新米狩猟士レイの冒険はまだまだこれからだ! 19
雷はまたたきすらできないほんのわずかな瞬間で、自分の選択が成功であったことを確信した。
魔法は発動し、俊敏な動きは不可能になったはずだ。
緩慢になったいばらの兵士を置いて逃げようと素早く二足目を魔物の横に進めたとき、雷は作戦が成功したのは半分で、半分失敗したことに気づいた。
背後で少年の苦鳴を聞く。
雷が躱したなぎ払いを、レイは避けきれなかったのだ。
雷は優秀なレベル5の魔法使い、レイは天才的なレベル3の剣士。俊敏性の能力値には圧倒的な違いはないだろう。かたや逃げる機会を得る反撃をし、かたやまともに攻撃をくらった。二人の結末の明暗を分けたのは、経験の差。雷は格上への挑戦が好きなおっさんたちに振り回され続けた結果、本人は無自覚ながらそれなりに戦いにおける度胸とセンスを磨いていた。レイは仲間たちと足並みをあわせるために実力以上の相手を戦うことが少なかった。その違いである。
反撃をしかけ、そのうえ再び面倒な魔法をしかけた雷。薔薇の兵士は木でできた女の顔を憎悪で歪めた。
だが、戦闘における判断力は失わなかった。身を低くして自らのとなりを悠々と逃げようとする雷に追撃をしかけても、蜘蛛の糸が何重にも絡んだかのような鈍重な体では掠めることすら不可能。ならば、当たる可能性の高い相手に一撃をくらわせて、殺す方がよい。迷いのない判断で、いばらの女はレイに向き直る。
赤く染まった腹部をおさえ膝をつくレイに、薔薇の兵士は槍を伸ばし、突き刺そうとする。歯を食いしばりながらレイは地面に転がり、素人の素振りのような連撃の突きをかろうじて避けた。この攻防により、門とレイとの距離がずいぶんと開いた。
「《小回復》!」
薔薇の兵士のななめ後ろに立った雷は、慌てずに回復魔法をレイにかけた。しかし、レイの負った傷は深いのか、等級の低い魔法一回では立ち上がれる様子はない。
(ちいっ!)
胸中で舌打ちをひとつ。もうやれることはやった。仕方がないし、こいつを見捨てても許されるのでは? と雷は冷淡なことを半ば本気で思った。
レイを回復させてやる方法はある。雷は虎の子の三級回復薬を持っている。切断された肉体を一瞬で繋ぎ直し、元どおりにしてしまう奇跡のような回復薬だ。内臓に深い傷を負っていても、たちどころに癒してしまうだろう。
しかし、レイの命と回復薬を秤にかけたとき、三級回復薬の値段と材料の手に入りにくさを思うと、ほんのわずかに回復薬に傾いてしまう。
ひとの命を救うための道具を惜しんで、他人を見捨てるのは酷い話かもしれないが、この回復薬は雷や仲間たちを救うためのものであって、生意気な少年を窮地から助けてやるものではないのだ。
ここで使ってしまって、肝心なときに自分たちに使えないのも嫌だ。雷が所有しているものも含めて、三本しかない貴重なものなのだ。本当はもう一本あったが、旭日の馬鹿が雷の怪我に動揺した挙句、無駄に使って露と消えた。
「レイ、お願いよけて!」
雷が逡巡をしている間に、少女の切なる懇願が響く。
追撃がレイに迫っていた。
(ここで回復薬使わずに見捨てたら、何かしら思われるんだろうな。椎名さんは「そうですか」ぐらいしか言わないし、実際そうとしか思わないんだろうけど。風早さんと旭日はなあ……)
見捨てても仕方ないような状況であったのならば、宣言通り尻尾を巻いて逃げ出しても、問題ないのだろうが。取れるはずの手段を、金を惜しんで使わなかったと知られたら。
(軽蔑されるのは嫌だ)
雷の背に冷たいものが這う。
かと言って、三級の回復薬は使いたくない。
自分の今後のためにレイを助けたいが、自分の今後のためにレイを助けられる唯一の手段である三級回復薬は使いたくない。
ジレンマに苦悩するのは一瞬。雷がとった行動も一瞬だった。
雷は薔薇の兵士のふくらはぎに向かって、全力をかけてタックルを仕掛けた。
突然の足元の攻撃に、体を支えきれず薔薇の兵士は倒れ込む。もつれるように雷もそのうえに倒れ込むが、予測した衝撃であったので即座に立ち上がる。その場から去りざま、念のために《遅滞》をもう一度かけておく。時間切れなんか起こしたら、命に関わる。魔法のせいで、手をついて悠長に立ち上がるしかない薔薇の兵士。表情を見るに、彼女の雷への怒りは頂点へ達しているようだった。
(精霊の贈り物にヘイト数値なんてなかったから、大丈夫だよな?)
「《小回復》」
雷は不安を抱きつつもクールタイムが終わったので、もう一度レイに回復魔法をかける。
顔色が悪いレイと目があった。彼は呆気に取られた顔でこちらを見ている。しかし、レイはすぐにばつの悪そうな顔をした。
「歩けるか?」
「なんとか」
レイはゆるゆると立ち上がる。二回回復魔法をかけても、かろうじて動ける程度にしかなっていない。初撃の負傷は、相当深かったのだろう。
「あんなやる気のない攻撃を避けられないとか、雑魚かよ」
嫌味でも皮肉でもなく、雷は本心から言った。
「雑魚で悪かったな」
レイは決まりが悪そうに顔をそらす。恥じているのか、雷の無遠慮な言葉に怒りを感じたのか、ずいぶんと震えた声だった。
「他のやつらが動きだしたぞ! 早く逃げろ!」
門のほうから切迫した警告が届いた。
「ここまでして助けておいてもらって悪いがな、生憎俺は走れそうにない。お前だけは逃げろよ、チビ」
レイはもはや、自分の生存を諦めているようだった。
それでも、雷だけは助けようとする心の強さと優しさは、見る者が見れば、胸を打つような姿かもしれない。
「言われなくても逃げるけどな。まともになって考えてみろ。まさか、喧嘩売るみたいな態度してきたお前のために、俺が最後まで命を張ってやるわけないだろ」
雷の返答は、そんな情緒的な言葉に対して横っ面を張るようなものだった。
雷の言動にレイは鼻白む。しかし、すぐに表情を変えた。
「だったらさっさといけよ!」
赤毛の少年は吠えるように叫んだ。突き飛ばすように睨みつけるが、雷は意にもかけない。
「《小回復》。一応、俺は〈神聖魔法〉が得意なんだ。最下級の魔法でも、そろそろ効いてくれるとありがたいんだがな」
キャラ設定のときに、得意技能の選択肢がある。雷はそれを〈神聖魔法〉にしていた。得意技能にしておくと、効果が少しあがる。
言い捨てて、雷は走りだした。
もちろん、門のほうに全力疾走だ。
薔薇の兵士は、雷に狙いを定めて追いかけてくる。
(そんな気はしてたけど、やっぱり俺を狙うか!)
後ろを確認すると、薔薇の兵士、レイ、それに続き薔薇の乙女が迫ってきている。
(そろそろ他の冒険者たちの援軍が来てもいいころだろ。たのむ、そうであってくれ!)
雷は願望を垂れ流しながら、懸命に門を目指す。
「う……!」
背後でレイの押し殺した悲鳴を聞いた。悲鳴をあげて雷の足を鈍らせたくなかったのだろう。雷は涙ぐましいレイの努力を尊重し、一切振り返らなかった。
「レイ!」
彼の仲間たちが声をあげた。
(おや? 何かあったらしいが、俺は知らない)
白々しい態度をとれたのは、そこまでだった。
薔薇の兵士は再び高く舞い上がり、立ち塞がった。彼女は、レイを人質にするように雷の前に立っている。
「ばかかお前は!?」
雷が被害者のレイの雑言をあびせたとしても、だれにも責められないだろう。
「俺のことは構うな!」
罵倒を聞かなかったことにしたレイは、必死に叫ぶ。
背後からは薔薇の乙女が迫っている。
絶対絶命。助けるために駆けつけたら、囲まれて袋叩きの末に死亡なんて、笑い話にもならない。ミイラ取りがミイラになるとはまさしくこのことだ。
雷に飛びかかりそうな薔薇の乙女。しかし、薔薇の兵士は、そんな彼女たちを制止する。
槍を薔薇の乙女たちに向ける。邪魔をすれば、お前たちでも殺すと言いたげな静かな怒りを浮かべた目で睨み付けていた。
自らの下位の存在に、干渉無用を命じたのだ。
雷の度重なる動きを妨害する魔法は、彼女にとって相当許し難かったようだ。
有象無象の乱戦の末に殺すのではなく、直々に首をとってやろうとするくらいに。
薔薇の兵士は顎をしゃくり、雷に後退を命じる。
雷は熟練冒険者たちにちらりと目を向けたが、元気な大量の薔薇の乙女にまだ囲まれていた。助けには来てくれそうにない。
示されるとおりに後退し、雷はさらに門から遠ざかった。
薔薇の兵士はレイを雷のほうに投げ、二人に向かって腕槍を構えなおす。
動けないでいる雷たちに、槍となっていない手でレイを指さし、今度は自らの腹を指さす。そして、人差し指を使って挑発する仕草をする。
回復して、かかってこい。万全の状態でもお前らには負けるわけもない。そんな台詞をいいたげだった。
余裕の表情で煽っている。
仕切り直して、存分に叩きのめすつもりなのだろうか。
こうして、無数の薔薇の乙女の観客に囲まれながら、薔薇の兵士と二対一の決闘と相なったのだ。




