『一般』の地方格差に関して
どうも!まずは一般的に言われる『地方格差』に関して説明していこうと思います。
ちなみに、ぼくが普段指す地方格差はまた別のものです。今日は、一般的な話です。
松岡亮二さんの、『教育格差』という本をご存じでしょうか?
今回のお話をさらに詳しくデータで示したものがこちらの書籍に載っております。外出自粛で暇で暇で仕方がないという方はぜひ読んでみてください。
できる限りかみ砕いてお話ししようと思いますが、分かりにくかったらごめんなさい。感想欄はほぼ毎日覗いてますので、分からない点があったら聞いてください。僕の知識で答えられる範囲でお答えします。
では、前置きはこの辺にして、お話を始めていこうと思います。
地域格差は教育格差の一部です。そしてこの教育格差を理解するうえで必要なキーワードが『再生産』です。
さっと読める文献として、東京大学2020年の国語の入試問題、その中の第一問現代文。これをお勧めしておきます。東大現代文2020、とか検索バーに入れてくれれば本文を読めると思います。では、5分もあればさっと文に目を通せるはずですので、お手数ですが、読者の方は『今』そちらに目を通していただけますか?
読んできていただけましたか?
読んで頂けなくとも今後のお話にあまり影響はしませんが。
読んできた人はどう思いましたか?という質問を投げても多分意味がないですよね。まずはこう聞きましょう。
「内容は理解できましたか?」
理解できた人はぼくより優秀か、あるいは元々格差意識がある人かなぁと思います。
ぼくは試験会場でまっっっっったくわかりませんでした。まぁそのせいで落とされたんですけどね!東京大学を許すな!!
あはは、冗談です。教育関係に興味持ってる僕からしたら専門分野みたいな内容なので、勉強不足が悪いです。ええ・・・。
本文の理解ができなかった方は、以下の内容を読んでくれれば大体わかります。
再生産を言い換えると、カエルの子はカエルっていう言葉がわかりやすいかな?
大卒の親の子は「優秀」に。非大卒の親の子は「能力不足」になるという構図があります。
この原因は簡単で、幼少期から子供をどう教育するかに違いがあるからです。
大卒の親は教育熱心です。子供をしっかり教育します。塾に通わせる。習い事をさせる。本を買ってあげる。勉強を促す。もっと幼少のころだと、教育番組を見せるとか。逆に非大卒の親は放任気味です。
前者の子どもは勉強習慣が付きます。後者はつきません。
そうして小学校や中学校に子供は入学しますね?するとどうなるか。
テストで「できる子」と「できない子」が現れますね。
さてここからですけど、「できる子」は幼少期からの教育により勉強習慣が身についていてそれが普通のことですから、勉強します。「できない子」は勉強しないことが普通ですから、しません。学力差が開きますね。
大卒の親は一般的に非大卒の親よりも子供を教育しようとし、また経済力があります。塾にも通わせるでしょう。差が開きますね。
次は子供の目線から見てみましょう。
周りに大学進学をする人がたくさんいる環境にいると、子供は「大学は普通に生きていれば行くもの」と考えます。読者の方で、そのようにお考えの方も多いでしょう。
周りに大学進学をする人がいない環境だと、子供は「大学って何?ぼく・わたしも行けるものなの?」と考えるようです。読者様の中にもそう考える人がいるかもしれませんね。
前者の子どもは大学を見据えて高校を選んだり、学力を上げる努力をしますね。後者の子どもは果たしてどう考えるのでしょう。
さて、そうして「できる子」と「できない子」が現れる訳です。そして大人、あるいは子供たち自身もこう思います。「できないのは努力しないのお前/自分が悪い。できたのは努力したからだ」社会も同じ仕組みをしてますね。努力して大学に入れば就職に有利になります。現実的な話として。
そんで大学を卒業した子は親になる。子供に良い教育を施す。はーい。再生産のループが始まりました。
さて。ここで質問です。「教育機会均等の下での努力や能力、果たして本当に妥当な評価基準ですか?」
そうはならんやろ・・・・・・・・ってことですよ。でも能力主義の下ではこういうことが起こっているんです。
そんで。地域ごとにこの「大卒が多い地域」と「大卒が少ない地域」というのが存在します。前者は主に都会。後者は主に田舎ですね。この分け方はざっくりしすぎですが、おおまかにはそういうデータがあります。
田舎都会という分け方をしなくても、町とか市ごとにもうちょっと割合がばらけます。そうすると、「公立学校であるにもかかわらず、学校間の教育水準・生徒のレベルに差が出る」なーんてことも。
さて、以上が一般に言われている教育格差と地方格差です。お分かりいただけたでしょうか?
詳しくはお勧めした書籍を読んで頂けると更に分かると思います。
ちなみにですねー、これのタチが悪いところは、普通に生きてたら自分が格差のどの位置にいるのかが分からないことなんですよ。それが『普通』として生きていますから。学校によって公立でもばらつくって話をしましたけど、そうですよね。公立学校だなんて標準化の象徴みたいな施設ですから、誰も自分が卒業した学校が標準なのかどうかなんてのに疑いを持たないわけです。
そうするとこの問題について広くから同意を得られません。それもそうですよね。自分の能力が高いと自覚している人は「お前の能力は環境が作り出したものだから、別にお前はすごくない」なんて言説をなかなか認められませんもの。
誰もが誰もの「スタンダード」を生きています。だからぼくは受験会場で理解できなかったんでしょうね。「何言ってんの?」って。まぁ国語の試験ですから、100%理解しなくても答えは出せるんですけど。ぼくは一番大事な部分が分からなくて・・・。
そんでもって。子供を教育する教員の多くは「できる子」ですから、自分の育った環境を客観視できない限り「できない子」を蔑視し、見捨ててしまいます。なぜ勉強しないのか分かりませんから。これは学校が標準化に失敗していて、むしろ逆効果になっていることを表しています。
これにぼくが取り組むのは『無理』です。あまりにも問題が大きすぎます。再生産についての研究も進んでいませんし、ですからどうやって活動すればよいかもわかりません。できることがあるとすれば、こうやってネット上で発信して啓蒙活動を行うくらいですかね・・・。
現状の考えはこうですけど、何か後々変わるかもしれないのでそしたらお知らせします。
最近できたインカレの学生団体で、僕が入会を検討しているところは幅広く扱うらしいんですけど・・・多分無理だろうな・・・。そちらの説明会がそのうちありますから、その内容もこちらで発信しますね。
えーっと、今回はこのくらいです。わかんないところあったら感想欄へどうぞ!東大現代文の内容でもいいですよー。次回はぼくのターゲットにしている方の「地方格差」に関して述べる予定です。
では、これにて。