砦陥落
* * * * *
四日後の深夜、月がやや西に傾いた頃。
アルファディア砦より少し離れた森の中に、ファーレン・テインとその配下の吸血鬼達が集っていた。
そこから更に離れた場所では、恐らく既にヴィルヘルム達ドラゴンとロドルフの弟ウィルドが率いるウェアウルフや人狼などの魔族達が準備を整えているはずだ。
ファーレンが配下へ振り返る。
「さあ、皆いいかい? 僕達はこれから同胞達があの砦を落とせるように、先に行って見張り達を殺す必要がある」
普段の大げさな動作や口調ではない。
静かで、落ち着いたファーレンに配下達が頷く。
「僕達の行動にこの作戦はかかっている。そう、重要なのは僕達なんだ。あの砦を今から僕達が落とす。……こんな楽しいこと、魔王妃様でなければ思いつかなかっただろうね」
ふっとファーレンが笑う。
「さあ、行こうかお前達。人間どもを恐怖に陥れてあげようではないか」
ぶわ、と風が吹き、ファーレンを含む吸血鬼達の姿が搔き消え、何匹ものコウモリが空へ舞い上がる。
吸血鬼は眷属であるコウモリに姿を変えることが出来る。
人の姿なら目立つだろうが、コウモリならば人間に見られたとしても魔族だとばれることはない。
多くのコウモリが砦へと飛び立った。
そうして見張りの目を掻い潜り、ファーレン達はあっさり砦の中で忍び込むことに成功した。
それぞれが別行動で見張りへ近付いて行く。
ファーレンも闇夜に紛れて見張に近付いた。
見張台には二人の人間がいた。
「やあ、見張りご苦労様」
突然の声に振り返った兵士達がファーレンを見た瞬間、ファーレンの赤い瞳が怪しく光り、兵士達に支配をかける。
魔法耐性のない兵士達は簡単に意識を失った。
「人間というのは弱いなあ」
ファーレンは懐から出した鏡を空へと向ける。
今夜は雲が少なく、満月で、鏡を揺らせばチラチラと月の光が反射する。
それをしながら周りを見回せば、他の見張台でもチラチラと鏡の反射が増えていく。
やがて中庭を囲む六箇所全てで反射が煌めいた。
空を見上げると、上空に小さな影が現れ、それが段々と大きく、近付いてくる。
数匹のドラゴン達は足の下に大きな箱をぶら下げていた。箱は、大きな檻のようになっており、よく見れば、檻の向こうに爛々と輝く無数の目があった。
ドラゴン達は中庭に降りると箱を順番に下ろし、また、上空へと飛ぶ。
その風を感じながら鏡を懐に仕舞った。
中庭に同胞達が姿を現わす。
「ああ、愉快な狩りの時間だ」
ファーレンはニヤリと口角を引き上げた。
* * * * *
「魔族が攻めて来たぞ!!」
扉越しに聞こえてきた声に兵士達が飛び起きる。
アーレント戦線が崩れたと聞いてから、いつか、こんな日がくるだろうとは思っていた。
だが、ここは砦だ。
そう簡単に落とされることはない。
慌てて鎧を身に着けて廊下へ出れば、遠くから怒声や何かの爆発するような音が響いてくる。
その音は想像よりも近かった。
「おい、どうなってる?!」
通りかかった別の兵士に声をかければ、その若い男の顔は恐怖で染まっていた。
「ま、魔族が攻めてきたんだ!」
「それは知ってる! なんでこんなに音が近い?!」
「どこから入り込んだか分からないけど、砦の中に魔族が大勢現れたんだ!! 逃げないと殺される!!」
掴んだ手を振りほどいて若い男は走り去る。
……砦内に魔族が入り込んだだって?
この砦は長い間、アーレント戦線を支えてきた強固な砦のはずだった。
分厚く頑丈な扉、外と内とを隔てる高い外壁、その上には見張台もあって常時兵士が立っている。
魔族達が近付いて来たならすぐに分かる。
その、はずなのに……。
ヒィッ、と横にいた仲間が悲鳴を上げる。
振り返ればそこには魔族がいた。
人間よりもずっと大きく、毛並みに覆われた、獰猛な狼の姿の魔族だった。手足に鋭い黒色の爪が生えているのが見えた。あれで引き裂かれたら、と思うとゾッとする。
「け、剣を構えろ!」
とっさに剣を引き抜けば、魔族がグルルと笑う。
「そうだ、戦士なら剣を抜け! 戦場で戦えないような腑抜けに価値はねぇ!!」
魔族が襲いかかってくる。
その爪をなんとか剣で受け止めたが、体が後ろへ押し戻される。
他の仲間達は悲鳴を上げて逃げていった。
だが、すぐに背後から断末魔が聞こえてくる。
「くそっ……!」
力の限り、魔族を押し返す。
それに魔族は数歩下がる。
「オレと戦え。戦士の輝きを見せてみろ!」
……すまない、俺はここまでのようだ。
村に残した妻と娘の姿が頭を過る。
魔族と一対一で勝てるほどの力はない。
それでも、最後まで戦うしかない。
そうしなければ殺されてしまう。
* * * * *
砦のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
それを聞きながらファーレンは、砦の外壁の上に座り、外へ足を投げ出して鼻歌を歌っていた。
「随分と機嫌がいいな」
空から降りてきたヴィルヘルムに言われ、ファーレンはおかしそうに笑った。
「ああ、そうとも、とてもいい気分さ。君にも聞こえるだろう? 人間達の奏でる最高の音楽が」
ファーレンが両手を広げて眼下を示す。
中庭では逃げ惑う兵士やなんとか戦おうとしている人間の兵士達がおり、それに仲間の魔族達が襲いかかっている。
怒号、悲鳴、雄叫び、様々な声が聞こえてくる。
人間のそれは魔族にとっては好きな音だった、
魔族は人間が嫌いだ。同胞ではないから。
魔王様が人間と戦うと言うなら喜んで殺す。
魔族は戦うことと人間を殺すことが大好きだ。
ヴィルヘルムも眼下を見下ろす。
「悪くはない光景だ」
ファーレンが横に立つヴィルヘルムを見上げた。
「素直じゃないなあ」
ヴィルヘルムだって恐らく良い気分だろう。
特にヴィルヘルムは魔王様が封印されてからは、人間嫌いに磨きがかかっていた。
「それにしても君が魔王妃様を受け入れるとはね。てっきり元人間なんてって言うと思ってたよ」
「今でもそう思う気持ちはある」
「あ、そうなんだ?」
魔王妃様は元人間で、それも魔王様を封印した初代聖女の末裔だ。何も思わない方がどうかしている。
魔王様が決めたことだから従っているが、誰もが無条件に魔王妃様を受け入れているわけではない。
ファーレンだって、もし魔王妃様が怪しい動きを見せた時は容赦なく消すつもりだ。
たとえ魔王様にその後、殺されることになったとしても、魔族のため、魔王様のためなら死んでも惜しくはない。
「疑ってはいるが魔王妃様の作戦は利用出来る。イングリス王国を滅ぼそうというのなら、我々はそれに乗って侵攻すればいい。もし裏切るような素振りを見せたらその時は消す」
「ファウスト様に殺されるかもしれないよ?」
「それくらいの覚悟はある」
ファーレンが目を細めた。
「まあ、僕もそうだけどね」
そうしてまた眼下へ目を向ける。
「でも魔王妃様には本当に感謝してるよ。戦線を崩しただけでなく、砦もこんなにあっさり落とせるなんてね。これまで苦戦してたのが嘘みたいだ」
「魔王様が復活なされたからな」
魔族は魔王様と繋がっている。
魔族が増えれば魔王様も強くなり、繋がっている魔族もまた、強くなる。
そして魔王様が復活されてから魔族達は確かに自身の力が以前よりも上がっていることを実感していた。
それは魔族にとっては喜びだった。
魔王様に仕えられる喜び。力が上がった喜び。
これならば人間に負けることはないという喜び。
魔王様が復活した瞬間、魔族達は歓喜した。
そのくらい魔族にとって魔王様は特別な存在なのだ。
「魔王様の封印を解き、完全復活させてくれたことは魔王妃様に感謝している。が、それとこれとは別だ」
「分かってるよ」
下から聞こえてくる音にファーレンは耳を傾ける。
人間の断末魔はどんなものよりも愉快だ。
満たされるような感覚に酔いしれる。
「だけど、僕の直感では魔王妃様は裏切ったりしないと思うけどね」
魔王様と一緒にいる時の魔王妃様の目。
あれは確実に魔王様を愛し始めたものだった。
人間は魔族よりずっと複雑な感情を持っている。
愛した者を裏切ったり、殺したりすることに、人間は強い忌避感を覚える。
魔王妃様が魔王様を愛してしまえば、裏切ることはないだろう。
「君は下に行って戦わないのかい?」
「今はいい。代わりに、イングリス王国王都への侵攻に参加する約束を取り付けてある」
「はは、相変わらずちゃっかりしてるね」
ファーレンはイングリス王国に興味はない。
ただ人間達を殺せれば、それでいい。
いつの間にか、眼下から人間達の声は聞こえなくなっていた。
「今日も魔王様に良い報告が出来そうだ」
そう言ったヴィルヘルムの声は少し嬉しげだった。
* * * * *
「無事、アルファディア砦が落ちたそうだ」
朝食の席でエヴァルト様に言われて、わたくしは口の中のものを飲み込んでから「そう」と答えた。
そのまま朝食を続ける。
エヴァルト様がテーブルに頬杖をついた。
「喜ばないのか?」
「喜んでるわ、とても」
「そのわりには淡々として見えるが」
口元をナプキンで拭く。
「とても嬉しいけれど、まだ第一歩だもの」
アルファディア砦の陥落は序章に過ぎない。
このことが王都の、王城に伝わるまで数日の猶予があるだろう。
その間にわたくし達は更に侵攻する必要がある。
「それに砦が陥落することは分かっていたわ」
「そうか?」
「ええ、砦という建物自体は厄介よ。でも、逆を言えば中にいる人間はそれほど厄介ではないの。普通の人間同士なら砦に攻め込むのは苦労するけれど、空を飛べる魔族に高い外壁なんて無意味でしょう? それに魔族は個々が強いから砦の通路で戦うことになれば、たとえ人間二、三人相手でも魔族の方が強いもの」
それにわたくしは魔族を信じている。
エヴァルト様を信じると決めた時、その配下であり、エヴァルト様と繋がっているという魔族達も、信じてみようと思ったのだ。
何より、ここで過ごすようになってから、魔族達の強さを知った。
魔族はそれぞれが強い。
だと言うのに、これまで戦争に勝てなかった。
その理由は協調性のなさなのだろう。
仲間意識が強いのに基本的に個人行動なのだ。
「だが魔族は集団行動が苦手だ」
エヴァルト様の言葉に頷き返す。
「そうね、だけど、自由な戦い方でもやりようによっては集団行動をさせることも出来るわ」
今回はファーレン、ヴィルヘルム、ロドルフの弟のウィルドが配下達と共に動いた。
ファーレン達吸血鬼には『人間にバレずに侵入する』『見張りを無力化する』『ドラゴンに合図を送る』の三つをこなしてもらった。
ヴィルヘルム達ドラゴンには『上空で待機』『合図があったら合図の中央に荷物を下ろす』こと。
ウィルド率いる魔族達には『砦にいる人間を殺せ』とだけ。
たったそれだけでいい。
綿密な作戦を立てて、全員に理解させる必要はない。
それぞれが必要な仕事をこなせば、全体の流れも出来上がる。
「確かに個々で活動しても集団行動のようになった」
「でも今回は吸血鬼達がいてくれて良かったわ。ウェアウルフもドラゴンも、目立ちたがり屋だから、隠密の得意な者がいなければ別の方法を考える必要があったから」
これからも吸血鬼にはこのような役割を任せるだろう。
「しかし思ったよりも早かったわ。砦には多くの人間がいるから、一掃するとなると、もう少し時間がかかると思っていたのだけれど……」
「魔族も鬱憤が溜まっていたからな。戦線を崩したのは死者の軍団が主だった故、今回こそは自分達が戦えると分かってやる気が出たのだろう」
「そうなのね」
アーレント戦線を崩した時は確かにわたくしの生み出したスケルトンやゾンビの軍団がほとんど力技で押し潰したようなものだった。
そこにロドルフが追撃を加え、ヴィルヘルムのドラゴン部隊が頭上から襲いかかることでほぼ反撃する暇もなく人間達を駆逐した。
なんとか逃げられた者達もいたが、王都へ辿り着くまでは時間がかかる。
近隣の領地の領主へ助けを求め、早馬を駆けさせたとしても昼夜走り続けて一週間は最低でもかかる距離だ。
「それで、次はどうするつもりだ?」
エヴァルト様が愉快そうに問うてくる。
「そうね、街道沿いに進軍するつもりよ。進みながら、街道沿いにある村や街は破壊するわ。ただ、近隣の領主は黙っていないでしょうね」
「そうなれば戦うしかあるまい」
「ええ、そうなるわ」
だけどいちいち戦う度に魔族の数を減らすわけにはいかない。
「その戦いに関してはアーレント戦線とアルファディア砦の死体を復活させて、ゾンビとして連れて行こうと思ってるの。臭いは悪いけど数だけはあるから」
それに死者は疲労を感じない。
休息も食事も必要ない。
もし腐ってどうしようもなくなったらスケルトンにすれば良い。
わたくしとしてはスケルトンの方が臭いもないし、粉々にされない限りはすぐに骨同士がくっついて起き上がるのでいいのだけれど、ゾンビにも利点はある。
その臭いと外見から敵が怯むし、腕や足が切り取られてもゾンビはそれらの部位を動かすことが出来る。
「イングリス王国の王都へ遠征に出るならば、私も行こう。レイチェルを処刑した愚か者達の顔くらいは見ておきたいのでな」
「それは構わないけど、行軍中は野宿でしょう?」
「まさか。あなたを道端に寝かせるなんてさせはしない。私の闇属性で一時的に仮拠点を建てられる。だから野宿などさせはしない」
「あら……」
それはまた随分と便利である。
「私も連れて行った方が良いだろう?」
小首を傾げながら言われてわたくしは頷いた。




