プラドのバザール②
屋台では、大きな鍋をかき混ぜる店主が腹ぺこの二人を出迎えた。
ぐつぐつと煮える鍋からは嗅いだことのない香りがする。海辺にあるグリシナ村だと、魚の出汁を使ったスープがポピュラーなのだが……知っているスープとはまったく違う。
(それに、スープに入っている肉は何の肉なのかしら……?)
ビオレッタがまじまじと鍋を覗きこんでいる間に、ラウレルは慣れた様子で二人分のスープとパンを買い求めた。そして空いているテーブルを見つけると、二人はようやく席につく。
「さあビオレッタさん、食べましょう」
「は、はい。いただきます」
ラウレルに見守られながら、不思議なスープを口にする。
ひと口飲んだだけで、謎の香りが鼻に抜けて……思わず目で助けを求めた。
「ラ、ラウレル様、これは一体何ですか……?」
「ははっ……この地方で好まれるハーブの香りです。この辺りの人々はハーブの使い方が上手で、大抵の料理にハーブの香りがするんですよね」
「初めての味です、慣れてくると美味しい……」
「よかった! 俺も、ここのスープ好きなんです」
ラウレルはあっという間に食事を済まし、ニコニコとビオレッタを眺めている。
恥ずかしいけれど、無知な自分を馬鹿にしない彼の優しさが、ビオレッタにはありがたかった。
「来てよかったですね、ビオレッタさん」
「えっ、まだ来たばかりですよ?」
「いえ! こうしているとデートみたいで、それだけで夢のようです」
彼がとろけるような瞳でそんなことを言うものだから、スープをすくう手が止まる。注がれる視線を意識してしまってスープを飲むことが出来ない。
いつの間にか赤くなっていた頬を隠したくて、ビオレッタは誤魔化すようにうつむいた。
そんなビオレッタのことも、ラウレルは愛おしげに見つめるのだった。
朝食を食べ終えた二人は、石畳の大通りを歩き始めた。
ただ歩いているだけなのに、すれ違う人、両脇に店を構える商人――皆こちらを振り返る。
人々から注目されて、ビオレッタはやっと思い出した。
(そうだ……隣を歩くこの人は、世界を救った勇者様だったのだわ)
「勇者様、あの時は本当にありがとうございました」
「勇者様、うちの店にも寄ってって下さいね」
「勇者様、おまけするから見ていきませんか」
数歩進む毎に街の人から声をかけられ、なかなか進むことが出来ない。それだけラウレルの人望があるからなのだろうが――彼もにこやかに手を振ったりして、じつに堂々とした振る舞いである。
「勇者様、隣の可愛らしい方は恋人ですか?」
そんな中で、突然ビオレッタにも話を振られドキリとした。
実は先程から、自身にも視線は感じていたのだ。きっと皆、ラウレルの隣に並ぶ女が物珍しいのだろう。
「いえ、恋人というわけでは……」
「結婚を申し込んでいるのですが、首を縦に振ってもらえなくて。頑張っているところなのです」
ビオレッタが咄嗟に否定しようとしたところを、ラウレルはというと包み隠さず街の人々に暴露してしまった。
その瞬間、辺りから歓声が沸き上がる。
勇者ラウレルの言葉は人から人へと瞬く間に伝わり、商人や買い物客がわらわらと集まってしまった。
「お嬢さん。なんで結婚しないの」
「勇者様から求婚されるだなんて」
「これ以上の結婚相手はいないよ」
大勢の異国人に囲まれ、怒涛の質問攻めに遭う。
(ええ……?!)
ビオレッタは、こんなにもたくさんの人を相手にするなんて初めてだった。
グリシナ村ではシリオやオリバ達と、ただのんびり言葉を交わすだけ。この場合、誰に返事して良いのやら分からない。
そのまま返事もできずに面食らっていると。
「お嬢さん、この指輪いかがです?」
一人の商人がビオレッタへ近付き、こちらへ小箱を差し出した。
それは手のひらに乗るほどの小さな箱で、ツルツルとした布でくるまれている。
「これは……?」
「どうぞ、開けてみてくださいませ」
ぐいぐいと勧められたため、おそるおそる蓋を開けてみると――そこには、金色に輝く美しい指輪が鎮座していた。
中央には凛と光る蒼い石が一粒、きらりと埋め込まれている。
「とても綺麗です……私、こんな綺麗なもの初めて見ました」
「そうでしょう、美しいでしょう」
ビオレッタのうっとりとした表情に、商人も満足げに頷いている。
「それでは勇者様。おまけしますから、こちらをお嬢さんに贈られてはいかがですか」
「良い指輪ですね、そうしましょう。ではビオレッタさん、これを指に」
「えっ……!」
指輪を売り込む商人に、なんとラウレルは即決してしまった。いくらするかも分からない指輪を、当たり前のように買おうとしている。
「駄目です、ラウレル様! こんな高価なものいただけません」
ビオレッタが断ると、指輪の商人も負けじと口を開く。
「それでは、勇者様からお代はいただきません。ですからお嬢さん、この指輪を指に」
(な、なぜ……?)
この商人は、こんな高価なものをタダでビオレッタに贈ると言う。
初対面の商人からそんな贈り物をされる意味が分からず、ますます受け取れないで尻込みしていると、
「それではうちからはこの金の首飾りを」
「私はこちらのシルクを」
「このペアの食器も」
あっという間に他の商人達からも品物を持ち込まれ、ビオレッタの両手には贈り物が積み上げられてしまった。
左手の指には、いつの間にか先程の指輪もはめ込まれている。
困った、どうすれば。
ビオレッタは再び助けを求めて、ラウレルを見る。
「これは……断っては、逆に失礼です。ここはいただいておきましょう」
ラウレルはビオレッタに耳打ちをした。
確かにこの雰囲気の中、断っては……
「み、皆様、ありがとうございます。とてもうれしいです」
ビオレッタが感謝の気持ちを込めて深く頭を下げると、彼らからふたたび歓声が上がった。
商人達の輪を抜けて二人きりになってから、ラウレルが教えてくれた。
「以前、プラド近くに出現したモンスターを討伐したことがあったのですよ」
商売の街プラドは、言わずもがな商人達の要所である。
しかし以前、プラドへ通ずる草原にモンスターが巣食い、行商人が襲われる事件が多発したのだった。
草原には危険が伴い、行商人達は足止めをくらう。そのためバザールが開けない――皆が困っていたところを、たまたまラウレル達勇者一行がやって来た。
そしてモンスターの巣を見つけ、あっさりと倒してしまったのだった。
それ以来、プラドの商人達はラウレル達に恩を感じているのだという。
「皆、俺のためを思って……良い人達ばかりなのです。ビオレッタさんもどうか気を悪くしないで」
「大丈夫です、圧倒されただけで……もっとバザールを見てみたいですが、いいですか?」
「もちろんです!」
そしてラウレルは商人達からの贈り物と同じくらい、彼等から品物を買った。
布、スパイス、置物……どれもグリシナ村には無いような珍しいものばかりだ。
二人はたっぷりと時間をかけて、プラドのバザールを隅々まで歩いたのだった。
牛の鳴き声。ザザザ……と寄せる波の音。
まばゆい光が徐々に収まる。
「ビオレッタさん、着きましたよ」
ラウレルの声を合図に目を開けると、そこは夕暮れのグリシナ村だった。
二人は両手いっぱいに品物を抱え、村の入り口に立っている。
「帰って……きたのですね」
一日中プラドのバザールを歩き回り、ビオレッタの身体はくたくただった。楽しすぎて、少々はしゃぎすぎてしまったかもしれない。
今日は初めて見るものばかりだった。
金や銀の食器、色とりどりの宝石、奇妙な銅像、異国の武器……見るものだけではない、触れるもの、香りまでもが新鮮で。
「つい楽しくて、沢山買ってしまいましたね」
「ラウレル様も楽しかったのですね。私だけがはしゃいでいた訳ではなくてよかったです」
「当たり前ですよ! きっと、ビオレッタさんが想像しているよりもっと――俺は今日が楽しかった」
ふと、荷物を持つ彼の手を見ると、その指にもビオレッタと同じ金の指輪。石の色は透明な紫。
「ラウレル様、その指輪は」
「ああ、例の商人が俺にも贈ってくれたんです。せっかくなので身に付けましょうね、ビオレッタさん」
「は、はい……?」
グリシナ村育ちのビオレッタは知らなかった。
商人がわざわざ『金』に『蒼』の指輪をビオレッタに贈った、その意味を。『紫』の石をラウレルが身に付ける、そのわけを。
ビオレッタは顔の前に手を広げ、しげしげと眺める。
生まれて初めての指輪をはめた自分の指は、なんだか自分の指ではない様で少し気恥ずかしい。
そんな彼女を、ラウレルの蒼い瞳が満足そうに見つめていた。