グリシナ村の花嫁
「グリシナの浜辺の予知夢って、外れることもあるのよ」
道具屋の二階で、カメリアが教えてくれた。
「そうなんですか?」
「実際、私がグリシナ村で見た『予知夢』は外れたの」
予知夢の中のカメリアは、今頃オルテンシア城の魔術師長になっている予定だったらしい。
それが実際のところはオルテンシア王に幻滅し、彼女はカタラータ神殿で隠居のような生活を送っている。
もう予知夢で見たような威厳あるオルテンシア王も居らず、現在の城ではコラール姫が復旧の指揮を取っているとのことだった。姫のおかげで、城は着々と元の姿を取り戻しているようである。
「あの『予知夢』って、私は『願望』の現れなんだと思ってる。ラウレルはそれを叶えただけなのよ」
まあ叶えたこと自体が凄いんだけど……とカメリアは付け加えた。
魔王を倒し、ビオレッタと結婚する。
カメリアの説によるとそれがラウレルの『願望』で、予知夢となって現れた。
そして今、願望を叶えるほどの強い思いを、ビオレッタは毎日のように受け取っている。
ラウレルと思いが通じあってからの暮らしは、溺れるほどの愛に溢れていて。今日この日を迎えることが、ビオレッタには夢のようだった。
「結婚おめでとう、ビオレッタちゃん」
「カメリアさん……! ありがとうございます」
ラウレルが『勇者』の任を解かれてから一ヶ月。
今日、村の教会ではラウレルとビオレッタの結婚式が行われる。
カメリアも招待し、現在道具屋の二階ではビオレッタの準備を手伝ってくれていた。
ドレスの着方も分からないビオレッタは、カメリアに任せきりだ。彼女は手際良くドレスを着付けていく。
「それにしても……こんなに上等なシルクのドレスも、一点ものの首飾りも、たった一ヶ月でどうやって準備したのよラウレルは」
「それは以前プラドのバザールに行ったときに頂いて……」
実はあの時、プラドで商人達から山のように贈られたものは、すべて婚礼用の品物だったことが判明した。
ラウレルに恩を感じていた商人達は、そうして彼の求婚の後押しをしていたらしい。あの時、ビオレッタは全く理解していなかったが。
「ラウレルもほんと策士よね……一見あんな無害そうな顔をして。その指輪もそうよ」
「この指輪ですか?」
ビオレッタの指に輝くのは、金に蒼い宝石が煌めく指輪。ラウレルの指には、同じく金に紫の石が輝いている。
「街ではね、夫婦はお互いの色を身に付けるの。その指輪みたいにね。ビオレッタちゃんのそれはいわゆる、結婚指輪ね」
「結婚指輪!?」
「結婚前に渡されちゃってるけどね……」
またもや知らないことだった。ラウレルを思い起こす色だとは思っていたが、これも商人達に仕組まれたことだったとは……知らずに身に付けていたことが恥ずかしい。結果的には、一生身に付けることになったけれど。
「さあ、できた。ビオレッタちゃん、本当に綺麗よ」
カメリアはビオレッタに化粧を施し、最後にブーケを手渡した。カタラータ神殿の庭園に咲く花々で作られた、白を基調とする優しい色合いのブーケだ。
白く艶のあるシルクのドレスにブーケを持てば、世にも美しい花嫁が出来上がった。
「……一階でラウレルが待ってるけど、これを見たら倒れちゃうかもしれないわね」
鏡に映る、生まれて初めてのドレス姿……自分が自分ではないみたいだ。
コラール姫までとはいかなくとも、いつもより美しくなったその姿を早くラウレルに見せたかった。
こわごわ階下へ降りると、同じく正装に身を包んだラウレルがこちらを振り返る。
(わあ……)
いつも洗いざらしの金髪が今日はきれいに整えられ、白い衣装の胸元には、ブーケと同じ色合いのブートニアが添えられている。
ビオレッタは、彼が美しい人だったことを再確認した。こんなまばゆい人の隣に自分が並んで大丈夫だろうかと心配してしまう。
「ラウレル、お待たせ」
つい、ラウレルに見とれてしまった。
彼もドレス姿について何か言ってくれるか少し期待していたのだが、ラウレルからは何の反応も無い。
いつも大袈裟に褒めてくれる彼なのに、真顔のまま、ずっとビオレッタを見ているだけなのだ。
「ラウレル?」
呼びかけても、反応がない。
全然、ぴくりとも動かない。
「……ビオレッタちゃん、大丈夫。多分ラウレルは気を失ってるんだわ」
「目を開けたまま!?」
信じられないことだが、ラウレルは気を失っているらしい。
待ち望み過ぎたビオレッタの花嫁姿を見て、あまりの嬉しさに意識を手放してしまったのではないか。というのがカメリアの見解だ。そんな馬鹿な。
ビオレッタはなんとか花婿の意識を取り戻そうと、彼の腕を揺さぶった。
「ラウレル、起きて、お願いよ」
「……ビオレッタ」
お陰でラウレルは意識を取り戻したが、至近距離にいる花嫁姿のビオレッタを見ては、再び強い衝撃を受けているようだった。
よろよろとよろめいて壁に寄りかかると、幻を見るように目を細める。
「これは夢?」
「現実よラウレル。そろそろ教会へ行かないと」
「そうか、現実か……これは現実……」
壁にもたれかかったまま動こうとしないラウレルの手を引くと、逆に手を引き寄せられた。
そのまま、ビオレッタはラウレルの胸へとすっぽり収まる。
「ビオレッタ……夢のようにきれいだ」
彼の甘い言葉と蕩けるように幸せそうな顔が、ビオレッタの胸に真っ直ぐ刺さる。
こんな自分でもラウレルを幸せに出来るのだと……彼の喜び様は、そんな自信を植え付けてくれるようで。
「ラウレル、私、幸せだわ」
ビオレッタは花のような笑顔を彼に向けた。
ラウレルも、眩しいほどの笑顔でそれに応えたのだった。
グリシナ村の小さな教会には、『元・勇者』の結婚を一目見ようと多くの客が集まった。
祝いに駆け付けたピノ達小人や、プラドで出会った行商人の姿も見える。竜達は二人の結婚を祝福するようにグリシナ村の空を舞い、カメリアは魔法で花火を打ち上げ、光の粒を撒き散らした。
「こんなグリシナ村は初めてじゃ……」
あまりの光景に、村長が手を合わせて拝み始めた。
武器屋のシリオも宿屋のオリバも、晴れやかな顔で空を見上げている。
多くの参列者の前で二人が永遠の愛を誓い合うと、皆からは大きな歓声が沸き上がった。
歓声を合図としたように、空からは沢山の花びらが舞い降りる。
「これは……?」
「姿は見えないけれど、きっとこれは妖精達のしわざだよ。以前、妖精の国を助けた時に仲良くなって」
なんとラウレルは、妖精達とも友人となっていたようだ。
「私、まだまだ知らないことばかりだわ……」
これからも彼と一緒に、広い世界を知っていきたい。
どうか教えてほしい。一生をかけて。
鳴り止まぬ歓声と降り注ぐ花びらを浴びながら、二人はこれ以上無い幸せに包まれたのだった────
────数年後。
ぽかぽかと晴れた道具屋裏の畑に、ラウレルが帰ってきた。
「ラウレル、おかえりなさい」
「ただいまビオレッタ」
二人は抱き合い、軽くキスをした。足元では、元気な子供達がじゃれ合っている。
クエバの工房から帰ってきたラウレルは、またピノから素晴らしい出来の指輪を預かってきたらしい。いまやリヴェーラの指輪は、道具屋の看板商品となっている。
「ピノが、ビオレッタは来ないのかってむくれていたよ」
「じゃあ次は私も行こうかな、この子達も連れて」
「喜ぶよ。ピノも」
「やったあ、僕たちも小人に会える?」
「ああ、会えるよ」
次にクエバに行く日が楽しみだ。その前に、またリヴェーラの石を拾いに行かないと……
「久し振りに、皆で浜辺に行こうか」
「ラウレル、帰ったばかりで疲れていない?」
「大丈夫だよ。さあ」
子供達も連れて皆でグリシナの浜辺へ向かうと、そこにはちらほらと旅人達の姿が見えた。
皆『予知夢』を見ようと目を閉じたり、リヴェーラの石を探していたり。以前の閑散としていた砂浜が嘘のようだ。
数年前、ラウレルとビオレッタの結婚式には多くの参列者が集まった。
竜や妖精までが祝福した結婚式は大きな話題を呼び、村にとって予期せぬ宣伝効果となったのだった。その後グリシナ村の名は知れ渡り、ほどほどに旅人が訪れる観光地となっている。
「お母さん、私も予知夢見てみたい」
「僕も!」
「そうね、目を閉じてごらん。もしかしたら見えるかも」
子供達は砂浜での砂遊びも楽しいけれど、そろそろそういうものにも興味が出てきたお年頃だ。
小さな二人は顔を見合せると、早速ぎゅっ……と力の限り目を瞑った。なんて可愛いのだろう。
そんな子供達を見ながら、ラウレルはビオレッタに寄り添った。
「ビオレッタも予知夢は見たことある?」
「あるわよ」
「えっ」
ビオレッタの返事に、ラウレルはしばらく言葉を失うくらい驚いていた。そういえば、彼には伝えたことが無かった。同じ未来を見たのだと。
「ど、どんな予知夢だったの……」
恐る恐る聞いてくるラウレルが、とても愛しい。
そうだ、今日また浜辺で瞳を閉じてみようか。今度はラウレルとふたりで。
また予知夢が見えるだろうか?
心に願い、思い描く、幸せな未来が。
「あのね、私が見た予知夢は────」
かわいい子供達。
そして隣には最愛の人。
あの時見た、夢のような未来を生きている幸せ。
ビオレッタは優しい波の音に願った。
どうかまた、二人で見る未来が同じでありますように。
──終──
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!