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短編小説まとめ

詰め寄る想いを波に乗せて。

作者: 矢神うた

 十年間も思いを寄せた彼に失恋した。



 しかも、よりによって彼は私の姉と結婚してしまった。



 そんな無慈悲で惨いことがあるだろうか。


 幸せそうに寄り添う二人に向けて微笑むことも、楽し気にはしゃぐふりさえ徐々に難しくなって、大学の講義が終われば自分の部屋に引きこもり、食事は共にしなくなった。


 気付けば寝る前に枕は涙で濡れ、同じ空気を吸いたくなくて寄り道ばかりして家に帰る時間も遅くなった。


 私は、誰にもこの恋心を知られたくなくて、気付かれたくなくて。


 姉と好きだった人が暮らしている実家から、大学を卒業してすぐ、独立するなどの理由をあれやこれや並べて東京に飛び出してきた。





 一言で東京と言っても、全てがビル群というわけではない。


 見渡す限り、背の高い建物や、鈍い銀色を無理してきらめかせるような建物ばかり……なんていうのは、本当に一部でしか見られないのだ。


 草も土もある。畑だって。けれど、その全てを隠すことが上手いのがこの『東京』という街なのではないだろうか。


 と、いうのが私が半年少しこの街で暮らし始めた見解だ。



 全て偽物に囲まれている。本当のものなんて身を潜めてどこにも存在しないかのように。


 どこの街とも実は変わらない。ただ、人間の瞳のフォーカスを定めた際に、偽物が目立つだけの街。


 個性をかき集めて、大群になった人々をかきわけることも出来ず、大切なものとは気付かずにすぐにすれ違ったとしても、何年経っても気付くことが出来ない。


 波風立てても、気付かれない。波形の跡は辿れない。


 それが東京なのだ。


 ヒトは、似たようなものに引き寄せられる。だから、潜めた街では自身も潜む。


 私、「飯塚梨恵」はそんなウソにまみれている土地で、ひっそりと田舎から飛び出し、逃げるように暮らしている。





 逃げたからと言って、心変わりなんて出来やしなかった。やっぱり今でも彼が好きだ。


 それでも、あの二人が共に過ごす部屋から逃げて良かったと思う。このままだったら爆発して問題の一つや二つ実家で起こしてしまっていた。


 日々を食いつなぐ程度の金を抑えられる事務仕事もそれなりに慣れ落ち着き始めた頃、夜の街中を歩いている途中、声を掛けられた。



「もうし、そこのお嬢さん。思い詰めた顔をしておりますね」



 その日は確か手間のかかる仕事を終え、とぼとぼと家路を歩いていたことだったと思う。


 人手も無い、家賃の関係で駅より幾分か遠いアパートまであと五分ほどの距離での出来事だった。


 黒いローブを見に纏った男だか女だか分からない人物はこちらに手招きしていた。


 怪しい。素面だったら絶対に近づかない。


 しかし、この日私はよりにもよって泥酔していた。片手に缶チューハイをストローをさして持っているくらいだ。



「占いましょうか」


「ええ~ほんとですか。恋愛運見て下さい」



 その占い師に言われたことはほぼ覚えていない。前世がああだ、来世はこうだと言われていたが、残念ながら現世については言ってくれなかったような。


 適当に牛丼屋で薄っぺらい紙のような肉よりパサついた白米が多い牛丼をかきこんだ後だったので腹がやけにもたれていたのだけは鮮明に覚えている。



 ただ、朝起きて財布が空っぽだったからやけに高い金額を支払ったんだな、と後悔した。


 チェーンで繋げられた蓋つきの小瓶が机に置かれていたのを見ると、何かいわくつきのものを売りつけられたのかもしれない。





 冬の朝は透き通っている。眩しいくらいに。


 起きて二日酔いな頭痛を抑えながら仕事へ向かおうと慌てて準備をせねばと思ったがカレンダーを見て気付いた。今日は土曜日。休日だった。


 ゆっくり羽を伸ばそうとは思ったが、この小瓶の正体から暴かなければならないと小瓶に近付いてみると、一緒に紙も一枚置かれていた。説明書だろうか。


 読んでみようと文字に目を運ぶ。



『想い溶け小瓶の使い方。蓋を取った小瓶の中に溜め込んだ気持ちを吐き出す。蓋をすると想いが雪になって小瓶の中に積もるよ。そのまま胸元に付けて過ごしてね。溶け切ったら溜め込んで積もった自分の想いが消えているよ』



 怪しすぎる。そんなことあるわけないのに。


 しかし、酔いどれな昨日の自分が購入したものをそのまま捨てるのももったいない。


 私は深呼吸をして『しゅぽっ』と蓋を音を立てて開けた後、囁くように呟いた。



「私は、竹辻青葉くんが好きでした」



 蓋をした途端、その思いは雪となり、小瓶の中に積もりだしたので驚いて一瞬落としそうになった。


 この大都会で見るのも目新しい雪である。


 あとは溶け切るのを待つだけ、なのだと思う。一体どうやってこんなマジックが出来たのだろう。種も仕掛けも見つからず、じろじろと執拗に小瓶を見回してみたが残念ながら何も見つからない。


 私は、奇々怪々な物品のチェーンを首にかけてから、仕事の疲れで鉛のように重い身体を一度布団の上に投げ出した。


 今日は一日ベッドで過ごしてしまおうか。……いや、せっかくの休日だ。どこかに出掛けようかな。


 せっかくだ。メイクをして買い物でもしよう。色々と問題はあるが新しいネックレスもかけているのだ。


 ベッドから飛び起きて一度様々なしがらみから逃げ出すように大きく伸びをした。





 好きな女性アーティストの曲でも流そうと動画サイトをスマホで開き、化粧台の前に座る。


 雪はまだ積もったままの胸元を見つめる。


 一体、どうやってアオバくんが好きだったこのどうしようもなく降り積もった思いを消すことが出来るのだろうか、と下地とファンデーションを塗りながら考える。


 十年間の追い心を、一体何で埋めたら良いだろう。


 眉を整えつつ、切ない失恋ソングに耳を傾ける。


「マッチングアプリでもしてみようかな……」


 つい声に出してしまった自分に驚いてアイラインが少し曲がった。よれた線を綿棒で消していく。


 私はもうずっと溜め込んでいたものを消し去る方法が見つからない。


 アイシャドウは新しく買ったラメ入りのものを使っていく。アイホールに塗り込んでいくときらめき始めて、陰りそうになった表情がどうにか上向きに変わる。


 マスカラ下地を塗って、乾かして。


 青葉くんから連絡が来たのは、マスカラを手に取ったすぐあとだった。



 突然涙ぐむ歌声が止み、高らかに軽快な初期設定のままの着信音が鳴り響き、自分の画面に突如として彼の名前が浮かび上がる。



 驚いて反射的に通話ボタンを押してしまった。


 触れてしまった指の動きに後悔したが「もしもし。リエちゃん?」と言う優しさを帯びた柔らかな声音に、応えないわけがなかった。


「は、はい」


「久しぶり。分かる? 青葉だけど」


「うん」


「あっ、名乗らなくても通知でそっちに俺の名前表示されてるか」


 名前なんて通知が無くても、一つ聞けば分かるに決まってる。


 何度焦がれたか分からない声を通す耳たぶがじわりと熱くなる。


「突然連絡してごめんね。ちょうど出張で今リエちゃんの住んでいる駅の近くにいるんだけど、ちょっと会える?」


 会う? 私が、アオバくんと会うの?


 離れて半年経ったとしても未だ断ち切れていないこの思いを抱えて?


「わ、分かった。駅前のカフェで良い?」


 上ずった声を隠して、待ち合わせの時間を教えて通話を切る。


 自分の焦りとは裏腹に、私は彼と会う約束をしてしまった。


 頬が熱い。慌てて私はマスカラを睫毛に塗りたくる。


 ツン、とした刺激臭が鼻に伝わって涙が出そうになった。


 今日はきっと、チークはいらない。





 カフェに着いた。


 悩んで悩み疲れて、いつもの青いトートバッグを選んで無難にワンピースを着て。


 胸元には思いが詰まったネックレスをかけたまま。


 目立ち過ぎない、いつも通りを装って自然体なメイクを施して。深呼吸をして片手を上げてこちらを呼ぶアオバくんの席に座った。


 上着を脱いで椅子にかけながらアオバくんをちらと見る。


 彼の前には湯気が静かに上るホットコーヒーが置いてあった。


「リエちゃん、何飲む?」


 メニュー表を見てから、私はお冷を持って来た店員さんに紅茶を頼むと、彼は突然口を開いた。


「それとセットでチョコケーキも」


「えっ」


 かしこまりました。と言って出て行く店員さんに否定の言葉も言う暇もなく。


 私は動揺した眼差しで彼を見ると、人の好さそうな瞳で言った。


「リエちゃん好きでしょ、チョコケーキ。今日来てくれたお礼だから、遠慮しないで」


「……ありがとう」


 好きだ。


 そう言って何気ない好みを覚えててくれる優しい貴方が。



 白いポットとカップがやって来て、紅茶を蒸らしている間、彼は口を開いた。


「良かった、会えて。リエちゃんが地元から出る時、俺立ち会えなかったからさ」


 そうだ。わざと彼が出張している日に私は家を出た。


 私は未だ見たことの無い世界へ逃げ出すよりも、見慣れた街で彼と最後に会う方が嫌だったから。


 どういった表情で彼を見たら良いのか分からなくなってしまって、ぎこちなく口角を上げ魚の呼吸のような口の動きを数回した後、何とでもないような顔で微笑んで、一言だけ並べた。


「今日は、どうしたの?」


 机の下で拳を握り締める。


 桜色のマニキュアの先が手の平に食い込む。


 こちらの緊張なんて全く気にしていないかのように彼は言った。



「サエからさ。頼まれごとされてて、実家からリエちゃんの本とか、CDとか出てきたんだって」



「……あ」


 親し気に呼ぶサエ……「飯塚紗江」今となっては「竹辻紗江」という姉、もとい彼のお嫁さんの名前を耳にして一瞬視界が揺らぐ。


 彼から簡素な紙袋を受け取り、この場で彼の役目が終わったことを悟る。


 ずっしりとした自分の物品による手に伝わった重みより、心に沈む落ち込みの方が大きい。



 なーんだ。


 なんだなんだ。


 いや、少し、ほんの少しだけ期待してしまった。今日だけは愛されるかな、だなんて思った私が馬鹿だった。


 お姉ちゃんと結婚して半年で破局してこっちに来て、実は私の方が好きだった、みたいな展開まで妄想して歩いて来たのに。


 馬鹿みたいだな。


 どんなに気持ちがぐらぐらと眩暈を起こしていても、口は開いてしまう。



「お姉ちゃんとは、最近どう?」


「いやぁ、相変わらず仲良くしてる。最近一緒に寝始めて知ったんだけどさ。サエ、いつも寝相悪くて俺のこと突き飛ばしてさ……」


「へぇ」


 視線を逸らしたくて、震える手をポットに添えて、カップに注ぐ。


 少し蒸らしすぎて渋みがある紅茶を一口飲んで、文字通り苦い顔をする。


 泣きそうな顔を隠せて良かった。



 馬鹿だ。なんでわざわざ失恋した相手に自分から結婚生活を聞き出してるんだ私は。


 お姉ちゃんとの生活なんてどうでも良いのに、私は彼との会話のつなぎ目を唯一繋ぎ止められるのが共通の姉の話題しかない。


 自分の不幸からしか見つけ出せないんだ。何してるんだろうな。


 私の十年間の思いなんて塵屑に見えるような彼の満たされた生活なんて聞きたくない。


 こんな幸福な思い出を持った彼のことなんて自分の脳の隙間に足したくない。



 お姉ちゃんの服のセンスの話が来るあたりで、チョコケーキが運ばれてきた。


 黒い下地のチョコケーキの上には粉砂糖がかかっていて、まるで胸元にかけられている小瓶に詰まった雪のよう。


 彼の話を耳に流し込みながらフォークで勢いよく刺してケーキを口に運ぶ。


 味がしない。


 苦くも甘くもなんともない。


 彼の話は止まらない。


 お姉ちゃんはパンツスタイルばかりだから、たまにはスカートが良いんだって。


 アオバくんはワンピースが好きだ。でもそんなの昔から知ってる。


 私、今日着てるのワンピースなんだけどな。気付いてくれないのか。


 そういえばせっかくおしゃれしたのに、「カワイイ」の一言も無かったな。


 彼はまだお姉ちゃんに着て欲しい服の話をしている。


 聞きたくないな。


 ケーキの中央部分を崩して口に運ぶ。


 味がしない。


 聞きたくない。


 口に運……。



「好きだった」



 こぼれ落ちたのは、チョコケーキの欠片でも、カップからこぼれた紅茶の雫でもない。


 正真正銘、私の口元の言葉と、瞳から流れ落ちる涙だった。



「貴方が好きだったよ。アオバくん」



 思えば、「想う」ばかりで、本音を伝えたことなんて無かった。


 私貴方が好きだったよ。こんな情けない顔でフォーク片手に、既婚者の前で言うなんて思わなかったよ。


 永遠に自分の気持ちを閉じ込めて隠して、東京でなら息も身も潜めて生きていけると思っていたのにな。


 貴方はズルい。ずっとズルい。


 押し付けないように、いつでも引き下がれるように、自分の気持ちを留めていたのに。


 好意を寄せなければ。返す言葉を求めなければ。ダムのようにせき止めてしまえば。


 動きを付けて、形にしなければこの関係に波は起こらないこと、誰よりも知っていたのに。



 目元をぬぐいながら私は紅茶を一口飲むと、アオバくんはハンカチをこちらにそっと差し出した。


「ハンカチ、あげる」


「うん」


「リエちゃんが俺のこと好きなの知らなかった」


「言わなかったからね」


「ごめん、気持ちに応えられなくて」


「……知ってる」


「でも、ありがとう」


 彼の言葉に視線を上げる。


 何も出来ない自分がもどかしいような表情をして、アオバくんは無理やり微笑んだ。



「伝えてくれて、ありがとう」



 感謝なんてしないでいいのに。そんな悲しそうに言わないで。


 最後まで優しい貴方は、何も悪くない。


 私が引き起こした大きな気持ちの荒波を彼は迷いながらも受け止めてくれた。


 煮え切れず溶けきれず、籠り切れずにいた原因は貴方に吐き出せなかったから。


 必死に取り繕っているばかりじゃ私は駄目だった。


 でも言えた、不格好で良かったんだな。


 波を形にして、良い時もあるんだな。


 ふと、胸元のネックレスを見つめる。


 ああ、やっぱり。



 胸元の小瓶に降り積もった思いの丈はすっかり溶け切っていた。

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