう」
幼い頃から公爵家で教育を受けて来た。
初代聖女直系の血筋。聖なる乙女。
たとえ闇属性の魔力があったとしても、わたくしは、紛うことなき聖なる血筋であった。
そのため、聖魔法についても習った。
扱うのは苦手だったけれど、勉強だけは必死に行った。……家族に褒めて欲しくて。
結局、誰も褒めてはくれなかったが。
「なるほど、初代聖女の子孫か。それならば確かに魔王様の封印を解くことが出来るだろうて」
習った聖魔法の中には封印に関するものもあった。
一つは封印を強固にする魔法。
一つは封印を解除する魔法。
……今だけはシェリンガム公爵家に生まれたことに感謝したい気分だわ。
わたくしは散々家族に貶され、冷たく当たられたけれど、公爵家に生まれたおかげでこうして魔王の封印を解く方法を知っているのだから。
室内にいた全員の表情が変わった。
「っ、ほ、本当に魔王様を目覚めさせられるのか?! 嘘じゃねーだろうな?!!」
狼の魔族の言葉にわたくしは頷いた。
「はい、公爵家に代々受け継がれてきた聖魔法の中に封印を解くためのものもあります」
魔族の男性が言った。
「だが、前にいたリッチは解けなかった。あの男は聖魔法の使い手であったが、封印を解くことは叶わなかった」
それにわたくしは苦笑する。
「封印は初代聖女の血を引く者でなければ解けません」
「どういうことか」
「封印を解くには三つの鍵が必要なのです。一つは封印魔法と対に作られた解除魔法、一つは聖女に連なる魔力、そして、最後に初代聖女の子孫たる清い乙女の血」
前にいたというリッチに解くことは出来ない。
封印を解けるのは初代聖女の血筋の乙女だけだ。
「ですから、解けるのはわたくしだけですわ」
今なら分かる。
原作内で主人公の聖女が魔王の封印を解いて復活させるが、何故、その時まで王太子の婚約者であるレイチェルが同行していたのか。
他でもないレイチェルにしか出来ないからだ。
「これでも、わたくしを魔族に引き入れてはいただけないのでしょうか?」
だから、魔王はわたくしを狙った。
自分を封印出来るのはレイチェルだけだから。
分家にも娘はいるが、皆、わたくしよりもずっと魔力が少なく、そして封印魔法を学んでいない。
シェリンガム公爵家の直系のみ、学ぶことが許されている魔法なので、わたくしの他にこれを知るのはお父様と伯母様、そしてお兄様、お祖母様くらいのものだ。
この中でも魔法を使えるのはわたくしだけ。
……ああ、だからなのね。
成人し、十八を迎えても、王太子殿下とすぐに婚姻しなかったのは、わざと結婚を引き延ばしていたのだ。
ここ数年、魔族の侵略は激しさを増していた。
もし魔王が復活した時、封印出来るのはわたくししかいない。
だから王家は婚約者としてわたくしを縛り付けた。
王太子がわたくしを愛さないのは当然だった。
実際のところは婚約者ではなく、いざという時のための道具にすぎなかったのだ。
そして新たに聖女を召喚して、子孫のわたくしよりも、新たな聖女に教育を施し、封印を行わせた方がより強固な魔法を築けると考えたのだろう。
わたくしは闇属性だから聖なる封印を行えたとしても、効果が弱くなるのではと思ったのかもしれない。
……でも、最悪の選択をあなた達はしたわ。
わたくしはリッチとして蘇った。
幸い、最後の瞬間まで清いままだった。
たとえ死んでいたとしても聖女の血筋には変わりない。
「……良かろう」
魔族の男性が静かに頷いた。
「リッチのレイチェル、貴様を魔王軍の一員として迎え入れる」
「ヴィルヘイム!!」
狼の魔族が吠えたが、魔族の男性は首を振った。
「魔王様を復活させることが出来るのならば、それを第一に考えるべきだ。やらせてみる価値はある」
「だが裏切ったらどうする!!」
「その時は死ぬまで殺すだけだ。どのみち、魔王様の封印を解いて勢いを取り戻すか、封印が解けずに魔族全体が弱って全滅するか、我々の命運も二つに一つしかない」
ぽん、とアレクシア様の手が肩に触れる。
「レイチェルよ、魔王様を復活させてくれるな?」
その問いにわたくしは頷いた。
「はい」
魔王が復活すれば魔族は強くなる。
きっと、そうなれば人間側が劣勢となるだろう。
……みんな苦しめばいいわ。
わたくしを苦しめた分、味わうがいい。
「魔王様を復活させてみせましょう」