新米狩猟士レイの冒険はまだまだこれからだ! 23
(《停止》、《停止》、《停止》、《停止》……!)
頭の中で何度も魔法を唱える。
絶対に対象を止める。
あわよくば、腹に刺さりきる前の、ほんのちょっとした矛先が触れた瞬間に槍が止まってはくれまいか。痛い思いなんて絶対にしたくない。なおかつ、腹に深々と刺さるなんて、前世の死因だけで十分だ。
そう切に願いながら雷はレイの前に立ちはだかったのだ。
「ばか、どけ!」
レイの悲鳴が背中に刺さる。
悲嘆と後悔、自身の無力への絶望感。そんなものがごちゃごちゃに混じった願いを、雷は怒り半分蔑み半分に聞き届ける。
(どいたらお前が高確率で死ぬんだよ!)
横倒れになったレイの頭を正確に狙った槍の軌道。心中でレイに罵る間にその切先が迫っていた。
(《停止》ううう!)
内心で絶叫するように呪文を叫ぶ。
渾身の願いがこもった言葉は、声に出していたら喉が裂けていただろう。
接触の瞬間の痛み。意識を浚うような鋭い衝撃に雷は顔を歪めた。
(いってぇ……!)
呻くように雷の喉から空気が漏れるのと同時に、薔薇の兵士の動きがぴたりと止まる。
雷の切り札が効いたのだ。
(くっそ。痛ぇ。だが、体は動かせる)
泣きたくなるのを堪え、雷は自身の状態を素早く確認する。
口内に込み上げてくる鉄臭い匂い。喉の奥からむせるようにこみあがてくる血に、ぞっと全身が冷える。
(内臓にまでいってないよな)
いってませんように。雷は強く願うのだ。
雷の使える回復魔法では、内臓の損傷を治療できない。
せっかく惜しんでいた三級回復薬を使うような目にあったら踏んだり蹴ったりだ。痛い思いをした分だけただの骨折り損である。
脈打つたびに腹から伝わる激痛に、頭がどうにかなりそうだった。
だが、痛みがあるからこそ冷静にもなれた。
前世の死因は、手の施しようがなさすぎて逆に痛みとは無縁だったから。この痛みは、命が繋ぎ止められている証明のようなものだ。
心臓がわめくように大きな音をたて、脈拍が雷を急かすようにうるさく響く。
巻き込まれに巻き込まれた末の痛みに毒づきたい気持ちはあれど、安堵もあった。結果にほう、とちいさく息をつく。
目の前の薔薇の兵士は、雷の魔法によって止まっている。
そしてその背後の乙女たちは、熟練の冒険者たちによって掃討中だ。
(これを慎重に抜いて、回復して、安全域に逃げれば俺の仕事は今度こそおわりだ)
出血と痛みで目眩がする。意識が飛びそうになるのをこらえ、ゆっくりと後退し、槍を抜こうとしていた雷の耳に不穏が届く。
衣擦れの音を立てながら砂利を踏み締める気配がする。
「くそ、おまえ……よくも! 許せねえ!」
レイが怒りのまま吐き捨てた。まるで雷が死んでしまったかのような言動だ。
(おい、気付け。目の前の敵が全く動いてないことに! 全く動いていない理由に頭を働かせろ! 俺は予め止める手段があるって教えておいたはずだ!)
悲しいかな、雷はこの後に起こりそうなことを瞬時に察することはできても、それを止めるだけの時間がなかった。
雷ができるのは心の中で懇願するくらいだけだ。
おい、やめろ。腹に力を込めて声を出したくても、怪我のせいで小さく途切れ途切れになる。レイの耳には届かなかったようだ。
懇願虚しく体を強引に後方に引っ張られる。新たに肉を切りながら槍腕が抜けていく痛みに雷の全身が悲鳴をあげた。
(この、ぼっっっっっっっっっけぇえええええええぇ!!!!
《小回復》!!!!
言ったよなあ!? わざと攻撃をくらってローズボーンを足止めする作戦があるって、ちゃんと教えておいたよなあ!?? なんで忘れてんだよこの鳥頭!!)
生きている可能性を微塵も考えていないのか?
治療もできない状態でいきなり刺さったものを抜いたときの出血の恐ろしさを知らないのか?
仮に雷が気絶して自分で治療できなかった場合、どうするつもりなのか?
雷は脳内で馬鹿野郎を高速で繰り返しながら、自身に回復魔法をかける。
小さな体が抱き包まれるようにレイの腕の中に収まる。
「お前の仇は、とってやる!」
(死んでねえよ! 勝手に殺すな! カバンに五級回復薬が入ってるから腹にかけろ! 迅速にかけろ! ただちにかけろ!)
「あっ……ぐ、おい」
なんとか雷は声をあげるも、レイには届かなかったようで雷を地面に横たえると薔薇の兵士に斬りかかりにいった。
そんなことよりこっちに気を払え。どうせ攻撃したところで無駄で、全く通用しないのだ。意味のないことをしているレイに、雷は忿懣やるかたがなかった。
(怒ってるのは俺で、怒りをぶつけてやりたいのはお前にだ。お前がそうやってキレてる資格はねえんだよ)
レイはかろうじ雷を思いやってくれているのか、動かない薔薇の兵士を蹴り飛ばして遠ざけ、筋違いの怒りを叩きつけている。
その光景を雷は絶望的な目で見送った。
(頼りになるのは……結局は自分だけなんだな。……《小回復》)
クールタイムが終わってから即、二回目の回復魔法をかけるとだいぶ痛みがましになった。
腕もなんとか動く。
槍腕が突き刺さった腹部を手探りでおそるおそる確かめる。
自身の出血でびっしょりと濡れた服に空いた穴。その中に手を入れる。
(まだ、腹に穴が開いてやがる)
分かってはいたが、相当深い傷だったようだ。
雷は倒れたままゆっくりと手を動かしてカバンから回復薬を取り出す。
ちら、と視線だけ向けて手に取った回復薬の色味を確認する。
(薄い青、よし。五級だな。使おう)
ここでうっかり三級回復薬を使おうものなら今までの苦労が水の泡なので、雷は慎重に確かめてから回復薬をつかった。
それでも、腹の奥の痛みと違和感が取れない。
もたもたと回復薬を取り出して使っているうちにクールタイムが終わっていたので、三度回復魔法を使う。
(あー、大分ましになった気がする……)
やっと楽な呼吸ができるようになった。
まだ腹に引き攣るような感覚があるが、痛みが相当緩和された。
緊張をようやく解いて、雷は体の力を抜いた。
正直なところ、地面に倒れ込んだこの体勢のまま気を失ってしまいたい。
必死に自身の治療をしている雷から離れて、レイはさきほどよりも善戦(動かない相手に対する猛攻をこう表現するのもおかしいかもしれないが)しているように見えた。
"激しい怒り"というのは、バーサク状態にも似た一種のステータスバフなのかもしれない。レイの一撃一撃が、薔薇の兵士にほんの少しではあるがダメージを与えている。
(あれでまだレベル3なんだよなあ。さすがレイ)
雷は急激に襲ってきた眠気と戦いながら、レイの戦いを眺めていた。
シャナしかり、ルッズしかり、種族人間のNPCははっきり言って使い物にならないくらいゲーム内では弱かったのだが、レイだけは突出して強かった。彼は精霊の贈り物における最強キャラクターの筆頭といっていい。
だが、呑気に眺めてもいられないのだ。
乱戦に巻き込まれて踏み潰されて死ぬのはごめんだからなんとか動いて避難したいのだが、手足がどうにも言うことをきいてくれない。
(もしかして、スタミナ切れか……)
雷は肉体の異常の可能性を察し、絶望する。
ゲームでは体力をSPという数値で表現し管理していた。
ゲームが現実となったこの世界では目に見えてわかるように数値化されていないが、できる限り把握しておいたほうがいい重要な要素だった。
体力がマイナスになるような衝撃を受けると、体がまともに動かなくなる。下手をすると……というか高確率で気絶する。
(なんとか起きているからスタミナポイントはぎりぎり0ってところか。全く体が動かないところをみると、怪我の衝撃でSPが回復しないステータス異常にでもかかってるのか?)
「突撃剣!」
つらつらと考えていると、ときおりレイが奮闘している声が聞こえてくる。
薔薇の乙女たちをようやく片付けた冒険者たちが、雷の脇を素通りして次々にレイに加勢している。
動きたくても動けない、もどかしさを感じていると、不意に名前を呼ばれたような気がした。
「おい! 雷!」
「雷君!」
「雷くん!」
気のせいではなかった。
遠くから旭日たちの声が聞こえた。
仲間が来たのなら、もう安心だろう。
彼らならば倒れた雷を守ってくれる。
無理に眠気にあがらう必要性はもう、ない。雷は全身にのしかかる疲労に素直に降参して、まぶたを閉じたのだ。
(……いや、待て! 気絶して変な誤解を受けるのはごめんだ!)
閉じそうになったまぶたをカッと見開く。
大丈夫かと顔を青くして駆け寄ってきた仲間に、雷は力を振り絞って言葉を告げる。
「怪我は治した。SP0、ステータス異常、俺、眠い。あの鶏頭、絶対殴る」
それだけなんとか言うと、雷は今度こそ意識を堕とした。




