聖女の予言
* * * * *
「皆さん、安心してください!」
ルーファスと一緒に会議室へ入る。
そこにはイングリス王国の王や重鎮達がいた。
アーレント戦線が崩れたと聞いて、誰もが慌てて集まったのだろう。私達もその一人だ。
扉を開けてすぐに声を上げた私に視線が集中する。
「アーレント戦線が崩れたと聞きました。それについては予言が出来なかったけれど、この後の魔族の動きについては分かります!」
私の言葉に重鎮達や王が安堵の表情を浮かべた。
これまで何度も見てきた表情だった。
ルーファスに抱き寄せられる。
「さすがユウリ。この国に聖女がいる限り、魔族が勝つことなどありはしない」
「その通りです!」
そうしてテーブルに近付き、広げられている地図を見た。
「えっと、魔族の動きなんですが──……」
地図を指で示しながら今後の魔族の動きについて説明していく。
原作でもアーレント戦線は一度崩れるが、それで魔族が王都まで侵攻してきたことはない。
それに私がこうして指示をするようになっているから、聖女が出るまでもなく、いつも戦いは終わる。
もちろん、聖女として魔法の訓練などは受けている。
実はシェリンガム公爵家の養女となる話も出ており、王太子の婚約者として、公爵家が後ろ盾となり、同時にこの世界の聖女の魔法も教えてもらえるということだった。
初代聖女が魔王を封印した人物なので、その人物の使っていた魔法の中にきっと魔王ファウストの封印を解くヒントもあるだろう。
……ああ、ファウスト、待っていて。
私が必ず封印を解いてあげるから。
* * * * *
「と、いう風に聖女ユウリはこちらの動きを予言するでしょう」
エヴァルト様と幹部の皆が集まっている。
わたくしの言葉にアレクシアが「なるほどのう」と考える仕草をした。
「最近、人間どもの動きが妙に素早いと思っておったが、まさか聖女がこちらの動きを知っていたとは」
「では異界の聖女がイングリス王国に来てから、ずっとそうだったと?」
「わたくしが知る限りはそうです」
原作の聖女ユウリはそんなことをしなかった。
でも、この世界の聖女ユウリは予言と称して魔族の動きを先読みしていたので、恐らく原作を知る者なのだろう。
もし本当に予言が出来るのだとしたら、わたくしを処刑させるなんてことはなかったはずだ。
予言の力があったなら、わたくしがリッチとして蘇り、エヴァルト様を復活させてしまうと分かったから。
「それでは妾達の動きは筒抜けということかの?」
アレクシア様が困ったような顔をする。
「いいえ、聖女の予言はあくまで一番最初に予言で知った流れです。その流れではエヴァルト様は復活していませんし、わたくしが魔族になることもありませんでした。ですから聖女はエヴァルト様が復活したことも知りませんし、これからわたくし達がどう動くのかも知りません」
「どういうことじゃ?」
「簡単に言えば、現在は一本の道でも、未来は何本もの道に分かれていて、そのうちの一本を選ぶことによって現在の道になります。そうして聖女は一番最初の現在の道にいる時に予言した一本の未来の道しか知りません」
「そしてその予言と今は違うということかのう?」
それに頷き返す。
「はい、既にわたくしが魔王軍に入った時点で、予言の未来とは違う道に進んでおります」
そして、と言葉を続ける。
「わたくしは聖女の予言を知っています」
「じゃあ、こっちの動きを読んで動こうとしてる人間達の先読みを、魔王妃様が出来るってわけだな!」
ロドルフの明るい声にわたくしは頷いた。
「その通りです」
そうしてテーブルの上に置かれた地図を見る。
アーレント戦線を越えて、進んでいくとすぐに砦にぶつかる。
ここはもし戦線が崩れた時のために作られている、第二戦線と言っても良い。
「まず、第二戦線、アルファディア砦を潰します」
ロドルフが首を傾げる。
「だがよ、砦ってのは落とし難いだろ? それに多分、すぐに増援が来るんじゃねーか?」
「確かに普通に攻め込めば落とすのは難しいでしょう。増援が来たらこちらが不利です。でも、増援は来ません。聖女の予言ではこの砦が落ちることはありませんから。それにこちらには空を飛べるドラゴンがいます」
砦というのは立てこもるにはいい場所だ。
人間同士の戦いであれば、砦は役に立っただろう。
頑丈な扉に外壁、中から放たれる弓や魔法は攻めようとする者の行く手を阻む。
でもそれは地上に関する話だ。
「ヴィルヘルム率いるドラゴンの皆様に、闇夜に紛れて兵士の輸送をお願いしたいのです」
「なるほど、空から侵入するのか」
ヴィルヘルムが考えるように顎に手を添えた。
魔族達は基本的に個々で戦闘を行い、共に戦うとしても同族であることが多い。
だけど別に同族以外を嫌っているわけではない。
「ドラゴンには普通の弓矢も効かず、魔法もある程度なら防げるのですよね?」
「ああ、問題ない」
「であれば、大きなカゴに仲間を入れて、それを持って空から砦の敷地内に入ることも可能ではありませんか?」
「……恐らく可能だ。だが見張りはいるだろう」
それにわたくしはニッコリと微笑んだ。
「ドラゴン部隊が運ぶ前に先に吸血鬼の何名かに砦の見張りを消してもらい、それから輸送しましょう。吸血鬼は夜目も利きますし、飛行出来るのでこっそり忍び込んで、見張りを殺す。どうですか?」
アレクシアが頷いた。
「その程度、容易いことじゃ」
「おお、ではその役目、どうかこのファーレンにお任せください! 必ずや成功してみせましょう!」
チラとアレクシアを見れば、頷き返される。
「ではファーレン、よろしくお願いします。部隊の人数は二名一組で六組、十二名です。それぞれ小さな鏡を持って向かってください。ドラゴンが降りられそうな場所というと、恐らく中庭付近になると思いますので、見張り達を消した後、ドラゴンの着地地点を確保したら空に向かって鏡を揺らしてください。四日後はちょうど満月です。月の光を鏡で反射させれば夜目の利くドラゴンにも見えるでしょう」
その三日後までに輸送用のカゴを作る必要がある。
「手先の器用な者はいますか? 戦闘員の輸送に必要なカゴを作らせたいのですが……」
「それなら人狼に任せるといいわよ〜。彼らは人間の中に紛れて過ごすこともあるから、人間の物作りを学んでくることも多いわ〜」
ヒルデの言葉になるほどと思う。
実際、人狼達は人間に擬態するのが上手い。
魔族側が人間の情報を得る時に使うのも、人狼やサキュバス、インキュバス、そして吸血鬼だ。
全員人間に擬態出来る。
「では残っている人狼達に作ってもらいましょう」
「それについては私が指揮をしよう。ドラゴンが運ぶなら、我々も関わった方が良い」
「よろしくお願いします」
ヴィルヘルムに頷き返す。
「砦へ向かう部隊の選抜は皆様の自由にしていただいて構いません。もちろん、吸血鬼の皆様が先に侵入して見張りだけでなく兵士達をこっそり殺していっても構いませんわ」
それにアレクシアが笑う。
「最近、餌の元気がなくなってきてのう。そろそろ新しくしたいと思っておったのじゃ」
餌というのは生きて捕らえた人間のことだ。
魔族の中には人間を食べる者もいる。
吸血鬼達は人間の血を好んで飲むのだ。
「おや、でしたらそこそこの数は生け捕りにして持って来ましょう、姉上」
「うむ。妾の支配は人間にはちと強すぎて、使うとすぐに頭がおかしくなってしまうでな。頼んだぞ」
「俺達ウェアウルフも行くぜ」
と、いうことで今回の作戦は決まった。
「では皆様、四日後までに準備をお願いします」
* * * * *
エヴァルト様と共に最上階へ戻る。
妃になってから、わたくしの生活場所はエヴァルト様と同じ階、と言うか部屋に移った。
正直、エヴァルト様と寝室を共にするのは心臓に悪い。
エヴァルト様はわたくしの心を待つとおっしゃってくださって、夫婦になったけれど、わたくし達はまだ清い関係のままだった。
「レイチェルはいつも、面白い案を出す」
二人でソファーに座り、お茶をする。
「そう?」
「ああ、ドラゴンで攻めるならともかく、ドラゴンに戦闘員を運ばせるなんて私達は考えもしなかった」
エヴァルト様がわたくしの髪を一房取り、手触りを楽しむようにくるくると指先でその一房を弄んでいる。
そういえば、妃になってからアレクシアとその配下がわたくしの髪や肌の手入れに物凄く力を入れるようになった。
そこで魔族にも美容の概念があるのだと知った。
一応魔族にも美意識はあるらしい。
「魔族に接するようになってからずっと思っていたの。個々で強いなら、協力し合えばもっと強いんじゃないかって。でも、魔族は単独行動が好きだから、出来るとしてもこれくらいかも」
エヴァルト様が頷いた。
「そうだろうな。大まかな命令だけ与えて、戦場ではある程度好きにさせておいた方が良い」
それにわたくしも頷き返す。
ふとエヴァルト様の顔が近付く。
時々、額や頬に口付けられるようになったので、またそれだろうと見ていればエヴァルト様が小さく笑った。
「レイチェルは警戒心が薄い」
「え?」
どういう意味かと目を瞬かせていれば、エヴァルト様の顔が近付き、唇に柔らかなものが触れた。
エヴァルト様の顔が少し離れる。
「口付けてもいいだろうか?」
囁くように問われて、ドキリとする。
「も、もうしていらっしゃいますよね……?」
思わず言葉遣いが戻ったわたくしの唇に、またエヴァルト様が口付ける。
……先ほどよりも長い。
離れた唇が弧を描く。
「言葉遣いが戻っている。私にはそのような言葉遣いは不要だと言ったはずだが?」
「それは、だってエヴァルト様が……」
「私がどうした?」
からかうように訊き返されて押し黙る。
エヴァルト様は優しいけれど、たまに意地悪だ。
でも、愉快そうに目を細めて笑う姿が素敵で、つい見惚れてしまう。
顎に触れた手の指が優しくわたくしの頬を撫でる。
それにハッとして目を逸らした。
「エヴァルト様だって、わたくしと皆とでは言葉遣いが違うじゃない」
エヴァルト様はわたくしに話す時だけ、少しだけ丁寧というか、あまり高圧的な口調ではない。
幹部や他の魔族に対してとは違う。
「あなたは私の妃で、私とあなたは同等だから気を配るのは当然のことだろう。それに普段の言葉遣いでは威圧的に感じられる。あなたとの会話には相応しくない」
……そういう自覚はあったのね。
「何よりレイチェルに嫌われたくはない」
触れるか触れないかというほど近付いた唇が囁く。
「口付けの許可を」
それを断れる女性なんてきっといないだろう。
また、わたくしの唇とエヴァルト様の唇が重なる。
……口付けなんて初めて。
恥ずかしながら前世のわたくしは恋人がいなかったようだし、今のわたくしも、長く王太子の婚約者だったのでこのような経験は初めてだった。
王太子は必要以上わたくしと関わろうとはしなかったから。
触れては離れ、離れては触れる唇に息が震える。
もう動いていないはずの心臓がドキドキと脈打っているような錯覚さえあった。
やっと解放されて呼吸が出来る。
……死者だから息はしなくても平気なはずなのに何故かしら……?
エヴァルト様が微笑んだ。
「あなたは愛らしい」
抱き寄せられて、エヴァルト様の体温を感じる。
死者のわたくしと違って温かく、そのぬくもりが心地良い。
寄りかかればギュッと抱き締められた。
本当はまだ少しだけ怖い。
また裏切られたらと思うと心から信じていいのかと迷うこともあるけれど、エヴァルト様の体温を感じる度に信じてみようと思える。
「しかし、聖女の予言か……」
エヴァルト様がおかしそうに低く笑う。
「異界の聖女が予言をするというならば、レイチェルの予言もまた、聖女の予言とも言えるだろう」
「わたくしの予言?」
「そうだ、あなたも聖女の末裔であり、本来ならば聖女となるべきはずだった。そうなれば聖女ユウリの代わりに予言をしていたのはあなただったかもしれない」
それに首を振る。
「いいえ、わたくしは処刑されたからこそ前世の記憶を思い出したの。何もなければ思い出すこともなかったわ」
「その点ではイングリス王国には感謝するべきだな。愚かな選択のおかげで私は復活し、レイチェルと出会うことが出来た」
大きな手が優しくわたくしの髪を梳く。
「そうね、その点では感謝してるわ」
もしも処刑されなければ、わたくしは王太子に婚約を破棄されて、聖女ユウリと王太子の婚約を祝うことになっただろう。
捨てられた女だと後ろ指をさされ、誰からも求められず、やがてはどこかの年老いた貴族の後妻か修道院に送られていたかもしれない。
そうして必要な時だけ呼び戻される。
使い捨ての道具扱いだろう。
こうしてリッチとして蘇ったのは幸いだった。
「でもわたくしは聖女とは言えないのではないかしら? 闇属性の魔力だし、リッチだし、しいて言うなら魔女ね」
「確かにな」
人間だった頃は聖女になるために努力した。
だけど、どんなに努力しても聖女として認められることはなかった。闇属性の魔力だったから。
でも、もう聖女の立場なんていらない。
「聖女の予言と魔女の予言、どちらが勝つか」
エヴァルト様の言葉にわたくしは微笑んだ。
「勝つのはわたくし達魔族よ」




