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冬以外の四季を縫い合わそう。でなきゃ、とても肌寒い。

晩冬、踏み固めた灰雪よ

作者: 浜能来

「また、あの日の夢」


 あの春の日に、先輩の気持ちを知って。それをずーっと無視し続けて。何食わぬ顔して一年を過ごしたくせに、夏にはすがり、秋には傷つけた私を責めるように、いつからか見るようになった夕焼け色の夢。

 私は髪をかきあげつつ体を起こした。寝起きの視界に夜明け前の薄闇がぼやける中、半ば手探りでスマートホンの画面を確認する。そこに表示された通知の中からSNSの通知を開いて中身を確認し、ため息をついた。やはり、先輩からの返事はない。


「当たり前か」


 身体にまとわりつく寒気に身をぶるりと震わして起き上がる。

 先輩とは、秋に図書館で別れてから会っていなかった。私が今まで通りの時間に図書館に向かっても、そこでどれだけ待っても、先輩は私に会いに来なかった。待っている返信と言うのも、あの日送ったメッセージに対する返信。


『ごめんなさい。来週もよろしくお願いします』


 返事がなかった時点で、来週もよろしくお願いされてはくれなかったということだから、別に先輩を責める気も起きなかった。それを裏付けるように、図書館から帰った玄関先には私が押し付けた過去問が置いてあった。「悪かった。もうやめておく」と、折りじわ一つない紙袋が言っているような気がした。


 自室を出て、居間に入る。しんと冷えた夜の空気が私を出迎える。さっきスマホで見たけど、本当に早く起きすぎたんだなぁと時計を見て思った。まだ午前四時。家族の誰も起きていない。

 なぜそんなに早く起きてしまったのかと言われれば、カレンダーに答えが書いてある。母が大きく赤ペンで書きつけた『合格発表日』と言う赤文字は、私の死刑を示す血文字にも見えた。

 合格発表の日、私と同じ大学を受けたあの人はわざわざ大学に結果を見に行くという。そこにわざわざ私も行けば、お互い想いが通じ合った事になる。彼はきっと、奇特なことにも敷地から追い出されるまで私を待つらしかった。


 今日、決めなければいけない。


 あの人の告白に応えるのか。応えないのか。

 いや、違う。私は誰にともなく首を振った。あの人に応えるのか、それとも先輩に応えるのか。


 あの人が好きなのか、先輩が好きなのか。


「わからないよ、そんなの」


 私は居間の電気もつけずに、ソファにうつぶせに倒れ込んだ。合成皮のひんやりとした感覚が気持ちよかった。何となしにテレビをつければ、嫌に真面目なニュースキャスターが原稿を読み上げる声がして。何か、せかされてる心地になって消した。


「なんで私、先輩の告白を無視したんだっけ」


 また、堂々を巡るつもりかと呆れながら、私の心が言う。それまでの日常こそ心地よくて、愛しかったからだ、と。

 結局私は出来合いの関係を崩してしまうのが怖くて、先輩の告白を無視した次の日からも図々しく部活に行った。先輩はそんな私に何も言わず、だから私も許されたと思って。返事に悩むことも何もかも、記憶の底に押しやった。

 今思うと、先輩も日常を壊したくなかったのかもしれない。だから、私に合わせてくれたのかもしれない。


「でも、その理由は--」


 その理由まで同じだとは、断言できなかった。

 きっと先輩の理由は、私が好きだから。自分で考えていて、傲慢な自分を鼻で笑ってしまうけれど、きっと間違ってない。私が好きだから一歩踏み出したい。私が好きだからこのままでいたい。先輩はこの二択にちゃんと答えを出して、前者を選んだんだ。逃げた私とは大違いで。


「そりゃあ、返事ももらえないよね」


 あの日逃げたのは私で、今度は先輩の番だった。それだけの話だ。

 そこまで考えて、私はソファから身を引きはがした。そのままキッチンまで歩いて行って、コップ一杯の水をつぐ。ろくに間をおかずについだものだから、なんとも言えずぬるい。ガラス越しに感じる温度が縁からこぼれだす前に、水を止めた。水底から逃げ出してきた水泡が一つずつ割れていくのを眺めていた。


「やっぱり、今日ではっきりさせなきゃいけない」


 そして、ぐいっと飲み干す。生暖かいものが身体に染み込んで、思考が動き出す気がした。そのままソファに戻り、真ん中に座り込む。抱えた膝の間に頭を挟んで唸っていると、落ち着いてもきた。


「やっぱり、先輩が好きかなんてわからない」


 ぼそりと言ってしまうと、予想外にふてくされた声が出た。それでも、一度あきらめがついて、頭の中の論題は新たなものへ移っていく。


 じゃあ、わたしは彼が好きなのか。

 先輩の告白を無視して、いつの間にか見つけた人だった。好きな人を見つけたかもしれませんと先輩に報告した時、先輩がただただ祝ってくれたのを覚えている。

 別に頭は良くないけど、真面目に勉強していた。別に運動神経は良くないけど、体育祭の練習にも真面目で。誰もが遊びだす中、一人で掃除をしているような人が彼だ。


「でも、気はきかないよね」


 あれこれと理由をつけて一緒に帰った時も、彼は道の外側を歩いた。電車の斜陽が差す席に座るし、駅の人混みを自分のペースでするすると抜けていってしまう。

 だけどそれは、先輩だって同じだ。

 あぁでもない。こうでもない。あちらの美点を褒め称え、こちらの欠点をあげつらう。続けるうち、なんだかファミレスで食後のデザートを選んでいるような心地になった。気持ち悪かった。

 でも今日は、その気持ち悪さを隅に押しやることができない。膝を構えたままこてんと転がる。朝ごはんを探すカラスの鳴き声。


「あら、早いのね。緊張してるの?」

「……まぁ、そんなとこ」


 ふてくされた声で答える。

 ドアを開け放していたから、お母さんが入ってくるのに気づかなかった。まだ眠気を残した声で私を気遣った寒がりのお母さんは、私の転がるソファを背を丸めながら横切り、暖房のリモコンを手に取った。


「そんな丸まってるくらいなら、暖房入れといてくれればいいじゃない」

「別に寒くないもん」

「じゃあ、何してるのよ」


 私の身体がぐいと起こされる。お母さんは「ほんと、無駄に重くなったわねぇ」とぼやき、私の隣に座る。寄りかかって、体温を感じて。意外と自分の身体が冷えていたことに気づいた。


「ねぇ」

「どうしたの?」

「どうしたらいいのかな」

「あぁ、合格発表のこと?」


 テレビを付けてくつろぐ姿勢のお母さんは、明日の天気予報について話すみたいに言った。だから、口をついて出てしまった相談のキッカケを、このまま有耶無耶にしてもいいやと思えた。

 お母さんは返事がないのを肯定と捉えたのか、テレビから流れる訃報に一度「あらまぁ」と漏らしてから話し始めた。


「そんなことで悩んでもしょうがないわよ。もう結果は決まってるんだから」

「うん……」

「元気出しなさい。どうあれ、ご馳走の準備はしてあるから。祝勝会も残念会もなんでもござれよ?」


 からからと笑った。私は、そんなに軽く考えられたらどんなにいいか、恨めしそうにお母さんを見たんだと思う。ちらりとこちらを見たお母さんは、一度表情を改めると、柔らかく微笑んだ。


「大丈夫よ。やるのはきっと祝勝会。だってあなた、珍しくあんなにやる気満々に勉強してたじゃない」

「高校受験の時と同じだったと思うけど」

「そんなことないわよぉ。高校受験の時は、あんた死んだような顔してたもの」


 最初は、どうせ適当を言ってるんだろうと思っていたけど。真っ直ぐに私を見ているお母さんが言っているから、きっと本当なんだろう。

 じゃあ、なんで私はそんな風に勉強していたんだろう。

 その『なんで』があるから、やる気満々に見えたんだろうなとは、すぐに考えついた。


「スマホ取ってくる」

「そんなことわざわざ言わなくても。結果発表見るつもりなら、午前十時からよ?」

「違うよ。電車の乗り換えを調べるの」

「あら、わざわざ見に行くの? みぞれが降るって話よ」

「うん、それでも見に行くの」


 言われなくても知っている。だって、それはテレビを付けた時にちょうど言っていたことだ。ぐじゅりぐじゅりとした足元はきっと気持ちの悪いものだろうけど、そっちのがマシ。


「きっと、わざわざ見に行く人も、いるだろうしね」

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