魔王妃は優雅に微笑む
イングリス王国の王都が陥落して二月。
わたくしは魔王城に戻ってきていた。
王都に残ることも出来たけれど、あそこにいても特に良い思い出はないので未練はない。
あの後、デュラハン部隊を増やし、エヴァルト様から魔力を譲り受けて王都全体に死霊魔術を展開させた。
そうすることで王都の死者全てがゾンビやスケルトンとなり、わたくしの支配下に置かれ、王都一つ分の人口の大半が死者の軍団となった。
代わりに今のイングリス王国の首都には人狼やインキュバス、サキュバス、吸血鬼などの外見だけは人間に近い魔族達の都となっている。
元が人間の国だったので、彼らにとってもそれなりに住みやすい場所なのだとか。
エヴァルト様を王、わたくしを王妃としているものの、現在イングリス王国の玉座にいるのはアレクシアで、アレクシアとその配下の吸血鬼達が国を回している。
わたくしの死者の軍団を貸してあるが、それらと他の魔族達と共にイングリス王国内の人間の領地に攻め込み、本当の意味で魔族の国にするために勢力を広げているようだ。
エヴァルト様は隣国のゼルニア王国に侵攻しているし、わたくしは国の政には興味がなく、幹部達で話し合った結果、アレクシアが治めることになったのだ。
アレクシアは長く生きていて知識も豊富で、魔族の中でも種族の違いに寛容である。
それに本人の希望もあった。
「国を治めてみるのも一興よ。どうせ魔王様は隣国一つ程度で満足するはずがないからのう、今のうちに国を預かっておれば、後々大きな国を任されるより楽なのじゃ」
とも言っていた。
実際、エヴァルト様が侵攻中のゼルニア王国はイングリス王国よりも大きい。
ちなみにエヴァルト様にも死者の軍団を貸そうと思ったら断られた。
「私も死霊術が使えるようになった」
「え、そうなの?」
「ああ、レイチェルと魔力を共有している関係で、能力も共有出来るのだろう。恐らくレイチェルも私の能力をいくらか使えるようになっているはずだ」
そう言われてから、わたくしは改めて自分の能力を把握し直すことにした。
すると、確かに能力が増えていた。
飛行魔法、これまで使ったことのなかった闇属性魔法、威圧、魅了など様々だった。
ただし魔眼系はなかった。
エヴァルト様は額にある第三の目が魔眼なのだそうで、あれには視線を合わせた者を石化させたり、灰にしたり、呪いをかけたり、色々と出来るそうだ。
……何それすごいわ。
むしろ、そんなエヴァルト様と互角に戦えた初代聖女は本当に人間だったのかしらと少し疑ってしまったし、原作『聖運』でよく主人公ユウリやその周りの男性達などが殺されなかったなと不思議に思った。
封印を解いただけではエヴァルト様は完全復活出来なかったし、もし聖女ユウリの魔力も使われての解除であったなら、原作で語られた通り聖属性の魔力のせいで本当に弱っていたのかもしれない。
わたくしも少し聖属性を持っているけれど、圧倒的に闇属性の方が強かったからエヴァルト様の復活に向いていたのだろう。
ちなみに威圧と魅了はエヴァルト様には効かない。
エヴァルト様の方が能力が上だから、わたくしが使っても効果がないようだ。
ちょっとだけ好奇心でエヴァルト様に魅了をかけてみたら、それ以上の魅了で一日中エヴァルト様のことが頭から離れず胸が苦しくなるほどドキドキするという仕返しをされたので、以降はやめた。
わたくしが謝るとエヴァルト様はすぐに魅了を解いてくれたけれど、笑って「残念だ」と言っていた。
優しいけれど容赦のない人だと思う。
ちなみに威圧に関しては少し相手を怯ませる程度のものだった。
「エヴァルト様の威圧はどれくらい強いの?」
と、訊いたらエヴァルト様は笑っていた。
後でこっそりヴィルヘルムが教えてくれたけれど、エヴァルト様が本気で威圧をかけると人間は恐怖のあまり死んでしまうらしい。
今、ゼルニア王国の侵攻でエヴァルト様はこの威圧をよく使っているそうだ。
人間の軍や小さな街くらいなら威圧を全体にかければ大抵の人間は死ぬ。
……あの時、公爵家の兵士を一瞬で皆殺しにしたのは威圧かもしれない。
「魔族が潜んでいたら、その魔族も死んでしまうのではありませんか?」
「いや、人狼やサキュバス、インキュバス、吸血鬼などの人間に擬態出来るほど強い魔族ならば耐えられる。しばらく体調は崩すかもしれないが」
「まあ」
それならば使ってもさほど問題はなさそうだ。
エヴァルト様はロドルフとヴィルヘルムを連れて行っているが、ドラゴンが毎日物資を届けに往復しているので、報告も届いている。
ちなみについ先日、エヴァルト様はゼルニア王国の王都を落としたらしい。
報告によると魔眼で王都の大半の人間を石化させ、現在、王都は人間の石像で埋め尽くされているそうだ。
……さすが魔王様ね。
ちなみに魔王城にはヒルデとファーレンがいる。
ヒルデとその配下は各国の上層部に取り入って、重鎮達を惑わせ、それぞれの国を混乱させてくれており、相変わらず人狼部隊も好き勝手暴れている。
おかげでエヴァルト様がゼルニアに侵攻しても、各国は自国の問題で手一杯のようだ。
中には団結して魔族に立ち向かおうと言い出す者もいるようだが、発言力が弱く、サキュバスやインキュバス達に誘惑された者の方が権力があるのでねじ伏せているらしい。
そうして人間同士で争っていればいい。
もし内乱になったら、それはそれで都合が良い。
配下からの連絡でヒルデは日々、忙しそうだ。
ファーレンは毎日楽しそうに拷問を行っている。
拷問相手は王太子・ルーファス、そしてイングリス王家やシェリンガム公爵家の者達だ。
拷問については任せているけれど、いつ見に行っても王太子達は泣き叫んで慈悲を求めてくるので、ファーレンの拷問はよほどつらいのだろう。
「レイチェルッ! どうか慈悲を! こんな思いをするくらいならいっそ殺してくれ!!」
王太子はそう叫んだ。
「魔王妃様、だよ」
ファーレンが王太子の横顔を蹴る。
王太子は床に倒れ、その頭をファーレンが踏みつけた。
うぐ、と呻き声がした。
「心配なさらずとも、いずれはただの死体にして差し上げますわ。でも今はわたくしと同じ苦しみを味わっていただかなくては」
「魔王様がお戻りになられた暁には、魔王城の前で公開処刑をしてはどうかい? ゼルニアの侵攻記念に盛大な宴を開き、斬首刑にさせれば少しは余興となるかもしれないね!」
「そうね。その後に聖女ユウリと公爵、公子はデュラハンにしましょう。聖属性を扱える者は貴重だもの。王族はどうしようかしら?」
聖女ユウリとシェリンガム公爵、公子は聖属性魔法を使える。特に公爵と公子はなかなか腕が立つため、念のために残しておこう。
だが王太子達王族や公爵夫人は魔力量は多いけれど、特別何かの力があるわけでもないし、そばに置くのも嫌だ。
……ゾンビに戻して使い潰そうかしら?
「魔王妃様、良ければ夫人と王族達をいただいても?」
ファーレンの願いにわたくしは首を傾げた。
「ええ、構わないけれど……?」
「僕の可愛い配下がほしがっていてね。何、簡単には壊しはしないさ。僕がオモチャの遊び方を教えた子だから、大切に愛でてくれるだろう」
「そういうことでしたら、お好きにどうぞ」
彼らの絶望に満ちた顔は一生忘れないだろう。
彼らは懺悔の言葉をずっと言っていたが、もうどうでも良かった。
処刑された時に家族への情は消えたのだ。
言った通り、全員斬首刑にした後、聖女ユウリはデュラハンにし、公爵と公子と共に目につかない場所にでも残しておこう。
眠らせておけばアンデッドなので保つだろう。
ただ聖女ユウリは思った以上に精神面は脆かったようで、ファーレンが困っていた。
精神が弱すぎて拷問を行えばすぐに壊れてしまう。
そういうことで、牢屋に閉じ込めてある。
アンデッドだから食事も水も与えなくても平気なので、ほぼ放置しているらしい。
でもそれがユウリには逆に堪えているのだとか。
毎日「出して!」「誰かいないの?!」と叫んでいたようだが、あえて誰も近付けさせずにいたら、最近は静かになったそうだ。
「聖女ユウリには特別な拷問方法を考えているんだ。でもそれを行ったら本当に壊れてしまうだろうから、斬首刑の後に予定してるのさ」
楽しげなファーレンに訊く。
「どんな方法なのですか?」
「それは魔王様に訊いてみておくれ。魔王妃様の件で魔王様はとてもお怒りだったからね、聖女ユウリの拷問は魔王様のご命令さ。なんと残忍で憐れで……、ああ、想像しただけで歓喜に震えてしまいそうだ!」
ファーレンがそう言うくらいなので、よほど残酷な方法なのか。
エヴァルト様の命令で行われるなら優しいものでないことだけは確かだし、そのエヴァルト様がわたくしに教えないということは知る必要のないことだと考えているのだろう。
ここ二月の間に気付いたが、ファーレンは拷問が大好きだ。
そんなファーレンが喜ぶ拷問など想像もつかないが……。
「おや、魔王妃様、どうやら魔王様がお帰りになられたようだ!」
ファーレンが顔を上げた。
同時に濃い闇属性の魔力を感じ、わたくしはすぐさま駆け出した。
たった二月と思うかもしれないが、エヴァルト様と会えない日々はとても寂しいものだった。
……淑女が走るなんてはしたないけれど。
そんなことよりも1秒でも早く会いたかった。
こんなに誰かを恋しく思うのは子供の頃以来だ。
風邪を引いて、自室にたった一人で横になっていた時のことを思い出す。
あの日、公爵家の者は全員、夜会に出席した。
誰一人わたくしを心配してくれなかった。
あの頃は両親や兄のことが恋しくて、熱に苦しみながら何度も彼らを呼んだが、見舞いに訪れることすらなかったのだ。
あれ以降、わたくしは泣くことをやめた。
泣いてもどうせなかったことにされるから。
誰もわたくしを気にかけてはくれないから。
……でも、今は違うわ。
わたくしには呼べば振り向いてくれる人がいる。
泣けば、きっと涙を拭ってくれるだろう。
わたくしだけの特別な人。
階段を駈け上がり、廊下を抜けて、使用人よりも先に扉を押し開ける。
魔力を感じながら一度立ち止まった。
もう鼓動などないのに深呼吸をする。
髪とドレスを整えて、バルコニーの戸を開けた。
「エヴァルト様」
そこにはエヴァルト様が立っていた。
振り向いたエヴァルト様は微笑んだ。
「ああ、レイチェル、今戻った」
それに頷き返す。
「ええ、お帰りなさい」
エヴァルト様が両腕を広げたので、近付き、そっとその胸元に身を預ける。
するとエヴァルト様の両腕にギュッと抱き締められた。
「ゼルニア王国はどうだった?」
「イングリス王国よりは多少手応えはあった。ああ、王族だけはデュラハンにして、ヴィルヘルムと共に残してきた。ゼルニア王国はヴィルヘルムに任せる」
「分かったわ」
王族も残っているなら、実務はそれらに手伝わせつつ、ヴィルヘルムが統治を行なっても問題ないだろう。
大きな手が優しくわたくしの髪を梳く。
「私がいない間に不都合はなかったか?」
大きく頷き返す。
「ええ、なかったわ」
「それは良かった」
「でも……」
エヴァルト様を見上げれば「ん?」と首を傾げられる。
真紅の瞳と目が合うと、ないはずの鼓動がドキドキと脈打っているような気分になった。
伝言でやり取りはしていたものの、やはり、こうして直に会って言葉を交わせるのが一番いい。
久しぶりに見たエヴァルト様は変わらず素敵で、うっとりしてしまう。
「エヴァルト様がいなくて寂しかった」
正直に伝えれば、真紅の瞳が僅かに見開かれた。
そうしてエヴァルト様が嬉しそうに笑った。
「私もあなたに会いたかった」
エヴァルト様がわたくしの額に口付ける。
「本当?」
「ああ、私は嘘は吐かない」
「今度はわたくしも一緒に連れて行って」
「もちろん、そうするつもりだ」
顔中に口付けられて、嬉しいやら気恥ずかしいやら、でもやはり嬉しくて笑みが浮かぶ。
「私の運命よ、あなたは永遠に私の腕の中だ」
エヴァルト様に口付けられる。
唇が離れ、わたくしは告げる。
「愛しています、エヴァルト様」
エヴァルト様がもう一度口付ける。
「私も愛している」
わたくしはあの日、処刑された。
初代聖女の末裔であり、公爵令嬢であり、王太子の婚約者でもあったはずなのに全てを失った。
「死霊術師など穢らわしい」と吐き捨てられた。
魔族と通じてなどいなかったのに冤罪を着せられた。
リッチになったことを知った時に思ったの。
そう言うなら、お望み通り魔族になろうと。
わたくしの感じた苦痛も屈辱も消えはしない。
……絶対にあの日のことは忘れられないわ。
何もかもを失ったけれど、でも、同時に何もかもが手に入った。
自由と、力と、そして愛情。
エヴァルト様が全て与えてくれた。
一瞬、脳裏に王太子や公爵家の面々が思い浮かぶ。
……もう、あなた達は要らない。
わたくしはレイチェル。
魔王妃となったリッチのレイチェル。
「レイチェル、あなたにもっと触れたい」
エヴァルト様の言葉にわたくしは微笑んだ。
……わたくしは今とても幸せだわ。
「死霊術師など穢らわしい」と処刑されたので、お望み通り魔族に転身しました。(完)