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ひとりじゃないから


 昼下がり。

 村の西に位置する小さな森には、やわらかな木漏れ日が降り注ぐ。


 草花が茂る大樹の陰で、ビオレッタは薬草をプチプチと採っていた。今日は状態の良い薬草ばかりで、大きな籠も山盛りだ。

 しかし豊作だというのに、ビオレッタの顔は曇ったまま。


 八つ当たりに近い苛つきが、ずっと胸の奥にくすぶっている。



 それは今朝のことだった。

 グリシナ村に、月に一度の行商人が現れたのだ。


 ビオレッタは、自分で採取できるもの以外――傷薬などを、こうしてやって来る行商人から品物を仕入れている。

 毎月、在庫を切らしては大変だからと、必要量より多めに仕入れてはいたのだが。

 

「ビオレッタさん、今月はこれだけで良いんですかい?」

「え?」

「いえ、いつもの半分以下の仕入れでしょう」


 行商人が何気なく口にした一言が、ビオレッタの胸にグサリと刺さった。

『これだけ』『いつもの半分以下』

 その通りではあるけれど。


 魔王が倒され、モンスターが消え去り、モンスター退治の冒険者や怪我人もいなくなった。


 すると危惧していたとおり、ビオレッタの道具屋には在庫が有り余ってしまっていた。

 これ以上仕入れても、きっと在庫がだぶついてしまうだけ。本来なら仕入れなくてもいいくらいなのだが。


「いいんです。平和になって、お客さんも少なくなりましたから」

「どこもそうみたいですね。ちっとも儲からなくて、道具屋や武器屋をたたむっていう話もちらほら聞きますよ。ビオレッタさんのところは大丈夫なんですかい?」


 行商人は営業スマイルを張り付かせたまま世間話を続けたが、その内容はあまり気分の良いものではなかった。

 どこも儲からない。店をたたむ……噂話とはいえ、耳にしたくない話題だ。

 ビオレッタは、話していてとても疲れてしまった。誰にも言えない部分に土足で踏み込まれるような、不安を煽られるような……


「大丈夫とは言えませんが……うちは辞めません。それでは、来月もよろしくお願いします」


 ビオレッタは一方的に話を切り上げ、行商人のもとを後にしたのだった。





 プチプチと、無心で薬草を採り続ける。

 心のモヤを紛らわせたくて。


 あんなものは世間話のひとつに過ぎない。もしかしたら、行商人はビオレッタのことを心配して、あのように声をかけたのかもしれない。


 でも、大丈夫なのかと聞かれたら……大丈夫とは言えなかった。

 以前の道具屋を知るあの人なら、この状況・仕入量を見ただけで一目瞭然だろう。商人なら分からないだろうか、「大丈夫ではない」と口にすることの辛さが。


 もう、これまでのような経営をしていても、店が立ち行かなくなるのは明白だった。

 両親から受け継いだ、大事な店なのに。

 



 ビオレッタの両親は数年前、モンスターに襲われて命を落とした。

 採取のため少し遠出をした際に、運悪く上級モンスターに出くわしてしまったのだ。


『ビオレッタ、ごめんね。店をお願いね……』


 それが母の最後の言葉だった。


 以来、ビオレッタは母の言葉を守り、一人で店に立ち続けている。

 勇者によって魔王が倒され人々の生活に平和が訪れた今も、両親がつけていた帳簿を見直し、それに倣い店を開き続けてきた。


 隣のシリオも同じようなものだった。彼の両親も昔、モンスターにやられている。

 一人で武器屋を維持していた彼も、魔王討伐後の身の振り方を試行錯誤しているようだ。最近はたびたび城へ出張しては、兵士達の剣を研ぎ直したりして生計を立てている。


 ビオレッタも、村に留まっている場合ではないのかもしれない。収入がなくては生きていけないのだから。

 プラドのバザールで見た商人達は素晴らしかった。皆それぞれに目玉の商品を持ち、どのようにしたら売れるか、値段も陳列も時期も……全て考え尽くして商売をしていた。


 あの商人達のように、両親のように……行商などをすべきだろうか。ただ、ビオレッタはあそこまでの知識も、売りになる商品も持ち合わせていない。何より、世間知らずな自分が不甲斐なかった。






 とぼとぼと帰路についたビオレッタは、少しため息をついてから道具屋の扉を開けた。


「ビオレッタさん、お帰りなさい!」


 ビオレッタのかわりに店番をしてくれていたラウレルは明るく出迎えてくれたが、ビオレッタの顔色は冴えない。


「……どうかしたんですか」


 ラウレルをまた心配させてしまっている。

 我に返ったビオレッタは、摘みすぎた薬草をカウンターに置いて何でもないように取り繕った。


「森まで歩いて、少し疲れてしまっただけです。お客さんはいらっしゃいましたか?」

「いえ、まだ」

「そうですか……」


 やはり、客は来ていないようだった。

 減らない在庫。減り続ける客。ラウレルには無駄な店番を頼んでしまった。

 現実のひとつひとつが、ビオレッタの心を重くしていく。


「ラウレル様、すみませんでした。お客さんも来ない道具屋の店番をさせてしまって」


 つい、卑屈なことを口にしてしまった。その声はどうしても震えてしまって……ラウレルが怪訝そうにこちらを見ているのがわかる。


「……ビオレッタさん。やっぱり、なにかあったのでしょう?」


 彼は、ビオレッタの肩に優しく手を添える。

 まるで、のし掛かっている不安を消し去るように。


 ビオレッタはラウレルを見上げた。

 彼は、心から自分を心配してくれている。この悩みも彼に言ってしまえば、有能なラウレルのことだ、きっと一瞬で解決してくれることだろう。何もかも。

 でもこれは自分の問題だ。この店は、両親から受け継いだビオレッタの店なのだ。


「本当に何もないんです。ラウレル様、店番をありがとうございました」


 ビオレッタは今できる精一杯の笑顔を作ってみせた。

 ラウレルはまだ、いぶかしそうにこちらを見ている。あまり見られては、取り繕った心を見透かされてしまいそうで……これ以上気持ちを読まれたくなくて、ビオレッタは慌てて背を向けた。



 もう、一人になってしまいたい。

 けれど、後ろには、まだラウレルの気配を感じる。



「ラウレル様、もう店番は結構ですから……」

「ビオレッタさん、目をつぶって」


 突然、ラウレルが後ろから抱きしめた。

 かと思うと、次の瞬間まばゆい光に包まれる。

 足元からは緩やかな風が巻き起こって――


 これは……転移魔法だ。


「一体、どこへ……」


 言い終わる前に、白い光が視界を覆った。






 そよぐ風に葉が揺れる音、鶏の鳴き声。


 目を開けると、草原に囲まれた村の入り口に立っていた。


 あたりいっぱいに広がるのは緑の香り。

 同じ田舎でも、海風が吹くグリシナ村とはまた違った空気だ。


「ラウレル様、ここは……」

「ここはコリーナの村です」

 

 ラウレルはビオレッタの手をひき、村の中へと歩きだした。

 コリーナの村人達も、すれ違うたびにラウレルへ声をかける。彼は村民と挨拶を交わしながら、どんどん村の奥へと向かっていく。


「あの、どちらへ」

「この村に、ビオレッタさんへ見せたいものがあるんです」


 迷いなく進むラウレルの足。見せたいものとは……一体、のどかなこの村に何があるというのだろうか。

 手を引かれるがままについていくと、村の最奥にある小高い丘へと到着した。






 そこから見えたものは……冴え渡る青空に、あたり一面の紫。

 丘の上から見渡せば、眼下には地平線へ続くほどの花畑が広がっていた。これは……


「初めてここを訪れた時に、ビオレッタさんの色だ! と思いました」


 空の水色と花の紫が、ビオレッタの色彩を思わせた。

 淡いブルーの髪と、紫の瞳。まるでこの景色に溶け込むような――


「この花は、ビオレという花なんです」

「……私の名前と同じです」

「ご両親は、ビオレの花をご存知だったのでしょうね。もしかしたら行商の道中で、この丘に立ったことがあったのかもしれない」


 紫の瞳の女の子だから、……ビオレ……ビオレッタ。

 この紫の、花のように。


 生まれた時に、両親はそう名付けてくれた。


 お父さん。お母さん。

 これまで大事にしてきた店を、これからはどうしたらいい?

 自分一人ではどうしていいのか分からない。

 教えてほしい。これからの生き方を。

 会いたい、会いたい……



 遠く、一面の紫を眺めた。ビオレッタの瞳からは、知らぬ間に涙がこぼれていた。

 我慢していた心細さが、誰にも頼れない不安が、堰を切ったように溢れ出る。

 

「ビオレッタさんはご両親から望まれて産まれてきました」


 ラウレルのあたたかな手のひらがビオレッタの頬を包み、流れる涙をそっと拭った。


「一人じゃありません。俺も、村の人も、皆ビオレッタさんの味方です」


 彼は優し過ぎる。ビオレッタをとことん甘やかす。彼が涙を拭うたび、固くなっていた心が、ぐずぐずに解れていくようだった。


「一人で悩まずに、周りを頼ってみませんか」 



 ラウレルのやさしい瞳は、真っ直ぐにビオレッタを映す。

 ビオレッタが泣き止むまで、二人はコリーナの丘で佇み続けていた。


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