魔王の愛し方
* * * * *
「ファウスト様も魔族よの」
深夜の魔王城、最上階。
魔王の居住スペースの一角、そのバルコニーでは秘密の茶会が開かれていた。
アレクシア、ヴィルヘルム、ファーレンが揃っている。
この三名はエヴァルトが封じられる前から、魔王の側近としてエヴァルトのそばにいた者達だった。
アレクシアの言葉にエヴァルトは首を傾げる。
「何のことだ」
アレクシアが愉快そうに微笑んだ。
「とぼけるでない。魔王妃様に少しずつ魅了をかけておるじゃろう? 妾達が気付かないと思うたか?」
「ああ、そのことか」
エヴァルトは何でもないことのように言う。
ヴィルヘルムはチラと見たが何も言わず、ファーレンはアレクシア同様に楽しげに口元に笑みを浮かべている。
確かにエヴァルトはレイチェルへ魅了をかけ続けていた。
だが、強くではなく、本当にごく僅かにである。
妃になるかどうか選ぶのはレイチェル自身だ。
レイチェルは明らかにエヴァルトに好意を感じている。
それが恋愛的な意味にしろ、性格的なものにしろ、好意は好意だ。
しかしエヴァルトはそれだけでは満足出来ない。
だから少しずつ、ゆっくりと、レイチェルがエヴァルトを好意的に感じるように魅了を重ねがけしている。
「魔王妃様は気付いておらんようじゃが」
「我が悟られるような間抜けに見えるか」
「いいや、全く。日に日にファウスト様への想いを募らせながらも悩んでおる魔王妃様が可愛くてのう。妾は面白くて堪らんのじゃ」
魔族は何に対しても全力だ。
戦うことにも、生きることにも、捕まえることにも、決して手を抜いたりしない。
エヴァルトがレイチェルを手に入れるために、自身の能力である魅了を使っても、それを咎めることはない。
「だが、さすが聖女の末裔にして生まれ変わりだ。予想以上にかかりが悪い」
エヴァルトが小さく笑う。
その楽しげな表情からして、魅了のかかりが悪いことは気にしていないのだろう。
「それにしても我が運命は魅力的な娘だ。能力面でも、性格面でも、外見でも、何故イングリス王国が手放したのか理解に苦しむ」
レイチェルは良い娘だった。
人間だった頃はどうだか知らないが、リッチとなった現在は穏やかで、物怖じせず、けれども礼儀正しいところがある。
元人間だということを時々忘れてしまいそうになるほど、魔族に対して敵意を持っていない。
それに強い魔族にありがちな高慢さもない。
しかしその一方で苛烈さも持ち合わせている。
最近のレイチェルは自分のこともよく話すようになり、イングリス王国で生まれてからどのように過ごしてきたか、どのような立場だったのか、どうして処刑されたのか、教えてくれた。
話をする度にレイチェルの怒りや憎しみは増していき、その苛烈な感情を見るのがエヴァルトは好きだった。
とても純粋な負の感情もまた、美しかった。
能力面でも優れていた。
ロドルフの弟ウィルドとの戦いで、レイチェルは自分の属性ではない他の魔法もかなり扱えており、人間の魔法士の中でも恐らくかなり強い部類だろう。
エヴァルトと繋がり魔力が増えたとしても、元より扱える魔法の才がなければ意味がない。
レイチェルは全属性の魔法を扱える。
この半月ほどの間にレイチェルは魔王城で好きに過ごしていたが、その大半は、自分の能力の確認に使っているようだった。
本人が得意だと言う死霊魔法は特に優れており、練習だと言ってスケルトンを百体ほどあっさり召喚した時には驚いたとアレクシアは笑っていた。
それですらレイチェルは殆ど魔力を消費していない風だったので、今後、魔王軍の戦力としてスケルトンやゾンビを存分に生み出してもらいたいものだ。
そうして容姿に関してもエヴァルトは好ましく感じていた。
柔らかな金髪はまるで蜂蜜のようで、輝くその金髪に鮮やかなピンクレッドの涼やかな瞳がよく似合う。
整った顔立ちにその色彩が添えられることで、レイチェルの外見は華やかで明るく感じられる。
色合いで言えば吸血鬼に似ているけれど、レイチェルはもっと柔らかく、なるほど、人間味があった。
吸血鬼達も美しいが、魔族の美しさは人間と違って整いすぎている。
レイチェルの美しいけれど、絶世と呼ぶには少し物足りないその造形がエヴァルトには可愛らしく思えるのだ。
容姿、能力、性格、共に問題はない。
それなのにレイチェルは処刑された。
異界の聖女の言葉を真に受けたイングリス王国の者達は皆、愚かである。
魔王を封じる唯一の手立てを自ら捨てたのだ。
「それは同感です」
黙っていたヴィルヘルムが口を開く。
「最初は聖女の末裔など、と思っておりましたが、魔王妃様は能力面でも我ら魔王軍の役に立ちます。あれがもし人間側で発揮されていたら、こちらが不利になっていたでしょう」
スケルトンやゾンビは単体では弱い。
しかしそれが数百、千となれば、数の暴力だ。
百体のスケルトンを生み出したレイチェルは、酷く嬉しそうにしていた。
きっと、イングリス王国にスケルトンやゾンビを大量に送り込んだらと考えたのだろう。
出来るならば手伝ってやりたいとエヴァルトは考えているが、そのためには妃になってもらわなければならない。
それが交換条件だからだ。
もし妃にならなかったとしても、いずれはイングリス王国に魔王軍が攻め込む時が来る。
妃になればそれが早まり、ならなければ遅くなる。
ただそれだけの話なのだ。
そのことはレイチェルも理解しているようだった。
つまりは、エヴァルトの妻になるかどうかでレイチェルは悩んでいる。
もし断られた時は魅了を強くかけ、レイチェルの心を手に入れるまでだ。
魅了で関心と好意を与えておき、恋愛感情など、後からゆっくり育てれば良い。
「それにしても魔王が聖女の末裔を妃にするなんて、面白い時代になったものだねえ」
ファーレンがからからと笑う。
エヴァルトが封じられる前であったなら、そのようなことは絶対にありえなかっただろう。
そうしてレイチェルとエヴァルトがこのように出会うこともなかった。
その点では、聖女イルミナの行いは魔族には痛手であったものの、長い目で見れば悪いことではない。
少なくとも今の時代にエヴァルトを封じることが出来るのはレイチェルだけだろう。
レイチェルの兄だという男が結婚し、子が出来て、娘が生まれた場合は少々厄介だが、聞くところによるとその男はまだ結婚していないらしい。
子が出来る前に殺してしまえばいい。
レイチェルも元家族のことは憎んでいるようだ。
もしかしたらエヴァルトが手を出さずとも、レイチェル自身で己の血筋を絶えさせることになるかもしれない。
それならそれで愉快なことである。
ふと、全員が部屋を見た。
話題の主であるレイチェルの魔力を感じたからだ。
「我が運命は意外と積極的なようだ」
低くエヴァルトが笑って立ち上がる。
それに合わせて他の三名も席を立つと、一礼し、それぞれ闇に消えていった。
エヴァルトはそれを横目に部屋へ戻った。
使用人の魔族が入って来ると、レイチェルが来たことを告げ、エヴァルトは部屋へ通すように言う。
ややあって薄暗い部屋にレイチェルが通された。
夜着の上にショールを羽織っただけの無防備な格好にエヴァルトは声を出さずに笑う。
どうやらレイチェルは異性に対しての警戒心が少し欠けているらしい。
幼い頃から王太子の婚約者として育ってきたと言っていたので、言いよる男もいなかったのだろう。
目が合うとレイチェルはすぐに視線を落とした。
「その、夜分遅くに申し訳ありません……」
けれどもすぐにピンクレッドの瞳がこちらを見る。
「エヴァルト様にお話がございます」
まっすぐに見つめてくる瞳が心地良い。
魔族の大半はエヴァルトを直視しない。
その膨大な魔力と本能的な畏怖の念から、エヴァルトと目を合わせられる者は少なかった。
エヴァルトは笑みを浮かべた。
「あなたの話なら、いつでも歓迎しよう」
歩み寄り、そっとレイチェルの手を取る。
そうしてソファーへ座らせた。
「ただ、これからはその格好で出歩くのはやめた方が良い。あまりに無防備で、襲いたくなってしまう」
耳元で囁けば、ハッとした表情で振り向いたレイチェルが身を引いた。
ピンクレッドの瞳に羞恥が宿るのを間近で見れた。
レイチェルが怯えないようにすぐに顔を離し、斜め前にあるソファーへ腰掛けた。
自分が夜着であることに気付いたからか、ショールを両手で握って、前を隠そうとしている姿が微笑ましい。
「つ、次からは気を付けます」
それは、また深夜に来てくれるということか。
それとも、夜着姿を見せても良い間柄になれるということか。
無意識でそう言っているのだとしたらエヴァルトにとっては喜ばしいことだ。
あえて指摘せずにエヴァルトは鷹揚に頷いた。
「それで、話とは?」
このような時間に訪ねてくるのだから、よほど重要かつ、他者に聞かれたくないことなのだろう。
座ったまま、レイチェルがショールを強く握る。
そして小さく深呼吸をすると、言った。
「わたくしには前世の記憶があります」
エヴァルトは即座に訊き返した。
「聖女イルミナの記憶か?」
「いいえ、それとはまた別の記憶です。初代聖女様の記憶はわたくしにはございません」
「そうか」
それならば良い、とエヴァルトは思った。
聖女イルミナとは熾烈な戦いを繰り広げただけでなく、その当時、エヴァルトは人間に対して残虐な行いをしてきた。
人間に対して慈悲などというものは持ち合わせていない。
こうしてレイチェルの前では優しく振る舞っているが、エヴァルトは正しく魔王であった。
もしも聖女イルミナの記憶を持っていたなら、レイチェルはエヴァルトを受け入れないだろう。
それくらい、エヴァルトは人間に容赦がない。
「驚かないのですね……」
レイチェルが困ったような顔をする。
「命は巡る。生まれ変わっても同じ魂ならば、前の記憶を有していることもあるだろう」
レイチェルが僅かに俯く。
「ええ。……いえ、わたくしは前世の記憶がありますが、それはこの世界の記憶ではないのです。こことは別の、全く異なる世界で、前世のわたくしは生きておりました」
「ほう、それは興味深いな」
イングリス王国にいる聖女を思い出す。
ヴィルヘルムの話では、彼の国にいる聖女はこの世の者ではなく、召喚魔法によって異なる世界より喚び出した存在であるということだった。
「わたくしが前世で過ごしてきた場所は恐らく、イングリス王国に召喚された聖女ユウリ=アイザワと同じ世界だったのだと思います」
「何故そう思った?」
「リッチとして蘇る時、わたくしは前世を思い出しました。その際に、この世界が舞台の物語についても思い出したのです。物語では聖女ユウリが主人公となり、複数の男性と出会い、魔族と戦いながらその中の一人と恋に落ちるという内容でした」
レイチェルの話す内容にエヴァルトは首を傾げる。
「物語だとしたら、聖女ユウリとやらとあなたは同じ世界の人間ではないのではないか?」
「本来ならばそうでしょう。ですが、あの召喚された聖女ユウリは本来の主人公ではないとわたくしは考えております。それについても、お話いたします」
そうしてレイチェルは語った。
レイチェルは前世は異世界の平凡な女だった。
その世界には、この世界を舞台とした物語があり、主人公の聖女ユウリが見目の良い男達と出会い、魔族と戦いながら仲を深め、そのうちの一人と恋をするというもので、前世のレイチェルはその物語を好んでいた。
イングリス王国の王太子はその男達の一人で、聖女ユウリが王太子を選んだ場合、レイチェルは二人の障害となる立ち位置らしい。
「本来ならば、わたくしは二人の仲を応援して身を引くか、わたくしの応援を得られないまま二人は仲を深めていく、聖女ユウリと王太子の仲が上手くいかずわたくしが婚約者のままでいるという三択でした」
「しかしあなたは処刑された」
レイチェルが小さく頷く。
「物語の中で、聖女ユウリが恋に落ちる男性達。その中に、実はエヴァルト様もいらっしゃるのです」
エヴァルトは目を瞬かせた。
「私が?」
「はい。魔族との和平を望んだ聖女ユウリが、エヴァルト様の封印を解くのです」
「愚かな。私は人間との和平に頷くことはない」
「完全に復活していたならそうだったでしょう。ですが、物語の中のエヴァルト様は聖属性の魔法によって復活させられたことで弱体化しておりました。わたくしはリッチになった時に魔力が増えましたが、恐らく人間のわたくしだけでは魔力が足りず、封印を解く際に聖女ユウリの魔力も使ったのでしょう。物語の中のエヴァルト様は表向きは聖女ユウリの考えに同意しつつ、力を取り戻す時間を得ていたようです」
それにエヴァルトは納得した。
エヴァルトが人間と和平を結ぶなどありえない。
魔王は人間とは相容れないのだ。
「そこにレイチェルもいました。エヴァルト様はレイチェルを甘言で惑わし、闇属性の魔力を捧げさせることで力を取り戻すのです。その場合、レイチェルは魔王に殺されて死んでしまいます」
なるほど、とエヴァルトは頷く。
今のレイチェルはリッチであり恩人なので殺そうとは思わないが、もし全く無関係の人間であればエヴァルトは利用しただろう。使い捨てて殺すというのはありえる。
「それを知っているのは物語に触れた者だけ。本物の聖女ユウリならば知らないことなのです。しかしあの聖女ユウリはわたくしをイングリス王国に害なす存在だと言いました。そうして、これまで、聖女ユウリは予言と称して魔王軍の動きを先読みしておりましたが、あれも多分、物語の流れを覚えていたからでしょう。エヴァルト様の完全復活を阻止したかったのだと思います」
申し訳ありません、とレイチェルが頭を下げる。
「わたくしがエヴァルト様を復活させることが出来たのは、物語を知っていたからです」
エヴァルトはまた首を傾げた。
「あなたが謝罪する理由はないように思うが」
「……え?」
「あなたはその物語で知識を得ており、それによって、私を復活させた。私はあなたのおかげで復活出来た。それは私にとっては良いことだった。謝罪される理由はない」
前世の記憶があるというのは面白いし興味深い。
それを知って、エヴァルトが感じたのは、妃として迎え入れたらより愉快なことになりそうだというものだった。
レイチェルの話が事実であるならば、聖女ユウリと同様にレイチェルも物語を知っている。
つまり、相手の動きを読めるということだ。
こちらの本来の動きを知って行動する人間の軍を、更にこちらが読んで立ち回れる。
全ての戦いを読めるとは思っていない。
今しばらく、魔族が力を取り戻すまで、人間達の要である異界の聖女を殺せるまで、それがあれば良い。
……これは手放す気などなくなってしまったな。
元よりそんなつもりはないが、レイチェルの有用性が増した。
「やはり、あなたは私の運命だ」
レイチェルのそばに膝をつき、手を取り、口付ける。
「前世の記憶があるあなたと出会えて良かった」
ただの人間のレイチェルではダメだったのだろう。
リッチのレイチェル、それも前世の記憶があるからこそ、今のレイチェルという存在になったのならば、その前世すら喜んで受け入れよう。
「レイチェル、どうか私の妃となってほしい」
魔族は強欲だ。
一度欲したものを、手放したりはしない。
そしてエヴァルトは魔族の中の王であった。
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