吸血鬼と魔王城へ
深い森の中を進む。
わたくしの前には先ほど出会ったばかりの黄金色の髪をした吸血鬼の少女が歩いている。
後ろには同じく黄金色の、でも前を行く少女よりかは淡い色合いの髪の者達が数名ついてくる。
背中に突き刺さるような視線を感じた。
いきなり現れたわたくしを警戒しているようで、でも、それはわたくしも同じだった。
「あの、どこへ向かっているのでしょうか?」
目の前の少女へ声をかければ、前を向いたまま、少女が答える。
「魔王城じゃよ」
それに内心で驚いた。
「おぬしほどの魔力の持ち主なら、放っておくより、魔王軍に引き入れた方が良かろう。どうせ、行く当てなどないのじゃろう?」
「……ええ」
確かにわたくしには行く当てなどない。
人間であったならまだしも、今はもう、死んでリッチという魔族になっている。
人間に会ったとしても攻撃されるだけだ。
「まあ、元人間のおぬしには風当たりは強いかもしれんがのう」
それにわたくしは笑ってしまった。
「そういうことには慣れております」
人間だった時には「聖女の血筋でありながら闇属性である」ことで家族には冷たくされたし、元婚約者からも愛されず、処刑された。
風当たりが強いなんていつものことだ。
それにもう我慢するのはやめた。
「ほほ、おかしな娘よの」
少女がおかしそうに笑った。
「ところで、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか? わたくしのことはどうぞレイチェルとお呼びください」
魔族と人間は敵対している。
たとえ今のわたくしが魔族であったとしても、元は人間である。
後ろの者達のように警戒し、殺気立つのは当然だ。
しかし目の前の少女は全くそういう気配がない。
「うむ、レイチェルよ、妾はアレクシア・ムーン。吸血鬼の始祖の一人にして、魔王軍の幹部の一人である。こう見えてもおぬしよりずっと長生きしておるのだぞ」
「どのくらい生きておられますの?」
「そうじゃな、途中で数えるのはやめてしまったが千年は過ぎたのう」
どこか自慢げに言われて、わたくしはまた驚いた。
どう見てもわたくしよりも歳下の少女に見える。
魔族というのは種族によって寿命や強さが違うと勉強していたけれど、そこまで人間との間に差があるとは思わなかった。
不滅なのは魔王だけだと聞いていたから。
でも、もし本当にそれほど寿命が長いのであれば、それはもう不老不死と似たようなものだろう。
「そ、そうなのですね……」
呆れた声が前からする。
「何を驚いておる。おぬしも似たようなものじゃ」
「わたくしが?」
「リッチとは別名『不死者の王』とも呼ばれており、老いず死なずの存在である。もしかしたら妾より長生きするかもしれん」
そう言われて不思議な気持ちになった。
……わたくしが不老不死に……。
そっと胸へ手を当てたが心臓の鼓動はない。
冷たい体に触れていると、本当に人間ではなくなったという実感がじわじわと湧いてくる。
「吸血鬼の始祖とは?」
「言葉の通りよ。吸血鬼には五人の始祖がおる。妾はそのうちの一人。今いる吸血鬼達を生み出した存在であり、親のようなものよ」
「では始祖以外の吸血鬼は皆、始祖の子ということになるのでしょうか?」
「そうじゃ。だが産んだわけではない。始祖のみ、魔力から己の配下として同族を生み出す能力があるのじゃ」
そうだとしたら、わたくしの後ろにいる者達は恐らくアレクシア様の『子』なのだろう。
出産以外の方法で数を増やすとは不思議である。
「では吸血鬼の始祖とは、吸血鬼からすれば貴い存在なのですね」
「その通りよ。おぬし、理解は早いようじゃの」
ほほほ、とアレクシア様が笑う。
「そんな妾が何故おぬしを拾ったのか疑問じゃろ?」
それに頷き返す。
「はい。教えていただけますか?」
「うむ」
アレクシア様が立ち止まり、振り返る。
「レイチェルよ、おぬしに魔王様の復活の手助けをしてほしいのじゃ」
それにギクリと肩が跳ねた。
前世の記憶が頭を過る。
……それは、わたくしにまた死ねと……?
「どういうことでしょう……?」
「リッチは不死者の王と呼ばれているだけあって、死者蘇生を行える。まあ、大抵はスケルトンやゾンビになってしまうがの。しかし魔王様は違うのじゃ」
「?」
「魔王様もまた不死者であるが、初代聖女の封印により、死した状態のままなのじゃ。魔族には無理でも、もしかすれば元人間のおぬしならば封印を破れるやもしれん」
シェリンガム公爵家に代々伝わる話にもあった。
魔王は何度討ち倒しても死なず、そのため、初代聖女様は魔王を討ち倒した際に生き返らぬように封印を施したという。
どうやらその初代聖女様の封印を解きたいらしい。
「おぬしにとって損はない。魔王様が復活すれば、おぬしはその功績から魔王軍の幹部として招き入れられるじゃろう。おぬしは居場所を手に入れ、我々は魔王様と再会出来、力を得る」
首を傾げた。
「力を得る?」
「魔王とは魔族の頂点に位置するだけではない、ということじゃ。魔王様がいなければ、我々魔族は本来の力を発揮出来ん」
そこで、ふと、気が付いた。
魔族は魔王がいなければ実力を発揮出来ない?
では、もし今、魔王が復活したら、人間と魔族との争いはどうなるのだろうか。
現在、人間と魔族の戦争は拮抗状態にある。
聖女ユウリの予言により、魔族を退けて人間側がやや優勢に回っているだけで、戦力差はさほどない。
この状況で魔王を復活させたら?
じわ、と胸のうちにどす黒い感情が込み上げてくる。
少なくとも、力は魔族側が上になるのでは。
そして、わたくしの前世の知識も活かせるのでは。
……復讐、出来るかもしれないわ。
ふふ、と思わず笑みが漏れる。
「アレクシア様」
……ああ、神様、ありがとうございます。
「わたくし、人間が大嫌いですの。喜んで魔王様の復活のお手伝いをさせていただきますわ」
彼らに復讐を。地獄を見せ、絶望を与えたい。
初代聖女の直系たる公爵家の令嬢・レイチェル=シェリンガムを殺したことを、後悔させてあげましょう。
* * * * *
レイチェルというリッチの娘が承諾したことに、アレクシア・ムーンはうっそりと微笑んだ。
どうやらこの娘、人間を憎んでいるらしい。
檻に入れられていたこと、死んだことと、何か関係があるのかもしれないが、そのようなことはどうでもいい。
重要なのは魔王の復活だ。
魔王とは、原始の魔族であり、魔王種という特殊な魔族であり、そして全ての魔族に繋がる存在であった。
魔王が強くなれば、魔族もまた、呼応して強くなる。
現在は魔王が死した状態にあるため、繋がりが薄く、魔族全体が弱体化してしまっている。
八百年ほど前の初代聖女との戦いで魔王が封じられて以降、どんどん魔族は弱まり、このままではいつか人間に負けてしまう。
その間、魔族側も必死に魔王の復活を試みた。
だが聖女の施した封印に阻まれて行えない。
それに復活に必要な魔力が足りない。
前にもリッチはいたが、その者は長く生き続ける中で精神を狂わせ、最後には人間に聖魔法で浄化されてしまった。
リッチとは闇属性魔法の持ち主であり、相当量の魔力を持った人間の神官が憎しみなどの強い感情を持ったまま死ぬと稀に生まれる魔族である。
……良い時にレイチェルは生まれてくれた。
一日前、配下の吸血鬼から境界線で強い魔力反応を感じたというので様子を見に来てみたら、そこにいたのがレイチェルであった。
恐らくリッチになった際に膨大な魔力があふれたのだろう。
今でもレイチェルからは濃い闇属性の魔力を強く感じる。
元より魔力量の多い人間だったのだろうが、死してリッチとなったことで、内に秘めた力が解放され、更に魔力量が増したらしい。
配下の吸血鬼達も強い魔力を感じているから、警戒はするものの、手を出さないのだろう。
魔族は実力主義の世界である。
自分より力のある者、強い者に従うのだ。
……思った以上に良い拾いものが出来たのう。
これほどの魔力があれば、今度こそ、聖女の封印も解けるかもしれない。
……ファウストよ、早う目を覚ましておくれ。
古き友人と言葉を交わしたい。
魔族の誰もが皆、魔王の目覚めを待ち望んでいる。
「アレクシア様」
レイチェルに呼ばれて意識を戻す。
「なんじゃ?」
「わたくしを拾ってくださったこと、絶対に後悔させません。必ずや、魔王様を復活させてみせましょう」
自信を感じさせる声に、ほう、とアレクシアは訊き返した。
「なんぞ、封印を解く方法を思いついたか?」
魔族では決して破れない聖女の封印。
忌々しいあれを破れるなら、元人間だろうがアレクシアにとっては些細なことである。
大事なことは魔王の復活。それだけだ。
「はい」
それにアレクシアの勘が囁く。
この拾いものはきっと役に立つ、と。
「では、早う行くとしようかのう」
もう八百年も古き友の声を聞いていない。
途切れかけた繋がりが恋しい。
また昔のような力を振るいたい。
差し出したアレクシアの手に、ほっそりとしたレイチェルの手が重なった。
* * * * *
「お、落とさないでくださいませ……!」
物凄い速さで空を飛んでいる。
わたくしを抱きかかえて空を飛んでいるのは、アレクシア様だ。
その背中にはコウモリのような漆黒の翼が生えてはいるが、それで飛んでいるというよりかは、魔法を使用し、翼は補助的な役割を果たしている風だった。
「なに、おぬしくらいの重さなどあってないようなものじゃて。しっかり掴まっておれ。まあ、落としたとしてもおぬしならば死なぬ」
「い、痛いのは嫌ですわ!」
「リッチに痛覚があるのか?」
逆に訊き返されて首を傾げた。
「え? いえ、分かりませんが……」
一度死んだ身だ。痛覚はあるのだろうか。
答えに窮しているとアレクシア様が笑う。
「ほほほ、一応、落とさぬように気を付けてはやろう。魔王様の復活前に再生で魔力を消費されても困るからのう」
話しながらもビュンビュンと空を駆け抜けていく。
深い森も、村らしき場所も、どんどん流れて見えなくなる。
風は冷たいが、死んだからか、寒さは感じない。
わたくしより歳下に見える少女に横抱きにされているのは少々落ち着かないけれど、空を飛ぶという感覚は気分が高揚する。
人間の魔法でもこんなに速くは飛べない。
「魔王城までこのまま飛ぶ」
ひょいと抱え上げられた時は何の冗談かと思ったものの、さすが魔族と言うべきか、見た目に反してかなり力持ちらしい。
それに魔力も多いようだ。
あれからずっと飛び続けているのに、アレクシア様は疲れた様子が微塵もない。
配下達はアレクシア様の影に入っている。
なんでも吸血鬼は同族の影ならば入ることが出来て、影から影への移動も可能なのだとか。
アレクシア様が全力で飛ぶと配下の吸血鬼達でも追いつけないため、影へ入れることにしたようだ。
吸血鬼と言っても始祖であるアレクシア様は日差しに当たっても問題ないが、配下達は日に当たると弱体化するそうで、今から魔王城へ向かっても昼を過ぎることもあって影で先に移動させたみたいだ。
「そういえばレイチェルよ、おぬし、服はどうしたのじゃ? 妾も多くの人間を見てきたが、おぬしほど粗末なものは着ておらなかったぞ?」
そう言われて苦笑してしまう。
「わたくしは貴族の娘でしたが、冤罪により、処刑されたのです」
「冤罪とな? どのような罪を着せられたのじゃ?」
「死霊術が得意で、闇属性の魔力を持っていたため、魔族に加担していると。やがて王国に害をなす、と」
……でも、その予言は間違いではないわね。
わたくしは処刑されてリッチとなり、こうして魔王を復活させるために魔族側につこうとしている。
アレクシア様が呆れた顔をした。
「なんとも、人間とは愚かなことよ。だが、そのおかげでおぬしを魔族側に引き入れられたと思えば、その愚かさも我らの役に立っておるな」
それにわたくしも頷いた。
「はい、ですからわたくし、思いましたの」
穢らわしいと、魔族に加担していると言われた。
冤罪だったのに処刑され、公爵令嬢としての尊厳も、弁明も許されなかった。
「リッチになれたことは幸いでした」
わたくしを殺した彼らに復讐を。
「彼らの言う通り、魔族になって復讐出来ます」
アレクシア様が「皮肉じゃのう」と言う。
「冤罪で処刑したおぬしが本当に魔族につくとは」
わたくしは魔族のリッチとして生きていく。
もう、人間のために何かをするなんてうんざりだし、わたくしを愛さない人を愛する気力もない。
「魔族は実力主義じゃ。おぬしは魔力量もかなりある。死霊術が得意ならば尚更重用されよう。妾がしばらくは後見人として面倒を見てやっても良い」
「ありがとうございます、アレクシア様」
わたくしが魔王を復活させてみせる。