終わりの始まり
「今よりレイチェル=シェリンガム元公爵令嬢の処刑を執り行う!」
広場に殿下のお声が響き渡る。
それを、わたくしは処刑台の上で聞いていた。
「この者は闇属性の魔力を持ち、死霊術を操り、それによって人心を惑わせた! それだけでなく魔族に加担し、聖女・ユウリ=アイザワ嬢を亡き者にしようと画策していたのだ!!」
殿下のお言葉に民衆が騒めいた。
違う、と言っても声は出なかった。
度重なる拷問で叫び過ぎてしまい、声は掠れ、音にならずに空気へ消える。
どうして、と思った。
わたくしが闇属性だということは最初から、殿下は知っていらしたはずなのに……。
それでも年齢の合う公爵家の令嬢はわたくしだけで、魔力量も多く、初代聖女様の直系の血筋だった。
確かに聖女様の血筋なのに闇属性というのは恥ずべきことなのかもしれないが、結婚したくなかったのであれば、婚約を解消するなり、破棄するなり、他にも方法はあったでしょう。
痛む体を動かして首を上げれば、離れた場所にある王族や貴族専用の観覧席には殿下と黒髪の少女が寄り添って立っている。
聖女・ユウリ=アイザワ様。
わたくしよりも若く、幼い異国風の顔立ちで、この世界では見たことのない黒髪に黒い瞳の可愛らしい少女。
魔族に対抗するべく、異世界より召喚された聖なる力を持つ乙女。
殿下は聖女ユウリを見て、一目で恋に落ちた。
王族と聖女の婚姻ならば誰もが祝福するだろう。
わたくしも、もし、きちんと話をされていたならば、つらくてもお二人を祝福しただろう。
聖女様は不思議な力を持ち、予言も行えた。
魔族の攻めてくる時機やどんな魔族が攻めてくるかなど、その予言により、この国だけでなく周辺国も救われた。
そこまでは何も問題はなかった。
ただ、わたくしという婚約者を持ちながら、聖女ユウリと愛を深めていく殿下を見るのはつらかった。
早く婚約を破棄か解消してほしいと願った。
そう願っただけなのに……。
「レイチェル=シェリンガム公爵令嬢は危険です! 彼女は闇属性の魔力を持ち、死霊術を使えます! このままにしておくと、いずれ魔王の復活に関わり、ルーファス様や王家に害をなす存在になります!!」
聖女ユウリは舞踏会という公の場でそう言った。
今まで次代の王妃となるべく、つらい教育にも耐えて、どんな時でも王家の皆様や国を思って必死に努力してきたのに。
王家は聖女ユウリの言葉を鵜呑みにしてしまった。
元より、王家に闇属性の者を迎え入れるのをあまり良く思ってはいなかったのだろう。
聖属性を持つ聖女ユウリと殿下が愛を育んでいたこともあり、わたくしはもはや、不要な存在となっていた。
……でも、だからとこれはあんまりだわ……。
わたくしは闇属性で、死霊術が一番得意だった。
その力を使って、死にかけていた者をほんの僅かに延命させて、家族や友人などと最後の別れが出来るようにしたことも少なくはない。
でも、それは王家も教会も知っていた。
だが聖女ユウリの言葉に王家も教会も手の平を返すようにわたくしの死霊術と闇属性を攻撃した。
まるで自分達は知らなかったとでもいう風に。
シェリンガム公爵家は……、父も、母も、兄も、誰もわたくしを守ってはくれなかった。
公爵家でもわたくしは邪魔な存在であった。
聖女の血筋でありながら闇属性を持つなんて、と幼い頃から何度も家族から詰られてきたが、まさか、何の躊躇いもなく捨てられるとは。
公爵家はわたくしを即座に絶縁し、公爵家から籍を抜き、あたかも罪人を差し出すようにわたくしを王家に引き渡した。
「この者を生かしておけば、やがてこの国に害をもたらすことであろう! その死霊術で生み出した化け物で我々を襲わせるだろう! それらを防ぐためにも、この者は今ここで排除しなければならない!!」
民衆が「そうだ!」「魔族の仲間を殺せ!」と叫ぶ。
涙は出なかった。
もう、拷問で一生分は泣いたから。
幼い頃は共に国を支えていこうと誓ったこともあったのに、今の殿下は、わたくしを冷たい眼差しで、ゴミでも見るかのような顔をする。
「私ルーファス=エル・イングリスはレイチェル=シェリンガム元公爵令嬢との婚約を破棄し、そしてこの反逆者を今ここで斬首刑に処す!!」
本当に酷い話だった。
王家に次ぐ力を持つ公爵家の令嬢を、たとえ絶縁されているとしても、公開処刑にするなんて。
普通ならば毒杯を与えてひっそりと死なせるもの。
それを自分達の正当性を主張するために、度重なる魔族との戦による民の不安と恐怖を王家に向けないために、わたくしの死という尊厳すら利用される。
……わたくしのこれまでは何だったのかしら。
ボロボロになった髪を掴まれ、首を斬首台の穴に押し付けられる。
抵抗する気力なんて欠片も残ってないのに、まるで親の仇のように処刑人は斬首台の固定具をわたくしのうなじに叩きつけた。
首に衝撃を感じたものの、痛みを与えられ過ぎて、それが痛みなのかすら分からない。
殿下が手を上げる。
処刑人が斬首台の刃に繋がる紐を握った。
「……死霊術師など穢らわしい」
殿下の冷え冷えとした声がした。
そうして殿下の手が下へ振られる。
処刑人が紐から手を離し、大きく重い刃が落ちる。
最後に見たのは無表情の殿下と、殿下に寄り添って嬉しそうな笑みを浮かべる聖女ユウリの姿だった。
激痛と共に視界が回り、意識が暗転する。
……ぜったいに、ゆる、さ、な、ぃ……。
* * * * *
そのゲームは女性向けだった。
題名は『聖なる恋〜運命の人は〜』といい、ファンからは『聖運』と呼ばれていた。
いわゆる乙女ゲームと呼ばれるものだ。
聖女として異世界に召喚された女子高生が主人公で、五人の男性と関わりを持ち、その中の一人と恋に落ちる。
聖女は心優しい少女で、異世界では、人間と魔族が対立しており、聖女として呼ばれた少女は最初、人間のためにその聖なる力を使って人々を癒したり、魔族を退けたりする。
いくつかのイベントがあり、そのイベントの中で自分が選んだ攻略対象との物語が展開する。
そのため、ゲーム開始時にどのキャラクターと恋に落ちるか選択する必要があった。
そうして選択したキャラクターのルートで開始される。
ただし、本編中で選択肢が複数出てくる。
その選択肢によって、ハッピーエンドかバッドエンドか、トゥルーエンドかに内容が変化する。
ハッピーエンドは最終的に結婚に至る。
バッドエンドは付き合えても別れて終わる。
トゥルーエンドは曖昧な関係で友情のまま。
選択肢を選んで自分の好きなエンドを迎える。
携帯アプリではなく、家庭用ゲーム機で遊ぶもので、特別なアイテムや作業は必要ない。
ただ物語を楽しむものだった。
そんなゲームの、五人の攻略対象の中のメインヒーローがルーファスという。
舞台となる国の王太子ルーファス=エル・イングリス。イングリス王国の第一王子である。
金髪に青眼の、見目麗しい王太子殿下。
そうしてわたくしの婚約者。
ルーファスルートの悪役である公爵令嬢。
聖女である少女に度々声をかけ、時にはきつい言葉を告げるが、選択肢によっては自ら身を引く。
レイチェル=シェリンガム公爵令嬢。
……待って、これは何?
頭の中が混乱する。
乙女ゲームとか、エンドスチルとか、分かるけれど分からない単語が次から次へとあふれてくる。
わたくしのものではない異世界での二十何年分の記憶が一気に情報として、その中の一つがこのゲームだった。
恐らく、これは、前世の記憶というものなのだろう。
その記憶の中には輪廻転生という言葉があり、人間や動物などの生き物は死んだ後、新しい生を受けて生まれ直すというものだった。
わたくしも、前世では別の人間であった。
女性で、働いていて、そこではごく普通で。
貴族の令嬢とは全く違う生活をしていたみたい。
娯楽も沢山あって、どうやら前世のわたくしは乙女ゲームというそれが好きだったらしい。
仕事をして、夜の時間に少し進めるのが楽しみで。
その中でも一番好きだったのが『聖運』だった。
アイテムのためにお金を注ぎ込む必要もキャラクター衣装を変えるなどの作業もなくて、最初にゲームディスクを購入すれば、何度でも遊べる。
スチルと呼ばれる絵を集めれば、後でそれを眺めることも出来る。
そうして、四人の攻略対象の物語を全て一度見ることで、最後の五人目が解放される。
……わたくしの推しはその五人目だった。
始まりの魔王・ファウスト。
一番最初に存在した魔族であり、悠久の時を生きる魔王であり、そして、最初の聖女の手によって殺された。
ただしその体は朽ちることはなく、魔族達が何百年、何千年と崇め奉っている。
四人の攻略対象の物語を見た後、メインヒーローであるルーファスルートを進めると選択肢が増えて、途中からこの魔王ルートに入るのだ。
聖女として人々を救いながらも、魔族との戦いを根本的に何とか出来ないかと主人公は考え、やがて、魔族との戦いの中で魔王の存在を知る。
魔族は始まりの魔王の意思を継いで、人間と敵対している。
つまり、この魔王が人間と敵対するのをやめると言えば、戦争はなくなるのではないか。
そう考えた少女は魔族を退けながら、時に打ち倒しつつ、魔王の眠る魔王城まで辿り着く。
そこで聖なる魔法で魔王を復活させるのだ。
ただし、聖なる魔力により目覚めた魔王は本来の力の半分も能力は使えなくなり、その状態では勝てないと悟った魔王は表向きは聖女の申し出た和平を受け入れる。
実際は力を取り戻すまでの時間稼ぎである。
しかし心優しく前向きな少女と関わりを持っていく中で、魔王は段々と少女に惹かれ、人間への敵愾心と少女への愛情との間で苦しむこととなる。
ルーファスルートでこれまで選んだ選択肢によっても変化がある。
レイチェルを味方に出来るかどうかだ。
味方に出来なければ、ルーファスとの関係に苦しむわたくしを唆した魔王は、その闇属性の魔力を吸収して以前の力を取り戻してしまう。
味方に出来れば、わたくしは魔王の甘言に乗らず、魔王は力を取り戻せない。
そうして少女との愛を選べばハッピーエンド。
完全復活して敵愾心のまま少女を殺せばバッドエンド。
五人目の魔王だけはトゥルーエンドが存在しない。
そんな、特殊な攻略対象が魔王だった。
……どうして、今更こんなことを思い出すの。
もう、わたくしは処刑されてしまったのに。
きっと今は死ぬ直前のほんの一瞬の時間なのだろう。
目覚めることなんてなく、後はただ、意識が消えていくだけ。
思い出してもどうしようもない。
……でも、でも、許せない……!!
ゲームにこんな展開はなかった。
ルーファスのハッピーエンドでは、わたくしは自分から身を引いて二人の恋を応援した。
バッドエンドとトゥルーエンドでは、ルーファスとわたくしは結婚するはずで、わたくしが処刑されるルートはどこにも存在しなかった。
確かにわたくしは魔王に力を取り戻させる鍵として、重要なのかもしれない。
わたくしがいなければ魔王は弱いまま、人間と魔族との和平を進められるのかもしれない。
そうだとしても、あんな方法で殺すなんて。
元とは言え、公爵令嬢であり、初代聖女の直系の血筋であるわたくしを、公衆の面前で斬首刑にするなんて。
思い出して湧き上がったのは憎しみだった。
悲しみや苦しみよりも、怒りが強かった。
……誰もわたくしを信じてくれなかった。
何年も共に過ごしたわたくしよりも、現れたばかりの聖女の言葉を信用した。
……誰もわたくしを助けてくれなかった。
それなら、もう、誰も信じない。
人間なんて大っ嫌い。
* * * * *
ふ、と目が覚める。
数秒ほどそれが理解出来なかった。
瞬きをして、そうして、酷く驚いた。
「わたくし、まだ、生きてるの……?」
掠れた声だけれど、確かにわたくしの声だった。
ごほごほとむせてしまう。
口元を押さえながら起き上がり、辺りを見回すと、そこは鬱蒼と生い茂る森の中だ。
真っ暗で、木々の隙間から月明かりが差し込んでいる。
暗いはずなのに不思議と辺りがよく見えた。
わたくしは罪人用の馬車の中にいた。
上が檻になっているその馬車からは周りが見える。
すぐそばに影がいくつか倒れていて、それらは馬や人の形をしており、ピクリとも動かない。
……何が起こったの?
わたくしは処刑されたはずなのに、どうして、生きているのだろうか。
思わず胸に寄せた手から伝わるヒンヤリとした感覚にまた驚いた。
まるで死人のようにわたくしの体は冷たかった。
……爪が戻ってる……?
拷問で失ったはずの爪は、公爵令嬢の時のように美しく整っており、ふと視界に映った髪も、以前のツヤを取り戻している。
それらを呆然と見ていると強い風が吹いた。
そして、暗い森の中からいくつかの影が現れた。
「なんじゃ、大きな魔力を感じたと思ったら人間の小娘であったか。……いや、この気配は……」
月光の下に現れたのは十二、三歳ほどの少女だった。
透き通るように真っ白な肌に、濃い蜂蜜を思わせるような黄金色の髪、赤い瞳をした美しい少女は軽い足取りで馬車に近付いて来る。
黄金色の髪に赤い瞳、真っ白な肌、そして、唇から僅かに覗く尖ったそれは吸血鬼の特徴である。
驚いたものの、恐怖は感じなかった。
黄金色の少女は檻のそばに立った。
「なるほど、リッチか」
その言葉にわたくしは思わず訊き返した。
「……リッチ……?」
「知らぬのか? 人間とは無知よの。リッチとは神官などが不老不死を求めた結果生まれる霊体、アンデッドの一種じゃ。じゃが、おぬしは神官には見えぬな」
アンデッドとは生を持たない魔物や魔族のことだ。
骨だけのスケルトンや死した後に自我を失ったゾンビもその一種である。
でもリッチなんて名前は聞いたことがない。
「しかし濃い闇属性の魔力を感じるのう」
黄金色の少女が笑った。
「おい、おぬし、いつまで檻の中にいるつもりじゃ? 人間ならいざ知らず、今のおぬしならば、その程度の檻を壊すくらい、赤子の首を捻るようなものじゃろうて。ほれ、試しに檻を掴んで左右に引っ張ってみよ」
言われるがまま、檻を両手で掴み、左右へ引っ張った。
ギギギィと耳障りな音を立てて、檻はあっさり、左右に広がった。
「どうして……」
手を見つめてみるけれど、そこにあるのは公爵令嬢の頃のほっそりとした手である。
だが、よく見れば肌は青白かった。
「だから、おぬしはリッチだと申したであろう? 元は人間であっても今のおぬしは魔族じゃぞ。それにしても、良い拾いものが出来たのう」
魔族、と呟く。
もう人間ではないと知って、それが、とても、嬉しかった。
わたくしはわたくしを裏切った大嫌いな人間ではない。
「おぬし、名は何という?」
「……リッチのレイチェルと申します」
わたくしは魔族のリッチ。
リッチのレイチェル。
「ではレイチェルよ、妾について参れ」
新しいレイチェルが生まれた瞬間だった。