クラルテはフィユモルトと婚約し幸せな時を過ごす
「こんにちは、レディクラルテ。僕はフィユモルト・コーズ。可愛らしいレディに会えて嬉しいよ」
子爵が私を引き取った理由が分かったのは、12歳になった時。隣の領地の伯爵の令息であるフィユモルト様との婚約が結ばれた。
コーズ伯爵家は手広く商売をしており、生糸の産地でそれを使った織物を生産しているエタンセル領と縁を結びたいと話を持ちかけて来た。しかし、エタンセル子爵には私より二つ年下の息子しか居らず、コーズ伯爵は三人の息子だけ。そこで娘が産まれた事までは調べて、後は放っておいた子爵が、抜け抜けと祖父母の前に顔を出して私を連れ去ったのだ。
母が領主館の工房で働いていた時の子爵夫人はそのまま亡くなっていて、私が子爵家に入った時の夫人は伯爵家から入った後妻で、二つ下の異母弟の母親だ。
現子爵夫人は、子爵が先の夫人と結婚する前から子爵を気に入っていたのだけれど、結婚出来ず辛い思いをしていたらしい。その後、先の夫人が亡くなって、家の力を最大限に使って後妻に収まったらしく、そのゴタゴタの中で産まれた私を心底嫌っていると、義母にへつらうメイド達が親切ごかしに教えてくれた。
それでも義母は愛する夫である子爵の駒である私の価値を上げる為の手配を熱心にしてくれた。貴族のマナーを知らない私は鞭で叩かれ、辛辣な言葉を投げつけられ、ちょっとした失敗を見つけては食事抜きの罰をうけた。父にとって私はただ血が繋がっているだけの政略結婚の駒で、恥ずかしくない程度の礼儀とマナーを身に付け、体に痕が残る様な事さえなければ、義母の教育がどの様なものであっても気にしない。
祖父母の元に帰りたいと訴える私に、「お前の祖父母は地位の無い領民で、お前が役に立たないのなら私が直接罰を与える事が出来るのよ」と悪意に満ちた笑みで答える義母。私の大切な家族である祖父母を人質にして喜んでいたのだけれど、少なくとも私さえ子爵家にいれば、二人が無事であると聞いてそれを心の支えにしていた事には気付かない程、義母も情というものに飢えていたのだろうか。
義母にとって私は、愛ではなく家の力で結婚した子爵への引け目と、そこまでして結婚したかった子爵に請われて結婚した先の夫人と、一時的とはいえ気に入って手を出した使用人に対しての恨みを代わりに受ける人形みたいなものだったのかも知れない。
生活自体に困る事は無かったけれど、義母の近くにいると嫌な事が多かったので、時間があれば領主館の工房で機織りと刺繍を続けて技術を磨いた。そうして出来上がった織物は、それなりの値段が付くと子爵に認められ、次第に良い材料を与えられたけれど、私の織物がどの様に使われているのか、どの程度で売れるのかは知らずに、唯々、寂しい気持ちをぶつける様にシャトルを投げ、踏み板を踏み、リードを引いた。
そんな私の姿を異母弟のフィサンが遠くから眺めているのに気が付いたのはいつ頃だっただろうか。義母は私とフィサンが近付く事を禁止していたので、義母や使用人に見付かると罰を受けた。その事に気が付いたフィサンは家人の目をかい潜って、小さなお菓子やちょっとした果物を工房に隠して置いてくれていた。
まともに話した事も無いけれど、母に禁じられているのに姉である私を気にして、優しさをくれる弟がいる事に気が付いてからは辛い気持ちがかなり薄れた。
フィユモルト様は艶やかな紺色の髪と、深い緑の瞳を持った、優しい笑顔と流れる様な所作を身に付けた王子様。私と同じ歳なのに、色々な事を知っていて知らない事ばかりの私に「僕が教えてあげる」と週に一度、交互の家で行われる交流のお茶会の度に、貴族の子供向けの本をたくさん用意しては得意気に丁寧に説明してくれる。
義母も伯爵家との繋がりに手を出せば子爵の面子が潰れると分かっているので、フィユモルト様との交流のある日には何もされないと安心していられた。
本だけではなく、美味しいケーキやクッキー、可愛い縫いぐるみ、キラキラしたブローチをプレゼントしてくれるフィユモルト様。子爵と義母から余計な事を話すなと言われていたので、子爵家でどういう扱いをされているかは話さなかったけれど、優しいフィユモルト様につい祖父母と離れていて寂しいと洩らしてしまって慌てていると、「手紙を書いたら良いんだよ」と言ってくれた。
「でも、お爺様とお婆様は離れた村に住んでいて、貴族じゃ無いから余り連絡するなって」
「ああ、聞いているよ。ルティのお爺様達は機織りと刺繍の工房をされていて、ルティも綺麗な織物を作れるんでしょう?僕の家は機械織り機を導入したんだけれど、注文品の高級な商品を作る時は織り手の技術がはっきりと出る手織りの布を使わないといけないんだよね」
「そうなの?」
「うん、僕もいっぱい勉強して父様の商会を任される様になるから、僕達の結婚式ではコーズのドレスを扱う工房で、ルティの織った布を使ってスーツやドレスを作ろうね」
「ええ、ありがとうフィユモルト様、大好きよ」
「僕もルティが好きだよ。そうだ、僕の家で手紙を書きなよ。そうしたら僕がメイドに頼んで送ってあげる。コーズ領からエタンセル領の村に送るから、少し時間が掛かるだろうけれど、返事も僕の家に送って貰えば家に来た時に渡してあげるよ。エタンセル子爵がやり取りを余り良く思っていないのなら、持って帰って見つかったら拙いよね。僕が預かってあげるから安心して」
嬉しくて思わず抱きついてしまって「ありがとう愛してるわ」と言った事も、頬が熱を持った事も、いつもは白いフィユモルト様の顔が上気していた事も、よく覚えている。
それからの私達は、毎週顔を合わせ沢山の話をし、時々フィユモルト様のお母様であるコーズ夫人とも買い物やお茶をして、一緒にいる間は和やかな時間を過ごす事が出来た。
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