侵攻(3)/ 誤った選択
その後も魔王軍は侵攻を続けた。
まるで立ち止まることを知らないかのように、街道沿いの村や街を攻め滅ぼしながら進軍する。
周辺の領主達の兵と戦うこともあった。
「魔王様、偵察に出た者より東から軍隊が近付いているとの報告が上がっております。掲げた旗からして近隣の領より出てきたものだと思われます」
ヴィルヘルムの言葉にエヴァルト様が「そうか」と答えた。
そうしてふとわたくしを見る。
「今、この軍の指揮は我が妃にある。私が潰すのは簡単だが、それではつまらないだろう。せっかく暴れられる機会があるのだ、レイチェルの作戦に任せよう」
ヴィルヘルムがわたくしを見る。
「ヴィルヘルム、軍はどの辺りまで来ると思いますか?」
「恐らく、このまま行けばあと三時間もすれば、先にある谷の上に陣取られるだろう」
「それは良くありませんね」
谷の下を行くわたくし達魔王軍を頭上から狙い放題になってしまう。
「では谷の手前で軍を止めましょう。どちらにしても夜に谷を抜けるのは危険です。それに奇襲は夜が一番ですから」
「今回も輸送作戦を?」
ヴィルヘルムの問いに首を振る。
「いいえ、今回は別の作戦でいきます」
そうして谷の手前で軍を止めると、ヴィルヘルムの予想通り、谷の上に家紋が描かれた旗を掲げた近隣の領主軍が待ち構えていた。
谷を通るためにはあれを退けなければならない。
ロドルフとヒルデ、ヴィルヘルムが来てから地図を広げて作戦を説明する。
「今回は全員に出てもらいます」
作戦はこうだ。
まず、人狼達が人間のふりをして軍に紛れ込む。
そこで向こうの飛竜部隊にこっそり近付き、飛竜の飲む水に酒を混ぜて飲ませておく。
その間にサキュバス部隊とヴィルヘルムのドラゴン部隊、ロドルフのウェアウルフ部隊がそれぞれバレないように近付いて待機する。
サキュバス部隊とロドルフは谷の両側にいる部隊を任せ、ヴィルヘルムには最も高い位置にいて、多分、指揮官がいるであろう辺りを任せることにした。
「サキュバス達は魅了で同士討ちを、ロドルフは人狼と落ち合って奇襲を、混乱し始めたところでヴィルヘルム達が指揮官を討ってください」
向こうが三つに分散してくれているのは都合が良い。
指揮官の部隊が高台にいても、ヴィルヘルム達は空を飛べるので、上空から一気に攻め込めるはずだ。
「なんでしたら崖から突き落としても構いませんよ。生き残った者がいたとしても、下にゾンビとスケルトンを配置しておきますので」
そういうことで、夜の奇襲は決行された。
結果は魔王軍の勝利だった。
谷下にゾンビやスケルトンをわざと配置することで、意識を谷底へ向けている間に森の中にヒルデとロドルフ達が移動し、先行して潜入していた人狼達は飛竜達に酒を飲ませることに成功した。
そしてすぐに谷の両側にいた軍はヒルデ率いるサキュバス部隊と、ロドルフ率いるウェアウルフ部隊の奇襲を受けた。
ヒルデ達は魅了で人間を操り、互いに殺し合いをさせ、ロドルフ達は戦闘を行った。
ただロドルフ達も人間に擬態出来る人狼を上手く使ったようで、守りの陣を構えたところで突如中から現れた魔族に人間達は大いに混乱したそうだ。
二つの軍が乱戦に陥った頃、上空からヴィルヘルム率いるドラゴン部隊が残った一軍へ襲いかかった。
「あまり手応えはなかった」
と、ヴィルヘルムは語った。
両軍の異変に気付いてはいたようだが、動く前にヴィルヘルム達に襲われ、しかも飛竜達は酔って使い物にならず、魔法士もそれほどいなかったようでほぼ蹂躙に近かったようだ。
そして逃げ場を失った人間達の中には意を決して谷を下りた者もいた。
その者達がどうなったかは言うまでもない。
日が昇る頃には領主軍は全滅していた。
「死者の軍が増えて良かったわ」
ゾンビもスケルトンも増えるほど良い。
数の暴力に頼ることになるが、一体一体が弱い分、数で押し潰す必要がある。
「レイチェルが喜んでいると私も嬉しい」
喜ぶわたくしの頬にエヴァルト様が口付ける。
「エヴァルト様は暴れなくていいの?」
「暴れたい気持ちはあるが、それは王都での楽しみにとっておこう」
「あら、王太子や聖女ユウリはわたくしの獲物よ?」
王太子と聖女ユウリには、わたくし自身で復讐をしたいから。
「分かっている。公爵家はどうだ?」
「どうしようかしら。聖女の末裔と驕っていたけれど、聖属性魔法はそれなりに扱えるから魔族を弱体化させられたらちょっと面倒なのよ」
「では、私が殺しても?」
「いいけど、エヴァルト様が直々に殺すの?」
エヴァルト様が頷いた。
「ああ、不安要素は排除するに限る。それに私の大事なレイチェルにこれまで非道な扱いをしてきた報いを受けさせねばな」
* * * * *
「どういうことなのだ!!」
ドンッとテーブルを拳で叩かれて、肩が跳ねる。
会議室の中、私に向けられる視線はどれも非難に満ちていた。
そんな目を向けられたのは藍沢ユウリとして生まれて以来、初めてのことだった。
そばにいたルーファスが守るように抱き締めてくれる。
「父上、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるものか! アーレント戦線が崩れただけでなく、アルファディア砦まで陥落したのだぞ?!」
ルーファスの父親であり、このイングリス王国の国王でもある人が怒りに震えている。
その手元にはこの大陸の地図があった。
アーレント戦線からこの王都までの道のりに、いくつか赤でバツがつけられていた。
「それだけでなく、エシュトラートの街も、その周辺の村も魔王軍にやられておる!」
魔王軍は真っ直ぐに王都へ向かってきている。
原作の『聖運』でもアーレント戦線が一時的に崩れて魔王軍が侵攻してくる場面があったけれど、こんなはずではなかった。
アルファディア砦だって原作では落ちなかったし、その先の村や街まで侵攻することなどありえなかった。
だからアルファディア砦のことも「砦は落ちません」と予言してしまったのだ。
それに国王も他の人々も安心していた。
だけど、気付いた時には魔王軍はもうすぐそこにまで迫っていた。
「では周辺国に支援を申し出ましょう。この進軍にも気付いているはずですから、すぐに人員を寄越してくるはずです」
ルーファスが言うと、国王が首を振った。
「そんなものとっくに要請してあるわ! だが周辺国から揃って断られてしまったのだ!」
「ありえない……。何故ですか?」
「周辺国にも魔族が出たそうだ。各地で魔族達が暴れ回っているせいで、その対応に人員が割かれておるらしい。……忌々しい魔族どもの中にも頭を使う者がいるようだ」
それにありえないと思った。
原作でも描かれていたけれど、基本的に魔族は突撃しかしない。
自分達の力に自信を持っているのと、あまり頭が良くないからだ。
だからどんなに強くても人間側がきちんと策を使えば対処できる。そういう風に出来ていたはずだ。
呆然としていると重鎮達の一人にジロリと睨まれる。
「そういえば、最近妙な噂を耳にしました。なんでも聖女ユウリは魔族と内通しているとか」
その言葉に頭が真っ白になった。
「なんだと?! 誰がそのような戯言を!!」
ルーファスが激昂した様子で言うも、それを口にした重鎮は全く気にした風もなく答える。
「たとえば『予言が外れているのは実は魔族を有利にさせるため』だとか『聖女ユウリは本当は異界の者ではなく、この世界の者で、嘘を吐いている』だとか、そういったものが王都や周辺の街や村でまことしやかに流れておるのです」
「そんな、私は別の世界から召喚されて来ました! 私が召喚魔法で現れたところはここにいる皆さんだって見ていたはずです!」
「ええ、ええ、確かに我々も立ち会いました」
私の叫びに重鎮が頷く。
だけど、他の重鎮達の表情には疑念が感じられた。
「それに私はこれまで予言で皆さんを、人間の軍を助けてきたじゃないですか!」
「その通りだ。ユウリが魔族側であったなら、もっと早くに魔族が優位に立てるように動いていたはずだ」
私とルーファスの言葉に重鎮達が互いに目を見合わせる。
そのうちの一人が口を開いた。
「数ヶ月前、レイチェル=シェリンガム元公爵令嬢を処刑しましたが、それについては? 初代聖女様の末裔であるシェリンガム公爵家の乙女は聖属性の魔法を習得していたはずです。処刑したのは早計だったのでは?」
「なんでもシェリンガム元公爵令嬢は公爵家に受け継がれる聖魔法を全て学んで熟知していたとか。魔族の弱体化も出来たそうですぞ」
「おお、それは惜しいことをした」
それに私は顔が赤くなる。
シェリンガム公爵家の養女になる話はともかく、聖女として、シェリンガム公爵家から聖属性魔法の手ほどきを受けているけれど、内容が難しくてなかなか思うように扱えずにいた。
初歩の回復魔法はなんとか出来たものの、魔族を弱体化させる聖域展開はまだ三メートルほどの全円で弱く張るのがやっとだった。
そもそも原作ではまだ今は序盤のはずなので、主人公のユウリもまださほど魔法を扱えていないはずなのだ。
魔王軍がこれほど早く侵攻してくるなんて原作にはなかった。
言外に聖女として力不足だと言われて、恥ずかしさで声も出なかった。
「しかしレイチェルは闇属性の魔力持ちだった。それにあの女こそ、魔族と内通していたのだ!」
ルーファスの言葉に重鎮が首を傾げる。
「その証拠は結局最後まで出なかったと聞いておりますが。自白もしなかったそうですし」
「そういえば我々は何故、あの令嬢を処刑しようと決めたのでしたかな?」
「確か、聖女様がおっしゃったはずでしたね。元公爵令嬢はいずれこの国に害を成す存在になる、と」
全員の視線が私に向けられた。
ルーファス以外の視線は疑念に満ちていた。
言われなくてもその視線の意味が分かってしまった。
……私、疑われてる……?
私こそが魔族と内通していて、初代聖女の末裔であるレイチェルを処刑させて、魔族に有利になるように動いていると思われている。
「そ、そうです! やがて魔王が復活した時、シェリンガム元公爵令嬢はその闇属性の魔力を魔王に捧げて、そのせいで魔王が完全に力を取り戻してしまう。シェリンガム元公爵令嬢は危険な存在でした!」
原作のレイチェルはそういう存在だった。
「レイチェルが魔王を復活させるのではないのか?」
ルーファスが何故か驚いた顔で私を見る。
「ユウリ、君は予言でレイチェルが魔王復活に関わると言っていたな。魔王の封印は初代聖女が施したものだ。それを解くことが出来るのは初代聖女の末裔である乙女だけだと聞いている。レイチェルは魔族と結託し、魔王の復活を目論んでいたのだろう?」
ルーファスに見つめられて「え?」と返す。
……初代聖女の末裔の乙女……?
思い返せば、確かに原作で魔王の封印を解いたのはユウリだとは描かれていなかった。
ユウリが魔王の封印を解くと言い、そして封印を解くことに成功したという流れではあったものの、その場面の細かな描写はない。
そういえば、何故魔王の封印を解きに行く時、レイチェルがついて来ていたのだろう。
ゲームを遊んでいた時にはルーファスとユウリが話しているとレイチェルが割り込んできていたから、てっきり、ただのお邪魔虫として存在しているのだと思っていた。
「……もしかして、封印を解くのにレイチェルが必要なの……?」
……もしそうだとしたら、私のしたことって……。
思わず口元を手で覆う。
「聖女様、お顔の色が悪いようですが大丈夫ですか?」
重鎮の言葉に慌てて首を振る。
「な、なんでもありません」
私が封印を解こうとしていることは知られてはいけない。
……もしそれがバレたら、多分……。
どうなるか想像したら身震いしてしまう。
私はレイチェルを魔族と通じていると言って、処刑させた。
もし私も内通していると判断されたら……。
「そうです、シェリンガム公爵令嬢が魔王の封印を解こうとしていました」
「やはりそうか。魔族と繋がっていた理由など、そうとしか思えないからな。レイチェルを処刑したのは正しかったのだ」
体が震えているのが自分でも分かった。
ルーファスは私を抱き締めてくれているけれど、震えが治ることはない。
私は魔王ルートに入るために、魔王ファウストの封印を解こうと思っている。
だけど和平のためだと言ったとしても、この雰囲気の中で信じてくれる人はいないだろう。
それどころかレイチェルの時と同様に魔族と繋がっていると非難されてしまう。
国王が口を開く。
「今はシェリンガム元公爵令嬢の話をしている暇はない。それよりも魔族の侵攻をどうやって食い止めるかが問題だ!」
顔を上げれば国王に睨まれる。
「だが、聖女ユウリよ、そなたの予言が外れ続けていることは確かに疑念を感じる。しばらくは監視をつけさせ、行動を制限する」
「父上!」
「ルーファス、お前は聖女ユウリとの面会は許さぬ。聖女ユウリが魔族と通じていないと信じるならば、監視がついたとて問題ないはずだ。疑念が晴れるまで聖女ユウリは誰とも会わせぬ」
下がれ、と言われても動けなかった。
……おかしい。どうして原作と違うの?
まだ序盤で、ここでは魔族はアーレント戦線で苦戦していて、主人公ユウリは訓練をしながら攻略対象達と仲を深めていくところなのに。
アーレント戦線が崩れるのは後半のはずなのに。
呆然と立ち尽くしていると女性騎士が入ってきて、ルーファスから引き離される。
「っ、ルーファス……!」
伸ばした手はルーファスに届かなかった。
そうして、私は部屋の外に連れ出されると、そのまま私にあてがわれている部屋に戻された。
その後、女性騎士達がずっと私のそばにつくこととなり、それが監視なのだと嫌でも気付かされる。
……なんで原作と違うの?
どこから間違ったのかと考えた時、さっきの重鎮達の言葉が頭を過る。
……私が原作にないことをしたから……?
レイチェルを処刑させたのが間違いだったのだろうか。
このままでは魔王城まで行ってファウストの封印を解くなどと悠長なことを言ってはいられなくなる。
イングリス王国が魔族に負けるかもしれないのだ。
でも、予言を何度も外したことと、魔族と通じているという噂のせいで下手に動くことも出来ない。
……どうしたらいいの。
本当に魔王の封印を解くのにレイチェルが必要なのだろうか。
そうだとしても、レイチェルはもういない。
漠然とした不安が足元から這い上がってくる。
魔王軍はすぐそこまで迫っていると国王は言っていて、それなのに他国からの助けは見込めない。
この国の軍隊でなんとかするしかないのだろうが、どうしてか、酷く不安に感じてしまう。
……私は、この国は、どうなってしまうのだろう。
不安はいつまで経っても消えなかった。
* * * * *




