新米狩猟士レイの冒険はまだまだこれからだ! 1
そろそろ春が始まるとは思えぬほど、凍えた朝。
冷たく荒ぶ風を吹き飛ばすような野蛮な奏楽が、背が高い草が生い茂る草むらに高らかに響き渡る。
繰り返される単純な音調が、やけに耳に残る。勇壮ではなく粗野、雄邁というよりは無骨。
強く耳に叩きつけるような歌が、聴く者にかっと熱がともるような力を与える。
そして、合いの手のような破裂音が、血なまぐさい苛烈な音楽に重なる。
子供の背丈ほどの草が刈り取られ、ぽっかりと大きな穴が空いたようになっている場所がある。
音はそこから聞こえた。
「ぅ、おぅらっぁ!」
大層愉快そうな男の咆哮。
野蛮な歌詞の一部のような獰猛な響きだ。
この歌は、まるで彼のために歌われているようでもある。
蛮勇の楽にあわせて、大振りの曲刀を構えた戦士が樹木を伐採する。
枝や根を手足のように動かして暴れる木の魔物は、最後に梢を強くしならせてから動きを止めた。まるで最初からただの木であったように、根元から伐される。
音楽に合わせシミターを振るのは、外套の下に軽鎧を着た、目を見張るほどの大男。
二メートルは優にある恵まれた体格。鍛えられた筋肉は見るからに頑健であり、立っているだけで威圧感がある。
深い皺が刻まれた精悍な顔立ちで、濃く焼けた肌は年齢の衰えを感じさせないはち切れんばかりの生命力に溢れていた。銀髪を大雑把に後ろに撫で付けてむき出しにされた額、そして顎や首、シミターを握る手の甲には白い鱗が見える。これは彼が人間ではなく、竜人と呼ばれる種族である証であった。
歴戦の戦士の風貌に、琥珀色の瞳が爛々と輝く。
男は戦いを心底楽しんでいた。
「気分は木こりだなあ!」
口ぶりは荒々しく、しかしその動きはシミターを握る指先どころか爪の先、つま先が地をつく些細な動きさえひどく洗練されていた。
鳥が羽ばたくような音をたてながらがむしゃらに枝を振ってくる殴打を、無造作に切り捨てる斬撃が、あたかも舞の一部のような足踏みだ。
大男の踏み込みに合わせ、飾り気のない生成り色のマントが、まるで舞台衣装のように華やかにひるがえる。
「阿呆みたいに撃ちまくって俺にぶつけるなよ、雷!」
男は仲間から旭日と呼ばれていた。
黙ってさえいれば、近寄りがたい猛者であり硬派な初老の男の色気を持つ男だが、口を開けばただの無頼漢。大口を開けて軽口を叩くその姿は、体の大きさはさておきただのおっさんじみている。
「うるせーよ、旭日! 言われないでもわかってるっての! 俺がいつお前にぶつけた!? ぶつけてないだろ!」
スリングショットで《停止》のルーンストーンを撃っていた雷は苛立たしげに言い返した。
おおよそ戦いの場にいるのは似つかわしくない、短い黒髪の幼い子供である。
口元まで覆う襟が立った外套の下は、ぐっと唇が引き結ばれていた。
気の強そうな吊り目がちの深い蒼い瞳が、険しく細められていた。狙いを定め、伸縮性がある硬い皮紐を思い切り引っ張る。摘みを外し、革紐がしなりルーンストーンが撃ち出される。
暴れまわる異様な木々の枝に当たると、その一本の動きが鈍くなる。
緩慢になった大木を、もう一人の男が狙う。
手に持つのは鉈、鈍色に輝くただの山狩り用の鉈である。身動きなど出来ない普通の樹木にはいいかもしれないが、トレントと呼ばれるこの植物モンスターには心もとなかった。
そんな鉈を片手に、一切恐れなく悪夢のごとく蠢く小森の中で飄々と立ち回っている。抜けるような白い肌は繊細で気弱げな印象を与えるものだが、その実態はなかなか図太い神経の持ち主だった。
頼りげない得物であるが、切れ味は鋭い。途中で引っかかることもなく、瘤のついた硬い枝を難なく切り落とした。
小麦色に輝く髪を、金属製の釦がアクセントの鳥打帽に押し込んだ長身の若い男。長衣の下は、戦闘に携わる者というよりも、運搬屋や郵便屋の制服に近い軽装だ。
「旭日のように幹を一刀両断とはいかないのが恥ずかしいね」
旭日に頼りっきりで悪い、と謝る彼は苦い顔。
茶目っ気と洒落っ気で彩られた銀色の瞳がやや陰る。
向き不向きがあるとはいえ、戦闘面でろくに貢献できないのはやはり口惜しいものだ。
やれやれと残念そうに軽く肩をすくめる。何の気なしの動作の最中でも油断はなく、背後から迫る枝をひょいと軽々と避けざま、鉈の鈍色が閃き、豪腕のような枝ぶりを両断した。
「いえいえ、十分ですよ。俺が戦いだけに集中できるのは風早さんが雷と椎名さんに気を配っていてくれているおかげですし」
見事な腕前を披露する風早に、旭日はにやっとした大胆な笑みを見せた。
鞭のようにしなる枝を着々と落とされ、幹だけとなったトレントを旭日のシミターがとどめを刺す。
一息つきざま、旭日と風早は前後を互いに警戒するように背中合わせに立った。
音楽は鳴り止まずに響き続け、ルーンストーンは四方八方に飛んでいく。
蛇のように地を這い蠢く不気味な根や、枝を撃ち抜きトレントの動きを鈍らせ足止めする。
「森そのものがモンスターになったんじゃないかってくらいに次々と木材が来ますけど、どのくらいで打ち止めになるんですか」
ごつごつと隆起した樹皮が人の顔のように怒りの表情を見せている。
仲間を倒されたことの怒りなのか、はたまた脆弱な獲物であると目した相手が思うように殲滅できない苛立ちなのか。
鬱憤を晴らすべく、次から次から湧いてくるトレントに、絶望は感じないが退屈は覚えてきた。
何せこいつらは知能が低いのか行動に変化はなく、数で押してくるだけ。
応戦するこちらも、切り倒すまでに、ひたすら同じ作業を繰り返すだけなのだ。
「旭日が倒したのが十。残りが十二。こちらに向かっているのが十八というところかな。最近商国では植物系のモンスターが多く難儀しているとは聞いていたが、予想以上だったね。それに関しては私の情報収拾の不手際だ。申し訳ない」
「そんな、別に問題ありませんって。ただこいつら数だけいるから面倒ってだけですよ」
「これだけのトレントを相手にして面倒ですませる君の胆力は凄まじいねえ。……と!」
無駄話の隙を与えるつもりはないようで、間髪いれずに食いかかる獰猛な蛇のような枝。驚く寸暇すらなく平然と飛びすさり、トレントの強力な一撃をかわす。
が、それは陽動でもあったようで、風早と旭日が地に足をつけるやいなや、剃刀のような鋭さを持った若葉を散らし、視覚をおおうほどの範囲攻撃をしかけてくる。
旭日は素早くマントで嵐のように舞い上がる葉の一刃の応酬を受け止める。風早は両腕で顔をかばい、急所の多い顔面への直撃をさけた。
旭日は葉刃を防いだマントごと傷一つないが、頑丈な素材を使っているはずの革製のコートはトレントの若葉の渦刃の鋭さに敵わず、コートの下の衣服も貫通し風早の腕を容赦なく切り裂いた。
裂傷に息を飲むのは一瞬、即座に痛みに歪む表情を切り替えて、風早は「せっかくの一張羅なんだけどな!」とわざとらしくおどけた。
「肉体の持つ生命力を通じて、身にまとう衣服ごと防御力を上げているっていうのが、こういうとき如実に出るね。参った参った」
旭日のマントは魔物の皮を鞣した分厚いものだが、本来ではあれば風早の衣服と頑丈さはさほど変わるものではない。
同じ攻撃を受けた際の違いは個人の資質が大きく、一目でわかる旭日のフィジカルの高さが、目に見えない闘気の鎧として実際に存在する物質のように身を守っているのだ。
頑健さは肉体だけを守るのではなく、確実に存在する力、マナとなって本人の着る衣服の性能も耐久度も上げる。
この世界の常識だった。
「小治癒!」
風早の怪我を確認した雷が、すかさず回復魔法を飛ばす。
雷はトレントにデバフをしかけて仲間の援護行動をしていたが、本来の役割は回復役である。
光の粒が対象の部位を包み、傷口を癒す。
雷が唱えた魔法の光が消えると、そこには血の跡に汚れた破れた服の下に、何事もなかったような腕があるだけだった。
「ありがとう、雷君。破れた服も直してくれたら最高なんだけどな」
「そこまでは便利じゃあないみたいですよ」
回復魔法を行使したのち、即スリングショットでルーンストーンをトレントにぶつけた。今のような範囲攻撃を雷や椎名のような完全後衛にぶつけられたらたまらない。
繊細な刺繍がほどこされた白い布を重ねた優麗な衣装に身を包む椎名は、パーティーにバフをかけるために身動きがほとんどとれない。
奏でる音楽により、仲間の身体能力を上げたり身を守る力を授ける祝歌を得意とする吟遊詩人。
音楽の精霊は美しい見目の者を好くという。身なりにもこだわり、華やかで艶やかな衣装のほうが力を貸しやすいと言われる。
よって椎名はバードとしての力を最大限発揮するために、戦いの地であるこの場所に、艶やかな舞台衣装じみた格好で佇んでいるのだ。
尖った耳に、どこかぼんやりとした色味のゆるく波打つ亜麻色の髪、やさしげな白皙の美貌。エルフと呼ばれる種族の、見目麗しい中年の男は、仲間の怪我に内心動じつつも、健気に演奏を続けていた。
まるでそこだけ世界が隔絶されているかのように、幽玄な音楽会を開いていた。奏でている音楽は、流麗さとは真逆の蛮族賛歌ではあったが。
「んってめぇら、ふざけたことすんじゃねえよ! ぶったぎる!」
圧倒的肉体能力を持つ代償なのか、旭日は血が上りやすい傾向がある。
仲間が傷ついた姿が、彼の激情の導火線に火をつけた。
爆発は即座、一呼吸おく暇もない。
足遣いひとつひとつの繊細さに見目を裏切る凛とした絢爛さがあった剣技が一転。体格による力任せの粗暴さで、木々をなぎ倒していく。
獰猛たる魔物が霞むような凶暴さだった。
「ずいぶんとキレてるね」
激情の元凶を作った男がいやにのんきだ。
旭日が激怒し猛獣じみてしまったことを除けば、後衛を守りつつ敵の戦力を削いでいく同じことの繰り返し。
次々とあらわれる木のバケモノなど、相手にもならないとばかりに怒りのまま振る舞う旭日によって、その数はみるみる減っていく。
「せぃやあ!」
旭日の渾身の気合と共に、最後のトレントに刀身が食い込み、シミターの刃は抵抗を受けることなくあっさりと断ち切った。
カーン、と景気のいい音が天まで届くように高らかに響く。
同時に、体の芯から掻き立て力が湧きわがる演奏がぴたりと停止した。
一瞬の静寂。
椎名は小型の弓奏楽器の構えをとき、ささやかな吐息をついた。
シミターを鞘に収めた旭日に、椎名はやわい笑みを向ける。
「凄まじい戦いぶりでしたね」
他意なく旭日を褒める椎名の喉は、祝歌を歌い続けたことでやや枯れていた。
「そんな臆面もなく褒められると照れますね」
「猪って言ってやればいいんですよ、椎名さん」
頬を掻いて調子のいい満面の笑みを浮かべた旭日に、ごく自然に悪態をつく雷。半眼で旭日を見る子供の顔には見目相応のいとけなさがなく、ようは可愛げに欠けていた。
年を重ねて精神がそれなりに育った者が、無理矢理子供の姿をしている。そんな歪つさが、蒼い瞳の奥に隠れている。
「はああー。お前はあいっ変わらず年上を敬う精神ってのに欠けてんなあ! おい!」
遥か上方から威圧し恫喝する低い声で苛立ちを見せる旭日に、雷は悪びれた様子すら見せない。
「敬いたくなる姿ってのを見せて欲しいもんだけどな。旭日、戦うたびに最後のほうは馬鹿の一つ覚えみたいにキレてるだろ」
「ああ? あれでキレるなってか? 無理だろ。つーか、俺にキレるなっつうならお前も怪我すんなよ、雷」
「怪我するなって無理に決まってるだろ。戦ってるんだからな。どんなに気をつけても攻撃を食らうときは食らうんだよ」
「何いってんだよ、気合で避けろ。俺にキレるなっていうなら雷がまず気をつけろ」
「無理」
「無理禁止。お前、俺が何のために前衛にいると思ってんだよ! お前らを守るためだろうが!」
「そうですねえっ! いつも危険な場所で後衛の俺たちを守ってくれてありがとうございますうっ!」
頭に血が上ってなんの言い争いをしているのか分からなくなっている勢いで、言葉をぶつけあっている。
「喧嘩腰に見えて仲がいいって見てて面白いと思いませんか、貴理人くん」
椎名が本気で笑いだしそうになっているのをこらえている様子で風早に同意を求めた。
「そうですね、優さん」
頷く風早は、やや困った笑い顔だ。
喧嘩にもなっていないので間に入る必要はないと判断し、椎名と風早は二人の斜め上の言い争いを聞き流しながら素材の回収をはじめた。
春のあたたかさをようやく思い出したような光を放つ太陽は、ようやく中天に達しようとしていた。