裏側の話 / 我が運命
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イングリス王国の王城内を一人の兵士が歩く。
辺りは騎士や城に残っていた使用人などが倒れ、美しかった王城の廊下を赤く染めていた。
濃い血の臭いがする中を、兵士はまるで天気の良い日に散歩でもするかのように歩いていく。
魔族達がいても、どちらも互いを気にした様子はない。
やがて兵士は広間へ出た。
「ロドルフ様!」
呼ばれて、魔王軍の幹部の一人であるウェアウルフのロドルフが振り返る。
「ああ、キースか。魔王様と魔王妃様の案内は終わったのか?」
ロドルフに歩み寄った兵士が甲冑の頭部部分を外した。
キースと呼ばれた兵士が嬉しそうに笑う。
「はい、お二方から労いの言葉までかけていただきました! 間近で魔王様を拝見するのは初めてでしたが、カッコイイですね!」
「確かに、魔王様はカッコイイよな」
キースは人狼である。
そうして、魔族を城内へ手引きした者の一人でもあった。
魔王がシェリンガム公爵家と彼らが率いていた兵士達を皆殺しにした後、その装備を身につけて、人狼達は生き残りの兵士のふりをして王城へ入ったのだ。
人間達は簡単にキース達を城内に入れた。
そしてキースは国王の下まで行き、報告を行い、人間のふりをしたまま城内で一日過ごした。
それから合図を受けて、城の一角にある門の兵士達を全員殺し、そこを開け、同胞達は城に攻め込んだ。
キースは騎士達の伝令役として一日、城の中を歩き回っていたので情報を持っていただけでなく、王族達の居場所も知っていたため、魔王と魔王妃が入城した際に案内役となった。
「だが、今回はお前も良くやった。おかげで簡単に城に入れたし、隠し通路の場所も分かったから助かったぜ」
ロドルフの言葉にキースが照れた様子で頭を掻く。
王妃やその娘達だけでなく、この国の貴族とやらなどが使った複数の脱出路はどれも隠されていた。
もしキース達がいなければ隠し通路に気付くのが遅れて、人間達を取り逃がしていただろう。
「この国の王族は魔王妃様の復讐対象だと聞いていましたので、ご命令通り俺以外の人狼達をいくつかに分けて脱出した人間達について行かせました」
「なら今頃逃げた奴らは死んでるな」
一応、戻って来る人間がいないかウェアウルフを隠し通路へ行かせたが、人狼達が共に行ったなら問題ない。
人狼達は脱出路から出たら人間達を殺すように指示してある。
これは魔王様の命令で、脱出路を抜けて希望を感じた瞬間に絶望に叩き落としてやれ、ということだった。
口には出していないものの、魔王様は人間達の魔王妃様に対する扱いについて許すつもりがなかったのだろう。
そんな命令を下す魔王様の横で、魔王妃様はただ黙って微笑んでいた。
自分達を守っていた兵士が突然魔族となって襲いかかってきたら、きっと人間達は大いに驚き、恐怖し、混乱の中で死ぬだろう。
それを想像するだけでロドルフは笑いが漏れた。
「キース、戻ってきて早々だが死体を運ぶのを手伝ってくれ。首のない死体とその首を、ここに集めてくれ。そこそこ強かった人間は魔王妃様がデュラハンにするらしい」
「ああ、魔王妃様の部隊を増やすんですね」
デュラハン部隊は魔王妃様直属の配下である。
ゾンビと違って腐らないし、スケルトン達と違って話せて思考も出来る。特にゾンビは腐敗し始めると酷い臭いなので、腐らないのは大歓迎だ。
少々魔王妃様への忠誠心が強すぎて、たまに鬱陶しく感じることはあるものの、戦力としては申し分ない。
それに人間達の戦い方を学べるので、訓練の相手としても最適だった。
「デュラハン部隊が死者の軍団の指揮をしてくれたら、俺達は鼻が曲がるあの腐敗臭を嗅がなくて済みますし、いいですね」
「そうだな、あの臭いだけは俺も苦手だ」
ロドルフとキースはそんな話をしながら広間を出る。
魔王妃様の復讐が果たされた祝いを兼ねて、今夜は人間の城で大宴会となるだろう。
* * * * *
イングリス王国の謁見の間。
その玉座に腰かけて、微かな笑みを浮かべて窓の外を眺めるレイチェルの横にエヴァルトは立っていた。
最初は打算と興味、そしてその魂の美しさに惹かれた。
聖女イルミナと同じ魂を持ち、魔王であるエヴァルトを完全復活させられるほどの闇属性魔力を有し、リッチとは言えど元人間であったにも関わらず魔王を復活させたこと、そして清らかだけれど憎しみや怒りに染められたその魂の矛盾が面白かった。
エヴァルトの言葉に動揺する様も悪くなかった。
人間に復讐したいという気持ちは、魔族の『人間を殺したい』という感覚と似ている。
人間のことを知るためにも引き入れた。
だが、レイチェルと過ごす時間はエヴァルトにとって非常に興味深く、時に穏やかで心地良いものだった。
手に入れるために少しずつ魅了をかけ続けたが、予想よりも効きが悪く、それでもゆっくりとエヴァルトに惹かれていくレイチェルの様子は可愛らしかった。
日に日にレイチェルのピンクレッドの瞳に情が募っていくのを見るのは楽しかった。
魔王が聖女を手に入れたらどれほど愉快なことか。
そう思って魅了をかけ始めたはずなのに、いつの間にかエヴァルトの方が惹かれてしまっていた。
元人間であるレイチェルはエヴァルトとの繋がりはない。
そのため普通の魔族と違い、魔王の言葉に強制力はない。
しかしレイチェルは律儀にもエヴァルトの「食事を共にしたい」という言葉を受け入れ、そうして「もっと話をしたい」と言えば、午後になると必ずエヴァルトの下を訪れた。
根が真面目なのだろう。
それでも復讐をしないという選択肢はなかったらしい。
むしろ、復讐を生きる目標としているようであった。
目標を達成した後、レイチェルは気力を失い、消滅してしまうかもしれない。
それが嫌だとエヴァルトは思った。
美しく、聡明で、力のあるレイチェルを失うのは惜しい。
レイチェルと過ごす時間がなくなるのは面白くない。
だからこそ、改めてレイチェルに求婚した。
魔王の妃となれば人間を滅ぼすという目標も出来るし、エヴァルトを愛するようになれば、すぐには消滅しないだろう。
レイチェルは特別になっていた。
妃になることをレイチェルが了承した時、エヴァルトは長い生の中で久しぶりに喜びというものを感じた。
その後もどんどんレイチェルに惹かれていった。
レイチェルは本当に賢く、イングリス王国の侵攻を進める姿はまさに魔王妃という立場に相応しい。
……イングリス王国の人間は愚か者ばかりだ。
もしもレイチェルがイングリス王国の王太子と結婚し、人間側の軍の中でも発言力のある立場となっていたら、恐らく魔王軍はもっと苦戦を強いられていただろう。
異界の聖女よりも厄介な存在になったはずだ。
……だが、レイチェルは我が手に来た。
だからこそエヴァルトはレイチェルを『我が運命』と呼ぶ。
レイチェルがリッチとして蘇ったのも、魔族の仲間入りをしたのも、エヴァルトの封印を解いて完全復活させたのも、妃となったのも、どれか一つが欠けていたら現在に繋がらない。
これは奇跡に近いことだ。
「レイチェル」
呼べば、レイチェルが振り向く。
「エヴァルト様」
落ち着いた柔らかな声がエヴァルトを呼び返す。
レイチェルと出会ってから、名前を呼ばれる喜びを思い出した。
その名を最後に呼ばれたのは遥か昔だった。
まだ人間と魔族とが共存していた頃、人間や魔族という括りすらなかった古き時代にエヴァルトは生まれた。
エヴァルトの両親はどちらも魔族だった。
村では少々目立っていたものの、それでも、両親とエヴァルト、そして弟の四人で穏やかに暮らしていた。
父は狩りがとても上手かった。
母は薬草に詳しくて村では医者だった。
弟は元気で明るく、素直だった。
エヴァルトは両親の実子ではなく、拾い子であったが二人は弟とエヴァルトに分け隔てなく接してくれた。エヴァルトは魔力が多く、色々な魔法を子供の頃から扱えた。
当時はまだ今よりも魔力が少なくてエヴァルトの名を誰もが呼べた。
父も母も穏やかな性格で、村人と争うことを避けて、いつも笑顔を絶やさないような者達だった。
しかしある日、母が診ていた子供が死んだ。
重い病にかかっており、母がどれほど手を尽くしても、助かる見込みはない子供であった。
だが子供の家族や村人達はそうは思わなかった。
子供が死ぬと、まるで母が子供を殺したとでも言うかのように母を責めた。
怪しい薬草を飲ませて殺した。
そう、村人達は母を責め立て、外見や寿命の違いを持ち出して、自分達を下に見ているなどと言った。
父も母も村人を下に見たことなど一度もない。
それどころか大切な家族として接していた。
けれども村人達にはそれが微塵も伝わっていなかったのだ。
しかも間の悪いことに、その後、すぐに病が流行り、それすらエヴァルト達家族のせいにされた。
思えば、村人達は不安だったのだ。
自分達と外見も寿命も違う存在。
魔力が多く、いつでも自分達を殺せる存在。
恐らくずっと心のどこかで脅威に感じていたのだろう。
深夜、誰もが寝静まった頃、エヴァルト達家族の住む家に火が放たれた。
母は弟を抱いて、父はエヴァルトを抱いて、燃え盛る家から慌てて飛び出した。
そして、そこに待っていたのは武器を持った村人達であった。
抵抗する間もなく、母と弟は鋭い木製の槍で刺し貫かれた。
父は矢を射られ、エヴァルトを庇って何本もそれを背中に受けた。
村人達は武器を手に母と弟、そして父に殴りかかり、エヴァルトは父に守られながらもその光景を呆然と見ることしか出来なかった。
我に返った時にはエヴァルト以外は息絶えていた。
優しかった父も母も、元気だった弟も、村人達に殺された。
その時初めてエヴァルトは憎しみを知った。
その感情のまま、エヴァルトは魔法を使った。
持てる限りの魔力を使い、覚えていた攻撃魔法を全て展開させて、とにかく視界に映る村人達全員に向けて放った。
死にたくないという気持ちはなかった。
ただ憎しみと怒りだけがエヴァルトを支配した。
気付くと、村は血の海と化していた。
エヴァルトは村人を一人残さず殺した。
それでも負の感情は消えなかった。
あの日から、それが消えることはない。
村人を大勢殺したからか、エヴァルトは魔力が増え、力も強くなり、その分、体が一気に成長した。
エヴァルトは家族を埋葬し、その後は当てもなく彷徨った。
人間を殺して回っているうちに、数年、数十年、数百年と時が過ぎて、いつの間にかエヴァルトは魔族達から王と呼ばれるようになった。
魔王として君臨すると共に魔族達との間に繋がりを得て、少しだけ、エヴァルトの中の激情は鳴りを潜めたが、憎悪は消えはしなかった。
聖女イルミナとの戦いはエヴァルトにとって衝撃だった。
人間の中に、エヴァルトに匹敵するほどの力を持つ者が現れた。
封印された時は、今度は魔族が皆殺しにされるのではと怒り、封じた聖女イルミナを憎み、それでも解けない封印に苦しんだ。
意識はあるのに動けない。
音は聞こえているのに話すことは出来ない。
八百年、魔族が弱まっていく報告を日々聞くことしか出来ず、気が狂うかと思った。
最後の方はもう諦めかけていた。
このまま魔族は数を減らし、魔王城の地下に眠るエヴァルトだけが最後の魔族となって、封印されたまま人間に殺されるのだろう。
そんな未来しか想像出来なかった。
そこにレイチェルが現れたのだ。
レイチェルの闇属性の魔力は心地が良かった。
詠唱を行う声は凛と澄み、封印を解かれる際には聖属性の魔力で痛みを感じたものの、その後に注がれた闇属性の魔力は濃厚で、渇いた体に水が満ちていくような気分だった。
レイチェルはエヴァルトを復活させた。
諦めるしかないと思っていたエヴァルトを救った。
それだけでなく、レイチェルと会う度に渇いた心と体が癒されていくのを感じた。
父と母と弟と四人で暮らしていた頃のような、穏やかな時間を過ごし、エヴァルトは気が付いた。
……ああ、我は飢えていたのだ。
あの幸せだった頃の充足感に飢えていた。
レイチェルが与えてくれる安らぎはそれだった。
魔王として崇め讃えるのではなく、魔王だと恐怖するのでもなく、レイチェルはエヴァルトに接した。
それが何より心地良かった。
会う度にレイチェルの良いところを見つけられた。
元人間でも、憎しみや怒りは湧かなかった。
レイチェルを手に入れるために最初は「運命」と呼んだが、今では本心からそう思っている。
エヴァルトに愛を思い出させてくれた。
死者の軍団で魔族の勢いを盛り返し、劣勢を覆して、イングリス王国を侵略した。
奇跡に近い存在。レイチェル。
「私を目覚めさせたのがあなたで良かった」
エヴァルトの囁きにレイチェルが微笑んだ。
「わたくしもエヴァルト様と出会えて良かったわ」
エヴァルトはその唇にそっと口付けた。
……レイチェルこそが我が運命だ。
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