侵攻(1)
「これよりイングリス王国に侵攻する」
エヴァルト様の言葉に魔族達が歓喜の咆哮を上げる。
それは地響きかと思うほどの大きさだった。
エヴァルト様が封じられてから、魔族は段々と弱り、人間達との戦いは苦戦を強いられるようになっていたそうだ。
このままではやがて魔族は負け、滅びる。
でも、そうはならなかった。
魔王が復活した。
そのことは魔族達に何よりも活力を与えたようだ。
「イングリス王国には聖女もいる。聖女は人間の軍の要だ。それを潰してしまうのだ。人間を殺せば殺すほど、我が妃によって死者の軍団が増え、侵攻が容易になる。同胞達よ、人間を殺せ」
ウォオオオッと雄叫びが響く。
エヴァルト様の命令が嬉しくて仕方ないという風で、どの魔族も目を爛々と輝かせていた。
そうして、わたくし達の侵攻が始まった。
落としたアルファディア砦から街道沿いに、まずはゾンビとスケルトンの死者の軍団を先行させる。
その次にオークやグールなどの魔族の中でも低位に位置する者達、次に人狼などの中位の者達、そして吸血鬼やウェアウルフなど高位の者達。
わたくしとエヴァルト様、そしてこの遠征に同行しているヴィルヘルムとロドルフ、ヒルデは高位の列に混じっている。
アレクシアとファーレンは魔王城の守護として残っている。
徒歩での侵攻だが、魔族は人間よりも体力があるため、一日で歩ける距離は人間よりもずっと長い。
それに、途中途中の村や街を襲いながら進むことである程度の補給も出来る上に、低位の魔族の大半は人間を食べるので、食べ物にはあまり困らない。
足りなければ周辺を探せば人間の住む場所はいくらでもある。
それにヴィルヘルムのドラゴン部隊も魔王城と軍とを行き来して、必要な物資を運んでくれる。
何も困ることはなかった。
……戦争では補給物資の輸送が大事なのよね。
王太子の婚約者としての教育の中にそれはあった。
どんなに強い人間でも、水や食べ物がなければ生きていけないし、それらを欠かせば弱くなる。
その点、ドラゴンの輸送隊は優秀だった。
大量の物を短時間で運べるのだ。
兵站問題に悩まされることがないのは大きい。
「それにしても、魔族にも馬車があるのね」
ガタゴトと揺られながら呟く。
「まさか歩いて進軍するつもりだったのか?」
「いえ、馬に乗ってだと思っていたの」
エヴァルト様の問いに返す。
だが、実際は大きな馬車に揺られている。
その馬車を引く馬も普通ではない。
スレイプニルという魔獣だそうで、八本の足を持ち、気性が荒く、頑丈で、力も体力もある。
そんな魔獣が馬車を引いている。
御者はアレクシアの配下の吸血鬼だ。
「レイチェルは馬に乗れるのか?」
「人間の使っている馬なら乗れるけれど、スレイプニルは無理だわ」
「そうでもない。レイチェルは魔力量が多いだろう。スレイプニルは本能で相手が自分より強いか判断する。今のレイチェルならばスレイプニルを屈服させて乗ることも出来る」
「自分より弱い相手だと?」
「乗せない。無理に乗ろうとすれば蹴り殺される」
……よく良い子で馬車を引いてるわね。
若干の不安を感じたものの、不死者なので、何かあっても死ぬようなことはないだろう。
エヴァルト様が膝の上に地図を広げる。
「今はここだ。そして、イングリス王国の王都はここだな。この速度で行くならば三週間と少しで到着するだろう」
アルファディア砦が陥落した二日後に出発したので、早馬が王都に到着するのは昼夜駆け続けても五日後。
王都の方では準備に二週間半ほど余裕がある。
ただし、その準備を進ませない方法があった。
「ヒルデ、計画の方は順調ですか?」
同じく馬車の中に乗っているヒルデに訊けば、嬉しそうに「うふふ」と笑って頷いた。
「ええ、順調よ〜。周辺国の偉い人間達に私の配下達を当てがってあるわ〜。私達の魅了はとっても強いから、一度かけてしまえば簡単には解けないもの。きっと良いように動いてくれるわよ〜」
イングリス王国自体はそれほど大きな国ではない。
実は軍隊の数も、他国に比べると少ないのだ。
その理由は周辺国と結んでいる和平条約にある。
アーレント戦線を持つイングリス王国は、魔族との戦いの最前線に立つ代わりに、周辺国から資金と人員、武器などを供与してもらう。
そしてイングリス王国とその周辺国は魔族を討ち亡ぼすまでは互いに戦争をしないと決めてある。
だからイングリス王国は軍が少なくても問題がない。
攻め込まれることもないし、対魔族の軍は周辺国から資金や人員、武器などが自然と流れてくる。
しかも他国がイングリス王国に攻め込もうとすれば、他の国々がイングリス王国を助けてくれる。
だからイングリス王国自身はあまり軍に予算や人員を割いていなかったりする。
……まあ、他国からは良く思われていないけれど。
しかしイングリス王国が魔族に攻め滅ぼされれば、周辺国は今度は国境沿いで常に魔族との戦争になってしまう。
そうなれば互いに助け合う余裕などなくなる。
それならば戦線のあるイングリス王国に金と人、武器を与えて、任せておけば良いということだ。
「では予定通り周辺国がイングリス王国に支援しないように操っていただけますか?」
「は〜い、大丈夫よ〜。今は人狼部隊が派手に暴れてくれてるから、国内に潜む魔族に対処する方が先決だって囁かせておくわ〜。ついでにきっと他の国が動いてくれるって言っておけば、なら自分は動かなくていいって思ってくれそうね〜」
「それはいいですね」
今現在、周辺国はそれぞれに送り込んだ複数の人狼部隊があちこちで村や街を襲い、国中、大騒ぎになっているだろう。
民はいつ自分達が襲われるかという不安と恐怖から王家や国の上層部に不満を抱き、すぐに解決しろと声を上げる。
国の上層部もそれに応えることになるはずだ。
そうしないと民衆の心が離れてしまう。
国内のことに人手が使われるだろう。
もしイングリス王国から人員や資金、武器の催促をされたとしても、そこまで回す人員はないか、あっても少ない。
そして自国内の問題を優先させて、他国が応じるだろうと思わせておく。
もしも、周辺国全てが同じように考えていたら?
その結果、イングリス王国はどの国からの支援が得られなければ、侵攻する魔族と自国の軍だけで戦わなければならなくなる。
「今日は嬉しそうだな」
エヴァルト様に頬を撫でられる。
「上手くいけばとても愉快なことになるわ」
「そうだな、私に何か手伝えることはあるか?」
額に口付けられる。
「エヴァルト様には魔王軍を借りているもの。これ以上の手伝いはないと思うけれど……」
「それは私自身が何かしたわけではないだろう。私は、レイチェル、あなたのために何かしたいのだ」
その言葉が嬉しい。
人間だった頃には誰も言ってくれなかった。
「そばにいてくれるだけで十分だわ」
頬に触れる手に、わたくしの手を重ねる。
「わたくしの復讐を見守って。もしわたくしが負けそうになったら、助けてほしいの」
「もちろん我が妃だ。助けよう。だが、それまでは手出し無用ということだな?」
それに頷き返す。
「ええ、わがままでごめんなさい」
「あなたが謝罪する必要はない。夫は妻を守り、助けるものだ。それにレイチェルの復讐が成功すれば、その後のあなたの心は私だけに向いてくれるだろう?」
言われて想像してみる。
復讐を果たした後、わたくしはどうなるだろうか。
目的を達成させたら何もなくなってしまいそうだ。
……でも、何も残らないわけではないのね。
その後もわたくしのそばにはエヴァルト様がいる。
魔族達が、きっと、わたくしを魔王妃様と呼び、永遠に忠誠を誓うだろう。
「あなたの心が全てほしい」
もう一度額に口付けられる。
復讐を果たしたら、わたくしはエヴァルト様を深く深く愛するだろう、と思った。
前世の推しキャラだからじゃなくて。
わたくしの復讐を手伝ってくれた方だから。
わたくしに温もりと愛を与えてくれた方だから。
わたくしを求めてくれた唯一の方だから。
復讐を成し遂げて足が止まった時、わたくしはエヴァルト様に本当の意味で捕まるのかもしれない。
それでもいいと思えてしまうのは、エヴァルト様を好きだと気付いてしまったからだろうか。
* * * * *
ザッ、ザッ、ザッ、ザッと音が響く。
これまで二つの村を襲い、潰し、元いた死者の軍団にゾンビが新たに追加されていった。
アーレント戦線で殺した人間を含めると、死者の軍団だけでも数万はいる。
その数万の、特にスケルトンの一糸乱れぬ歩みがこの音を立てていた。
スケルトンの前を行くゾンビ達は左右に体を振りながら、たまに横にいる同じゾンビに肩をぶつけつつ、スケルトンの音に合わせるように歩いている。
ゾンビとスケルトンからなる死者の軍団を感じてか、街道沿いにいた動物達は逃げ、森は酷く静かだった。
死者の軍団の次に低位、中位、高位の魔族が続き、そして上空にはドラゴンが飛翔しており、周囲の警戒も兼ねていた。
ヴィルヘルムはそれを上空から眺める。
一言で述べるなら、圧巻に尽きる。
ヴィルヘルムは滑空しながら馬車の上で低く飛ぶ。
「魔王様、もうすぐエシュトラートの街に到着します」
念話で伝えれば中から「そうか」と返事があった。
ややあって、軍全体に念話で「止まれ」と指示があり、軍はピタリと歩を止めた。
死者の軍団は魔王妃様が操っているため、そちらで止めたのだろう。
ヴィルヘルムは姿を変えて停止している馬車のそばに降り立った。
馬車の扉を叩き、中から声がして、扉を開ける。
「本日はここまでだ。皆を休ませておけ」
魔王様の言葉にヴィルヘルムは訊き返した。
「街への侵攻はどうされるおつもりで?」
「それについてはドラゴン部隊に出てもらいます」
魔王妃様が言った。
「砦の時と同様にしようと思います。ただし、運ぶのは魔族ではなく、死者の軍団です。街にはいくつも広場があるから、そこにまた輸送してもらいたいのです」
「死者の軍団だけか?」
「ここで大切な軍を消耗させないためです」
ふむ、とヴィルヘルムは考える。
馬車の中にいるヒルデは特に何も言うことはないようだが、ロドルフは少しつまらなさそうな顔をしていた。
「今後別の街や村も襲います。その際には好きなだけ暴れていただくことになりますから、それまでは体力を温存してください」
魔王妃様の言葉にロドルフが言う。
「体が鈍っちまう」
魔王妃様が苦笑した。
「どうしてもと言うのであれば、混ざっても構いませんが。疲れませんか?」
「目の前に人間がいるのに何も出来ないことの方がイライラするぜ。俺達ウェアウルフは特に戦いが一番好きだからな」
「では参加したい者を募ってください。死者の軍団と共に一緒に中へ入り、スケルトンやゾンビでは敵わない者がいたら殺してください。あ、そういった者達は殺した後、首を切断しておいていただけますか?」
「いいけど、何でだ?」
魔王妃様がふふふと笑う。
「強い者はただのゾンビにしてしまうのは勿体ないので、デュラハンにして従わせてしまおうかと」
「分かった。他の奴らにも言っとく」
「それと、これくらいの規模の街ならば飛竜部隊もあるはずです。そちらはヴィルヘルム達にお願いしても大丈夫ですか?」
訊かれて、ヴィルヘルムは頷いた。
「問題ない」
アルファディア砦の時には、ほぼ奇襲だったため、飛竜部隊が出る間もなく陥落したが、これほどの街になればそこそこの数の飛竜がいるだろう。
だが空中戦ならばドラゴンは負けはしない。
アーレント戦線でも偵察の飛竜部隊をいくつも潰したし、何度も戦い、人間達の空中戦も理解している。
それに魔王妃様が満足そうに微笑んだ。
「輸送は前回の砦同様深夜に行います。今回は見つかるので、ドラゴンは気を付けてください。それまでは待機です」
「分かった」
「了解した」
ヒルデがつまらなさそうに唇を突き出した。
「ねえ、魔王妃様、私達は〜?」
魔王妃様が微笑んだ。
「もちろん仕事はあります。ヒルデ達には先に行って、先々の街や王都へ侵入したらエシュトラートから逃げてきた人間のふりをして噂をばら撒いてもらいたいのです」
「あら、どんな噂かしら〜?」
「『実はイングリス王国の聖女は魔族と繋がっている』という噂です。たとえば『魔族の動きを先読みで出来たのはそのせいだ』とか『聖女の力を使わないのは、使うと魔族に不利になるからだ』とか、そんな風にしてください。魅了で操れば噂もあっという間に流れるでしょう」
ロドルフが鼻に皺を寄せる。
「聖女と魔族が繋がってるなんて嫌な噂だぜ」
「ごめんなさい。でも、そういう噂を流しておけば人間達は次第に聖女に疑念を持つようになります。しかも魔族が侵攻する中で、何度も予言を外したら、不信感も募るでしょう」
ヒルデが頷いた。
「じゃあ私達は先に行ってるわ〜」
「ええ、それと『エシュトラートの街は聖女が予言を黙っていたせいで魔族の手に落ちた』とも噂してもらえますか?」
「了解しましたわ〜」
ヒルデが立ち上がると馬車を出る。
そして配下達の方へと向かっていった。
「ヴィルヘルムは輸送用の箱の準備をしておいてください」
「ああ、承った」
魔王様が魔王妃様の頭を撫でる。
魔王様の機嫌がかなり良いのが伝わってくる。
恐らく他の魔族にもそれは影響しているだろう。
ロドルフも馬車から降りてくる。
「俺も準備するか」
邪魔者は消えようという風にロドルフに肩を叩かれ、ヴィルヘルムは一礼してから扉を閉めた。
* * * * *




