予知夢
眩い眩い光がおさまり、ふわりとグリシナ村の入り口に降り立つ。
見慣れた景色に、村の匂い。
クエバの町から転移魔法で戻ってきた二人は、道具屋への道をゆっくりと歩いた。
「ラウレル様、クエバへ連れていって下さってありがとうございました。リヴェーラの石が指輪になるなんて、とても楽しみです」
「そうですね……」
リヴェーラの石を加工するなんて、ラウレルがいなければ実現し得なかったことだ。
ビオレッタは礼を言ったのだが、ラウレルはどこかうわの空だった。どうしたというのだろう。
「ラウレル様? もしかして、お疲れですか?」
「いえ、そういうわけでは……」
ラウレルはビオレッタを振り返ることなく舗装のない田舎道をじゃりじゃりと歩く。いつも話す時は目を合わせて微笑む彼が。
(ラウレル様……?)
やはり様子がおかしい。本人が気づかぬうちに疲れているのかもしれない。そういうことも大いにあり得る。
「ラウレル様! 早く帰って休みましょう!」
「えっ?」
ビオレッタは冴えない顔をしたラウレルの手を取り、強引に道具屋へと引っ張った。
考えてみれば、彼は疲れていて当然だ。
彼はいつも、グリシナ村の頼まれごとを引き受けている。その多くが体力仕事であって、休みとして設定した日さえ、転移魔法を使ってあちこち連れていってくれているのだ。
つまり休む暇が無い。ビオレッタに気を遣って、無理しているに決まっている。
「ちょ……ちょっと、ビオレッタさん?」
道具屋の扉を開けて、ビオレッタは戸惑うラウレルをぐいぐいと押し込んだ。
そのまま彼の背中を押し続け、階段も押し続け、廊下も押し続け……二階にある彼の部屋へと連れていくことに成功した。
「ビオレッタさん、いったい何を」
困惑するラウレルが抵抗しないのをいいことに、彼を無理矢理ベッドに寝かせてブランケットを掛ける。
あわてて起き上がろうとする彼を、ビオレッタは再び組み敷いた。
「ラウレル様、きっとお疲れなのです。私のために結局、休日も休めていません。私ったら浮かれて……一緒に住んでいるのに、気付かず申し訳ありませんでした」
呆気にとられているラウレルを上から見下ろした。
彼には、疲れている自覚は無さそう。心配だ。多分、このまま大人しく寝てはいないだろう。
階下に降りれば、彼はまた皿洗いや掃除をしてしまうだろうから、夕飯も今日は部屋で食べてもらったほうが……
「……やっぱり、あなたは優しく美しい」
的外れなことばかり考えるビオレッタの手首を、ラウレルが掴んだ。
彼は大きな手でビオレッタの動きを封じたまま、こちらの瞳を見つめる。
ビオレッタはやっと自覚した。この体勢がかなり大胆であったことに。
「俺は疲れていません。大丈夫です。ビオレッタさんが謝る必要は、ひとかけらもありません」
「でも……」
「考えていたんです。クエバの町でのことを」
どうやら彼は考え事をしていて上の空だったようだ。クエバの町で、何か引っ掛かることでもあっただろうか。
ピノとは楽しく話をして別れた。また来るね、と、友達同士の約束をして――
「俺のほうがずっとビオレッタさんと一緒にいるのに、二人で住んでいるのに……出会ったばかりのピノのほうが親しげで、少し……いや、かなり羨ましかったんです」
「ピノ、ですか? それは、お友達になったから……」
「ほら、もう呼び捨てです。俺なんて二ヶ月が経とうとするのにまだラウレル『様』で」
ラウレルは意外なことを気にしていた。
ピノは小人だ。見た目が子供のように可愛らしく、呼び捨てもしやすい。世界に一人だけの勇者・ラウレルを呼び捨てるのとは次元が違う気もする。
しかし彼にとってはそうじゃ無いらしい。
「俺もピノみたいに友達になってもらえばいいのかなって思ったんですけど、俺はビオレッタさんと友達になりたいわけじゃないから……そうじゃないなって……、考えていて」
「そ、そうだったのですね」
それで彼は上の空だったようだ。理由は分かった。
だから、手首を包む手を離して欲しい。この体勢は心臓に悪い。こんな至近距離で、ラウレルが見つめるから……何も考えられなくなってくる。
「ねえ……俺も、ビオレッタ、って呼んでもいいですか?」
その声色に、心臓が跳ねた。
「ビオレッタ」
彼が蕩けるような眼差しで見つめてくるから、自分の名前がこんなにも特別に聞こえてしまう。
ピノにも「ビオレッタ」と、そう呼ばれた。シリオにも、村長にも……皆にそう呼ばれているじゃないか。
なのにラウレルからそう呼ばれただけで、何故この胸はこれほどまでに騒ぎ出したのだろう。
「ビオレッタ、ラウレルって呼んで」
「…………は、はい」
無理だ。
はい、と言ってしまったけれど、ビオレッタには到底無理である。もう心臓が爆発寸前だった。自分の胸から、鼓動が聞こえる。彼にも聞こえているんじゃないだろうか。こんなにも近くで。
この甘い空気は一体なに。ぎりぎりで踏みとどまっていないと、流されてしまいそうになる。
「ラウレル…………さん」
「『さん』?」
「もう、それで許してください」
身体中が熱くて、これでは沸騰してしまう。
真っ赤な顔でうろたえるビオレッタを見て満足したのか、ラウレルはやっと手を離し、拘束を解いてくれた。
「と、とにかく、休んでいて下さいね。私はリヴェーラの石を採ってきますから……ピノに全部渡しちゃったので」
ビオレッタは逃げるように部屋を出た。
脇目もふらず、風をきって歩いた。火照った顔を冷ますように。
グリシナ村の砂浜には、心地よい風が吹いている。道具屋を飛び出たビオレッタは、当て所もなく砂浜を歩いた。
どうかこの潮風が、熱い頬を冷まして欲しい。道具屋へ帰るときには、平静でいられるように。
『ビオレッタ』
あの声が、いつまでも頭から消えてくれない。ただ皆のように、ラウレルから名前を呼ばれただけなのに。
頭からこの甘い声を消し去りたくて、ビオレッタはぎゅっと目を閉じた。
すると突然。目眩のような感覚に襲われた。
(え……これって、まさか――)
クラクラとして立っていられない。聞こえるのはやさしい波の音だけ。
しゃがみこんだビオレッタは、とうとうおぼろげな意識さえ手放してしまった。
ぽかぽかと晴れた、裏の畑。
「ラウレル、おかえりなさい」
「ただいまビオレッタ」
道具屋の裏口で二人は抱き合い、軽くキスをした。足元では、じゃれ合う子供達が走り回っている。
「ピノが、ビオレッタは来ないのかってむくれていたよ」
「じゃあ次は私も行こうかな、この子達も連れて」
「喜ぶよ。ピノもこの子達も」
「やったあ、僕たちも小人に会える?」
「ああ、会えるよ――」
瞼に光を感じたビオレッタは、ゆっくりと目を開けた。
そこは先程と変わらぬ、グリシナの優しい砂浜だった。
(なに、今の……今のは……もしかして)
これが噂の『予知夢』だとしたら……
ラウレルと抱き合っていた。キスをしていた。足元には子供達。場所は見慣れた道具屋だった。
すべて、彼が見たという予知夢と重なる。
(まさか、そんな、まさか……)
これでは、頬の熱も冷めるはずがない。
ビオレッタはしゃがみこんだまま、先程見た白昼夢を反芻していた。
足元にはリヴェーラの石が、きらりと輝いていた。