第3話
「おーい、エウリカ。お客さんだぞ」
「はーい?」
ある日、庭で洗濯物を干していると、外からわたしを呼ばう近所のおじさんの声がした。手を止め、垣根から顔を覗かせると、おじさんの隣には見知った顔の人が立っていた。
「あ、ランジェさん」
「どうも」
相変わらずのしかめっ面で、にこりともしないランジェさん。今日も前と同じ制服を着て、マントを羽織っていた。そういえば、ランジェさんが初めてファレンデールちゃんのもとを訪れてから、半月と少し経過している。
「この兄ちゃん、知り合いか? 魔女さんとこ行くのにエウリカを指名してきたぞ」
「指名ではないです。知り合いはいるかと尋ねられたので、名前を答えただけでしょう」
ニヤニヤと揶揄するようなおじさんとは対象に、ランジェさんは心底呆れたようにため息をついた。すみません、田舎の人は邪推するのが好きなんです。だからそんなに睨まないで!
「はっはっは。まぁ、魔女さんとこに行くのは、いつもエウリカの仕事だからな」
「ね、そうでしょ。じゃあランジェさん、少し待ってくださいね。洗濯物が終わり次第行きますから」
「分かりました」
「おじさん、母さんをよろしくお願いね」
「おう、任せとけ」
ランジェさんをあまり待たせるのも良くないだろう。また剣を向けられるかもしれない。そうでなくても、すでに機嫌が良くない様子でこちらを睨んでいる。久々の恐怖だ。
慌てて残りの洗濯物を片付けると、少し身支度をして外に出た。
「おまたせしました!」
にこり、と笑いかけるも、ランジェさんは相変わらずのしかめっ面。まぁ分かっていたけどね!
2人並んで、森へと向かう。今日も良く晴れて、清々しい陽気だ。木漏れ日が差し込む森の中は、鳥が囀り、花々が風にそよめいている。
「いい天気ですねぇ」
「……本当に。他での諍いも、この地には何も影響が無いようですね」
ぽつり、幾分か暗い表情でランジェさんが呟く。恐らく、先の戦のことを言っているのだろう。
少し前、私達の暮らすディレード王国と、南の国境を接する隣国サンファルサンとの間で、小競り合いが起きた。戦というには規模が小さく、かといって、負傷者が出なかったわけでもない。特に南の方では、穀物や酪農に少なからぬ影響が出たそうで、王都にも波紋が及んでいるらしい。双方ともに傷を負う形でどうにか和平となりそうだ、と風の噂に聞いた。
「たしかに、今回の争いはこの辺りにあまり影響しませんでしたけど、平和なだけでもないんですよ」
わたしのその言葉に、ランジェさんの視線がこちらに向いた。
「ファレンデールちゃんがこの森に住み始めるまで、この辺りは魔の物の棲家でした」
「……ここが?」
「そうですよ。こんなに穏やかになったのは、ほんの数年前です」
言いながら、傍にあった花を眺める。この森で花が咲くようになり、木々が生き返るなど、数年前まで誰も思いもしなかっただろう。こんなに穏やかな、憩いの場になるなんて。
「何人もの村人が、魔の物と対峙して亡くなりました」
ランジェさんの足がぴたり、と一瞬止まった。わたしが足を止めないので、またすぐに歩き出したけれど。
「そんな魔の物が、ファレンデールちゃんが現れてからぴたりと姿を消しました。何をしてくれたのかは分からないんですけど、村の誰もが、ファレンデールちゃんに感謝してもしきれないんです。だから、ファレンデールちゃんの生活を脅かすものーーー森の奥に立ち入る見知らぬ人は、排除の対象になってしまいまして」
これが、ランジェさんに『次は始めに村に寄って』と頼んだ理由だ。前回はたまたまわたしが遭遇したから良かったけれど、これが他の若い男性ともなると、見かけた途端に攻撃される可能性もある。騎士のランジェさんに、ただの村人が危害を加えることはできないのかもしれないが、余計な諍いのもとになるのは避けたい。
わたしの話を聞きながら、ランジェさんもそのことを察してくれたようだった。一つ息をついて、前を向く。
「とにかく、ファレンデールちゃんはすごいんですよってことです。ランジェさんの治したい方が、早く良くなるといいですねぇ」
「すぐにでも治ってもらわないと困ります。そのために、国一番の癒やしの力を持つ魔女をわざわざ訪ねたのですから」
「その方は怪我なんですよね? ファレンデールちゃんの薬なら、どんな怪我でも治っちゃいますよ」
だからきっと大丈夫ですよ、という意味を込めて笑いかけると、こちらをちらりと見たランジェさんの眉間の皺がほんの少し減ったような気がする。あくまでも気がする、という程度だが。
2人並んで、小道を歩く。その後は時折わたしが話しかけ、ランジェさんからぽつぽつと返事をもらいながら、穏やかに時間が過ぎていた。
変化が訪れたのは、もうすぐファレンデールちゃんの家に着く、という時だった。ランジェさんがピタリと立ち止まり、周囲に視線を巡らす。
「ランジェさん?」
何故立ち止まったのか分からないが、とりあえずわたしも立ち止まった。無言のまま、ランジェさんがすらりと剣を抜く。近くの茂みに切っ先を向けたところで、ようやく不穏な空気を感じ取り、思わず身が固くなった。
茂みから何かが動く音が聞こえ始め、数秒後、2つの塊が転び出てきた。
「ひっ」
ランジェさんの切っ先を目前に、息を呑んだのは、なんと幼い子供だった。5歳くらいの男の子と、それよりもっと幼い女の子。半泣きになりながらも、男の子が女の子をかばうように前に出ていた。
「ランジェさん、剣! 剣!」
2人がすっかり怯えてしまっているから、剣をしまって!という意味合いで言ったのだが、なぜかランジェさんは更に切っ先を突きつけた。違うそっちじゃない。
わたしは慌ててランジェさんの背にしがみついた。ランジェさんの動きが止まり、とても煩わしそうな顔でこちらを振り向く。
「怯えていますから、剣をしまってください!」
「森の中で見かけた不審者は、排除の対象となるのでしょう」
「不審者も何も、まだ幼い子供です」
「甘いですね。魔の物は幼子にすら身を変えることができるのですよ」
そう言われ、ぐっと言葉を飲んだ。けれど、わたしにはこの子たちが魔の物になんて、まったく見えないのだ。
冷たい視線のランジェさんに負けじと、必死で睨む。お互いの視線が絡み合って、数秒の後、ランジェさんがため息をついてようやく剣を下ろした。
「仕方ないですね。魔の物であったなら、今の隙に殺されているでしょうから」
つまりは、魔の物でないと認めてくれたのだろう。よかった!
ぱっと笑顔になったわたしを、ランジェさんが冷たく一瞥した。
「だから、もう離れなさい」
「え? あっ、ごめんなさい!」
言われ、咄嗟にランジェさんにしがみついてしまったことを思い出す。慌てて手をはなし、距離をとった。こ、こわい、このままでは今度はわたしが剣を向けられかねない。
そもそも、こんなことをしている場合ではなかった。
「大丈夫?」
子どもたちのもとに駆け寄ると、可哀想に、身を震わせていた。いきなりランジェさんに剣を向けられたのだから、無理もないだろう。わたしですら怖かった。
2人の服は汚れていて、髪にも木の葉がくっついている。多方、2人だけで森に迷い込んでしまったのだろう。
「迷ったのかな? もう大丈夫だからね」
声をかけ、笑いかけると、女の子をかばうようにしていた男の子も緊張の糸が切れたのか、涙を浮かべて飛びついてきた。抱きとめ、よしよしと背中を撫でてあげる。
さあ女の子も、と思い、視線を戻したが、先ほどまで居たはずの場所に女の子の姿はなかった。何処へ行ったのかと慌てて視線を動かすと、驚きの現場を目撃した。
「きらきら、しゅごい、きれいね」
なんと、女の子がランジェさんの足にひしりと抱きついているのだ。
「……離れなさい」
「きらきら、きらきら」
ついさっきまで剣を向けられていたというのに、ぶっきらぼうなランジェさんに全く怖気づくことなく、女の子は無邪気に笑いかけている。猛者だ、猛者がここにいるぞ。
「エウリカ、笑っていないで助けなさい」
おっと、思わず笑顔になっていたのがばれてしまった。私にしがみついて離れない男の子を抱き上げ、ランジェさんの傍へ歩み寄る。
その間も女の子は、きらきら、きらきら、と言いながら、しきりに上を見上げていた。
「きらきら、って、きっとランジェさんの髪のことですね」
「どうにかしてください」
「気に入っちゃったんですよ。抱っこしてあげたらいいんじゃないですか?」
「抱っこ? 私が?」
不機嫌そうに眉を寄せ、ランジェさんは足元の女の子を見下ろす。対する女の子は満面の笑み。てこでも離れそうにない様子に観念したのか、ランジェさんはため息をついて女の子を抱き上げた。今日何回目のため息だろうか、幸せが逃げますよランジェさん。
「きらきらね、しゅごいね」
髪に触れられるようになった女の子は、更に嬉しそうにはしゃいでいる。初めは壊れ物にでも触るようにしていたランジェさんも、落とさないようにしっかりと抱え直していた。相変わらずのしかめっ面だが、どことなく困った様子だ。そのランジェさんの髪を、女の子がくしゃくしゃとかき回している。
仏頂面なことを除けば、木漏れ日の下での美青年と幼女の戯れという、絵画にでも残せそうな図だ。なんとも微笑ましい光景に、わたしまで笑顔になる。
「それで、この2人をどうするのです」
「うーん、この子たち、わたしの村の子じゃないんですよね。多分隣村の子だと思うんですが、ファレンデールちゃんのところに行こうとしていたんじゃないかと。隣村の人もファレンデールちゃんに治療してもらいに来ますし」
そうかな?と抱き上げている男の子に尋ねると、こくりと小さく頷いた。どうやら合っているようだ。
「お母さんがね……怪我、しちゃって……薬、良く効くって、聞いたから……2人できたの」
男の子が初めて口を開いた。どうやら女の子とは兄妹らしい。この様子だと、黙って2人だけで出てきてしまったようなので、今ごろ村では大騒動になっているかもしれない。
「村に連れて行くよりも、ファレンデールちゃんのところへ連れて行って、助けてもらう方が早いですねぇ。というわけで、一緒に行きましょう」
「このままで?」
「このままです」
にっこり、笑いかけると、鋭く睨まれた。危ない、楽しんでいるのがばれてしまった。だって、こんなランジェさん、きっとこの先拝めないと思うのだ。
明らかに子供慣れしていない様子で、女の子を抱き上げたまま歩くランジェさん。女の子は好奇心が旺盛で、やれあそこに花があるだの、鳥がいるだの、右に左にランジェさんを振り回していた。
そのたびに眉間の皺が濃くなっていたが、いつもと違ってどこか困った様子で、それでも文句を言うことなく振り回されているランジェさんを見てーーーほんの少し、彼を可愛らしい人だなと思った。
この後、ファレンデールちゃんの魔法で知らせを受けた両親が飛んできて、2人は無事に村へと帰っていった。
別れ際、ランジェさんの髪をひっつかんで泣きわめく女の子とランジェさんを見てニコニコとしていたら、2人が帰った後に睨みつけられ小言を言われ、土下座をする勢いで謝る羽目になった。
やっぱり怖い!