魔王軍の増強
わたくしが魔王妃になると決意してから、周囲の対応は少し変わった。
エヴァルト様がわたくしを妃に迎えると改めて言えば、幹部の方々全員がわたくしに膝をついたのだ。
「ご結婚お喜び申し上げます」
と、アレクシア様が言った。
ロドルフ様が言葉を続ける。
「我ら五名、魔王妃様に忠誠を誓います」
首を垂れる姿にハッとした。
アレクシア様、ヴィルヘルム様、ロドルフ様、ファーレン様、ヒルデ様。全員がわたくしへ恭順の意を示している。
魔王の配下、幹部である彼らがわたくしを認めた。
「顔を上げてください」
全員がこちらを見た。
「これからも、今まで通りに接していただきたいです。わたくしは妃にはなりますが、同時に、幹部でもいたいのです」
それにアレクシア様とロドルフ様が少し笑った。
エヴァルト様も、ふと笑みを浮かべていた。
「我が妃の望むように」
エヴァルト様の言葉に全員が「かしこまりました」と頷き、そうして立ち上がった。
「おお、美しき魔王様と魔王妃様! この素晴らしき日に立ち会えるとはなんとめでたいことか!」
ファーレン様が片手を胸に当て、もう片手を掲げると芝居掛かった仕草で声を上げる。
これがこの方の常だと分かっているが苦笑してしまった。
「うるせえ、と言いたいとこだが、今日だけは仕方ねーな。なんせ今日は魔王妃様誕生記念だ」
「ほほほ、良き日よの。そうじゃ、魔王妃様よ、これからは妾達に様をつけるのはナシじゃぞ? 魔王妃様の方が立場は上であるしのう」
「そうね〜、私達は魔王妃様の配下でもあるのだもの、様づけされるのは変よね〜」
そういうことで、様づけ呼びはなくなった。
ちなみにエヴァルト様だけはそのままである。
「私も呼び捨てで構わないが」
なんて言われたけれど、エヴァルト様を呼び捨てにするのは気恥ずかしくて、そのままにしてもらったのだ。
結婚式はなかった。魔族にはそのような風習がなく、ただ、口伝えに魔族の中でエヴァルト様とわたくしが夫婦になったことは広がったようだ。
しかし以前よりも使用人達はより丁重にわたくしに接するようになった。
だが、それで生活が一変したわけではない。
わたくしは相変わらず自由に過ごしていた。
「魔王軍を増やしましょう」
幹部達が集まる中、そう言えば、ロドルフが腕を組んだ。
「そうしてぇが、そもそも数が足りない」
魔族は人間との戦いでかなり消耗している。
人間一人ひとりは弱いけれど、数が多ければ、それだけで押し切られてしまうこともある。
どんなに魔族一個体が強くても、大勢で来られては全てに対応するのは難しい。
ジリジリと戦線が押し戻されているらしい。
それに最も戦線に近いイングリス王国には聖女ユウリがいて、予言と称し、魔族の動きを先読みして人間側が優位に立てるようにしているのだ。
「まず、戦いの前線はわたくしの生み出すスケルトンやゾンビを配置します。この辺りで人間が大勢死んだ場所はありますか?」
「村や街はいくつも潰している」
「ではそこへ案内してください。ただ召喚するには限度がありますが、元よりあるものを活用する分にはそれほど魔力を消費せずに済みますし、使えるものは全部使いましょう」
わたくしの死霊術でスケルトンやゾンビを生み出すことも出来るが、戦場だった場所で使えば、その地で死んだ者達を蘇らせて使役出来る。
その方が魔力の消費を抑えられる。
それに魔族が人間を殺せば殺すほど、軍が増強される。
魔法と違い、生まれ持ったスキルに近い死霊術は普通に魔法を使用するより魔力は必要ないが、魔力を温存するに越したことはない。
後々増えていくだろう死者の軍団を考えたら、魔法は残しておきたいのだ。
「なるほど、我々が人間を殺し、魔王妃様がそれを死霊術でスケルトンやゾンビとして使役することで軍の水増しは可能だ」
ヴィルヘルムの言葉に頷き返す。
「スケルトンもゾンビも弱いけれど人間と同じです。数が多ければ暴力になります。それに多くのスケルトンやゾンビと戦って人間側の体力や気力を削ってから、本隊が攻撃した方がこちらの消耗も少ないでしょう」
「魔王妃様が出かけるのを魔王様が許可してくださるなら、妾が案内するのじゃ」
アレクシア様の言葉にエヴァルト様を見た。
エヴァルト様は黙って会議を眺めていたが、わたくしと目が合うと頷いた。
「好きにすると良い」
投げやりに聞こえるかもしれないが、その低い声は甘い響きがあった。
「エヴァルト様、ありがとうございます」
「違うだろうレイチェル」
もう一つ、変わったことがある。
「……ありがとう、エヴァルト様」
エヴァルト様が満足そうに目を細めた。
わたくしの言葉遣いである。
エヴァルト様の呼び方はそのままだが、言葉遣いはもっと砕けて話すようになった。
「夫婦なのだから丁寧な言葉遣いはしないでほしい」
それはエヴァルト様からのお願いだった。
砕けた口調なんて、本当に幼い頃にしかしていなくて少し慣れないけれど、わたくしが言葉を崩すとエヴァルト様は嬉しそうにする。
いわく、わたくしの特別だ、と実感出来るらしい。
そんな風に言われたら断れない。
「ほほ、では明日から魔王軍の領内を巡ることにしようかの。移動はまた妾が運ぶ方が良いか?」
「はい、お願いします。とりあえず当面は戦線付近から補給して、足りなさそうなら、他の場所から引っ張ってくることになります」
「戦線では数多くの人間が死んでおるからの、それなりには期待出来るはずなのじゃ」
アレクシア様の言葉に頷き返す。
「それにスケルトンやゾンビは破壊されても何度でも立ち上がります。それこそ、粉々にされるか聖属性魔法でもかけられない限りは繰り返し使役出来るでしょう。一時的に支配権を他の者に与えられるので、戦線の各場所にいる指揮官に支配権を与えて使ってもらった方が効率的ですね」
「ほほほ、何度倒しても立ち上がってくるとは恐ろしいものじゃな」
それにロドルフが言う。
「死者の軍団もいいけどよ、俺達の活躍の場も残しておいてくれよ。魔王様が復活されてから、日増しに力が強くなって、正直暴れたくて仕方ねーんだ」
魔族は魔王と繋がっている。
魔王様が復活したことで、魔族達との繋がりが回復し、魔族それぞれの個体の強さも上がってきているらしい。
それにファーレンが頷いた。
「ああ、この疼きを癒してくれるのは戦場だけ! 血飛沫が舞い、悲鳴が響く、人間達の哀れなダンスはまるで喜劇!」
「ファーレンも戦いてぇってよ」
「こら、ロドルフ、無粋な言い方をするんじゃない!」
ロドルフが親指でファーレンを示せば、ファーレンが珍しく怒ったように腰に手を当てた。
それにロドルフは肩を竦めて黙った。
「皆様の活躍の場はエヴァルト様と相談して、考えてあります。今は力の温存に努めてください」
全員がこちらを見る。
エヴァルト様が一つ頷いた。
「これまで魔族はただ突撃ばかりしていたが、聖女との戦いでそればかりでは立ち行かぬようになった。それ故に我々も人間の動きに対処する必要がある」
「つまり人間同様、魔族も作戦を考えるべきとおっしゃるのですね?」
「そうだ」
ヴィルヘルムの問いにエヴァルト様が頷く。
魔族は一個体の力が強いせいか、頭を使った作戦をあまり使わないが、それでは人間の知恵に負けてしまう。
元々強いのだから協力し合えばもっと強くなれるはずだ。
「だけどよ、魔族は集団での行動は苦手だぞ?」
ロドルフ様の言葉に頷き返す。
「そのようですね。最初から軍隊のようになれとは思っていません。最低限の条件さえ守ることが出来れば、問題ないですよ。むしろ魔族は個々で考えて行動が出来るからこそ、人間よりも強いのです」
たとえば人間と魔族がいたとする。
人間はこれまで集団行動を重視し、指揮官の命令に従い、ただただ剣を振るってきた。
魔族は自分より強者である指揮官の命令は単純なものならば聞くが、基本的には自由戦で、自ら考えて行動する。
もしも両者が窮地に陥った時どうなるか。
人間は想定外のことに弱く、訓練にない状況などになると、恐らく戸惑いや恐怖を感じるだろう。
その一瞬が戦場では多分、命取りだ。
魔族はその点、自ら考えて動いているので想定外のことがあってもあまり動じない。
それに単純なものだとしても命令が聞けるなら、慣れていけば、複雑な命令を聞くことの出来る者もいるかもしれない。
現に幹部の方々は戦況をきちんと理解し、配下を上手く戦線に配置している。
そこが崩れていないということは命令をきちんと聞けているのだろう。
「とりあえず、力を温存してください。わたくしがスケルトンやゾンビを生み出し、戦線に投入していきます。そうすれば皆様にも少し余裕が出来ると思いますので、その時に作戦についてお話しします」
今はとにかく不死者の軍団を生み出すのが先だ。
水増しだろうと何だろうと魔王軍の数を増やし、劣勢になっている戦線を立て直す必要がある。
……数の暴力が怖いこと、思い知らせてあげる。
* * * * *
アレクシアに抱えられて夜空の下を飛ぶ。
エヴァルト様から闇属性魔法での移動方法を教えてもらったけれど、あれは、一度行ったことのある場所でなければ使えない。
なので、最初は誰かの案内が必要なのだ。
「こうしておると出会った頃を思い出すのじゃ」
アレクシアの言葉に苦笑する。
「まだ、たった二月半しか経っていないんですね」
「ほほほ、毎日顔を合わせているからか、もう何年も共に過ごしているような気分じゃが」
「そうおっしゃっていただけて嬉しいです」
わたくしもアレクシアとは、長く付き合っているような気分だったので、同じ感覚だと知ることが出来て嬉しかった。
アレクシアの後ろを飛ぶ吸血鬼達ももう見慣れた。
相変わらず無表情なので少し圧を感じるが、彼らは元々そうなのだと分かってからは気にならなくなった。
ビュウビュウと風が吹き、景色が流れていく。
不死者で良かった。
生きていたら寒さで震えていただろう。
不死者は気温に左右されず、暑さも寒さも感じない。
「この辺りじゃな」
空中でアレクシアが止まる。
そうして高度を下げて、地面へ降り立った。
「ここは一月ほど前に潰した村じゃ。それなりの大きさだったから、人間も多少はいたであろう」
そっと下ろされて地面に立つ。
確かにこの場所からは深い憎しみや怒りといった、死者の負の感情が伝わってきた。
同じ不死者特有の感覚らしく、アレクシア達にはこれが分からないようだ。
闇夜へ手を翳す。
「『死者よ、我が同胞よ、我が声を聞け』」
翳した手に魔力を集中させ、それを辺り一帯に広げるイメージで魔力を広げていく。
人間だった頃はこんなことをしたことはなかった。
死者を蘇らせる、それも、スケルトンやゾンビにするなどというのは許されなかった。
だが、今は違う。
……わたくしはリッチ。魔族よ。
「『憎しみ、怒り、嘆き、苦しみ、死した者達よ』」
だからもう人間に同情なんてしない。
「『我が魔力にて目覚め、我に従え』」
広がった魔力が地面へ吸収されていく。
そうして、シンと静まり返る。
それは一瞬のことで、次の瞬間にはそこら中の地面がボコボコと盛り上がり、土の中からスケルトンが、廃村の倒壊した家屋の下からゾンビがずるり、ずるり、と現れる。
元よりこの辺りはずっと昔から魔族と人間との戦線だったので、多くの人間がこの地で死んだのだろう。
数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの数の不死者達が姿を現し、わたくしの元へ集う。
……スケルトンはともかく、ゾンビはちょっと臭いが問題ね。
ゾンビはスケルトンと違い、一度体を断ち切られたらくっつくことはない。
けれども、この強烈な匂いと人間に近い外見は、相対する者に嫌悪と恐怖を刻み込むだろう。
「この臭いさえなければゾンビは色々と役に立つんじゃがのう」
「そうですね、ただ人間にはこれは恐怖や嫌悪を与えますから、ゾンビもいた方が良いと思います」
「そうじゃがなあ……」
アレクシアが手で鼻と口元を覆っている。
わたくしは死者だからか、腐敗臭もそこまで酷く感じないけれど、きっとアレクシアにとってはかなりの刺激臭がするだろう。
それに苦笑して、スケルトンやゾンビに戦線へ向かうように指示をする。
スケルトンもゾンビも単純な命令しか行えないが、元よりただの使い捨ての道具みたいなものなので、前進と突撃だけ出来れば良い。
「では、次に参りましょう」
わたくしが声をかければアレクシアが頷いた。
「戦線はどこでも人間が死んでおるからの。スケルトンもゾンビもつくりたい放題じゃ」
愉快そうに笑うアレクシアに歩み寄れば、ひょいと軽い動作で抱き上げられる。
そしてわたくし達は闇夜に紛れ、次の場所へ向かったのだった。
 




