勇者が村にやって来た
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辺りはまだ薄暗く、朝と呼ぶには早い時間。
ビオレッタは波の音で目が覚めた。
眠い目をこすりながら二階から降り、カウンターにかけておいた白いエプロンを身に付ける。そしていつものように店内を軽く掃除してから、やっと自身の朝食作りにとりかかった。
裏の畑は芋が食べごろ。今朝も鶏が元気に鳴いていたから、おいしい卵を産んでくれていることだろう。裏口から外へ出ようとすると……
トントントンと軽い足取りで、階段を降りてくる音がした。
「ビオレッタさんおはようございます! 俺も起こしてくれればよかったのに。手伝いますよ」
まばゆい金髪に深い蒼の瞳、村では見たこともないような美しい青年……
それは先日、魔王討伐を果たした勇者ラウレルその人だった。
「いえ、朝も早いですしラウレル様はまだ寝ていても……って、もういないですね」
彼は意気揚々と裏庭に出て、すでに芋を収穫したようだった。今は鶏と格闘中だ。
けたたましく威嚇する鶏に、じりじりと近づくラウレル。
ビオレッタは助けに入ることを諦めて、その格闘をぼんやりと眺めた。
(……にぎやかだわ……ひと月前までが嘘みたいに)
彼が村に来たことで、ビオレッタの平凡な日々は一変した。
それはひと月ほど前にさかのぼる。
ちょうどひと月前、勇者によって魔王が倒された。
魔王が倒されたことで長年人々を苦しめていたモンスター達は消え去り、世界には平和が取り戻された。
世界中が喜びに湧き、その喜びは、この小さなグリシナ村まで届いたのだった。
「あの勇者様はすごいお方だったのね」
ビオレッタは以前見た勇者を思い描く。
勇者御一行は以前、グリシナ村にも立ち寄ってくれたことがあったのだ。その時はまだ勇者も旅立って日が浅く、傷だらけの身体で傷薬を買い求めにやって来た記憶がある。
勇者達はしばらくこの村に滞在し、村の外に蔓延るモンスターを倒してはレベル上げに勤しんでいたようだった。
勇者は村に戻るたび、ビオレッタの道具屋で傷薬を買った。
日が経つにつれ、勇者の身体に受ける傷は減っていく。グリシナ村を発つ頃にはレベルが上がったのだろう、傷一つ作らずモンスターを倒せるまでになっていた。
それでも勇者は、最後まで傷薬を買ってくれた。「よく効く傷薬をありがとう」と。
その日からそれほど間をおかず魔王が討伐されたことに、ビオレッタは正直驚いた。
グリシナ村ではレベル上げにかなりの時間を要していたではないか。勇者達の旅は、もっと年単位にわたる長期的なものだと思い込んでいたのに。
そして不安になった。いきなり平和になった世の中で、道具屋としてどう生計を立てていこうかと。
道具屋で売っている傷薬も毒消し草も、生活に無くてはならないものだ。しかし、これまでのように売れはしないだろう。何せモンスターがいなくなったのだから。
道具屋だけで生活が維持出来るだろうか。村の皆のためにも、死んだ両親のためにも、そして自分のためにも……道具屋を辞めるわけにはいかない。
しかし道具屋として収入が見込めなくては、他の生き方を考えなくてはならない……
悩んでいたビオレッタの店に、隣の武器防具屋店主・シリオがやって来た。
「おい! また勇者がやって来たぞ」
「え? うちの村に?」
魔王を倒した英雄が、こんな小さな村に何の用だろうか。
グリシナ村は海のそばにあり景色は良いが、観光地という雰囲気でもない。本当に素朴で、外からの人間にとっては面白くもない村のはずだ。勇者の再訪は、村民全員が不思議に思っていることだろう。
入り口のドアを薄く開け、おそるおそる外の様子を伺おうとビオレッタが顔を出すと……
なんと、すぐそこに噂の勇者が立っていた。
「ひっ!」
驚いたビオレッタは思わず後ずさった。
開け放たれたドアからは、遠慮なく勇者が入ってくる。わけもわからぬまま呆然としていると、美しい彼はビオレッタの手をとり、いきなり足元へ跪いた。
そして真っ直ぐに彼女を見つめると、きっぱりとこう告げる。
「ビオレッタさん。俺と結婚して下さい」
ビオレッタは固まった。
状況が飲み込めなかった。
目の前にいるこの人は魔王を倒したばかりだというのに、何故このような何の変哲もない道具屋の娘に結婚を申し込んでいるのだろう?
それに、こんな何もない村にいて良いのだろうか? 世界を救った英雄は、城かどこかで丁重にもてなされるべきではないのだろうか?
「あの、勇者様。失礼ですが、どういうおつもりでこちらへ?」
「どうかラウレルとお呼び下さい」
「ラ、ラウレル様」
「ありがとうございます!」
ビオレッタから名前を呼ばれたラウレルは、嬉しそうに微笑んだ。後光が射すような眩しい笑顔。こんな眩しい人が世にも恐ろしい魔王を倒しただなんて、想像がつかない。
「俺は、以前このグリシナ村で予知夢を見たのですが」
「はい……それは私も存じ上げております」
勇者が言う『予知夢』。
グリシナ村は何の変哲もない村だが、冒険者達の間でまことしやかに囁かれる噂があった。
『グリシナ村の砂浜で目を閉じると、不思議な白昼夢を見ることがある』
ほど近くにある浜辺はごく普通の砂浜だし、なぜそのような予知夢を見るなんてことがあるのか、ビオレッタには分からない。予知体験をした者の話を聞くと、波の音とともに映像が脳裏に浮かび上がってくるのだとか。
勇者一行が以前グリシナ村へ滞在した際に、魔王を討伐する予知夢を見たというのは広く語り継がれている話だが……その予知夢がどうかしたのだろうか。
「その予知夢には続きがあったのです」
「続き?」
「魔王討伐後、あなたと結婚して、この道具屋で平和に暮らしている自分の姿を見たのです」
「ええっ!?」
そんなの初耳だ。まさか、勇者の予知夢に自分が登場してしまっているなんて。
「そ、それは何かの間違いではないですか?」
「いえ。その時はっきりしっかりと脳裏に浮かびました。その淡いブルーの長い髪。すみれ色の透き通った瞳。エプロンをまとった可憐な立ち姿。まさしくビオレッタさん、あなたです」
「ええ……」
困ってしまった。だって予知夢など見たことの無いビオレッタには、そんなことを言われても信じられない。しかもお相手は世界を救った勇者様だ。予知夢に見たからといって、こんな道具屋の娘と結婚などあって良いはずないだろう。世間が許すはずがない。
「その……予知夢が本当かどうかなど、分からないではないですか」
「その時に見た魔王討伐は現実のものとなりました。きっと結婚も現実になります」
「そんなまさか」
ラウレルは、予知夢を疑いもしていないようだった。自信満々に答える彼を前にすると、何事も『現実』になりそうで……ビオレッタの胸はざわついた。
ビオレッタの大事にしてきたものなど、容易く覆されてしまいそうで。
「ええと……とにかく、いきなり結婚など私には無理です。申し訳ありませんがお引き取りください」
「えっ、あの、ビオレッタさん!」
「お引き取り下さい!」
ビオレッタはラウレルを店から無理矢理追い出した。
やっと静まり返った店内では、自分の鼓動だけが激しく音を立てていた。