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侵攻(2)

* * * * *






 魔王軍がこのエシュトラートの街まで来た。


 その事実に街の者達は皆、恐れ慄いた。


 街の外に魔王軍がおり、いつ、魔族が襲いかかってきても不思議はない。


 魔王軍が街に到達したのは夕方にさしかかる少し前のことであったが、夜になると、風向きのせいか、腐敗臭が街に流れてきた。


 それだけではない。


 日が落ちると、森の中に松明らしきものの明かりが現れた。それは一つや二つではなく、街を取り囲むように現れ、時折、大勢が一斉に地面を踏み鳴らすような音が響く。


 その音は城壁の上で警備に当たっている兵士だけでなく、外壁近くに住んでいる者達にも聞こえるほどだった。


 不定期に聞こえてくるその音は不安を掻き立てる。


 松明は三重に街を囲っており、相当数の魔族がいることを窺わせた。


 兵士達も住民も眠れない夜が始まったのだ。


 一方、月が西に大分傾きかけた頃、ヴィルヘルム率いるドラゴン部隊は一頭に一つ、巨大な箱をぶら下げて地面から飛び立った。


 その箱の中には大勢のゾンビとスケルトン、そして今回の戦いに志願した魔族達が乗っていた。




「この輸送箱の乗り心地はともかく、ゾンビの臭いだけは最悪だぜ。鼻が曲がりそうだ」




 ヴィルヘルムの運ぶ箱に乗ったロドルフがぼやく。


 一応、ロドルフ達魔族が乗る箱は他の箱よりゾンビの数が少なくなっているけれど、腐り始めた死体の強烈な臭いがそれで緩和されるわけではない。


 住民達の恐怖心を引き出して混乱させるためとは言えど、わざと腐ったゾンビが選ばれているせいで余計に酷い臭いだった。




「そういう時、ウェアウルフってのは不便ですね」




 そう言ったのは同じく志願して輸送箱に乗った人狼で、何故か人間に擬態している。




「お前は臭くねーのか?」


「臭いですよ。でも人間に擬態して、嗅覚も人間と同じくらいにしているのでまだマシです」


「今だけは人間に擬態出来るのが羨ましいな」




 魔族同士はたとえ人間に擬態していても分かるので、人狼や吸血鬼達が人間に扮していても判別がつく。




「それに、人間のふりして紛れ込んだ方が狩りがしやすいんですよ。ほら、人間は同胞かどうか見た目で判断しますから、鎧を奪って着るだけで簡単に騙せるんですよ」


「それで後ろから襲いかかるってか?」


「ウェアウルフからしたら卑怯者に見えるかもしれませんけどね」




 ゆらゆらと揺れる輸送箱が街の上空にくる。




「昔ならそう言ったかもしれねーが、今はそうは思わないさ。人間に勝っても魔族に大きな被害が出たら、結局は魔族も弱っちまう。魔王妃様が作戦を練るのと一緒だろ?」




 人狼の男が驚いた顔で振り向いた。


 そうしてニッと笑った。




「ロドルフ様、変わりましたね」




 それにロドルフがフンと小さく鼻を鳴らす。




「魔王妃様は俺みたいな馬鹿にも分かりやすく説明してくださるからな。俺達ウェアウルフも、いつまでもただ突撃してりゃあいいって時代でもねーし、人間が頭を使うなら、こっちも頭を使わなきゃやられちまう」


「まあ、考えてくださるのは魔王妃様ですが。でも魔王妃様も凄い方ですよね。今だってああして死者の軍団を街の外に配置することで見張りの目を空から逸らしてくれていますし」




 ロドルフは思わず人狼の男を見た。




「よく口の回る奴だな」




 ロドルフは魔王軍の幹部だけあって強い。


 それは自他共に認めており、元より短気な性格もあって、あまりロドルフに意見をする者は多くない。


 こうして軽口を叩いているが、このようにロドルフに接する者はウェアウルフでも少ないのだ。




「すみません、昔っから喋るのが好きで。うるさかったですか?」


「いや、お前、名前は?」


「キースです」




 ロドルフは笑った。




「じゃあキース、これが終わったら俺のところに来い。お前を俺の部隊に加えてやる」




 ロドルフの言葉に人狼の男は目を丸くした。


 人狼はロドルフの配下ではあったが、あくまで、ロドルフを頂点とした大きな軍隊の末席、一兵士みたいなものだった。



「え、俺を? ロドルフ様の部隊って、確か、みんなウェアウルフですよね?」


「ああ、だが、今後は人狼も加えていくつもりだ。人間に擬態出来る人狼がいれば、役に立つからな」




 人狼は嬉しそうに笑った。




「俺達人狼も魔族の役に立てるんですね」




 ゆら、と箱が一際大きく揺れた。


 頭上から「降下する」とヴィルヘルムの声がして、ロドルフとキースは顔を見合わせ、輸送箱の柵にしがみつき、衝撃に備えた。


 箱がやや傾き、ぶわっと浮遊感に包まれる。


 その数秒後、ズシンと輸送箱は着地した。








* * * * *








 ズシン、という大きな音は広場周辺に住む者達の耳に聞こえてきた。


 その音に怯える者もいたが、大半は、何の音だろうかと外へ出た。


 彼ら、あるいは彼女らは、何の音か分からずに首を傾げたが、広場に面した家に住む者達は、広場に突如として現れた箱を不思議に思った。


 そして、その箱の一部が開くと、そこから何かの影が出てくるのが月明かりの下で見えた。


 何だろうとよくよく目を凝らし、その影の正体に気付いた瞬間、住民は叫んだ。




「ま、魔族だ!!」




 静かな夜に、その声はよく通った。


 同時にその声を聞いた者達は動揺し、混乱した。


 外壁沿いならばともかく、何故、この街中に魔族が突如として現れるというのだろうか。


 嘘ではないか。何かの間違いではないか。


 そう思う気持ちが湧き上がる。


 しかし、それは希望的なものでしかなかった。


 どこからともなく、重低音の咆哮が響き渡った。


 気の弱い者はそれだけで腰を抜かす。


 だが、その咆哮はなんと街のあちらこちらから聞こえてくる。




「ひっ、な、何が起こってるんだ……?!」




 ある家の者達は扉と窓の板を固く閉ざして引きこもり、ある者達は家財を捨てて慌てて警備隊の宿舎に向かって逃げ出した。


 いくつかの箱から出てきた魔族達が広場を埋め尽くす。




「行くぞテメェら! 人間を殺し尽くせ!!」




 遠吠えのような声が響き、それに呼応するように街中から遠吠えが返る。


 それによって住民達は今度こそ混乱の渦に陥った。


 慌てふためき、逃げ惑う住民達の悲鳴がすぐに、断末魔へと変わったのは言うまでもない。








* * * * *









 その報告があったのは翌日の昼だった。




「ヴィルヘルム様、ロドルフ様よりご報告! エシュトラートの街の占領に成功いたしました!」




 報告をしに来たのはヴィルヘルムの配下だった。


 ドラゴンは空を飛べるため、地で馬を駆けさせるよりもずっと短時間で連絡を取り合うことが出来る。


 だから基本的に魔王軍の連絡手段はドラゴンだ。


 たとえ飛竜に襲われたとしても、ドラゴンであれば、そう簡単にはやられない。


 報告を聞いたわたくしは微笑んだ。




「ありがとうございます。さすが皆様ですね」




 街一つ占領したことを考えれば早いくらいだった。


 恐らくドラゴン部隊も参加したのだろうが、基本的にドラゴン達には輸送を主に行ってもらった。


 志願者とスケルトンやゾンビ達を乗せた輸送箱をドラゴン達は何度も往復して運び続けた。


 着陸し、同胞達が出た後、箱を回収し、次のドラゴンはまた輸送箱を持ってくる。


 次から次へと行うことで人員を絶えず増やし続けた。


 最初は少人数で大変だっただろうに、ロドルフを含む志願者達はよく戦ってくれたものだ。


 横にいたエヴァルト様が言う。




「よくやった」




 たった一言だけれど、報告に来たドラゴンは嬉しそうにこうべを垂れた。


 魔族にとって、魔王からの言葉は特別なのだろう。




「確認をしに行ってくるわ」




 立ち上がれば、エヴァルト様に引き止められる。




「一人で行く気か?」




 真紅の瞳が非難するようにわたくしを見た。




「……エヴァルト様も一緒に来る?」


「ああ、私も共に行こう」




 立ち上がったエヴァルト様に手を差し出され、それにわたくしは自分の手を重ねた。




「では、先に行ってヴィルヘルム様とロドルフ様にお伝えして参ります」




 ドラゴンは一度深く頭を下げ、即座に飛び立った。




「ずっと座ってばかりだったのだ。たまには一緒に散策するのも悪くないだろう?」


「ええ、そうね」




 一瞬で闇に包まれたが、怖くはない。


 闇からはわたくしと同じ魔力の気配があった。


 そして次の瞬間にはエシュトラートの街の、外壁にある門の前にいた。


 わたくしの手とは繋がっていない方の手を、エヴァルト様は門にひたりと押し当てた。


 次の瞬間、分厚い門がぐしゃりとへこみ、エヴァルト様が軽く押すと、その扉は街の内側に向かって倒れていく。


 ズズン、と地響のような音がして扉が地面へ倒れた。


 扉がなくなると同時に街の中から濃い血の臭いが漂ってくる。


 エヴァルト様と街の中へとゆっくり歩いて入った。


 エシュトラートは美しい街だったのだろう。


 だが今は、どこもかしこも血だらけだった。


 そうして、死んだ人間達が転がっている。


 それらを見てもわたくしは何も感じなかった。


 どこからか少し遠くでは人間の悲鳴らしきものが、まだ聞こえてくるけれど、どうでもいい。




「良い景色だな」




 エヴァルト様の言葉にわたくしは頷いた。




「無事、落とせて良かったわ」


「まだ人間は残っているようだが、これならば時間の問題だろう。どこへ向かいたい?」


「街の中心に。死霊術で死者を蘇らせれば、更に軍団が増えるわ。この街一つ分もあれば、また次の村や街を落とすのが楽になるもの」




 エヴァルト様が愉快そうに低く笑った。




「死者の軍団は役に立つ」




 その言葉が嬉しくてわたくしも笑みこぼれる。




「でしょう?」


「ああ、レイチェルを迎え入れられたことは、もしかしたら私の一番の功績になるやもしれん」


「まあ、それは言い過ぎよ」




 でも、そう言ってもらえるくらい、わたくしが役に立てているのだと思うと良い気分だった。


 それに、着実に王都へ進んでいる。


 こうして村や街を潰しながら進むことで死者の軍団は増え、魔王軍は更に強化されていく。


 つまりはわたくしの望んだ未来にも近づいている。


 これほど愉快なことはない。




「魔王様、魔王妃様」




 頭上から声がして、目の前にヴィルヘルムが降り立った。




「ヴィルヘルム、良い成果を上げたな」


「はっ、勿体ないお言葉でございます。……街の中央にある領主の館まで、道は開けてあります。魔王様と魔王妃様の邪魔にはならないでしょう。領主の館はロドルフが占領しております」


「そうか、ご苦労」




 ヴィルヘルムは一礼すると、飛び立った。


 エヴァルト様がわたくしを見る。




「行こうか」


「ええ」




 わたくし達は街の中を歩いた。


 思えば、こうして街を歩いたのは初めてだった。


 公爵令嬢だった時、幼い頃には既に王太子の婚約者であったため、気軽に街を出歩くことは許されなかった。


 公爵家と王城を往復するだけ。


 夜会や茶会があれば馬車で目的地まで行く。


 こんな風に街を眺めながら歩く時間などなかった。




「こうして誰かと街を歩いたのは初めてだわ」




 買い物は全て商人が邸へ来た。


 わたくしが自由に動くなんて許されなかった。


 エヴァルト様は「そうか」とだけ言ったけれど、その表情は柔らかかった。




「王都まで辿り着き、王家を滅した後、王都を死者の国にすれば良い。そうすればレイチェルも好きに街を散策出来るだろう」




 それにわたくしはエヴァルト様を見上げた。




「死者の国?」


「女王はあなただ」




 繋がった手にエヴァルト様が口付けをする。




「どうせなら魔族の国にしましょう。魔族が住むの。周辺国はきっと慌てふためくわ」


「ははは、それも一興だな」


「そうしたら魔王国として、エヴァルト様が国王に、わたくしが王妃になって、そこから更に侵略してもいいわ」




 よほど面白かったのかエヴァルト様は楽しげに笑い、そして頷いた。




「レイチェルの好きにすれば良い」




 でも、エヴァルト様は国にはあまり興味はなさそうだ。


 ただイングリス王国を潰した後に戻れば、王都は別の国の領土となるだろう。


 もしかしたら周辺国で土地を分配するかもしれない。


 せっかく奪った場所を無償で与えるなんて面白くないし、そうなれば周辺国の国力が上がってしまう。


 そうさせないためにも、要であったイングリス王国は魔族領にしてしまう方が良い。


 エヴァルト様と魔王国の話をしているうちに、目的地に到着した。


 領主の館の前ではロドルフが待っていた。




「魔王様、魔王妃様、お待ちしておりました!」




 やけに上機嫌なロドルフに首を傾げる。




「機嫌が良さそうですね」


「これだけ暴れられれば機嫌くらい良くなるさ!」




 ウェアウルフはよほど戦いが好きなのだろう。




「そうだ、魔王妃様、首を刎ねた死体は中庭に集めておいたぜ。デュラハンにするって言ってただろ」


「まあ、ありがとうございます。街中に散らばっていたら歩き回らなければと思っていたので助かります」




 エヴァルト様がロドルフに言う。




「中庭まで案内せよ」


「かしこまりました。こちらです」




 そして領主の館の中へと入る。


 廊下や部屋は血まみれで荒れていたが、死体は邪魔だからかどこかへ移動されたようだった。


 建物を通り抜け、中庭へ出る。


 そこには首のない死体が山積みにされていた。


 首は脇に置かれて小山になっていた。




「これならばデュラハン部隊を作れそうね」




 生前の意識や知識を持ちながらも、蘇らせた術師に忠誠心を持つデュラハン。


 本で読んだことはあるけれど生み出すのは初めてだ。




「魔王妃様の配下に丁度良さそうだな」




 ロドルフの言葉に頷き、死体の山へ手を翳す。


 死者の軍団もかなり数が増えて、纏めるのに苦労し始めてきたので、デュラハンがいればある程度は指揮を任せられるだろう。


 魔王妃わたくし直属の配下・デュラハン部隊。


 きっと、今後の役に立つだろう。







 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 生前のレイチェルの死霊術で心救われた人が王都にいると思うので、魔王軍が侵攻する度、レイチェルを慕っていた数少ない人間が殺される場面が近づく気がして、ほんのちょっと良心が痛んでました。 …
[気になる点] ずっと、スケルトンと一緒にマミーが大量発生しているのが気になっていて、『腐敗臭』『腐りかけ』などの描写から、いわゆるゾンビとか殭屍のたぐいだと思うのだけど、だとすると何故マミー(ミイラ…
[一言] 仕事の出来るロドルフ様! 首無しさん達を一ヶ所に! デュラハン達の出来上がり! リユース・リデュース・リサイクル、でしたっけ? エコだなあ。(^^;
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