新米狩猟士レイの冒険はまだまだこれからだ! 13
雷は仲間たちに負けじと走った。足の長さの違いの分だけ、置いて行かれてしまう。そうならないよう、雷は本気になって足を動かさなければならない。
速度は同じだが、他の面々と違って雷の走り方には余力がなかった。
先導する風早はまだ先を目指している。
息を切らせて丘を全力で駆け上がる。呼吸にまだ余裕があるものたちがうらやましい。丘をひとつ越え、もう一度高台にのぼりきったところで後ろを振り返りながら足を止める。
このまま風早たちについて無理に走り続けるのは無理だと判断した。限界を超えて倒れるよりも、短い間だけでも立ち止まって体力を回復させたほうがいい。
寄生され死骸のように生気の失せた色の肌をした男が目に飛び込んでくる。目から流れる赤黒い血がぎょっとするほど痛々しい。生理的嫌悪感から目を逸らしたい欲求が湧き上がるが、怯え竦む暇はなかった。
案じる声で名前を呼ばれたが、返事はしない。その余裕もない。
接近までの時間はわずか。
荒い呼吸を整える間もなく、心臓の音が耳打つのを聞きながら、肩で息をする。悍ましい生き物を見据え、スリングショットを即座に構える。石をリュックから取り出し、撃つ。撃つ。撃つ。頭部にぶつかった石に、これがゾンビゲーなら頭が弾け飛んでいるのに、と現実逃避でうすらと笑っていた。
疲れとは違うめまいにくらみそうになるが、一瞬のことだ。大きく息を吐いてから、間髪おかずにルーンストーンを撃ち放つ。
止まれ、止まれ、止まれ。
弾数にも限りがある。無限に使える体力回復手段ではないのだ。
もっと長い時間止まっていろ!
そう必死に念じてルーンストーンを撃つと、本当に止まっている時間が僅かにだが増した気がした。
いや、確かにのびている。
もう一度、撃つ。
強く止まっていてくれと願いながら撃つと、魔力の手応えが今までとまるで違った。
一拍、二拍、三拍……。
脈を数える余裕がある。
己の手のひらを見る。
ルーンストーンに伝える魔力の量は変わらないが、ルーンストーンに込められた魔力の持つ温度のようなものが高くなり密度が濃くなったような気がする。
この感覚をなんといえばいいのかわからない。
ただ、漠然とわかったことはある。
自分は今まで、この停止という魔法文字の意味を、理解しているようで理解していなかった。そのことだけは言葉として形にして他人に説明できる。それが、刻印魔法を使うものとしては、実はよくないのではないのか、という悪い予感も連鎖的に胸をじわりと締め上げてきた。
たとえるなら、懐中電灯の仕組みなどわからなくてもスイッチのオンオフの方法さえ知っていれば、懐中電灯を使うことができるようなもの。
今までの雷の刻印魔法は、そういうものだった。懐中電灯は仕組みを知っていようと知っていまいと効果は全く変わらないが、刻印魔法はそうではないのだ。
魔法に対する念の込め方や魔力のため方に、決め事がある。文字を刻んだ石に、無造作に魔力を込めればいいわけではない。止まれという方向性を込めた力が理解を深めた魔法文字と一致したときこそ、刻印魔法の力が真に発揮する。
それを如実に実感した。
雷の魔法への理解が浅かった。この世界に来た時に、頭の中に刷り込まれるようにいつの間にか魔法文字を記憶していた。そこで立ち止まり、ここからさらに魔法への理解を深めようなどと思ったこともなかった。他人が刻印魔法を使うところを見たことがないから、己の魔法がおかしいと思ったことがなかった。
頭の中で、刻印魔法に関しての知識を思い浮かべると、表意文字である魔法の文字がずらりと並ぶ。見ただけではさっぱりそれがなんなのか分からない。脳内の魔法文字の辞書は、はじめのうちは文字の読みと意味の欄が適当な記号で埋まっている。使用可能なスキルレベルに到達すると、文字の意味が解放された。雷はそれを魔法が使える状態だと判断していた。
けれど魔法文字の意味を上部だけなぞって知った気になっていただけだった。それだけではダメだったのだ。
雷は感じた。自分の今使っている刻印魔法は、たいそう不恰好で酷い出来栄えだと。
他人のものを知らなくても、わかってしまう。
魔法使いとして一歩進んだ場所に進んだことによって、魔法の本質に近づいた。その本質が今までの魔法は過ちであった、と雷におしえてくれた。
何も知らずに使っていた魔法は素人でもありえないものだった。種族の持つ魔力の高さでなんとか形になっていただけで、きちんとした魔法になっていなかった。
雷はゲームよりも格段に対象を止まる時間が短くて、使い勝手が思っていたよりも悪いと不満を抱いていた。しかし、それもゲームではないのだから仕方ないことだと思考停止していた。おかしいと思ったのならば、誰かに聞くなり本で調べるなりすればよかったのに、そういうものだと不思議にもおもわず放置していた。
知らないままで半年間も横着し、無駄を生んでいた。
今までは運が良かったから、そんな出来栄えの悪い見せかけだけの魔法でなんとかなっていたのだろう。
恐ろしい話だ。
この無様な魔法を信じきり、使いこなせていないせいで、怪我をしたり仲間に怪我をさせたりしたことは一度や二度ではすまないはずだ。
雷は己の不明を恥じる。自分の出せる力をもってして仲間に貢献していたつもりだった。そんな気になっていただけで、実際はそうではなかった。
ゲームとは違って画一できない世界だからと思い込み、至らなぬ自身の実力に気づくこともなく、悪びれもせず自分は役に立っていると思い込み、のうのうと足を引っ張っていた事実に打ちのめされる。
顔から火が出るとはこのことだろう。
雷は己への怒りと羞恥で、目の前の生き物の恐怖も吹き飛び頭の中が真っ白になった。
だが、自責ばかりしていられない。
自身の未熟と無知への呵責を、一度頭の中からおいやる。
今は、目の前に事態をなんとかしなければならない。
血涙花獣に侵食されたエルフの男、ドーロゥ。
停止の時間が伸びたから、ルーンストーンを当てた直後に走り出せば十分に距離を取れるはずだ。
体の限界が近付き始めたら、倒れる前に立ち止まりまた石をぶつければいい。
戦闘にちょうどいい場所に誘い込むための逃亡を再開しようとしたが、雷はその判断を一瞬ためらってしまった。
脳裏に掠めたのは、もし、これが友人たちであったならば、という可能性だった。
椎名は血涙花獣の依頼にも興味があった。絶対になかった、とは言い切れない話だ。
あるいは、この男の成れの果ては、雷の姿であったかもしれないし、三人の友人の姿でもあったかもしれない。
その想像に、疾走で熱くなった全身の血が冷えた気がした。
体を乗っ取られて仲間が仲間ではなくなってしまったとき、一体どうすればいいのか。
熟練の狩猟士たちのように割り切り、仲間の命ごと魔物を倒すという決断など、したくない。友人たちにもしてほしくない。
他人だから客観的に見て、己と仲間の命を最優先にできるが、これが仲間であったならば悪あがきじみた諦めの悪さで打開策を求めたはずだ。
で、俺はそんなことを今この瞬間考えて、何ができるんだ?
ふ、とつらつらとした考えが自問により止まる。実に意味のない思考だったと自嘲した。それによって、目の前にいる男を助けられる名案が思い浮かぶわけでもない。
毒にも薬にもならない思案のせいで、ルーンストーンをひとつ無駄にした。
動き始めたモンスターに雷はもう一度石を当てる。レベル8のエルフの体を乗っ取っているわりには、この程度の攻撃を避けられないなんてずいぶんと鈍重だ。敵とみなした狩猟士たちを追いかけるさいは健脚を誇っていたくせに、反射神経はことさら鈍い。
雷は逃走を再開した。
同様に足を止め、雷を待ち体力回復に努めていた仲間たちと走る。
旭日はもう少し先を走っていた気がしたが、いつの間にかすぐ後ろ側にいた。走り出すと、彼に即座にからかわれる。
「おう、雷。息切れでもしてたのか?」
「息切れしてなきゃ、あんなふうに止まってないだろ。逆に聞くがな、俺が変わらずみんなについて走っていけると思うか?」
「そりゃ、無理だな」
それもそうだ、と旭日はあっさり納得していた。
「走り続けるのは訳ないが、少しでも休めるにこしたことはねえな」
剣士が言う。
その体力、羨ましいかぎりだ。
「ぼくはけっこう限界が近かったので、助かりました。魔法職はやっぱり体力の少なさがネックです」
おかげで一息つけたと椎名が礼を告げてくる。
「本当に、そうですね」
雷は、また荒くなり始めた呼吸の中で同意した。
「この丘を登ったら、ドーロゥにもう一度《停止》をかけてくれ。私たち全員の攻撃が効かなかったとしても、雷君のおかげで安全に足止めできるのはありがたいよ」
「魔法で動けねえドーロゥをタコ殴りにするわけか」
「心は痛むが、ありゃもう助からねえだろうから仕方ねえな」
きっぱりと仲間を諦めている狩猟士たち。その精神力を、薄情ととればいいのかこころの強さととればいいのか。雷はなんとも言えない心地になる。
「本当に、助からないんですか? 高レベルの、アイテムや、魔法で、なんとか、ならないんですか?」
話は聞くだけにとどめるつもりだったが、雷は気づけば息も絶え絶えに男たちに尋ねていた。
明日は我が身、という諺がしんしんと胸に迫る。
猫の獣人は首を振った。
「手持ちの状態異常を解除する回復薬を全部ぶっかけたが、なんともならなかった。三級の薬だぞ。それであの葉っぱをどうにかできないなら、他の何をしたって無理だろうよ。ドーロゥを助けるのは諦めるしかねえ」
優秀な従属種族やエルフだったり、神族だったりすれば二級の品を作れるが、一般的な現地民の最高峰の技能の粋は三級だ。その回復薬で不可能であったならば、彼らの言う通り無理なのだろう。雷がやけになって《浄水》をかけたとしても、嫌がらせにすらならないはずだ。
雷はぐ、と言葉につまる。
諦めろ、と彼らは言う。
そんなことを言われなくても、雷はドーロゥの命など物の数にもいれていない。
このような姿に成り果てて同情は覚えるし、自分たちの手によって殺す結果を迎えることで、僅かなりとも心の疵となって残りはするだろう。
だが、それだけだ。
美貌の面影を残した血まみれのエルフに関しては、苦い過去ひとつのこととあっさり割り切れる。
しかし。
これが自分の友人であったら、という恐ろしい可能性に思考がふたたび戻る。
風早の指示を受け、雷は長い時間止まっていろ、と強い意思を込めたルーンストーンを血涙花獣に当てた。
植物に侵食された男の足がピタリと止まる。
皆が動き出す前に、雷は制止をかけた。
「待ってください。ちょっと、時間をもらえませんか? 俺は、この人を殺す以外の方法で止めたい。その手段が本当にないのか、試してみたい。まだ、ルーンストーンは残っています。こちらが優位を保てる時間はまだまだ稼げます」
こんなことをお願いしたところで自分に何が出来るんだ、と自身を胸中で謗った。なにさまのつもりだ、口だけ挟んで、どうせなんの結果も残せないだろう、時間の無駄だとあげつらう言葉で次々に己を責めるが、一方で雷はもしかしたら、という可能性に縋るのをやめられない。
雷が今使える状態異常を回復する魔法は五級、本当に最低限の性能のものだ。
三級の回復薬で解決できないのだから、ものの役にも立たない。
しかし、万策尽きたと言って、諦めたくない。
ここで諦めたところで、エルフの仲間たちが悲嘆するだけで終わるのは確かだ。
だが、雷にとって関わりあいのないことだと流して、それで終わったままでいいのか?
壁にぶち当たったとき、今は問題はないといって放置した結果、いつかそれが自分の身に降りかかった時、どうすのだ?
解決策がひとつもない、仕方ないことだと言って諦められるのか。
答えは否、諦められない。
ぶっつけ本番で友人を助けられる方法を模索するのか?
仲間たちに何かあったら平静を保てる自信なんてない。ろくに動かない頭で、打開策を見つけることができるのか?
無理だ。
ならば今目の前にいる男で、極力冷静さを保てている状態で、自分たちが取れる手段を試し切れるだけ試したい。
「その心意気やよし! そういう考え方は俺も好きだ。いいんじゃねえ? こういうときは助けるほうが物語の英雄っぽいしな」
旭日が真っ先に快諾した。
その脇で、幼い子供の夢見がちなわがままだとでも思ってそうな狩猟士たちが、やれやれと言いたそうな顔をしている。
「何したって、もう無理だと思うがな。結果がどうあれ、世の中どんだけ頑張ってもどうしようもないことがあるってのを、理解するいい機会だろうよ。やりたいようにしてみな」




