曖昧な立場(2)
戦いというものは初めてだった。
常日頃から「有事の際は王太子の盾となれ」と言い聞かせられていたが、魔力が満ちた今、ロドルフ様の弟との戦いはわたくしに自信をくれる。
この力があればもう人間なんて怖くない。
鞭に怯えることも、人々の視線に怯えることも、勝手な評価も、どうでもいい。
傷だらけになったロドルフ様の弟を見る。
何度傷付けられても立ち向かってくる姿に、純粋に凄いと思った。
わたくしは傷付けられる度に諦めた。
手放した方が苦しくないから。
「おい、人間、本気を見せろ!!」
ロドルフ様の弟が吠える。
このままでは、ただ無駄に長引くだけだと気付いたのだろう。
わたくしもそろそろ終わりにしようと考える。
……もうすぐエヴァルト様とお茶をする時間ね。
爆裂魔法の合間に詠唱を行う。
短くていい。わたくしの属性だから。
「何度も言っておりますが」
ぞぶ、と足元の影が蠢いた。
それが一気にロドルフ様の弟へ向かっていく。
爪で引き裂こうとしても出来るはずがない。
「わたくしはリッチのレイチェルですわ」
だって、闇を切り裂くなんて誰にも不可能なのだから。
ロドルフ様の弟の動きを封じる。
抵抗を試みているのかギチギチと音がする。
「やめた方がよろしいかと。それは抵抗すればするほど、絞まるので、あまり暴れると窒息死してしまいます」
ゆったりとした足取りで近付いて行く。
「クソッ、殺すならさっさと殺せ!!」
「あら、死にたいのですか?」
「人間に負けて生き恥をさらすくらいなら死んだ方がマシだ!!」
それに思わず笑ってしまった。
「あなたのその耳は飾りですか? わたくしはリッチ。リッチのレイチェル。もう人間ではございません」
そっとロドルフ様の弟を拘束する闇の蔦に触れる。
「わたくし、死ぬほど人間が大嫌いですの」
ぐ、とロドルフ様の弟が呻き、ぐったりとその体から力が抜けて、地面へ倒れ込む。
それにアレクシア様が声を上げた。
「そこまでじゃ」
言われて蔦を消す。
ほぼ同時に、同じウェアウルフだろう魔族達がわっとロドルフ様の弟に駆け寄った。
その様子にわたくしは微笑む。
「大丈夫、ただ気絶しているだけです」
「なんじゃ、手加減してくれたのか」
「エヴァルト様の大事な配下を無闇に殺すわけにはいきませんわ。それにわたくしはロドルフ様の弟君を殺す理由がありませんもの」
手合わせは申し出られたが殺し合いではない。
……ロドルフ様の弟君は本気のようだったけれど。
わたくしがこの者を殺しても利はない。
むしろ、殺したらロドルフ様との関係が悪くなるかもしれないし、他の魔族との摩擦を生むかもしれない。
わたくしはイングリス王国の人間を絶望させたいだけで、魔族と敵対するつもりは欠片もなかった。
「それよりも早く戻りませんと、エヴァルト様とのお茶会に遅れてしまいますわ」
アレクシアが、ほほ、と笑った。
「なるほど。そうじゃのう、戻るとしよう。そこの者、そやつを適当に手当てしてやれ」
「目が覚めましたら、わたくしの勝ちだ、とお伝えください」
「うむ、今回は魔王妃様の圧勝じゃったな」
良いものが見られたとアレクシア様が笑っていると、不意に濃い闇属性の魔力を感じた。
顔を向ければ、すぐそばにエヴァルト様が姿を現した。
それに合わせるように魔族達が一斉に膝をつく。
「面白いことをしていたな」
エヴァルト様に話しかけられて、わたくしは急に恥ずかしくなった
「まあ、ご覧になられていたのですか?」
「もちろん」
「わたくし、戦うことに夢中になっておりましたのに。そんなところを見られるなんて恥ずかしいです」
「あなたの戦う姿は美しかった。恥じることなど何もない」
エヴァルト様が手を差し出してくる。
「ここではゆっくり話せん。部屋へ行こう」
差し出された手に自分のそれを重ねる。
「はい」
エヴァルト様がふっと微笑む。
濃密な闇属性の魔力をまた感じ、同時に視界が一瞬で入れ替わる。
「転移魔法ですか?」
「闇属性の影の中を移動した。転移魔法とは別だが、効果は似たようなものだ。あなたも練習すれば使えるようになる」
転移魔法は高位魔法だ。
魔力量と技術がなければ扱えない。
……でも考えもしなかったわ。
他の魔法で同じ効果を得られることが驚きだった。
エヴァルト様に手を引かれて席へ着く。
アレクシア様は一緒に移動してこなかったようだ。
向かい側にエヴァルト様が腰かける。
「ロドルフの弟とのじゃれ合いは楽しかったか?」
ふふ、と少し笑ってしまった。
「手合わせですわ」
「あなたにとってはじゃれ合いだろう。得意な闇属性の魔力も最後になるまで使っていなかった。それに、聖属性魔法も扱えるのならば、弱体化させることも出来たはずだ」
「全てお見通しなのですね」
わたくしはあえて聖属性を使わなかった。
あれを使えば確かにロドルフ様の弟を弱体化させることが出来たけれど、一度弱体化させた魔族は聖属性の魔力が消えるまで、しばらくの間、弱ったままになってしまう。
わたくしはそれを望んではいなかった。
魔族達に力を誇示する理由はあったものの、ロドルフ様の弟を殺して見せるのはやりすぎである。
だから気絶に留めておいたのだ。
「我が運命は慈悲深いようだ」
それに首を振る。
「いいえ、どれも打算に過ぎません。あの場でロドルフ様の弟君を殺してしまえば、ロドルフ様やその配下の方々から反感を買うかもしれませんから」
「魔族は実力主義だ」
「はい、でも、強者たるもの寛容さも必要だと思ったのです」
エヴァルト様がさざめくように笑う。
「レイチェルは興味深い考え方をする」
わたくしはその言い方にドキリとした。
「魔族の中では変でしょうか……?」
「いいや、良い考えだ。少なくとも、ロドルフはあなたに感謝の念を抱いただろう。これから、あのウェアウルフの男があなたにきつく当たることはない」
「それはそれで少し寂しいですわね。ようやくあの大声にも慣れてきたところでしたのに」
そう答えればエヴァルト様が珍しく、ははは、と笑った。
おかしくて仕方がないという風な、けれど馬鹿にしている感じはなくて、単純に面白いことを聞いた時の笑い声だった。
「やはり、私の妃になってはくれないか? 聖女の生まれ変わりや封印がどうこうと言うより、あなたといると、もっと共に過ごしたいと思う気持ちの方が強くなってくる」
まっすぐに見つめられてわたくしはつい、目を逸らしてしまった。
「待つとエヴァルト様はおっしゃってくださいました」
「ああ、待つとも。しかし好かれる努力はしていくつもりだ。あなたが頷いてくれるまで」
ギョッとして顔を上げる。
「わたくしが頷くまで?」
「あなたも私も寿命は長い。今は頷けなくとも、いつか、良いと思う日が来るかもしれない。それまであなたは幹部でいれば良い。私はただ、あなたの心を待つだけだ」
ふっとエヴァルト様が微笑み、頬杖をつく。
目の前の存在が魔王なのだと思い知る。
わたくしが妃になることを拒絶したとしても、きっと、エヴァルト様は損をしない。
幹部としてそばに置いておけば、いつか、わたくしが心変わりをするかもしれないし、しなかったとしても幹部として縛りつけておくことが出来る。
わたくしが頷いても、首を振っても、エヴァルト様の手の中にわたくしはいることになる。
「……それは、とても、ずるいのでは?」
思わず出た言葉はまるで子供のようだった。
おかしそうに真紅の瞳が細められる。
「私は魔王だからな。何をしても許される」
それにわたしは笑ってしまった。
「エヴァルト様は面白い方ですね」
伸びてきた手がわたくしの髪を一房取る。
そして立ち上がったエヴァルト様がそこへ口付けた。
「私へ興味が湧いてくれたなら良かった」
わたくしが死人で良かった。
そうでなければ、きっと顔が真っ赤になっていただろう。
……ああ、もう、愛なんて要らないと思ったのに。
わたくしが捨てたものを魔王が与えようとする。
嫌いになる要素なんて始めからない。
だって、本物のあなたはわたくしを殺さなかった。
* * * * *
ロドルフ様の弟君の件があってから半月。
わたくしは相変わらず快適に魔王城で過ごしている。
変わったことがあるとするならば、魔族からの視線が畏怖を含んだものになったことくらいだろうか。
……あ、あとロドルフ様の態度ね。
あの後、エヴァルト様とのお茶会を終えて幹部の集まる部屋へ行くと、ロドルフ様に謝罪された。
「愚弟がすまない! 魔王妃様の力は分かっていたはずなんだ! それなのに楯突いて、殺されても文句は言えなかったのに……っ!!」
それこそ深々と頭を下げられて、わたくしはその気持ちだけで十分だった。
「良いのです。わたくしも少しやり過ぎました」
「いや、かなり手加減してくれただろ? もし魔王妃様が本気で魔法を使っていたら、あいつなんて手も足も出ない」
肩を落とすロドルフ様は尻尾も垂れ下がっていた。
「今回の件であいつも懲りただろうし、俺もあいつも魔王妃様に忠誠を誓うと決めた。俺の配下もだ。……弟の無礼を許してくださり、改めてお礼申し上げます」
「ふふ、それなら今まで通りにしてください。ロドルフ様の元気がないとわたくしも落ち着きませんし、ようやく大声に慣れてきたところなのです」
「……魔王妃様がそう言うなら」
顔を背け、照れ臭そうに頭を掻くロドルフ様は少し可愛らしかった。
その後、傷が治ったロドルフ様の弟、ウィルド様という名前の彼も謝罪をしに来てくれた。
手合わせを申し出て来たのは、他の魔族がわたくしに反発するのを見て、わたくしの実力を皆に見せるためだったらしい。
魔力で自分より格上と分かっていても、元人間という点では受け入れられ難い。
だからこそ実際の力を見せ、わたくしに刃向かうことでどうなるか他の魔族に理解させたかったのだとか。
ウィルド様自身はそれほどわたくしが妃となることに反対はしていなかったようだ。
「魔王様と同じ魔力の気配とその量だからな。本気で歯向かうのは馬鹿か相手の力量も分からない弱い奴だけだろうけど、これ以上魔族が減るのは困る」
ウィルド様なりに考えての行動だった。
「あなたが減っても困ったと思いますよ。それに悲しむ方がいるなら、安易に命を投げ出すものではありません」
そう言えば、ウィルド様は笑った。
「やっぱ、魔王妃様は元人間だな。強者に楯突いて殺されても、魔族だったら、馬鹿な奴って言われて終わりだ」
「でも、家族や友人、仲間を大切に思う気持ちはあるのでしょう?」
「ああ、ある」
「でしたら、それを大事にしないと。守る者がいるからこそ強くなることもあると思います」
わたくしは裏切られてしまったけれど。
そう続けたわたくしに、ウィルド様が頭を掻いた。
ロドルフ様とそっくりの仕草だった。
「あー、その、魔王様ならそんなことはねぇ」
それにわたくしは目を丸くしてしまった。
「どうしてそう言えるのですか?」
「魔族は魔王様と繋がってる。だから分かる。魔王様は同胞に嘘は吐かないし、裏切ったりしない」
「エヴァルト様が魔族を殺すこともあるのですよね?」
「あるけどよ、それは、そいつが殺されるようなことをするからだ。裏切るのとは違う」
だからさ、とウィルド様がわたくしを見た。
「魔王妃様になってくれよ」
わたくしはすぐに返事が出来なかった。
『はい』とも『いいえ』とも言えなかった。
「魔王様は何も考えなしに妃にほしいって言ってるわけじゃねーんだ。魔王妃様のこと、ちゃんと見てると思う」
「それは、分かって、います……」
多分、これまでの人生の中で、誰よりもわたくしを見て、わたくしに優しくしてくれている。
魔王なのにわたくしにとっては魔王ではない。
だからこそ、迷っていた。
……本当に信じていいの?
また裏切られたくない。
……わたくしを愛してくれる?
出会ったばかりなのに。
「オレも兄貴も、魔王様の隣にいるのが、魔王妃様ならいいって思ってる。魔族らしくない魔王妃様だからこそ、今の魔族には必要なのかもってさ。……オレ、全然魔王妃様に勝てなくて、なんか、悔しいって気持ちすらなかった。むしろ『魔王様が選んだだけあるな!』って思った。魔力量もすげーし」
「それで戦いを挑んできたウィルド様も凄いですよ」
「オレは、あれだ、ただの馬鹿だ。あんま考えるのは得意じゃねーし」
少し、羨ましいと思う。
魔族の方が人間よりもずっと仲間思いで、同族意識が強くて、正直だ。
わたくしは最後まで家族との仲を修復することは出来なかった。
それどころかあっさりと切り捨てられた。
……ここなら、違うのかしら……。
「もう少し、考えてみます」
エヴァルト様のことを、わたくしはどう思っているのだろうか。




