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竜の背中


 勇者ラウレルが、竜のプルガから舞い降りる。


 芝を舞い上げながら着地した彼は、ギロリとカメリアを睨むと……その身体に赤いオーラを纏った。


「カメリア。ビオレッタさんを連れ去るなんて……お前でも許さない」


 ラウレルから聞いたこともないような低い声が響いた。彼が歩を進めるごとに、赤のオーラが炎のようにゆらゆらと揺らめく。


「やばい、なんかラウレル怒ってる……ビオレッタちゃん助けて……」

「ええ……どうすれば……」


 二人はただオロオロするしかなかった。つい先ほどまで、のほほんと仲良くお茶していただけなのに。


 怒りのオーラを纏ったまま、ラウレルが一歩一歩カメリアへと近付いてくる。

 彼のことだから仲間を傷つけるような真似はしないだろうが……そのオーラが、表情が、ただただ怖い。


「ビオレッタちゃんならラウレルをなんとか出来るから! 早く助けて、お願い……」

「そ、そんなこと言われても」

「ほらっ。ラウレルこっち来て!こっち見て! ってビオレッタちゃんの方に呼んでみてよお……」

「無理ですよ、そんな」

「いいから、なるべく可愛くおねだりして!」


(可愛くとか……無茶なんだけれど……!)


 カメリアの無茶振りに、ビオレッタは頭を抱える。

 けれど早くなんとかしなくては、罪の無いカメリアが可哀想で……ビオレッタは意を決して口を開いた。



「ラウレル様!!」


 すると本当に、ラウレルの歩みがぴたりと止まった。

 ビオレッタが名を呼んだだけで。

 彼はオーラを纏ったまま、ビオレッタの姿を探してこちらを振り向く。


「あの……カ、カメリア様じゃなくて、私を見てください!」


 しまった……勢いのまま叫んだけれど、なんだか変だ。

 これでは、カメリアへ嫉妬しているように聞こえてしまうのでは。実際、本当に嫉妬していたのだけれど。


 恥ずかしくて、ビオレッタはカッと顔を赤らめた。

 その顔を見たラウレルは、目を見開く。


「か、可愛い…………!」


 ラウレルは一言、それだけ呟いて。

 その瞬間、立ち昇っていた赤いオーラは弾けるように霧散した。






「……ビオレッタさん、無事でしたか」


 我に返ったラウレルは、一直線にビオレッタの元までやって来ると、心配そうにビオレッタの手を取った。


 よかった。いつものラウレルだ。

 いつも朗らかな彼を見ては、この人が魔王を倒したなんて……と信じられずにいたのだが。あの恐ろしいオーラを見れば、魔王を倒したというのも頷けた。

 その力を知り尽くしているカメリアは、いまだに庭園の隅へ逃げ込んだままだ。

 

「カメリア様は、私の話を聞いてくださっただけです。どうか怒らないで下さい」

「ビオレッタさんがそう言うなら……」


 みるみるうちにラウレルを覆う空気が穏やかなものに変わっていく。ホッとしたカメリアも、やっと姿を現した。


「私はビオレッタちゃんと話したかっただけよ。そんなに怒らないでくれる? 殺されるかと思ったわ」

「ビオレッタさんを連れ去るなんて誰であっても許せない」

「小さい男ね。女同士の話もあるのよ」

「え……それって俺には言えない話ですか……?」


 少し拗ねたような目で、ラウレルがビオレッタを見下ろす。否定も肯定もできなくて、ビオレッタはあいまいに微笑んでおく。


「それはそうと、ラウレル。あんたオルテンシアの王に居場所がばれちゃってるよ」

「王に……?」


 カメリアは、このことを伝えにグリシナ村までやってきたようだった。


 オルテンシアの城下町では、勇者がグリシナ村にいると噂になっているらしい。噂の出所は行商人や旅人だろうか。

 いつまでたっても帰ってこない勇者ラウレルを、オルテンシア王は血眼になって探していた。当然、城下町の噂は王の耳に届いていることだろう。


「オルテンシアの街は姫と勇者の結婚でお祭り騒ぎよ。本格的に結婚準備されると困るから、もう一回断っておいた方が良いんじゃない?」

「王もしつこいな……分かった。ありがとうカメリア」


 ビオレッタは、ざわつく心で二人の会話を聞いていた。


 姫と勇者の結婚。

 それはオルテンシア国民が待ち望んでいるもの。平和になった世界を象徴するものだ。

 良いのだろうか。このまま、断ってしまっても……


 ラウレルやカメリアはあっさりと断るつもりのようだけれど、ビオレッタの心にはどうしても燻りが残る。


「ビオレッタちゃん、帰りはプルガの背中に乗せてもらえば? 竜、初めてでしょ?」

「え……? は、はい」


 竜なんて、もちろん見ることも初めてだ。初めてじゃない人なんて、ラウレル達くらいじゃないだろうか。


「私が乗っても、プルガは嫌がらないですか?」

「もちろん。ビオレッタさんさえよければ、プルガに乗って帰りましょう」


 少し離れた場所にいたプルガも、口を大きく開けて嬉しそうに咆哮した。





 プルガの背中は、意外と柔らかな触感だった。まずビオレッタがプルガの背に横乗りし、その後ろにラウレルが乗り込む。両腕の間にビオレッタを納めると、彼はプルガへ合図をおくった。


「ビオレッタさん。落ちないように、俺につかまってくださいね」

「はい…………」


 ビオレッタは既に後悔していた。

 やっぱり、転移魔法で帰ってもらえばよかった。


 だってラウレルとの距離が近すぎる。こんなのほぼ密着じゃないか。転移魔法も彼に抱きかかえられるが、その時間は一瞬だ。しかし竜だと乗っている間ずっと密着していることになる。


 カメリアは確信犯だった。ラウレルとぴったりくっつかないとプルガに乗れないことは分かっていて、その上で勧めたのだ。


「じゃあまたねラウレル、ビオレッタちゃん。グリシナ村まで頑張ってね」


 カメリアは面白いものを見るような顔をして手を振った。




 プルガが大きな羽を羽ばたかせると、次第に地面が遠くなって行く。ふわりとした浮遊感は、転移魔法とはまた違った不思議な感覚だった。


「段々スピードが上がるので、そのままつかまっていてください」


 プルガは風に乗り、空を泳ぎ始めた。

 その速さに、ビオレッタは夢中でラウレルの腕にしがみつく。もうずっと、心臓が激しく音を立てている。このスピードが怖いからなのか、それとも――


「ビオレッタさん。ほら、見て」


 ラウレルに促され、おそるおそる景色を眺めてみる。


 遥か下に、手を振るカメリアが小さく見えた。上から見る滝の水しぶきには丸く虹がかかり、神殿の向こうには目が覚めるような山々がそびえている。ずいぶんと上空まで上がったようだ。


「プルガは速いでしょう。ここはコリーナの村に近いんです。すぐにコリーナの丘が見えてきますよ。ほら」

「わあ……」


 ラウレルが言うとおり、雲の下に一面紫の花畑が見えた。

 コリーナの他にも、知らない街や村を次々と通り過ぎる。どの場所も、それぞれに雰囲気が違っていた。


「ラウレル様は、世界の街や村すべてご存知なのですか」

「すべてではないかもしれませんが、ほとんど行きましたよ。主要な場所は」

「本当に、色々な場所があるのですね……」


 空から眺めているだけでも、見たことの無いものばかりだった。跳ね橋のある運河、雲まで伸びる塔、移動する浮き島、渦のある海。


 この世界は知らなかったことだらけで。ラウレルに出会ってから、そんなことばかりだ。世界に、こんなにも沢山の街があるなんて知らなかった。竜に乗って空を飛べることも知らなかった。

 そして、胸にあるこの複雑な想いも。




「ラウレル様。一度、お姫様とお会いしてはいかがでしょうか」


 ビオレッタは堪えきれず、ずっと考えていた言葉を口にした。プルガの背の上で、ラウレルの傷付いたような顔が彼女に向けられる。


「……なぜ会う必要があるんでしょうか? 俺はビオレッタさんと結婚したいと言ったはずです」

「分かっています、それはとてもありがたいと思っています」

「ならどうしてそんなことを言うんですか」


 どうして、と聞かれてしまったら、それは――



「ラウレル様のことが好きだから」


 ビオレッタには、彼の顔を見ることは出来なかった。

 

「好きだから、ラウレル様を自分に縛り付けるのが辛いんです」


 ラウレルとの二人暮らしは、これ以上ないほど幸せだった。一人きりの毎日に戻りたくないくらいには。


 けれど、彼は皆の希望だ。

 広い世界に身を置くべきラウレルを、狭い世界に閉じ込めるようなこと、あってはならないと。

 その事がずっとビオレッタを咎め続けている。


 つい、瞳からは大粒の涙がこぼれてしまった。風をきり飛ぶプルガに、涙は飛んで散って行く。


(本当に、余計な気持ちを知ってしまったわ……)


 自分を選んで欲しい、でも彼のためを思うと自分を選んで欲しくない。彼と一緒の暮らしを続けたい、でも彼を村に縛り続けるのが辛い。


 なんて面倒な女になってしまったのだろう。

「でも」ばかり。逃げ道を探してばかり。


「だから……」




 言葉を続けようとした口を、ラウレルの唇が塞いだ。


 優しいような、強引なようなその唇は、名残惜しそうにゆっくりと離れていった。


「ずっと、キスしたかった」


 睫毛が触れ合うほど近くで、蕩けそうな瞳がビオレッタを見つめている。それはあの日、二人きりの部屋で向けられた熱い眼差しと同じものだ。


「俺はずっと……毎日、どんな瞬間も、ビオレッタさんと結婚したいと思ってます」

「ラウレル様……」

「ビオレッタさんが困ることはしたくない……けど、こうして抑えが効かなくなるくらい、あなたのことが好きなんです」


 彼の真っ直ぐな言葉が胸に刺さる。

 その言葉が嬉しくて嬉しくて、彼のこと以外何も考えられなくなってしまう。


「どうか、勇者では無いただ一人の男として見てください。ビオレッタさんは何を望みますか。俺にとって大事なのはそれだけです」

「私……私は」


 彼に求めるものなど……

 もし、ひとつだけ願うなら、それは。


「……ラウレル様、どうかもう一度『ビオレッタ』と」


 頭を離れない、あの甘い響きが欲しかった。




「ビオレッタ……」


 彼の囁く声が、頭を痺れさせる。

 もうずっと待ち望んでいたもの。

 彼が、自分を欲しがる声。


 ラウレルはうっとりと、ビオレッタの頬へ指を滑らせた。


「ビオレッタ」


 二人は目と目を合わせると、引き寄せられるように顔を寄せ合いキスをした。


「ラウレル様、好きです」

「俺の方が好きです──」




 広く青い空に、風をきりながら二人きり。

 プルガの背中は、二人をただの『ビオレッタ』と『ラウレル』にしてくれた。


 繰り返されるキスは、終わることがなくて。


 プルガがグリシナ村を通り過ぎたことも気付かず、二人は気持ちを確かめ合った。

 


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[良い点] プルガ、空気を読めるいいこ…!!
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