オルテンシアの勇者
勇者ラウレル視点の回になります。
二ヶ月間居候をして、初めて入るビオレッタの部屋。
階段をあがってすぐのドアを開けると、やわからかなビオレッタの香りがした。薬草と花の香りが入り交じった、落ち着く香りだ。ラウレルはこの香りが好きだった。
こじんまりとしたベッドはきれいに整えられ、脇にある机の上には道具屋の帳簿が置いてある。どうやら、部屋でも仕事をしていたようだ。
(こんな……隠れてまで、無理をして)
ラウレルはプルガの上で眠ってしまったビオレッタを抱き抱えたまま、そっと彼女の部屋へと足を踏み入れた。
眠っている間に部屋へ入るなんて……そこはかとない背徳感がラウレルを襲う。
しかし、どうか起こさぬまま横にしてやりたかった。このところ、彼女は寝不足だったようだから。
甘い香りに耐えながらも、ビオレッタを刺激しないように……その身体をそっとベッドに横たえる。
(おやすみ、ビオレッタ)
寝不足になるほど、夜中も仕事をしていたのだろうか。それとも……もしかしてビオレッタにも、隣の部屋を想って眠れぬ夜があったのだろうか。
この二ヶ月間のラウレルと同じように。
ベッドの脇に座り込み、ここぞとばかりにビオレッタの無防備な寝顔を眺めた。
白い頬、赤い唇。閉じられたまぶたは、長い睫毛で彩られている。
綺麗だ。世界中の誰よりも。
つい先ほど、この美しい人と想いが通じ合った。
プルガの背で見つめ合った。震える唇を重ねた。ラウレルにとって、それは夢のようなひとときだった。
あの予知夢が現実のものとなるまで、あと少し……まだラウレルにはやるべきことが残っている――
オルテンシアの街で孤児として生きてきたラウレルは、昔から何でも良く出来た男だった。
生まれながらにして魔力は人より強かったし、身体能力も高く要領が良かった。おまけに幸か不幸か見た目がすこぶる良いらしく、それだけでも人々の目を引いた。
『人よりも少し優れている』ラウレルを、「すごい奴が現れた」とオルテンシアの街の者達は大袈裟にもてはやした。
「百年に一人の逸材だ」
「こんな男は前代未聞だ」
次第に尾ひれをつけて広がる噂は城にまで届き、ラウレルはある日突然オルテンシア城から呼び出しを受けた。
そしてオルテンシア王より告げられたのだ。
「勇者ラウレルよ、魔王を倒すのだ」と。
「え……勇者? 俺が?」
「そうだ、そなたは紛れも無く勇者である。魔王を倒す使命を持って生まれてきたのだ」
「俺は普通の人間です。勇者だなんて――」
「さあ行くのだ、勇者ラウレル。この世に平和をもたらすのだ」
戸惑うラウレルに、なぜ『勇者』として選ばれたのか、誰も教えてはくれなかった。
王が『勇者』と言ってしまえば、その者は『勇者』となるのだそうだ。根拠は未だ闇のまま。
日に日に強くなる魔王の力。増えていくモンスター。
オルテンシア王は国民の不安を取り除くために、適当な者に白羽の矢を立てることにしたのだ。そうとしか思えない。
こうしてラウレルは訳も分からぬままに『勇者』に仕立て上げられた。
その日から、ラウレルを取り巻く世界はガラリと変わることになる。
『勇者』として、ただがむしゃらにモンスターを倒す日々が始まった。
奥深い洞窟を探索し、前人未踏の山を登り、出口の無い森を彷徨い歩く。そうして傷だらけになり、血を吐きながらも、課せられた己の使命を全うしようとした。
しかし、必死にもがくラウレルの姿を見た人々は、密かに呟くのだ。
「なんだ、勇者とはこんなものか」と。
これまでラウレルのことを『すごい奴』ともてはやしてきた奴らが。
みるみるうちに人間不信になった。
なぜこんなことをしているのか、勇者でいる意味が分からなくなった。ラウレルは少し能力が高いだけの、ただの人間だ。普通に生きてきただけだったのに。
そんな中、身も心もズタズタになっていた状況で立ち寄ったのが、海辺の集落・グリシナ村だった。
一刻も早く身体を休めなければならない……僅かに残った力で命からがら宿屋に行くと、なんと宿の女将は不在で。
怪我を負う仲間と途方にくれていた時、偶然エプロン姿の娘が通りがかった。
淡い色彩の、可憐な人――その人こそがビオレッタだった。
傷だらけのラウレル達を見るなり血相を変えた娘は、女将に了承を取らぬまま、ラウレル達を宿屋のベッドに寝かせてしまった。
「私が責任を取りますから」となりふり構わず部屋を整え、道具屋から傷薬を持ってくると、一人一人手当てを始めた。優しく、丁寧に。彼女の性格を表すように。
そしてひと通りの手当てを終え、最後に言ったのだ。
「勇者様といえど人間なんですから、無茶をしてはいけませんよ」と心配そうな顔をして。
ラウレルは一瞬にして恋におちた。
彼女は村人から「ビオレッタ」と呼ばれ、村の道具屋を営んでいた。
朝早くから店を開け、日が落ちる頃に店を閉める。きちんと毎日、変わらぬ生活を続けていた彼女は、あんな細い身体で一人きりで生きていた。
グリシナ村に留まったラウレルは、道具屋へ通っては傷薬を買い求める毎日を送った。
必要でなくとも、買い物をすればビオレッタに会う口実になる。彼女の優しい笑顔を見るだけで、疲れきった心は癒された。たわいのない話をするだけで、その一日を浮かれて過ごした。
こんなのどかな村で彼女と一緒に暮らせたら、どんなに幸せだろうか……毎日、そんなことばかりを考えた。
そんな願いが叶わないのは分かっていたけれど。
ラウレルは魔王を倒すべき『勇者』だ。魔王がいる限り、そのような幸せが訪れることは有り得ない。
それでもビオレッタへの想いは諦めきれなくて、ラウレルの足は道具屋へと向かってしまう。
未練がましくグリシナ村での日々を送り続け、ずいぶんとレベルも上がり、「そろそろ次の土地へ発たなければ」と仲間から苦言も出てきた頃。
せっかくだからこの村で有名な予知夢を体験してみたいと、カメリアが言い出した。
砂浜へ行くくらいならビオレッタと会っていたい……とも思ったけれど、一度くらい試してみても良いかもしれない。
ラウレルは半信半疑のまま、仲間達とともに噂の砂浜へ立ってみた。
そして形ばかり目を閉じる……すると不思議なことに、波の音と混ざり合いながら脳裏に映像が浮かんできたのだった。
禍々しい魔王城で。
最高位魔法を次々と放つカメリア、
圧倒的な力で魔王を叩き切るラウレル。
魔王は断末魔と共に黒い霧となり、跡形もなく消えていく。
辺りからはモンスターの気配も消え、
魔王城に静寂が訪れた――
そして時は流れ、平和になった世界。
ラウレルはグリシナ村の道具屋に帰った。
「ただいま」と言うラウレルに、
「お帰りなさい」とビオレッタが出迎える。
二人は軽く抱き合い、キスをした。
足元には、二人に似たかわいい子供達がじゃれあっている――
(なんだ、今のは……!?)
驚くことに、思い描いていた幸せな未来がそこにあった。
魔王のいない平和なグリシナ村で、ビオレッタと結婚して子供まで。
これが未来への『予知』であるのだとしたら、俄然、希望が湧いてくる。
予知夢にそれほど期待していなかったラウレルであったが、そこからは手のひらを返したように予知夢を信じ込むことにした。
(絶っ対に、予知夢を現実にしてみせる)
そのためには、まず予知夢通りに魔王を倒さなければならない。
決して簡単なことでは無いが、不可能でも無い。
グリシナ村にグズグズと居座り、モンスターよりレベルを上げ過ぎたラウレルは、密かに悟っていた。
単純に、倒したい敵より強くなればいいという当たり前の事実を。要は、パーティー全員で魔王より強くなればいい。
グリシナ村を発ってからは、ひたすらレベル上げに明け暮れる。カジノや宝の収集などはまるっきり無視して、高経験値の敵を狙い、倒して倒して倒しまくる。
ラウレルはとにかく早く魔王を倒したかった。それも全員無事で、確実に。
うかうかしている間にビオレッタが誰かに奪われでもしたらと思うと、気が逸って仕方がない。
そして勇者ラウレル一行は、驚異的な速さで魔王討伐を成し遂げたのだった。
その足でグリシナ村の道具屋まで直行しようとしたラウレルは、カメリアに止められた。彼女は「一応、先にオルテンシア王への報告をしないと」などと言う。
「報告なんて必要か?」
王など、ただ玉座から『魔王を倒せ」とラウレルへ命じただけの男だ。報告などする必要性も感じない。ラウレルは散々ごねた。けれどカメリアは冷静だった。
「私は魔王討伐の報酬が欲しいの。報告しなきゃ貰えるものも貰えないでしょ?」
「俺は早くビオレッタさんに会いたい」
「それは報告が終わってからでも良いじゃないの。お金は結婚生活にも必要よ。さあ行くわよ」
(確かに……)
一理ある。結婚したら金は役に立つかもしれない。
結局カメリアに言いくるめられ、渋々オルテンシア城まで報告に行ったのだが。
オルテンシア城玉座の間で、王は耳を疑うようなことを口にした。
「褒美として、我が姫との結婚を許そう」とのたまったのだ。王の隣では、当の姫も目を丸くしている。おそらく寝耳に水だったのだろう。
「いえ、結構です」
「何故だ? そなたも王族の一員として――」
「結婚したい人がいるので」
ラウレルは当然、即刻辞退した。結婚したい相手はビオレッタただ一人で、姫じゃ無い。王はなぜ断られたのか理解できないようだったが。
その後も王から引き止められたり、長い宴に付き合わされたり。しかしラウレルとしては、報酬さえ受け取ればこんな場所に用はない。
さっさと報酬をもらってグリシナ村へ発ちたかったが、城ではなぜか報酬の手続きに時間がかかると言われてしまい、軟禁に近いような日々を送る羽目となる。
贅を尽くした晩餐に、時々送り込まれてくるコラール姫。
勇者像を建ててやろう、屋敷をやろうとまで言われ、丁重に断る日々。
城での毎日はクタクタに疲れ果てた。とにかく早く、ビオレッタに会いたかった。
何度も嘆願し、一ヶ月後ようやく報酬を受け取った際、またもや王から姫との結婚を打診を受けた。
「気は変わったか」と。変わるわけない。
常々あった王に対する不信感は、もはや嫌悪感へと変わってしまった。本当に気持ちが悪かった。なんとしても勇者をオルテンシアの駒にしておきたいという王の思惑が。
これ以上我慢出来なくなったラウレルは、とうとう転移魔法で抜け出してグリシナ村までやって来たのだった。
そこからは必死だった。厚かましく強引だった自覚はある。しかし何をしてでも彼女のそばにいたかった。
裏口から出入りできる特別感。ビオレッタに毎日「おやすみ」と言える距離。彼女とのふたり暮しは、天にも登るように幸せな毎日で。
暮らすうちに、彼女を渇望していた心は、もっともっとと欲が出た。
ビオレッタの小さな肩、細い腰、さらさらとした長い髪が、触れられるほど傍にあるのだ。今だって、横たわる彼女の白い首筋に目がいってしまう。
そんな邪な自分を理性で制したりを繰り返して、この二ヶ月間なんとかやり過ごしている。
彼女から嫌われるようなことはしないと、そう約束をしたのだから。ベッドに押し倒された時は、さすがに我慢が効かず危なかったけれど。
あの時だって、ビオレッタは純粋にラウレルの体調ばかりを心配していた。そんな彼女を好きな気持ちは、膨らむばかりで。
優しく心配性な彼女が好きだ。
新しい世界を知るたびに、目を輝かせる彼女が好きだ。
ビオレッタの何もかもが……
「ビオレッタ、愛しています」
安らかな寝息をたてるビオレッタに向かって、ラウレルはぽつりと呟いた。
彼女の寝顔の隣で、やっと得られた幸せを手放すまいと固く心に決めたのだった。