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身に余る想い


 ここのところ、ビオレッタは寝不足である。



 すべてラウレルのせいだ。

 ラウレルが、あんなに甘い瞳を寄越すから。


 ラウレルの部屋で二人きりになったあの日。彼は優しい声で「ビオレッタ」と、そう呼んだ。

 しかしそれはあの時見つめ合った一度きり。次の日には、元通りに戻っていた。

 あれは一体なんだったのだろう。




「ビオレッタさん、おやすみなさい」

「おやすみなさい、ラウレル様」


 悶々としながら、今日も何事も無い一日は終わる。

 お互いにおやすみと挨拶を交わし、いつものようにそれぞれの部屋へと別れた。ラウレルと同居を始めてからは、毎晩繰り返されていることだ。


 なのに、この間からビオレッタはどこかおかしい。


 隣の部屋を歩く足音。寝返りのたびにベッドがきしむ音。

 薄い壁は、彼の気配をビオレッタに伝えてくれる。


 夜、こんなにも隣の部屋の物音は耳に響いただろうか。部屋と部屋を隔てる壁がカタンと音を立てるだけで、心臓が早鐘を打つ。


 隣の物音に敏感になっている自分が恥ずかしくて、早く寝てしまおうと試みるけれど……ベッドに寝そべり目を閉じてみれば、砂浜で見たラウレルとの未来が目蓋の裏に浮かび上がってしまう。

 彼と微笑み合い、キスを交わして、子供達を抱きしめる。ラウレルが見たという予知夢と重なる光景だった。


 そんな時は慌てて目を開けて、わざわざその未来を否定する。

 ラウレルは世界にただ一人の勇者だ、自分は崖っぷちの道具屋だ、そんな未来があるわけないと。


(そう……ただの道具屋に過ぎないのに、こんな未来は厚かまし過ぎる……)


 自分で自分を否定して傷付いては、その手に蒼く光る指輪を眺めた。

 月明かりを頼りに、彼の色に似た指輪をそっと撫でて、ラウレルのまっすぐな眼差しを思い出す……


 そのうち胸がぎゅうっと苦しくなって。

 あれこれぐちゃぐちゃと悩んでいると、徐々にカーテンから朝日が透け始め……ビオレッタは寝るのを諦める。

 毎晩がその調子なのだった。  





「ビオレッタさん、おはようございます!」

「おはようございます、ラウレル様」


 今朝もあまり眠れなかった。

 自分はどうしてしまったのだろう。あの予知夢を見てからというもの、ラウレルを意識して仕方がない。顔を合わせても、彼の顔を直視出来ない。

 

「朝ごはん作ったんです。ビオレッタさんも食べましょう?」

「ありがとうございます、いただきます」


 ラウレルはビオレッタよりも遥か先に起きていて、朝からあれこれ働いてくれていたようだった。

 彼が作った朝食は、目玉焼きと葉野菜のソテー。ミルクも焼き立てのパンも、テーブルの上で湯気をたてている。


「すみません。私、なにもしないで」

「そんなこと気にしないで。さあ」


 ラウレルに促されるまま、ビオレッタはテーブルについた。至れり尽くせりの朝食に気後れしながらも、自分のために作ってくれた朝食がこんなに嬉しい。


(優しい……ホッとする……)


「あの……ラウレル様」

「なんですか?」

「ええと……」


 あの時は確かに、本音が聞けたのに。「ビオレッタ」と呼びたいと、そう言ってくれたのに。

 なぜ、また元通りに戻っているのですか?

 ――なんて、ビオレッタにはとても聞けなかった。


 ちらりとラウレルに目を向けると、彼は応えるように目を合わせてくれる。そして一緒に朝食をとりながら、たわいのない話を振ってはビオレッタを和ませた。


 本当に、どうかしている。

 この生活がずっと続けばいいのにと、願ってしまっている自分がいるなんて。

 もう一度、「ビオレッタ」と――あのひとときが恋しいと思ってしまっているなんて。






 そんな悩ましい毎日を送っていたビオレッタの道具屋に、ある日オリバがやって来た。


「最近、勇者様目当ての客がたまに来るようになってね」

「ラウレル様目当てのお客さん……宿屋にですか?」


 ビオレッタは、道具屋のカウンターで店番がてら薬草の選別をしていた。傷みのないきれいな薬草だけを販売するのが、ビオレッタなりのこだわりだ。量は減るが、質は良くなる。


「さっきも来たのよ。『ラウレルはどこにいる?』って随分と親しげな女が」


『ラウレル』と呼び捨て。

『親しげ』な女性。

 思わず、選別の手が止まる。


「呼び捨て……ですか」

「そうよ、しかもすっごくきれいな人なの。ああいうのを妖艶……っていうのかしら」


 妖艶な美女――田舎くさい自分とは真逆の女性だ。

 そんな人がはるばるグリシナ村まで来ている。勇者ラウレルと会うために。

 オリバから話を聞くにつれ、浮かれていた心が急速に冷えていくのが分かった。力の抜けたビオレッタの手から、薬草がハラリと落ちる。


「あら、ビオレッタちゃん、葉っぱ落ちたわよ……そうだ、思い出した。私、薬草買いに来たんだったわ」


 オリバは話に夢中だったが、どうやら薬草を買いに来ていたらしい。

 彼女が買い物を終えて店を出るのと入れ替わりに、ラウレルが帰ってきた。噂をすればだ。



「あ、ラウレル様……おかえりなさい」

「ただいま。今、オリバさんが居たようですけど」

「ええ、お買い物をして下さって。今オリバさんから聞いたんですけど、宿屋にラウレル様を探しているお客様がいらっしゃったそうですよ」

「俺を?」


 ラウレルは、その客に心当たりが無いようだった。

 オリバによると、宿屋に来たのは親しげな女性らしい。そこまで伝えれば思い当たる事があるだろうか。


「誰だろう……全く心当たりがないんですけど」

「オリバさんは、ラウレル様と親しげな女性だった、と言っていましたが」


 そこまで伝えても、彼はまだ首をひねったままだ。親しい女性など限られると思うのだが、誰か思い当たらないほど親しい女性が沢山いるのだろうか。


「俺はこの村にいることを誰にも伝えていないはずなのですが……」


 まあいいや、と興味無さそうにラウレルは裏の畑へと向かった。おそらく、畑に水やりをしてくれるのだろう。ビオレッタはそれ以上なにも聞かず、彼の背中を見送った。


(私ったら……ひどいわ)


『親しげな女性』に対し興味無さげなラウレルを見て、安心してしまった自分がいた。彼とその妖艶な女性が会えなければいいのにとさえ思っている。

 いつから、自分はこんなにも意地汚い考え方をするようになってしまったのだろう。

 

 醜い嫉妬だ。

 いつの間に、こんなにも――





 彼が裏口へと消えた途端、店の入り口からガタリと音が聞こえた。


「うそ……一緒に住んでるの……?」


 ビオレッタが振り向くと、そこには妖艶過ぎる赤髪美女が立っていた。

 一応服を纏ってはいるが、豊満なスタイルが隠しきれていない。大きく開いた胸元に、きわどいスリットの入ったタイトなドレス。敢えて、その肉体を隠そうとしていないのか……免疫の無いビオレッタは、思わず顔を赤らめた。


「ビオレッタちゃん、もうラウレルと結婚したの!? ほんとあいつ信じらんない……」


 赤髪美女は、この村では見たこともないような細いヒール靴でカツカツと歩み寄ると、ビオレッタに詰め寄った。

 その勢いに圧倒されてしまう。なぜ、こちらの名前も求婚されていることも知っているのだろう?


「いえ、結婚なんてしてません。それよりも、なぜその事をご存知なのですか」

「でもここで一緒に暮らしてるんでしょ~? あいつ何でも早すぎるのよ!」


 話はよく見えないけれど、赤髪美女はラウレルのことを「あいつ」などと呼ぶ。随分親しい間柄のようだ。やはり、胸がチクチクと痛む。


 目の前のこの人をまじまじと見た。

 凹凸のある女性的な身体、バッチリと化粧も施された魅惑的な顔、手入れの行き届いた美しい指……

 ビオレッタは思わず、薬草の臭いが染み付いた自分の指先を後ろに隠した。


 


「ビオレッタちゃんはラウレルのことどう思う? あいつ――」

「声が村中に筒抜けだよ」


 いつの間にか、裏口にラウレルが立っていた。

 その顔は少し険しくて、ビオレッタにとって初めて見る表情だった。彼は早足でこちらに歩み寄ると、ビオレッタと彼女の間に割って入る。


「カメリア、もっと声を抑えることは出来ないの? ビオレッタさんが怯える」

「ごめーん、だってもうひとつの予知夢も当たったか気になっちゃったんだもの」


 カメリア。ラウレルが呼び捨てにした、それが彼女の名前。

 なるほど、とっても親しいようだ。ビオレッタよりもずっと、ラウレルのことをよく知っている様子だった。もちろん予知夢のことだって。


「ビオレッタさん、彼女はカメリア。こう見えても手練れの魔法使いで、魔王討伐の仲間だったんです」

「えっ!」

「こう見えてもって何よ、失礼ね」


 なんと彼女は魔王を倒したパーティーのうちの一人だという。

 以前彼らがグリシナ村へ立ち寄った時に、こんな美女いただろうか……と思ったけれど。カメリアは魔法使いらしく真っ黒なローブを着ていたらしかった。分かるはずもない。


 となるとラウレルとカメリアは、世界中を一緒に回り、苦楽を共にした仲間だ。ビオレッタよりも親しくて当然だった。


「存じ上げず失礼いたしました、カメリア様。このたびは世界に平和をもたらして下さり、ありがとうございました」


 ビオレッタはカメリアに向き合い、深々と頭を下げた。

 嫉妬を先走らせた自分が恥ずかしい。


「いいのよお。こうやってビオレッタちゃんとラウレルが一緒に暮らせる世界になって、私は本当に嬉しいんだから」


 勇者は結婚なんて、魔王を倒さない限り出来ないからね、とカメリアがケラケラ笑った。そんな彼女を見て、ラウレルは眉間にシワを寄せている。


「カメリア、からかいに来ただけなら帰ってくれる?」

「何つめたいこと言ってるのよお」


 二人の仲は良いが、それ以上の関係では無さそうだ。

 

 (よかった……)

 

 二人の口喧嘩を聞き流しながら、ビオレッタは誤魔化しきれない自分の気持ちを自覚した。

 ビオレッタよりもラウレルと親しいカメリアに、嫉妬していた。二人が特別な関係ではないと分かって、ほっとした。


 (私は……)


 ただの道具屋の分際で。

 いつの間にか、勇者ラウレルに恋をしてしまっている。




 様子のおかしいビオレッタに気付いたカメリアが、いいことを思い付いたようにウインクをした。


「ビオレッタちゃん、ラウレルのこともっと知りたくない? いろいろ教えてあげるわよ」

「ビオレッタさんに余計なこと言うなよ」

「ラウレルったら邪魔ね。ささ、ビオレッタちゃん行きましょ」


 そう言うなり、カメリアはビオレッタをぎゅっと抱きしめた。

 瞬間、二人がまばゆく輝きだす。


「カ、カメリア様! これもしかして」


 もしかしなくとも、これは転移魔法である。

 ビオレッタの戸惑いをよそに、光はどんどん大きくなる。


「おい! カメリア!!」

「ビオレッタちゃん、私と女子会しましょ」


 ビオレッタはカメリアに抱かれ、巻き上がる風とともにふわりと宙に浮いた。室内は白い光に包まれ……



「ビオレッタさん――!」


 道具屋には、ラウレルだけが取り残されたのだった。


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